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座右の銘は「迷ったら、アドレナリンが出る方へ」。ワタル、冒険家活動開始

こんにちは!KAMIKITA HOUSE住民のコージー(@koji__O)です。

KAMIKITA HOUSEに暮らす個性豊かなメンバーの魅力を伝える住人インタビュー。第12回となる今回は、フリーランスのビデオグラファーとして活躍するワタルさん(28)にお話を伺いました。最後までお楽しみください。

ワタル(28)
高校卒業後、6年半消防士として勤務。現在は3人兄弟で動画制作を行う。東京都小平市出身。趣味はサウナ、キャンプ、登山。アイアンマンレース完走経験ももつ。

カミキタハウスで気づいた卓球の魅力。「コミュニケーションツールとして、めっちゃいい」

ーーフリーランスで色々な事業に取り組まれていますよね。最近はどんなことをやっているんですか?

今、浅草に卓球場を作ってます。卓球部だったので、コーチとか卓球やってる知り合いがたくさんいるんです。そういう人たちにレッスンしてもらったり、一般の方に利用してもらったり。卓球台2台とちょっとしたカフェスペースも置きたいなと思ってます。

ーー面白そうですね。なぜ卓球場を作ろうと思ったんですか?

自分の好きなものが詰まった場所が欲しいなと思ったんです。最近は卓球全然やってないけど(笑)。後々、卓球バーとか卓球カフェとか、卓球とサウナとかに広げられたらなと。

ーー改めて卓球の魅力を教えてください。

卓球の魅力はカミキタハウスに来て改めて気づきました。今までずっと卓球はガチでやるもので、中学では団体で全国3位になって、高校でもインターハイに行きました。最近になって、遊びでやる卓球も面白いなと思ったんです。実家からカミキタハウスに卓球台を持ってきて、みんなとやると楽しかった。卓球ってコミュニケーションのツールとしてめっちゃいいなと。一緒に卓球をすれば仲良くなれる。初対面の人でも沈黙が気にならずにコミュニケーションを楽しめるんです。

ーーカミキタハウスに卓球台を持ってきた功績は非常に大きいと思います。というか実家に卓球台があるのがすごい…。

小学生の時に親に借金して、卓球台と卓球マシンを買って、1人で練習してました。卓球台は2万とかですけど、卓球マシーンは15万円くらいしましたね(笑)。毎年、お年玉で借金を返してました(笑)

ーー学生時代は卓球一筋の生活だったんですか?

小4で地域センターで卓球を遊んでたら楽しくなってハマりました。小平市民大会で優勝して、いけるんじゃね?ってなって八王子のクラブチームに入りました。地元の中学に通ってたんですけど、中2で荒川区の強豪校からスカウトされて転校したんです。1時間半かけて小平から電車で通ってましたね。学校の部活と並行して、週3回は八王子のクラブチームでも練習。平日の夜7〜10時まで練習して帰ってご飯食べたらもう12時で、次の日は朝6時に起きて学校行かないといけない。寝不足の毎日でした。親に聞いたら「朝ごはん食べながらよく寝てた」って言ってましたね(笑)

ーー卓球は高校で辞めたんですよね。

インターハイには行ったんですけど、高2くらいから遊び始めて、卓球の熱が冷めてきたんです。卓球を続ける気がなくなったので大学行くのを辞めました。周りが卓球のために大学に行くって感じだったのもあって。卓球やらないなら大学行く意味ないなと思って、消防士になりました。

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救助大会で埼玉県歴代最速記録を樹立。病気を乗り越え、ハイパーレスキュー隊員として活躍

ーーなぜ消防士になったんですか?

卓球やらないと決めてから何しよう?と思って、学校の図書館で職業図鑑みたいなのを読んだんです(笑)。海外で大きな災害があった時に日本のレスキュー隊から派遣される消防士の国際消防救助隊の方のインタビュー記事が載っていました。その方が「世界のどこで助けを求められようとも、私は行く」みたいに言っていて、めっちゃかっこいいなって(笑)。それで色々な都市の試験を受けて、埼玉県川口市の消防局に入りました。

ーー消防士の採用試験ってどんな感じなんですか?

