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5月23日、東大野球部が勝った日。

2021年5月23日、ついにその日は訪れた。

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早い梅雨の訪れで小雨がぱらつく前日から打って変わり、初夏の強い日差しの照りつける神宮球場で行われた東京六大学野球春季リーグ戦第7週2日目の第1試合。東京大学にとっての春のリーグ最終戦でもあるこの日、東大は64連敗という長い長いトンネルをついに抜け、法政大学に2−0の完封勝ちを収めた。

現在ヤクルトスワローズに在籍する宮台康平選手が東京大学に在学し、マウンドに上がった2017年10月8日以来となる勝利。1ファンである私が長く感じたぐらいだから、野球部関係者にとっては尚更のこと待ちに待ち侘びた一勝だったことだろう。

64連敗、3年超にわたる負け“だけ“を見れば、東京六大学野球連盟という大学野球屈指のハイレベルなリーグに東京大学が所属していることはどこか場違いなように思われるかもしれない。しかしこの3年間も「惜しい!」という試合は多かった。

2020年は春の開幕戦、前年王者の慶應大学に対し9回裏を1点リードで迎えてのサヨナラ負け。秋の立教大学1回戦では1−1の引き分けを演じ勝ち点0.5を獲得した。この春も開幕カードの早稲田大学2回戦で0−0の引き分けで勝ち点0.5点を得ている。

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前日にあたる5月22日の法政大学との1回戦も6回までは東大が2−1でリード。エースの三浦銀二投手に対して足を絡めた攻撃で2点をとり、東大のエース井澤投手も7回3失点と試合を作っていた。

こういった試合を見るたびに「6イニング制なら勝っていた」「裏の攻撃なら勝っていた」「雨が降れば雨天コールド勝ちだった」などと繰り言を呟いていたが、こうした惜しい試合で後一歩が取れない試合が続き、それがとてつもなく大きな他大学との差であることは否が応でも認識させられてきた。

その日。試合前。

5月23日ーーーー。

神宮球場に向かう総武線の中、東大野球部公式Twitterからいつものようにスターティングラインナップの動画が流れてきた。

1番(二)水越
2番(遊)中井
3番(三)大音
4番(一)井上慶
5番(中)宮﨑
6番(左)安田
7番(右)山﨑
8番(捕)松岡泰
9番(投)奥野

前日の試合から変わったのは、投手以外だとそれまでの9試合でスタメン出場していた左の阿久津選手に代わって右の山﨑選手が入ったこと。そして投手にはこれまで2試合目の先発を任されていた西山選手に代わり、奥野投手が抜擢された。

妻に「今日は勝てる気がする」と試合前恒例の一言を呟きつつ、前日に行われたスワローズ戦ナイター以来約12時間ぶりの神宮球場に足を踏み入れる。この日の東大は一塁側。贔屓にしているスワローズのベンチが一塁側だからか、同じ球場でも一塁ベンチ上は私にとってどこか親しみのある場所で、座っていてもしっくり来る。

東大のノックが終わり、法大のノックが始まって間もなく両チームのスタメンが発表される。今日で東大の春季リーグも終わりか、春季リーグの最後に勝てないかな。そんなことを思いつつスコアにスタメンを記入し試合開始を待つ。

両校礼の後、整備されたマウンドに上がる奥野雄介投手。

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この日までに19試合に登板しているが先発は初めて。しかし緊張の素振りはなく、落ち着いた表情でキャッチャーの松岡選手のミット目掛けて投球練習を行っている。

最後の一球。キャプテンで昨年正捕手の大音選手を三塁に回し打撃に専念させられるぐらい、捕手として優れた能力を持つ松岡捕手から正確な送球が二塁に送られる。前日はやや三塁寄りに逸れる送球が多かったが、今日はストライク送球だ。

10時00分、この日の球審深沢さんのプレイボールの声が響き、歴史的な1試合が幕を開けた。

プレイボール

法政大学の1番には副キャプテンの岡田悠希選手。前日は先頭打者ホームランを放っている強打者だ。長打を警戒しすぎたか、いきなりのフォアボール。さらに牽制悪送球と送りバントで開始早々、1アウト三塁のピンチ。

