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self-quarantine diary 6/6/2020

昨日、調べものがあってむかしのインスタグラムの投稿を無限にスクロールした。スクリーンをつるつるする止まらない指、探していたものは見つからなかったけど、3年以上も前の投稿を見ていくうちに、わたしはわたしが変わったことに気がついた。変わったことに気づくことはべつにめずらしいことじゃない。このnoteを書きはじめてからわたしは何度も変化しているし(毎回書くたびにスタイルが変化してると思う。感情と意識の使い方の問題?)、変化についてやたらと人に聞かれる機会もふえた。でも、昨日感じたそれはちょっとちがって、もっと自分に正直な気づきだった。「ああ、わたし変わっちゃったんだ」と久しぶりに思った。「わたし、もっと自由なときがあったんだ」という無邪気すぎる感想をどう扱っていいかわからず、つよい満月の光に目をちらちらやりながら、どさっとソファに横になった。ブラヴァツキィが幻視した、地球はかつて月の衛星だった話を思い出して、わくわくと憂鬱が一気に押し寄せる。現在夜空に浮かぶ月は、地球にエネルギーを注ぎつづけて死滅した残骸……

言葉をますます慎重に扱わなくちゃいけなくなった日々、「自由」なんて言いたくなかったのに思いついたのがそれだったからどうしようもなく、でも今あらためて考えてみると、それはつまりオンがいない、ということだった。オンというよりも、子どもがいない、そして子どもがいないというよりも、「母親でない」ということ。

後悔するってことがいつからかよくわからなくなって、だからそれいらい後悔なんてしたことがないと思ってここまできた。というより、後悔という言葉を捨てないかぎりうまく生きてはこられなかった、過去を現在をほとんど混同して生きているわたしとしては。そういう人って、けっこう多いんじゃないかと思う。人が過去を振り返るときに生じる、ほんとうにほんとうに複雑で大切きわまりない感情を、

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