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経営者そら吉「あなたが唯一無二の存在だと伝えるのがミッション」

みなさんこんにちは!KAMIKITA HOUSE住民のきどみです。

KAMIKITA HOUSEに暮らす個性豊かなメンバーの魅力を伝える住人インタビュー。第15回は学生経営者のそら吉さん(21)にお話を伺いました。ぜひ最後までお楽しみください!

そら吉(21)
岩手県大船渡市出身。国立大医学部保健学科所属。現在は休学して『Brand New inc.』を設立。野球歴12年で、趣味はバスケなどのスポーツ。

経営者は、まるで「高校野球」のよう

ーー最近、新しく会社『Brand New inc.』を設立しましたね。おめでとうございます。どんな会社ですか?

ウエディングやスポーツ、イベントなどの映像制作を手がける会社です。今後、事業の領域は変わるかもしれませんが、今は映像を中心に業務を行う予定です。

ーーこれから運営するうえで、大事にしていきたい考え方はありますか?

『Brand New inc.』では、「あなたが唯一無二であることの再定義」というミッションを掲げています。

ーー「唯一無二」とは?

これからの時代、「唯一無二」がキーワードだと思うんです。
例えば、映像や音楽業界を見ていると、AIで動画編集や作曲もできています。今まで人間が行っていた仕事がAIにシフトしていってるんです。
昨年1日に3本のウエディング動画を編集したことがあったんですけど、3本とも流れがほとんど一緒で、ただ決められた順番に動画を編集していくだけでした。

技術の発展や作業のテンプレ化が進んだ先には、誰がやっても同じ、という考えが生まれかねません。会社のサービスを通して関わった人には「自分はこの世に生まれた唯一無二の存在」と思ってほしい。そういった意味を込めて、このミッションを掲げました。

ーー経営者になって、難しいと感じることはありますか。

経営者は、高校野球みたいだなって思います(笑)。僕は小学3年生の時から12年間野球をやっていました。その中で野球をプレイすること以外に、挨拶、掃除、ボランティア活動など、やりたくないことまでやっていたんです。経営者も「やりたくないことをやらなきゃいけない」という意味では似ていると思います。
フリーランスだった頃は、好きな仕事を、好きな人とできていましたが、経営者になるとお客さんを選べないし、財務や法務など複雑な手続きも自分でやらなけらばいけない。でも、その分色々な経験ができるので面白いです。

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環境による格差を是正し、発展途上国でもメダル保持者を出したい

ーーそもそも、なぜ会社を作ろうと思ったんですか?

将来的な目標は、発展途上国でスポーツ支援の事業をしたいと思っています。そのビジョン実現のため、まずは自分で事業を作る経験をしようと思いました。会社を設立する際、初めてより2回目の方が資金を調達しやすくなるし、信用も残ると思ったので。

ーーすごい目標ですね。その目標に至ったきっかけは?

大学1年生の2月、ボランティアでカンボジアを訪れたんです。学生20人ほどが3チームに分かれ、現地でできるビジネスを考えます。そこで得た利益を寄付しようというプログラムでした。自分たちは、酒屋で飲み物を安く大量に仕入れて、付加価値をつけて路上で販売しました。「ボランティアしてます」なんて看板を掲げていると、割と観光客に売れるんです。今考えるとしょうもないですよね(笑)。最終的には利益が出て、そのお金で子どもたちに文房具やぬいぐるみを寄付しました。

ーーそこから、スポーツ支援をしようと思った過程は?

