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self-quarantine diary 5/27/2020

大きく開けっぱなしになった窓から聞こえてくるこの音が、車の走る音ではなく、たとえば川の流れる音、波が砕ける音だったらいいのになと思いながらいまは深夜、0:14。今日は食後、オンと少し遊んで、それから急遽入った仕事の直しをしたあと、散歩に出かけて京都に住む友人と電話をした。彼女とちゃんと電話をしたのは今日が2回目だった。はじめて電話をしたとき、わたしは泣いていて、さらに酔っ払ってもいた。バスのなくなった深夜近く、駒沢の通りを等々力駅に向かってどかどか歩きながら、彼女のやさしい声を「ウン、ウン……」と聞いたことを思い出す。歩くたびに、枯れて茶色くなったツツジたちをざーっと指でたどったことも。4年前の、ちょうど今ごろ。泣いたのは、わたしが作ったものに対して、ある人に「わからないな」と言われたからだった。それで、ふてくされて、彼女に電話したというわけ。どうして彼女だったんだろう? 彼女とは出会って8年、彼女がジンのなかにいるわたしを見つけてくれた。直接会った回数は、その時までには2回? たまたま直近で大阪に会いに行っていたからかもしれないけれど、とにかく彼女に聞いてほしい、助けてほしい、と思ってすがるみたいにダイヤルした。当時はまだまだ電話ぎらいだったから、わたしとしてはめずらしい行為。途中から雨が降ってきて、「ア、雨まで降ってきちゃった」と子どもみたいに情けない声で言った、か、どうかは思い出せないけど、でも、彼女とわたしの関係をあらわすなら、まさにそんな感じ。ずぶ濡れのときに、声を聞きたいひと。声でほんとに抱きしめてもらえるって、はじめて教えてくれたのは彼女だったのかもしれない。なかなかひとを信頼できない、がちがちのわたしの耳が開いていく。

それにしても、「わからないな」なんて言葉で勝手に傷つくなんて、やっかいな作者だと思う。今となってはたぶん、そういう感想があることだって受け止めようよ、とかも自分に言える、それでもわたしはやっぱり何かをつくるとき、あなたにわかってほしいと思う、わかって、わかって、わからなくてもわかると言って、なんておそろしい押しつけだとは思うけど、それでも「わからないな」と言われたら、わたしはどの顔してここにいたらいいのかわからなくなる。「教えて?」ならいくらでも教えてあげられる、いくらでもあなたのために時間をつかえる、あなたがつかってくれるなら、そしてあなたも教えてくれるなら、そのわからなさのことを、やっぱりわからないね、と一緒に笑えるようになるまで。時間のつかいかた、心のつかいかた、わたしはまだ自分がものすごく不器用だと思う。あの夜、32歳だったわたしが36歳になって、それでもまだあのときのわたしのまま、雨が降れば泣きそうにもなる。

(でも、きょうはぜんぜん泣いてなかったし、電話した理由もまったく別のところ、ただただあかるい声が聞きたかった、いる場所に思いを馳せたかった、それから言葉への賛辞を、信頼を、そして喜びを、たがいに空中にはなつみたいな夜だった。ハ・レ・ル・ヤ! ほんとに、ほんとに。)

昨晩いろいろなことがあり、また寝付けなかったので11時起床。オンと松樹は公園に。わたしは髪を洗って、vimeoの動画でオイリュトミー、少し仕事、読書。14時からのはずだった洗面台工事の時間が早まるということで、あわてて古い洗面台から化粧品・薬品・ストック品などを取り出す。古く陶器の洗面台は、わたしが化粧水のビンを落としただけでヒビが入り、あれよあれよと言う間に水漏れした。コロナで工事期間が1ヶ月延期になり、ようやく、今日。片付け終わらないうちに工事のひとが到着。それに続いてオンと松樹帰宅。あわててオンだけ先にお昼ごはん、豆乳スープの残りと、買ってきた野菜弁当。お弁当には小さな旗がついていて、オンはやっぱりうれしそうだった。工事に時間がかかりそうなのでわたしも松樹もこそこそ昼食、ベッドルームに移ってゴロゴロ。ずっと前に友人からサンフランシスコ土産にもらっていたオキーフのトランプをオンが見つけてきて、それをベッドに広げて遊ぶ。カードを1枚つまみ上げるたびに、オンも松樹もわたしも「きれい……」と思わず口にする。

工事の最中、オンは来てくれたひとたちのことが気になって仕方なく、「あ、おじちゃん手袋してるね」「ズボンにバッグがついてるね、オンもバッグ持ってるんだよねー」「おじちゃん、いまハーって言ったね」「パパはおじちゃんにちゃんとこんにちわって言った? 言って、言って、言って」と、何か思いつくたびにすぐに口に出していた。心のなかの言葉がそのまま出てくることの不思議。2年前まではぜんぜんしゃべれなかったのに。でもしゃべれなかったひとの中には、それでも心のなかの言葉がちゃんとあって、そしていま、喉をつかえるようになったオンはとどまることを知らない。しゃべらなかったひとがしゃべるようになり、じゃあ、大人のわたしたちは今どこにいるんだろう? 心のなかにある言葉を、そこにあるそのまま、口に出したりはしなくなった。その選択はどこで行われてる? オンが今日、おじちゃんたちに言った言葉は、褒め言葉でも貶す言葉でもなく、誰かにおもねる言葉でも、自分を蔑む言葉でもなかった。ただ、ひとを観察して、あなたがここにいて、これしてる、ということを、オンというひとを丸ごとつかって表現してる、そんな感じだった。

今、わたしがつかっている言葉は? わたしがこうして今ここでかたかた打っているnoteのための言葉、もしくは親指をつかってぽちぽち音も立てず、脳の反射みたいに送ってしまうtwitterの言葉は? 心のなかにあるこれと、文字になったこれはどう繋がってる?

15時、工事はいまだ終わらず、わたしだけ散歩と買い物。ベンチに座って本を読む。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、この広場にあるカフェやデパートはいまだ休業中。オフィスワーカーたちもまだ少なく、いるのは大半が子どもと母親、そして最近は父親の姿も多く見かける。今日は半分以上が父親だった。ブッククラブ回から届いていたもうひとつの本、インドのタゴールの詩集『ギタンジャリ』を開く。ベンガル地方の一詩人だった彼が、アジア人初のノーベル文学賞受賞者として世界中で知られるようになるきっかけを作った、英語で書かれた詩集。原文、対訳、さらにはそれぞれの詩の解説まで収録されていて、はじめてタゴールに触れるわたしにはじゅうぶんすぎる内容。イェイツがはじめて彼の原稿を手にしたとき、とまらなくなってあちこちで読んでいて、ものすごく感動してしまい、それをひとに見られたくないがために、こっそり隠さなくちゃいけなかった、そんなふうに言われている詩集。

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