迎えるは前日に満塁弾を放っている齋藤大輝選手。

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松岡捕手からサインが伝達され、内野は定位置からやや前進。1点は仕方ないというシフトを敷いた。打率3割を超えこの春3本の本塁打を放っている齋藤選手に不用意なボールは投げられない。「歩かせてしまうのは仕方ないから、低めに投げてくれ・・・!」小心者の私の心の声とは裏腹に、バッテリーは初球からストライクゾーンに投げ込む。

そして、奥野投手の快投はここから始まった。

ツーストライクワンボールとした後、抜いたボールで空振り三振を奪うと、続く4番の小池選手も空振り三振にとりピンチを切り抜ける。

マウンドから奥野投手が走ってベンチに向かい、途中松岡選手とグラブでタッチをする。ノーアウト二塁からの無失点での生還。チームに勇気を与える初回の投球であった。

赤きキャプテンの矜持

法政大学の先発はこれまで通り速球派左腕の山下輝投手。150km/hに迫るフォーシームに加え、鋭く落ちる変化球も持っているドラフト上位候補だ。この日まで28イニングを投げ自責点は6。前回登板明治大学戦では完投勝利を収めている。

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前日は法政大学の右のエースでキャプテンの三浦銀二投手から足を使いながら2点を取れていた東大打線。山下投手に対しても喰らい付くことができるだろうか?

山下投手の投球練習が終わり、大柿捕手から二塁へこちらもいい送球が送られる。東大の攻撃が始まった。

先頭は副キャプテンの水越健太選手。山下投手のストレートは初回から144km/hを計測した。今年の神宮球場のスピードガンは辛い。恐らく他のセリーグの球場なら146-147km/hが計測されていることだろう。

水越選手は一球投げ終わる度に球種をベンチに伝達する。東大の打者が全員徹底しているルーティンだ。

3球目をフェアグラウンドに飛ばすもピッチャーゴロ。球が重そうだ。

2番の中井選手も凡退し、3番大音周平選手。この日まで打率.297と当たっている東大のキャプテンだ。主将×中軸打者×捕手の負担は重すぎると判断したのだろうか、今年は地肩を活かした三塁にコンバートされ打撃に磨きをかけている。

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白とライトブルーを基調とした東大のユニフォームに、赤いリストバンドとバッティンググローブ。コントラストで赤が一層映える。

山下投手との対戦。早々に追い込まれるもファウルで粘る。5球目、引っ張るも打球はボテボテのゴロ。しかし、それが幸いした。サード中原選手がボールを捕り一塁に投げるも間に合わない。

Hのランプがスコアボードに灯る。初ヒットだ。

形はなんでもいい。山下投手から初回にヒットが出たこと、バットに当てることを各打者ができたことが重要だった。続く4番の井上慶秀選手はファーストフライで凡退したが、立ち上がりとしては上々な一回の攻防であった。

井手マジック×攻めの走塁=?

試合が動いたのは2回裏。東大はこの日初スタメンの山﨑選手がツーアウトから左腕エルボーガードにデッドボールを受けて出塁。ガッという音が響くも、ガード直撃のため痛みは無さそうだ。

すると井手監督が早くも動いた。代走に昨年までアメフト部所属という異色の経歴の持ち主である阿久津選手を起用。大きくリードを取り山下投手を揺さぶっていく。

左の山下投手に対して右打者の山﨑選手をスタメン出場させたと思っていたが、2回裏ツーアウトで替えちゃうの・・・?そんな思いが頭に過ったが、今年の春の東大は9試合で21盗塁を決めている機動力野球にシフトしている。リーグで最も盗塁をするチームに生まれ変わり、それを先導する井手監督の"マジック"にすっかり魅了されている私は、ここで初球から走るな…そう思いながらカメラを向けた。

初球を投げる前にまず1度、一塁に牽制をするもセーフ。そして、カメラのファインダー越しに阿久津選手が力強く地面を蹴る。が、山下投手は再度一塁牽制を投げた。阿久津選手は止まらない。二塁に向けて脇目も降らず突進すると一塁手からの送球が高く浮きセーフ。