現地で小学生たちと遊んだ際、環境の悪さに驚いたんです。ミニバスをやっている時、ダンクシュートしたらリングが折れたり、グラウンドが凸凹しすぎていて足を捻挫している日本人もいました。幸運なことに、自分は高校野球で県のベスト4入りするなどスポーツでいい経験をしてきましたが、もしカンボジアで生まれていたらそんな経験できなかったと思います。現地の子どもたちを見ているとみんな運動神経がいい。もし彼らが日本で生まれていたら、世界大会で結果を出していたと思うんです。

あとからカンボジアが過去どれくらいメダルを獲ったか調べたところ、過去に一度もないと知りました。その一方で、アメリカは金メダルだけで数百枚獲っている。その差は明らかに環境のせいだと感じたので、自分が現地に行って、その格差を是正したいと思うようになりました。

ーーカンボジアでの経験を通して、価値観は変わりましたか?

カンボジアは自分にとって初海外だったので、リミッターが外れました(笑)。NPOのボランティア活動に応募したり、医学部の研修でモンゴルに行ったりしましたね。大学2年生の春には、学内の留学プレゼンコンテストに出場して優勝したんです。カンボジアでビジネスについて勉強していくうちに身につけた「順序立てて話す」ことが攻を奏したんだと思います。

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アートとビジネスが両立できるよう、業界を変えたい


ーー映像を始めたきっかけはなんでしたか?

大学2年生の時、牛丼チェーン店でアルバイトをする中でパートの方から理不尽なことで怒られたりして、精神的に耐えられなかったのでやめました。その後、色々手を出してみたんです。最初はマルチ商法のような怪しいビジネスに引っかかるなど失敗もありました。ライターや物販などさまざまなビジネスで収益を上げられるようになったのですが、面白くないな、って感じるようになったんですよね。そこで1年前に出会ったのが映像です。見ず知らずの人を動かせるコンテンツであり、クリエイティブに仕事ができる点が魅力に感じました。

ーー実際、映像をやってみてどうですか?

これまでさまざまな仕事に携わってきましたが、自分が撮りたい動画とお金になる動画は違う、と感じるようになりました。自分的に満足がいくような映像、例えばドローンを飛ばして撮った風景の動画ではギャラがもらえない一方で、あまり良いとは言えないクオリティの広告で高い報酬をもらえたりする。
前者のように好きに撮れた動画をアート、後者のようにお金が稼げる動画をビジネスとすると、アートとビジネスの両立は難しいなと考えるようになりました。

最初は自分が好きな動画を撮るために、撮りたくない動画を撮って稼ごうとしていましたが、その時間は苦痛で、虚しく思えたんですよね。なので、最近は撮りたいと思えない動画の仕事は引き受けません。

ーー自分が撮りたい映像でお金をもらうために必要なことは何だと思いますか?

まずは自分が自信を持って渡せる高いクオリティの動画をアウトプットすること。それに対して相手が納得して対価を払うこと。そしてその対価に自分も納得すること。こうした三方よし、の状態がアートとビジネスの両立だと思います。もし自分が撮った映像に対価がもらえなかったとしたら、その動画はこの時代に認められていないということになるので、妥協する、もしくは業界を変えていく努力が必要だと考えます。業界にとってその動画は必要、という認識に変われば、対価は自ずと上がっていくからです。

僕はまさに今会社を設立して、自分が撮りたい動画が業界にとって必要な動画だと認識してもらえるよう、奮闘しています。

ーーそら吉さんにとっての「撮りたい動画」は?

会社のミッションでもある「唯一無二」の動画で、簡単に言うと、オリジナリティのある動画です。今考えているのは「曲から映像をつくる」施策。作曲家を雇い、その人の個性や人生に合わせた曲を作り、そこに映像を載せていきます。自分の会社ではウエディングの動画を手がけているので、まずはその領域から試していくつもりです。ウエディングの動画を注文してくれたお客さんに提案してみて、通れば嬉しいし、通らなければフリーの音楽を使用して撮影を行います。

まずは業界での認知度を上げることを優先して、キャッシュが安定した段階で、やりたいことを思いっきりできたらいいな、と思います。

ーー「好きなことを仕事にする」のは難しいと思いますが、そら吉さんはこれに対してどう考えますか?

