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料理人さら、11月からヨーロッパ修行へ。「そろそろ行動しないと。事業もやりたい」

こんにちは!KAMIKITA HOUSE住民のコージー(@koji__O)です。

KAMIKITA HOUSEに暮らす個性豊かなメンバーの魅力を伝える住人インタビュー。第16回は料理人のさらさん(28)にお話を伺いました。ぜひ最後までお楽しみください。

さら(28)
フリーランスの料理人/ フードデザイナー。大阪府高槻市出身。趣味は登山、キャンプ、ボードゲーム、カラオケ。オンラインで韓国語講師も務める。ほぼ毎晩、住人のために料理を作る「さらごはん」は大人気。

世界一周資金を貯めるために、自炊を始めて料理にハマる

ーー料理人として、カミキタハウスでも大活躍されています。料理は専門学校で学んだのでしょうか?

いえ、専門学校には行かず、現場に入って実践で学びました。料理に興味を持ったのは、社会人になってからなんです。それまでは実家にいて料理する機会もなく、外食ばかりでした。外で食べる方が美味しくない?みたいな感じだったんですけど、新卒で愛媛に飛ばされてから自炊を始めました。

3年働いてから世界一周に行く計画だったので、世界一周資金を貯めるために、削れるのは食費かなと思って。1ヶ月の食費を6000円と決めて、朝、昼、晩自炊するようになったんです。食材をうまく使い回せば、色んな料理が安く作れる。そのやりくりがゲームみたいで面白くて、料理にハマりました。

ーー新卒で働いた会社は3年続けたんですか?

いえ、4ヶ月でやめました(笑)。子ども英会話の営業の仕事だったんですけど、やってて意味ないなと思ったんです。「コミュニケーション能力が伸びます」と言われてたのに、ただスクリプトをそのまま読むだけでズレたらあかんって感じだったんです。上から下まで読み上げるロボットみたいでした。

ーーとはいえ、4ヶ月でやめるのは勇気もいると思うのですが。

仕事が嫌すぎて毎週、愛媛から実家の大阪に帰ってたんです。お金貯めないといけないからヒッチハイクで(笑)。ヒッチハイクで乗せてくれたおばあちゃんに「人生短いんだから、やりたいことやった方がいいで」と言われたんです。「韓国語をやりたい」って言ったら「じゃあやればいいじゃん」って。それで1週間後にスパンと会社をやめました。

ーー韓国語にはいつから興味があったんですか?

中学生の時、お母さんが韓国ドラマの『冬のソナタ』を見始めたんです。最初は異文化が入ってくるのが嫌だったんですけど、お母さんは毎日見ていて。テレビは1個しかないので、しょうがなく横に座って見るようになりました。そしたら「めっちゃおもろいやん、何この深いストーリー?」って好きになって、1人でも韓国ドラマを見るようになりました。

ーーそれで、韓国語の勉強を始めたんですか?

独学で勉強を始めました。テキスト買って、ハングル文字を練習して、文法やって。3週間の韓国短期留学にも高校と大学で1回ずつ行きました。留学中も3週間毎日勉強してましたね。韓国語はなんか耳にフィットして、ずっと聞いていたいと思ったんです。「韓国語で一生、生きていきたい」というくらい好きでした。

ーーそれほど韓国語が好きだったのに、大学卒業後は営業職に就いたんですね。

翻訳の仕事をしたかったんですけど、翻訳学校を出てるわけじゃないので、なれるわけないやろと思ってました。まずはみんな就職みたいな感じだったので。新卒4ヶ月で思い切って仕事やめて、派遣バイトでお金貯めて、その年の12月にワーホリ(ワーキングホリデー)で韓国に飛びました。

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韓国で夢の翻訳の仕事に。帰国後、「世界レベルでコミュケーションができる」料理の道を選択

ーー韓国での生活は、どうでしたか?

翻訳の仕事を探している中で、日本の旅行会社でwebメディアの翻訳の仕事をもらえました。韓国でもいくつか試験を受けたら、全部受かって、その中の1つで働いていました。韓国ドラマが好きだったので、字幕をつける仕事が夢だったんです。ずっとやりたくて、でもそれができると思ってなくて、普通に就職して。そんな中で夢の仕事ができて、本当にうれしかったですね。

ーー韓国でも料理は続けていたんですか?

もちろんです。ゲストハウスの8人部屋に住んでたんですけど、スタッフの中にユジュという韓国人の料理人がいたんです。私の2個下なんですけど、めっちゃしっかりしてて優しい子なんです。ユジュと仲良くなって、彼女のケータリングの仕事を手伝っているうちに、ケータリングの楽しさを知りました。「ゆくゆく2人で事業やりたいね」という話もしていましたね。

ーー韓国にはどれくらい滞在していたんですか?

ワーホリビザが切れたので、1年で帰ってきました。韓国語の仕事はとても面白くて続けることもできたんですけど、料理の方が世界レベルでコミュニケーションができるなと思いました。それで帰国後、韓国語から料理にシフトすることを決めました。ただ、料理人って18歳くらいから厨房に入ってるのが一般的なので、私はいったん違うルートで攻めてみようと思って。それでレシピ動画サービス「クラシル」をやっているdelyという会社に入りました。

ーーdelyではどんな仕事をしたんですか?

レシピ動画に来た質問に答える仕事をしていました。色んな質問に答えるために、自分で調べたり、料理人に聞いたりするので知識を得られましたね。1年弱勤めて、そろそろ料理したいと思って、フレンチレストランの厨房に入りました。

ーーなぜフレンチ?