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おおおっっ

観客席から声にならない歓声が漏れる。

ツーアウト二塁。得点圏に進みバッターは8番松岡選手。警戒していた中、守備の乱れで進塁された動揺もあったのかもしれない。山下投手の初球は構えよりやや中寄りへ。松岡選手がボールを叩くと、ライナー性の当たりはセカンドの頭の上を越えた。

ライト小池選手が正面で捕球する中、三塁コーチがグルグルと腕を回す。このオフ設立されたアナリスト部門のデータ分析にも依るのだろうか。通常ならアウトになるような位置での捕球だったが、法政のキャッチャー大柿選手が捕球するより一足も二足も早く阿久津選手は頭から滑り込んだ。

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一点先制。

スコアボードに先に1を灯したのは東大だ。アグレッシブな走塁に観客は大きな拍手を送り、ライトスタンドの応援団が奏でる応援歌「ただ一つ」に溶け込んでいく。

今日は面白い試合になるな。そう感じた瞬間だった。

柔よく剛を制す

先制しても奥野投手のピッチングは変わらない。

昨年まではリリーフで21.2イニングを投げて27四死球とイニング数を大きく上回る四死球を出していた。球は強いが力むと高めに抜けたり、変化球の精度も日によってバラつきがあった。

しかしこの日は違った。点を取った直後の3回表、法大8番松田選手をセカンドフライに打ち取ると、9番ピッチャーの山下選手からは早くも4つ目となる三振を奪う。初回は歩かせてしまった1番岡田選手もショートフライと完璧なピッチング。

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打順1周りで4奪三振、被安打0。130km/h台中盤のストレートと120km/h台の変化球、そしてたまに使う100km/h台のカーブを丁寧に投げ、快調なピッチングを続ける。いつもより変化球の割合が多かったように思う。

法政大学のスタメンにはずらりと一発を打つパワーのある剛の者が揃っているが、この日の奥野投手は力まず焦らず松岡捕手のミットめがけてテンポよくボールを投げていた。

流れはどちらに

3回裏、再び東大にチャンスが訪れる。先頭の1番水越選手がショートの横を鋭く抜けるヒットで出塁し、ノーアウト一塁。

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東大は2回裏にアグレッシブな盗塁でチャンスを拡大し得点に繋げた。ノーアウトでランナーには俊足の水越選手、バッターには何でも器用にこなせ、今年は遊撃手にコンバートされた中井選手。ここでも”何か”を仕掛けてくるのは間違いないだろうとランナー・バッターの動きに目を配る。

初球、中井選手はバントの構えでバットに当てるもファウル。法大バッテリーと東大ベンチの対決だ。

2球目、水越選手は山下投手が動いたのからワンテンポ置いて一塁ベースを蹴る。中井選手はバントの構えを崩さない。法大のサード中原選手は猛チャージ。バントエンドランだ!

バットに当たった白球はファウルグラウンドに緩い弧を描き、中原選手のミットに収まる。捕った時には二塁ベースに到着しようとしていた水越選手は勿論戻れない。バント失敗でゲッツー。ノーアウト一塁のチャンスは一瞬にしてツーアウトランナー無しとなってしまった。

「嫌な流れだ・・・」近くの観客のつぶやく声が聞こえる。

4回表、奥野投手は法大の2番・3番を打ち取るも4番小池選手にレフトオーバーの二塁打を浴びてしまう。2回裏はライト浅いヒットを本塁で刺せなかった小池選手が意地を見せ、ピンチを迎える。5番は副キャプテンの後藤選手。

2球目。

やや鈍い音が響き、ライナーが外野へ飛んでいく。三塁側から歓声がわぁっと上がるが、ややレフト寄りに寄っていたのだろうか。打球はセンター宮﨑選手のグラブに収まった。無得点。

東大はまだ1-0でリードをしている。

しかしこの回はツーアウトから2者続けていい当たりを外野に飛ばされていた。ブルペンからも捕手の捕球音が響く。まだこれからだな、と思った。

すべての選手に勇気を与える存在

4回裏、先頭の4番井上慶秀選手が三振に倒れるも、5番宮﨑湧選手のセンター返しはピッチャー強襲のヒットとなりワンアウト一塁。

ここで井手監督はまたしても動いた。一塁ランナー宮﨑選手に代走で隈部敢選手を送る。

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昨年、中井徹哉選手が開幕の慶應大学戦で2安打したときはその細さに驚いた。東大野球部の公式HPを見ると173cm66kg。六大学の他大学の投手からここまで細い身体で鋭いライナーを振り負けずに打っていく選手がいるのか、と。

