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終の住処はどこに?シニア世代の住まいモンダイ。その2

叔母の住まいをめぐる半年くらいに渡るプロセスの中で、設計する立場として思うこと。

できることなら、広さや形を変えても、その場所に暮らし続けられると、自分をとりまく環境が大きく変わらずすみます。
『住まい』の要素には、『拠点(家)』と『環境』がありますが、この両方が同時に変わることには、それなりのエネルギーが必要、まして高齢になってからであれば、できるだけそのストレスが少ないほうがいい。

たとえば、土地を手放して集合住宅が建つならば、その一室に住む形で、共用スペースとして友人と集えるようなカフェやオープンスペースがあれば、自分の家は最小限ですむのではないか。

今まで関わったようなコーポラティブハウスの方式などで実現する方法はないものか。

ちなみに、コーポラティブハウスは、デベロッパーのマンションと違い、できあがったものを買うのではなく、住まい手が組合を作って、土地購入から設計、施工までの事業計画を自分たちで決めていく集合住宅の作り方です。
これまで、住戸設計者という形で参画したコーポラティブプロジェクト5件以上、15軒以上の住戸設計をおこなってきました。主宰するウニコデザインで手がけた住宅、集合住宅とあわせると、50軒以上の『住まい手』の方々と住まいづくりを考えてきましたが、中には、自分たちの老後を考えての暮らし替え、親から引き継いだ土地建物をどう生かしていくか、次の世代に残す土地建物の使い方を共に考えて設計したものも多くあります。

終の住処を考える際、ライフスタイルとしての『住まい』を設計する以外に、家族との関係・資産など様々な検討要件を誰しもが持っています。そんなことを肌で感じつつ、人生の終盤を過ごす住まいの選択肢を20年後の自分ごととして考えるわけですが、建築費高騰、物価高騰の世にあればなおのこと、未来が明るくない気持ちに・・・・
深刻なのに笑える映画『老後の資金がありません』の最後、壮年の夫婦が家を売って最終的にシェアハウスに引越しする、そんな選択肢も当たり前になる時代がくるのでしょうか。

叔母が今の場所で住み続けられる集合住宅をイメージしてはみたものの、資金、収支のイメージは闇の中。商業地域という立地を生かし容積率いっぱいに積んだとて、建築費高騰で収支計画はまわらないだろうし、実際、近隣の分譲マンションは飽和状態といいます。いっそ、収支をあわせるための高層をやめ、木造低層にしたらどうなのか。そこに、資本主義をちょっと脱した、新たな価値を見出せないものなのか、おせっかい姪の思案は続きます。。。。

暮らしの気配が街にはみ出していくような中層の建物をイメージするも収支バランスが。。。


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