フレンチは見た目を重視するので、ケータリングに一番生かせそうだと思いました。30店くらい面接を受けて回って、全部受かりました。怖いシェフのもとで働くのが嫌だったので、とにかくたくさんの店を見て回りました。シェフが怒らないかと、全部やらせてくれるかの2つの基準で店を選びました。

ーー「全部やらせてくれるか」というのは?

最初は皿洗いと野菜切るだけ、皮むくだけみたいなところもたくさんあるんですよ。私はもともと遅れているので、いかに早く調理させてもらえるかが大事でした。2つの基準で検討した結果、『I・K・U 青山』という青山のお店に入りました。シェフは優しいし、最初から料理人の一人として認めてくれて、魚も捌かせてくれました。みんな優しく教えてくれるし、最高やんと思っていたら3ヶ月で潰れました(笑)

ーーその後はどうしたんですか?

またお店を探して面接を受けて、フランス人がシェフをやっているお店に入りました。当時、私は三つ編みをしていたので、シェフから「ラプンツェル」と呼ばれていました(笑)。シェフは気分屋で、機嫌が悪いと怒るんです。でもシェフなので、誰も文句を言えないんですね。悔しすぎて泣いたこともありました。アルバイトだったこともあり、結局半年でやめて。その後は六本木のレストランで正社員として1年ほど働きましたが、去年の3月からフランスに行く計画があったのでやめました。

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11月から念願のヨーロッパへ。「ユジュと2人で事業をやりたい」

ーー3つのフレンチの厨房で働いた経験を持って、フランスではどんなことをする計画だったんですか?

フレンチの本場であるフランスと、美食の街が多いスペインに行こうと思ってました。ユジュと一緒にフランスとスペインを2、3ヶ月かけて1周して、気に入った街があったら1、2年住んでみようという計画でした。フランスへの航空券も取っていたんですけど、コロナが来てしまって。本当に行きたかったんですけど、国境も閉じていたしコロナにかかったら怖いなというのもあって、行くのを諦めました。出発日の朝、当日キャンセルでした。

ーーその後は?

やめた六本木のお店も3月で潰れちゃったので、戻れなくて。それで仕方なくフリーランスになりました。旅と家庭料理を組み合わせたイベントをやったり、色んな現場に食事を届けるロケ弁を始めたり、お店のメニュー考えてレシピ作ったり。試行錯誤の日々でした。

ーー11月から新たなスタートを切るんですよね。

11月下旬にドイツに行きます。ユジュが今、働いているベルリンのホテルの厨房で私も働かせてもらうことになりました。「家あるからおいで」と言ってくれて。念願のヨーロッパですし、ユジュと会うのも3年ぶりなので楽しみです。バケーションの時期にはフランスにも行きたいですね。2年くらいは日本には戻ってこない予定です。

ーーヨーロッパではどんなことをやりたいですか?

色んな国の料理人が集まっているのが楽しみです。英語と韓国語はネイティブレベルにしたいので、言語も頑張りたいですね。ユジュと2人で事業もやってみたいと思ってます。フリーで色々やってきて、自信がついてきた面もあるので、そろそろ行動しないと、と思っています。キッチンカーで韓国と日本の料理をフュージョンさせたお弁当を売ったりとか。一緒に何かをクリエイトして、ビジネスをできたら面白いかなと思います。あと、2人でYouTubeも撮りたいですね。ヨーロッパを回る様子を映したら面白いかなと。

ーー世界一周への思いは今はどうですか?

もう世界一周はいいかなと思ってた時期もあったんですけど、最近また行きたくなってきました。行きたい時に行きたい国に行くのもいいんですけど、やっぱりバックパック背負って世界一周する方が冒険感があるなと。めっちゃ仲良い友達と「世界一周行こうや」と話してるので、3年後くらいに2人で行きたいと思ってます。

ーー最後に、改めて料理の魅力を教えてください。

料理はアートです。ケータリングに興味を持ったのも、食べ物をデザインできるのが魅力に感じたからです。フレンチの厨房に入ってからは、味をデザインできることが面白くて。人によって味も変わるし、色も変わる。地域によっても全然違う。暮らしてきた場所や見てきたものによって料理が変わるのも面白いなと最近は思ってます。色々言いましたが、何よりもみんなに喜んでもらえるのがうれしいですね。料理を出すと、みんなが笑ってくれる。そこが料理の魅力ですね。

【取材後記】
インタビューは終始、和やかで楽しいひとときだった。「みんな、結構暗いエピソードとかがあったけど、私1個もないんだけど。こんなハピハピな感じで大丈夫?」とさらは言った。この言葉にさらの魅力、人間性がつまっていると思う。決して楽な道だったわけではない。飲食業は3年以内に90%以上が閉店するという。独自ルートで料理人を目指すうえでの悩みもあっただろう。コロナでフランス行きも諦めざるを得なかった。悔しくて涙した夜もあった。それでも、まるで何の苦労もしていないかのように明るく話してくれた。This is Sara. これがさらの生き様だ。

最後に改めて、お礼を言いたい。「さらごはん」では半年間で30食以上食べた。さらの美味しい料理でいつもQOLが爆上がりしていました。ありがとう。11月からの門出を祝福したい。これからは様々な事業も考えていくという。ドイツから上北沢までのケータリング事業とか、いかがでしょう?

取材:コージー、きどみ
執筆、編集:コージー

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