だが、隈部選手はその驚きを更に上回る選手だ。HPによれば160cm64kg。

プロ注選手を抱える他大学の選手と並ぶとひときわ小さく、同じ東大の選手と比べても小柄だ。しかし、この隈部選手は塁に出るととんでもなく恐ろしい選手で、前日の試合では法大バッテリーの隙をつきディレードスチールで三盗を決めている。キャッチャーから投手への返球の間に二塁から三塁へ脱兎のごとく駆け抜けていったのだから投手にとってはたまらない。

宮﨑選手も今年盗塁を1つ決めている俊足の部類だが、井手監督はまたしても足で勝負をかけてきた。

山下投手も今度こそ走られまいと牽制を繰り返す。そして、裏をかかれ隈部選手は飛び出してしまった。挟殺プレーとなる。一塁手が追いかけ二塁手にボールを投げた刹那、隈部選手は猛然と一塁にバックしセーフとなってしまった。

投手にとってこれはたまらんだろう…そう思っていると6番安田選手が流してレフト前ヒットを放つ。隈部選手はスタートを切っており、凄まじい速さで三塁に到達。ワンアウト一、三塁という理想的な状況を作ることに成功した。

7番ライトに入った阿久津選手が初球をバットに当てる。緩いゴロが一塁側にボテッボテッと転がる。ピッチャー取るがホームは到底間に合わない。隈部選手がバックホームによるクロスプレーを想定するかのように、やや回り込みながら手をつくスライディングで生還した。

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東大に2点目が入った。またしても「ただ一つ」が流れ、1点目の時よりもさらに大きな拍手と手拍子が鳴り響く。

身長160cmの選手が国内最高峰の大学野球リーグで、足を武器に1点を取ってしまうことの衝撃。身長差や体格差で悩むすべての野球選手にとって勇気を与えてくれる、そんな存在に今の隈部選手は成っている。

失うものが無い者と有る者

2点のリードを奪った東大は5回表も奥野投手を続投させる。

先頭の6番中原選手に一塁線を鋭く抜かれ二塁打を打たれた。それでもこの日初回先頭の岡田選手以外には四球を与えていない奥野投手は焦らない。依然としてボールは低く制球され、後続の7番松田選手をショートゴロに打ち取りランナーをくぎ付けにすると、続く8番大柿選手もショートゴロ。ツーアウト三塁。

山下投手を諦め、法政大学の加藤監督は3年生の野尻選手を代打に送る。木更津総合高校時代は投手も務めたパワーヒッターで、山下投手とは高校・大学とも後輩の選手だ。

ここでは失うものが無い奥野投手と、失うものが有る野尻選手で明暗が分かれたのかもしれないな、と思う。

前日もビハインドの中チャンスで凡退した野尻選手は、この日も力みからか本来のスイングが出来ずライトフライに倒れた。悔しそうに顔を歪める野尻選手。全国の大学の中で2番目に多く選手をプロに送り出してきている法政大学にとって東大に負けるわけにはいかない。ましてや東大に最後に勝ち点を取られたのは法政大学なのだ。あの屈辱は繰り返さないぞ、という本気と本気の勝負。

ヒリつく接戦はまだ折り返し地点である。

膠着状態

6回表から西山慧投手をマウンドに送り継投を図る。西山投手は前回先発登板の立教戦では3回途中8安打7失点と打ち込まれていた。しかし四死球は与えておらず、ストライクゾーンに苦しむことは少ない。

130km/h前半のストレートと、縦変化のボールを得意とする技巧派右腕はどんな時も顔色を変えず飄々と投げる。

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簡単にツーアウトを取るも、法政大学3番の齋藤選手にヒットを許し、更に盗塁をされツーアウト二塁。バッターは4番小池選手。直前の打席ではレフトへツーベースも放っている。

バッテリーは勝負を焦らず、小池選手も際どいところを見極めてフォアボール。ツーアウト一、二塁。5番後藤選手に対しては一転してストライクを先行させ、最後は落ちるボールで空振り三振。スコアボードに6度目の0を刻んだ。

