世界遺産『富岡製糸場』のこと。
軽井沢への道中、いつも通り過ぎていた富岡。群馬にルーツがありながら、行ったことのなかった富岡製糸場を初めて訪れました。
下調べなしで行ってしまいましたが、富岡インターから町の案内にしたがって、倉庫を改修したという世界遺産センターにたどり着く。
ピーカンの青空の下、天日干し中の繭がキラキラしていました。
事前知識が皆無でしたが、富岡製糸場の歴史をビデオや展示で知ることができます。そして、製糸場へ。
明治5年に明治政府が設立した器械製糸場。まずは東置繭所から中に入ります。長さ104mに及ぶ木骨レンガ造りの建物。
2階が乾燥した繭の貯蔵場で1階は事務所だったそう。裏側にはバルコニー。
場内の東西に同じ建物が対になって配置されていて、こちらが西置繭所。どどーんと140m。木の骨組みにレンガを積み上げる木骨レンガ造りは、横須賀製鉄所に導入された工法で、横須賀から富岡に伝わったそう。
ガラスの展示室のフレームになっている鉄骨の柱梁が耐震補強を兼ねているとのこと。スタッフの方が色々説明してくれます。
2階にはかつての倉庫の趣が。
レンガの長手と短手を交互に並べるフランス積みの壁。
レンガは、深谷の瓦職人を集めて、甘楽にて作られていたそう。製作した職人の刻印が5種類あるそう。これはヤマニ。
レンガは漆喰で積んであるので、隙間が白い。レンガはどこで作ってたのですか?と聞いたら、スタッフのおじさまが『渋沢栄一にもゆかりがある、、、』というので、へ〜と思って聞いていましたが、そういえば、大河ドラマの『青天を衝け』で、富岡製糸場出てきたことを思い出しました。
バルコニーから、場内が見渡せます。製糸に必要な水を溜めておく巨大水槽の鉄水溜と、蒸気釜所の煙突。
そして天井にも注目。漆喰塗りの天井仕上げは、明治の初期には一般的ではなかったそうで、その苦労が伺えるというもの。
木下地に隙間をあけて、その間に漆喰が入り込むことで仕上がりが安定するものですが、下地の間に隙間がないために、漆喰が剥がれ落ちてきてしまい、、、格子状の木の桟木はそれを抑えるためにあとから施工されたものだそう。
西置繭所をでて、広い場内を歩いて、操糸場へ。巨大なトラス構造の小屋組で無柱空間になっています。昭和62年の操業停止の状態だそうで、現在も稼働している碓氷製糸場ではこの機械が使われているそう。
トラスの上に見える格子から越屋根の換気窓に空気が抜ける仕組みになっています。この換気窓のある建物の形は、よい蚕種を育てるために蚕室に新鮮な空気をいれる『清涼育』が最良だと、明治維新より前に開発されたのだそうです。
場内で流れているビデオを見ていたら、小学生の頃、蚕を飼って、小さく仕切ったお部屋を作って、繭にして、鍋で煮て、糸を紡ごうとしたけれど、うまく糸にならなかったことを思い出しました。繭の表面をホウキのようなもので引き出せばよかったんだと、40年以上経って知る。
300人以上の工女が働いていたという場内には、寄宿舎や診療所などが点在して残っています。
器械製糸の普及と技術者育成という目的が果たされ、明治26年に官営から払い下げられたのち、三井、片倉工業と経営母体を変えながら、戦争も経て、昭和62年の操業停止まで、終始製糸工場として機能した富岡製糸場。その間115年間。その歳月を目の当たりにするひととき。自分が15歳の頃までは稼働していた工場、それから35年強、時代は変わりゆくのだということを改めて感じた時間でした。
それにしても暑い1日、ハラペコで飛び込んだお店で、上州名物の冷たいおきりこみ。
甲府出身の父に対して、高崎出身の母『ほうとうばかりが注目されるけど、おきりこみと一緒でしょう』そう、確かにこれは一緒。どっちも美味。
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