「好きなことを仕事にする」ことを目標として掲げることはいいと思います。でも、それに囚われすぎるのはよくないかな。人間って悩みが無くなったら悩みを作りたがる生き物なんです。例えば、憧れだった映像クリエイターになれたとしても、機材のお金が高かったり、上には上がいると知り理想とのギャップで悩みます。今の自分の仕事を悲観的に捉えず、好きなことを仕事にできたら嬉しいな、程度に目標を持っておくのがいいと思います。好きなことを仕事にできても悩みは尽きないと思うので、焦らずいきましょう!

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人生は、自分で面白くするしかない

ーー座右の銘はありますか?

高杉晋作が詠んだ歌「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」です。僕はこの歌の意味を、そもそも人生は面白くないので、そんなつまらない人生を面白くするかは自分次第だ、と解釈しています。

ーーいつから座右の銘にしているんですか?

この歌に出会ったのは今から約1年前です。映像を始める前で、物販などで結構稼いでいた時期でした。それに、自分に報酬を支払わなかった企業を訴えて、裁判で取り返したりしていました(笑)。バイトしなくても生きていけるし、いざとなったら裁判起こせばいい。人生余裕で、つまらないなと思ってしまったんですよね。そこで出会ったのがこの歌です。もともと人生はつまらないものなんだから、自分で面白くしなきゃなんだ、って。 

だから今は会社を立てたりして自ら負荷をかけて、ハードな生き方をしています(笑)。でも実は、幼い頃も今とあまり変わってないらしいですが。

ーー幼い頃どんな子どもだったんですか?

父曰く、幼い頃から目立ちたがり屋な子どもだったそうです。例えば、楽器を演奏しながら行進するマーチングで担当する楽器を決める際、「難しいからやめた方がいい」と先生から言われた「トリオ」という楽器に立候補して、最後までやり切ったそうなんです。思い返せば、物心ついた頃から人と違う選択をしてきたように感じます。みんながAを選べばB、Bを選べばA、のように。「唯一無二」をこの頃から体現したかったのかもしれませんね(笑)

ーー最後になりますが、カミキタハウスに来て半年経ちましたね。自分が変わったと思うことはありますか?

「幸せ」に対する考え方が変わったと思います。自分は「意識高い系」の大学生だったので、物事を理論的に考える傾向がありました。毎日同じような格好をしたり、禁酒を徹底したり。でも、こっちに来て色んな人に出会い、色んな「幸せ」があるのだと気付きました。食事が生き甲斐の人もいれば、映画鑑賞が好きな人もいる。人によって幸せの形はさまざまなので、何もかも理論に囚われるのではなく、楽しい時間は楽しもう、と考えるようになりましたね。

【取材後記】
「きどみん、今日はどんな1日だった?」無職時代に自堕落な生活を送っていた自分に対するそら吉の問いかけである。本人は軽いノリで聞いているのだろうけど、ちゃんと仕事をしていた人間に向かって「Netflixを15時間ぶっ通しで観てた」なんて言えるわけもないので、毎回この質問に怯えていた。その一方、ちゃんとやるべきことをやった日に生き生きとその旨を報告すると「ふーん」と興味なさそうな返事がくることがあり、殴りたくなる衝動を抑えたこともあった。

「21歳とは思えない行動力」と人は思うだろう。もちろん、それは大前提で尊敬もしている。しかし、彼には「21歳」の片鱗が見える瞬間が多々ある。褒めると嬉しそうな表情を見せるし、たまに照れている時もある。ボケたがりだし、いたずら好きだ。あと、お菓子をあげると素直に喜ぶところもかわいかったりする。
21歳で経営者という肩書きを持つ人はこの世にそう多くないし、悩むことも多々あるだろう。外でお客さんや取引相手に気疲れする分、「家」に帰ってきた時はリラックスして、たまには弱音を吐いていいよとこの場を借りて伝えたい。

取材:きどみ、コージー
執筆、編集:きどみ

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