体力テストと学力テストがあって、そのあと面接です。体力テストは1500m走とか反復横跳びとか学校でやる体力テストと同じ感じ。学力テストは数学がなぜか4種類くらいあって、あと社会、英語、国語。部活を引退したのが7月で、試験は9月だったので1ヶ月半しか時間がなかったんです。だから超追い込みましたね。1日16時間くらい勉強してました。意外と頭良くて、一次試験は全部受かりました(笑)。川口市は受験者が600人くらいで受かったのは25人くらい。意外と倍率高いんですよ(笑)

ーー消防士の生活が気になります。

消防士と言っても川口市の公務員なので、休日の数や給料は公務員と基本一緒です。ただ消防士は24時間勤務なので、朝から翌朝までが勤務時間なんです。仮眠などを除いても1日に16時間働きます。消防士には消防隊、救急隊、救助隊(=レスキュー隊)があるんですけど、新人はまず消防隊に配属されます。消防士は新人が超辛いんですよ。ほぼ寝られないんです。夜2〜3時くらいまで訓練をやっている救助隊の先輩たちより先に風呂に入っちゃいけないんですね。で、風呂入らないと寝ちゃいけない。先輩を待って風呂入ってから寝ると4時くらいになる。起床は6時なので、2時間睡眠でした。

ーーそれはきついですね。消防士は命に関わる仕事なので、大変ですよね。

でも怖さはあんまりなくて、仕事は楽しかったですね。市町村の消防局ごとに争う救助大会がめちゃくちゃ楽しかったです。障害突破という花形種目で全国大会目指して、ひたすら訓練やってました。4人1組で走っていって、はしご登ってロープぶん投げて、ボンベ背負ってトンネルダッシュしてみたいな。結果的に全国には行けなかったんですけど、埼玉県大会で歴代最速記録を出したのが良い思い出です。深夜にひたすら訓練してめちゃくちゃメンタルと体力が鍛えられましたね。元日も訓練やってました。

ーー消防士をやる中で苦労したことは?

病気との闘いです。4年目から希望してた救助隊に入れたんですけど、半年経ったくらいの時、訓練中に心臓発作が起きたんです。救急車で運ばれて、不整脈の一種であるWPW症候群と診断を受けました。「持病があるやつに救助隊は続けさせられない」となってしまって、指令センターに異動になりました。119番の電話を受けて「火事ですか、救急ですか?」って聞いて対応を指示する人です。

ーー救助隊に入るために消防士になったので、悔しかったですよね。

救助隊に戻りたくて、諦めきれなくて。指令センターの休憩時間に筋トレしたり、めちゃくちゃ縄跳びしたりしてたんです。それを見てくれた課長が「あいつを救助隊に戻してやってくれ」って言ってくれて。病気も完治して、半年で救助隊に戻れたんです。その後、救助隊の中からさらに選抜されたハイパーレスキューにも入れました。ハイパーレスキューで2年くらいやって消防士をやめました。

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25歳を区切りに消防士を退職。3兄弟で動画制作を行う

ーーなぜ消防士を辞めたんですか?

消防士はめっちゃ楽しくて、人もすごく良かったです。でも、18で入ってアルバイトも含めて他の仕事をしたことがなかったんですね。何も知らないままあと40年間、これを続けるのかとふと思ったんです。それで25歳を区切りに辞めようと思って。兄貴がフリーランスで自由な働き方をしてて、いいなと思ったので動画編集を独学で勉強し始めました。

ーー消防士を辞めて、フリーランスで動画の仕事をやるようになったんですね。

友達の結婚式の動画制作から始まって、会社のプロモーション動画を作ったり、広告代理店の友達とつながって企業案件をもらったり。友達からその友達へと広がっていって、徐々に仕事をもらえるようになりました。友達多くて良かったなと思います(笑)。最初は撮影から編集まで全部1人でやってました。

ーー印象に残っている仕事は?

独立して1年半後くらいに川口市消防局のプロモーション動画を作ったんです。辞めた後もちょこちょこ連絡をくれてて、みんな応援してくれてて。元職場の方々と仕事で関われたのは嬉しかったですね。

ーー最近はどのように仕事をされてるんでしょうか?

