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【香水連載】香はかく語りき③ フリージア ミスト

毎月香水からインスピレーションを受けた文章を綴る本連載。
かなり間が空いてしまいましたがなるべく毎月続けていけたらと思います。

第一回から続けているルールをおさらい。
香水を吹きつけてた試香紙を嗅ぎ、1時間ほどで短編小説を書き上げます。

第三回目の香水はSHIROよりフリージア ミスト。

それではどうぞ。

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 斜め前のデスクにいる彼女は三ヶ月前に中途入職してきた。
 短い自己紹介を終えて頭を下げたとき、肩をすべり落ちた髪が流水のようにまっすぐで印象的だった。ブラウスの首元にあしらわれたプリーツもきれいにアイロンがけされていて、清潔感を醸し出している。

 当初は仕事の的確さとやわらかい笑顔に好感を持つ同僚も多かった。しかし、その柔和な印象とは裏腹に、頼まれた以上のことはしないポリシーが一部の人間から反感を買っているようだった。彼女の笑みからこぼれる歯の白さにまで文句を言う声をトイレで聞いた。可笑しくて静かに笑ったあと、人が何かを嫌うのに理由なんて要らないのだ、と思うと虚しくなった。

 席に戻るとデスクに資料が置いてあった。二週間後の会議の進行表だった。鉛筆の形を模したクリップにうす水色のメモがはさまっている。ご確認のほど、宜しくお願いいたします。瑣末な一文だが、ボールペン字にも関わらずとめ・はね・はらいがしっかりしている。書道経験者なのだろうか。急ぎの仕事はあらかた片付いたので、資料に目を通してもいいが、なんだか気が乗らない。こうも完璧にやられてしまうと息苦しささえ感じてしまう。
 字が綺麗でなんか嫌だ。トイレで歯の白さに文句を言っていた同僚を馬鹿にできない自分に、大きくため息をついた。

 後日、別件で彼女と話した。ええ、はい、と頷きながら真っ直ぐに見つめられる。口では案件の申し送りをしていても、頭の中は彼女の瞳の奥に広がる宇宙に吸い込まれていた。
 手足を投げ出して無重力空間に身を委ねていると、脇腹に冷気を感じる。一切のチリもない透き通った風が一気に全身をさらって、気づくと私はまたオフィスの絨毯の不確かさをパンプスで誤魔化しながら立っていた。
 自分が何を伝えたかも定かでないまま、そういうことで、と話を終わらせる。理解を示す彼女の笑みは潔白という言葉が相応しい。

 私はああはなれないな。そう思いつつも、憧れに似て非なる畏怖を感じるのだった。

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第一回はこちら。


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