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迷い蝶

玄関を開けると蝶が倒れていたことがあります。家の玄関前には、大量の鳥の羽根だの、クマンバチの死骸だの、桜の花びらだの色々なものが落ちていますが、その時は瀕死の蝶でした。翅の半分近くがちぎれて無くなっていました。嵐の後、飛び疲れて休んでいたのでしょうか。手を出すと乗ってきたのでそのまま家の中に入れて保護することにしたのです。だから迷い蝶というより、勝手に保護蝶ですね。

とりあえず花の蜜的なものをと、ガムシロップを極々薄くしたものをあげてみました。意外とすんなり飲んでくれたので安心して、部屋のカーテンに止まらせてみました。これもまた以外にすんなりとなじんでいます。昼間はレースのカーテンをすり抜け、窓に直に止まり外を眺めていました。次の日はスイカがあったので、スイカの果汁をあげてみると、大変氣に入ったようでストローのような口で勢いよく飲むので、それからはスイカを主にあげていました。ということは、夏真っ盛りの頃だったのですね。そのほかに何をあげたか覚えていません。毎日スイカがあったとは思えないので、何か果汁をあげていたのだと思います。

その頃はテレビもよく観ていたので、テレビを点けると膝の上に止まり一緒に画面の方を向いていました。カーテンに止まらせても膝に戻ってきてしまうので、仕方なくいつも膝に止まらせていました。結構夜遅くまで起きているようでしたが、夜中に映画などを観ていると、カーテンに止まりながらバサッと翅を鳴らして、まるで「そろそろ眠らせて」と文句を言っているようでした。思えば、自分からどこか暗がりに行って眠るということもなく、最初に止まらせたカーテンが定位置と思っているようにそこに居ました。

食事のときは食卓に連れて行って、テーブルの上の植物に止まらせていました。何を尋ねたかは忘れてしまいましたが、何か質問すると触覚を大きく下に動かすのでこれもまるで返事をしているようでした。そうして1ヶ月くらい過ごしたのです。寿命は1週間くらいかと思っていたので、随分長く一緒に過ごした氣分でした。最後は仕事から戻るのを待っていてくれたかのように、ただいまの挨拶をした後にいったん部屋をでてから戻ると倒れていました。

特に虫好きというわけではありませんが、子供の頃に父親が蝶の蛹を持って帰って、寝室の頭の上の壁に貼り付け、その蛹が家の中で羽化した時から何か繫がりがあるのかもしれません。実は他にも蝶を保護したことがありますし、電車に乗っているときに蝶が車両に乗ってきたことも数回あります。一度は向かい合う席の向かい側の背もたれに止まり、こちらを向いてはいないものの、まるで同行者のようでした。そして一度は膝の上に止まり、オブジェのように人に氣づかれずに乗って行きそうでしたが、隣に座っていた女性が大騒ぎをしたので仕方なく手でそっと触って飛ばしたのです。いつまで一緒に乗って行けるか楽しみにしていたのに。あとは終点の駅で蝶が乗ってきて、出発前には自分から降りて行くということが数回ありました。玄関先のスミレの葉先で蛹になり、見事に羽化して私の手に乗ってから飛び立った子もいます。

近頃では蝶は変容のシンボルだと知られている感じですが、いま世の中も蝶になる前の蛹が液状化するようなことが起こりつつある氣配ですね。その先は人も姿を変えたりするのでしょうか。多分古代はそうであったと思われますが、人と動物、植物、鉱物などがコミュニケーションをとることが普通である世界に、未来は戻っていくのだと思っています。

では、また。ごきげんよう。

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