法大も継投で左の平元銀二郎投手がマウンドに上がり、大きなカーブを武器に東大打線を寄せ付けない。大きくインステップするフォームで、私は一塁側から見ているのにボールの出所がまるで見えない。5回裏・6回裏と東大は三者凡退。

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東大の西山投手も7回表法大の下位打線を三者凡退に抑えた。試合のペースが上がっていく。

そんな中、7回表ベンチに帰ってくる一塁手井上慶秀選手は客席にも聞こえる大きな声を発した。

「もう一点いこう、もう一点!」

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この瞬間、今日は本当に勝てるかもしれないと思った。攻める気持ちを失っていない。これまでも数多くの「惜しい」試合を見て来たが、自分の中でどこかあと○○イニングで逃げ切れると思ってきた。凌いでくれ、と。

だが、東京六大学野球に所属する大学は一たび火が付けば止まらない。点を取り続けなければ投手力・守備力に劣る東大はいずれ追い付き追い越されてしまうのだ。

東大が3勝を挙げた2017年の秋季リーグは宮台投手に注目されがちであったが、その実、勝利の原動力となったのは1試合平均4点を叩き出した打線の力だった。勝ち点を挙げた法政大学との2試合では9点、8点と大量点を取っている。

一点でも多くとりにいく攻めの姿勢。それこそが相対的弱者たる東京大学には必要なものだったのだ。

攻めの姿勢は崩さない

試合も終盤、8回表。東大はマウンドにエースの井澤駿介投手を送る。

前日は7回127球を投げているが、投球練習から疲れは感じさせない。ここでエースを送り込むということは、この試合を彼に任せるという意思表示だ。

昨年、井澤投手と西山投手の台頭で東大は投手の軸を作ることができた。2019年にその年卒業したどの投手より多くの試合に登板した小林大雅投手が卒業し、当分投手に悩むことになると思っていたが、当時2年生のこの二人の台頭は東大ファンに勇気を与えた。

背番号11。約24時間ぶりにマウンドに上がる。

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法政大学は平元投手に代打高田桐利選手を送る。三振の少ない巧打者だが、あっさりとレフトフライに打ち取った。アウトカウントが増えるたび、一塁側だけでなくバックネット裏からも大きな拍手が送られる。

この回から私はカメラを向けられなくなっていた。いいシーンを撮りたい、そんな自分の思いが何かの弾みに選手に伝染してしまうのではないか。まだ勝つには2イニングもあるのに油断が伝わってしまう。あり得ないことだがそんな思いも過ぎる。そして、それ以上に自分の目で試合を観て、一個のアウト、プレーに対して拍手を送りたいと思った。

1番岡田選手には綺麗にセンターへ弾き返され、2番宮﨑選手を打ち取るも盗塁もありツーアウト二塁。バッターにはまたも齋藤選手。法政大学の得点パターンだ。

松岡選手が間を取る。じっくりやろうぜ。そんな声が聞こえるかのようだ。

結局、齋藤選手には四球を与えてしまった。ボール球を簡単に振ってこない。勝利が近い、その気持ちが井澤投手にわずかな力みを与えていたのかもしれない。

バッターは4番小池選手。

初球、アウトローのボールになる変化球に手を出させた。ストライク。井澤投手以上に小池選手が緊張に包まれているように見えた。

バッテリーはとにかく長打警戒。甘いコースには投げまいと慎重に勝負しフルカウント。法大のチャンステーマ「チャンス法政」がレフトスタンドから鳴り響く。

緩い変化球が高めに入り、小池選手がスイングをかける。

ゴッという音がし、打球はセンターこの回から守備についた別府選手のグラブに収まる。スリーアウト。大きな拍手が東大ナインを迎える。

あと1イニング。東大は攻め続ける。

8回裏、回またぎとなった古屋敷投手から先頭水越選手が四球を選ぶと、その初球。この日3つ目となる盗塁を決めた。10試合で24個目の盗塁。それも2点リードでもしアウトになれば流れが淀みかねない中で、東大は変わらず攻めの姿勢を貫いている。