自分は3人兄弟の真ん中なんですけど、映像の仕事は3兄弟で分担してやってます。自分がビデオグラファーで、2個上の兄貴がデザイナーで、3個下の弟がモーショングラフィッカー。自分がディレクションして構成を考えて、それを兄貴にデザインしてもらって、弟が動かすみたいな感じで、いい感じに役割分担できてます。「スリーマンブラザーズ」っていうチーム名でやってます。

ーー三代目J Soul Brothersみたい(笑)

いや、そこは意識してないですけど(笑)。チーム名決めたほうがいいなと思って、男三兄弟だからという安易な名前をつけました(笑)。半年に1回、3人で合宿もやってます。仕事の振り返りとか収入の目標、受ける仕事と受けない仕事を決めたりしてます。

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アドレナリンを求めて、第3章開幕。いざ、冒険家へ

ーー座右の銘を教えてください。

「迷ったら、アドレナリンが出る方へ」です。これまでの人生の選択はすべて、アドレナリンが出るかどうかで判断してきました。

ーー常にアドレナリンが出る道を選んできたんですね。

消防の現場では、自分でも分かるくらいアドレナリンが噴き出ていました。自分はとにかくアドレナリンが出るのが好きなので、独立してからも毎年1回は新しいことに挑戦しようと決めています。一昨年は瞑想合宿で、去年はスイム、バイク、ランで合計226キロのアイアンマンレースに出ました。今年8月にボディビルの大会に出ました。

ーーボディビルの大会にはなぜ挑戦したんですか?

筋トレする理由が欲しかったんです。目標がないと頑張れないタイプだから、出る大会を先に決めて、そこに向けて頑張りました。今年の1月に出よう、と決めて8ヶ月間筋トレに取り組みました。最初の4ヶ月間で筋肉と脂肪をつけて15キロ増量して、そこから17キロ絞るって感じです。食事制限が本当に辛かったです。大会前2週間は1日600kcal以下で、最後の2日は200kcal以下。あとから調べたら増減5キロくらいでよかったらしく、ちょっとやりすぎました(笑)。楽しかったけど、減量がきつすぎたのでボディビルコンテストはもう2度と出ません(笑)

ーー最後に聞きます。夢は何ですか?

最近あんまりアドレナリンが出てないので、体がアドレナリンを求めています。七大陸最高峰と北極点、南極点すべてに到達して、冒険家グランドスラムになることが目標です。30代前半までに全部登りたいと思ってます。その目標に向けて今、仕事のやり方を変えているんです。映像の受注の仕事を減らして、サウナカーや卓球場も自分がいなくても回る仕組みにしようとしています。冒険家としての活動がいよいよ始まります。消防士が第1章、映像制作フリーランスが第2章。僕の第3章が開幕します。

【取材後記】
ワタルさんは今を生きている。とにかくやりたいことを躊躇せずにやる。小学生で10万円以上の卓球マシンを迷わず購入。消防士時代、給料を合コンで使い果たし、貯金はゼロ。「公共料金が払えなくて、ガスが止まってた。冬は、坂ダッシュを10本やって体を温めてから水シャワーを浴びてた」という。消防士を辞めたときも貯金はゼロ。それでも、当時の彼女に会いに沖縄へ行き、軽自動車で寝泊まりする生活を送った。アドレナリンの出る方へ向かう姿は、動物的だ。

一方で、気遣いのできる人でもある。今回の取材では、コーヒーとお茶菓子を用意してくれた。質問に対しても「これは見出しにしたいやつだよな」とこちらの意図を汲み取り、言葉を1つ1つ真剣に絞り出してくれた。これほど取材者を気遣える人がいるだろうか。カミキタ新聞7月号の「夫にしたい人ランキング」では8票を獲得し1位に輝いた。ついていきたくなるような人間力も兼ね備えているのだ。冒険家としての第3章。動物ワタルと人間ワタルのブレンドで栄光をつかむことを期待したい。

取材:コージー、きどみ
執筆、編集:コージー

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