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「死ぬまでにやりたい100のコト」の、はなし。#42

初めて書き出してみたのは、もう10年くらい前のことだと思う。
仕事でお世話になったデザイン会社の方が、部署異動の際に名前入りのノートをプレゼントしてくれたのが嬉しくて、
それに何を書こうかとワクワクしながら、大事に大事に書き出してみたのが最初だ。

しかし、“死ぬまでに”という枕詞は、まだ20代のわたしには重く感じられ、
100しかないうちの1個、本当に成し遂げたいこと・大きな目標を据えなければと身構えてしまい、
結局、あまり現実味のない目標を30ほど書き出して以来、しばらくそこから離れてしまっていた。

時々思い出してみたり、もう1個やりたいことを追加しようとしてみたり、
気まぐれにそのノートを開くことはあったのだが、やっぱり、とくべつ内容が大きく更新されることはなかった。

しかし、ここ最近は百寿を迎えた大伯母を見送ったり、
わたしの中で日々の生活に停滞感のようなものを感じるようになったこともあったりして、
(ゴルフが雨で延期になって、ゆったりとした時間ができた今日この機会に、)カフェに籠ってもう一度、“死ぬまでにやりたいこと”に向き合ってみることにした。

久しぶりに自分が作ったそのリストに触れてみると、
まず、相手がいなくては成立しないことと、一人でも成し遂げられることがごっちゃになっていることに気がついた。

恥ずかしくないレベルのもので例を出すと、わたしはバリ島への憧れが学生時代からあって、そこでバカンスを過ごすことをリストの一つに挙げていたのだが、これは決して、ひとり旅で行くことを前提にしていない。
きっと人生その時々のタイミングで、誰と行きたい場所なのか、どんな季節にどれくらいの期間で行きたい場所なのかは変わっていくものだと思うが、
行くだけがゴールではない、ひとりでは成し遂げられない目標は、別の列に並べてみることにした。

また、わたしには人生の先輩方が共有してくださった、「楽しく生きるための100冊」という読書リストがある。自分ではなかなか選ばないような本ばかりで、読んでみれば、わたしにとって新しい刺激を与えてくれる作品が多く、重宝しているリストだ。なので、この100冊を読破するという目標もリストの一つに掲げていた。

しかし、読書の喜びは、本屋で偶然目に留まったとか、久しぶりに会った友達に薦められたとか、不意に運命的に導かれるものもある。その出会いの面白さは特に、30代になってから強く感じられるようになってきた。
100冊を読破することと同じくらい、この偶然の出会いを大事にしたい、というのが心から素直に思うことだ。

なので、更新されたわたしのリストはいま、「100冊を読破する(その時読みたいものを優先)」という具合に各項目に色々とメモが付いた状態になっている。
目標を達成することが目的なのではなく、わたしにとってより生活が豊かになる方法はなにか。このリストに立ちかえるたびに、考えるきっかけにしていけたらと思う。

タイムリーに先日、仲の良い女友だちとも、やりたいことリストの話になり、彼女とは「30くらいで書くことなくなったわ(笑)」という笑い話になった。実際いま書き出してみても、まさにちょうど30くらいで限界が来てしまった。

これはこれで、厳選された30ということで置いておいても良い気がするが、
わたしはそこからさらに、くだらないことも含めた細かな願望も書いてみようと思う。

例えば、作ったことない料理を作ってみるとか、◯◯のアクセサリーを買うとか。
別に、死ぬまでに叶えられなくても後悔しないや、というレベルの内容だが、できたら少しでも嬉しいなと思うことなら、まず書き出してみる。

もはや、100のコトの本来の使い方ではないのかもしれないが、
そのレベルで達成の頻度を上げていって、実現できたものからグレーアウトしていく。そんなふうに積み上げながら、項目を100以上に重ねていってもいいはずだ。
人生でやりたいことが100ではおさまらないって、素敵なことではないだろうか。(と言いながらまだ埋まってないがw)

小さなことでもゴール設定が欲しくて、
昨日とは少しちがう今日を感じながら、あたらしい経験を積んでいきたい。
そんな性格のわたしにはたぶん、この運用の方が向いているような気がする。

20代と比べて、少しずつ自己分析が進んだわたしなりの“死ぬまでにやりたい100のコト“の使い方。

5年もすれば、また笑ってしまうような内容かもしれないけれど、それもそれで、面白い。

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