中井選手が送り、ワンアウト三塁とするも大音選手・井上選手は凡退し無得点。しかし東大の変わらぬ攻めの野球は球場全体に伝わっていた。

2時間12分

9回表。2021年春季リーグ、東大・法大双方にとって最後のイニングだ。マウンドにはエース井澤投手が2イニング目の投球を行う。

バッターは5番後藤選手から。ツーストライクワンボールとし、4球目を弾き返す。いい角度でセンター方向に打球が上がった。

入るな!!!!心の声が叫ぶ。

わずかに芯を外れていたのか、打球はバックスクリーン手前で失速し、センターフライ。あと2人だ。

続く6番中原選手にもストライクで見逃しを奪い、投手優位で攻める井澤ー松岡バッテリー。またしても4球目、打ち上げた打球はライトライン寄りで阿久津選手が捕球した。ツーアウト。

「野球はツーアウトから。」

攻撃している時には最も頼もしいその言葉が、今は重くのしかかる。

7番大柿選手に代わって代打に諸橋選手が告げられた。

私は少しの逡巡の末に、カメラの電源を入れた。

初球、ボール。2球目、甘く入ったように見えたがファウル。諸橋選手が「ぐあっっ」と大きな声で悔しがった。そうだ、法政大学にとっても負けられないのだ。プレッシャーを感じているのは東大だけじゃないし、むしろそれ以上に法政大学の方が重い空気に包まれている。

カウントは進み、ツーストライクツーボール。一球ごとに両校応援団の声援が飛び交い、そして観客の息を呑み拍手をする音が聞こえる。平行カウント。サードの大音選手からよっしゃと声が飛ぶ。

外角いい高さに行ったボールだった。

諸橋選手は流すが打球に力がない。ショート中井選手が前進し、一塁井上選手のミットめがけて投げる。

一塁塁審の腕が上がるより先に、井上選手が拳を突き上げた。

スリーアウト。

2時間12分の短い試合はこれまで観たどの試合より長かった。長い長い64連敗はついに終わり、2017年10月8日以来の勝利を手にした。

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井澤投手に向かって輪ができる。井上選手、水越選手は泣きながら抱きつく。大音キャプテンは松岡選手とタッチし、喜びながらもナインに整列を促す。

礼。

熱戦を終えた東京大学、法政大学双方に大きな拍手が送られる。東大ナインは一塁ベンチ前に再度整列し、礼をするとこの日最大の拍手が巻き起こった。

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最後に、ライトスタンドから声援を送り続けた応援団のもとへ。4年間勝利がなかったため、在学生にとってはじめての勝利だ。

三度目の拍手が送られる。鳴り止まぬ拍手を背に、東大ナインは誇らしげにベンチに戻り次の試合を待つ立教大学へその席を渡したのであった。

秋こそは

東大が勝った。その報はすぐにSNS、ネットニュースを駆け巡った。一部では奇跡の勝利、という書き方をされているが、これまでの東大の試合とこの試合を目の当たりにしてきた私に言わせれば、5月23日の勝利は必然のものだった。

私はただのOBで東京六大学野球に興味を持ったのも卒業してからだが、2017年に勝ち点を奪取した時から多くの試合を観てきた。年々、他の大学は層が厚くなり、特に2020年の各校投手の力はプロレベルだったと断言できる。

そんな中で東京大学野球部が勝ったと言う事実。フィジカルに劣り、練習もこの2年はコロナウィルスの影響で万全にできていない中、この春は足を使い翻弄した。そして攻めのマインド。絶対に負けない、攻め続けるんだと言う気持ちは、リーグ戦2戦目の早稲田大学と引き分けた際に全員が悔しそうな表情をしていたことからも伝わってきていた。

秋のリーグ戦は9月に始まる。他校も機動力対策を十分に練ってくる。東大の次の目標は最下位脱出になる。1勝の経験は何物にも変え難く、東大野球部はさらに強くなって秋に臨むことだろう。

連盟もこのコロナ禍の中で応援団を入れ、有観客試合を貫くなど昨年から決断を続けている。大学野球に関わる人々の思いは観ている我々の胸に届いている。秋も素敵なリーグ戦を観られることを期待したい。

最後に言い忘れていた。

東大野球部、おめでとう。そして感動をありがとう。

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・出典

写真は筆者および妻撮影のもの。

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