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白鳥

今年の夏は、なぜか昔の記憶を思い返している数人の話を聴きました。長い付き合いなのに初めての話ばかりでした。そしてそれぞれルーツを想ったり、今に至る原因を探ったりしていました。私自身は、琥珀やヒト遺伝子や天道虫や数々のことが氣になって、ここに記したいものは何かわからなくなっていました。以前からずっと氣になっていた白鳥が、突然また目についてきたので、まとめてみることにします。

まず最初は、ある日「人生最後に聴きたい曲は何か?」を考えていて、小学生の時、夕方の下校時間に学校の放送室から流れる音楽が、サン=サーンスの『白鳥』だったことを思い出して聴いてみたことから始まりました。唐突に思い出したわりには最後にふさわしい曲だと、しばらくの間、記憶に近い演奏を探して聴き比べていました。自分の中のイメージが意外と残っていて、記憶と同じ演奏見つけたくなってしまったのです。小学校に尋ねて当時の音源の演奏者を知りたいと思ったくらいでした。

そして次に思い出したのは、かつて育てていた二種類の薔薇のうちの一つは「レダ」という名前で、ギリシャ神話ではゼウスが白鳥に変身して誘惑したという、スパルタ王の妻と同じ名前だったことです。とても良い香りの可憐な薔薇でした。そしてつい最近、昔星座の観察を夏休みの宿題でやったという友人の話から、小学生のときに授業でもらった星座板で、まず見つけたかったのが白鳥座で、初めて見つけた時に星座の大きさに驚いたことを思い出したのです。空にあるというのにもっとコンパクトなものを想像していました。

そして昨日、昔やっていたアンデルセンのアニメを調べていると、第一話が『みにくいアヒルの子』でした。アヒルの卵にまぎれていた白鳥の子の物語です。子供の頃の記憶より、みにくいアヒルの子はいじめられていました。そして自分が白鳥であることも知らずに白鳥に憧れていました。よく「憧れるということはそういう質を自分も持っているから」と言いますが、物語はそのことも表しているのでしょうか。みにくいアヒルの子が本当の美しい姿を知らず、アヒルの子達から様子が違うと仲間外れにされたり、認めてもらえなくて自己嫌悪に陥るのは、自分を過小評価するように仕向けられたかのようなこの世の中で、本来の存在の才能や力を見失っている現代人のようです。

最近ほかに「HOME」という言葉をよく目にしていて、たまたま「還る」という文字を見た時に、今の生活の中で外出先から戻る家ではなくて、様々な体験を持ってかえる魂の源のような所を思い浮かべました。ただ存在するだけで安心の場所。幼少期の経験から、今も自分を全て受け入れることのできない友人たちが本当の姿に戻れる場所。何かを成し遂げるとか、大きな計画に貢献するということではなく、ここに存在するだけで役目を果たしている人もいるのです。今こそ現状を憂えることなく、これまでの世の中の基準とは違う次元の自分の在り方をそれぞれが見つけて、それを実現していく時なのだと思います。最後に氣づきました。最初の『白鳥』も家に帰ることを促す音楽でしたね。繋がりました。

では、また。ごきげんよう。

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