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「Vtuberの哲学」のレビュー配信を見た感想

Vtuberの哲学レビュー配信を見た感想。

こちらは書籍の感想ではなく「Vtuberの哲学」を読んだVtuberのレビュー配信を見た感想及び、言葉やトピックを聞いて私が個人的に感じたことを読了後に答え合わせするための覚え書きとなります。

レビュー配信では

・Vtuberのアイデンティティ論
・表彰様式の多様性
・身体的アイデンティティが欠けたVtuberに対するシームレスな鑑賞
・生きた芸術作品としてのVtuber
・フィクションとして提示されるVtuberの在り方

を主な項目として取り上げていましたが、その中でも気になった部分をピックアップしてポツポツと書いていきます。

Vtuberのアイデンティティ論

倫理的アイデンティティについて
これはVtuberもだけどネットの世界にいると特に身に染みる話でした。
うにである私、外で生活している私、別アカウントの私は同じ幹を持っているけど別の人格を持っているしその人格も私1人で形成している物ではなく取り巻く環境やこうありたいと言う意識から生まれてくるものなのかな、と。

取り巻く環境、こうありたい意識、を形取っているのが信頼の構築だと思うのだけど、信頼という意味では「うにちゃん」は毎日朝枠をする、セルフ受肉として自分で絵を描いている、私が描いた絵は私が生み出したものである、いつも通りの配信をしている、深海に住んでいてキャベツを食べる仕事をしている、等々のパーツが組み合わさってうにちゃんが構築されているって解釈かな。

この辺はまさに同一性だけでは補えない部分で、同じ姿で同じ声である事は私である必要条件だけど、私が同じ姿や声な事は充分条件に過ぎなくて、私を形取るためにはもっとたくさんの条件を組み合わせないと完成はしないのだな、と。

Vtuber全体としても、動画内で出たように姿、声、話し方、配信内容、リスナー、今まで積み重ねて来たもの、それらがアイデンティティとしてVtuberという存在の担保になっている、って話だと思いました。
でもこの積み重ねで構築されるアイデンティティって倫理的、に収まるのかな?私の考えが飛躍しすぎていて範囲を超えている気もします。

ここまで書いた中で自分の中で疑問に思ったのは、じゃあそれらのアイデンティティを構築するものが全て揃っていればそのVtuberは間違いなくその人だろうか?
例えば同じ姿同じ声同じ中の人(この表現については後述)で配信内容や活動方針、発信するものが全く変わって行った場合、それはどこまでその人であると認識出来るんでしょう。

推し活のマインドで行くならば推し本人がそう名乗っている限りは当人なんだけど、今までの活動を無かったことにしてほぼリビルドのように活動するようになったら?方向性を一新して姿や話し方も変わってアカウントと名前だけ同じで全く違うことを始めたら?
どこまで同じ名前で呼べるのかしら。

話が出たので中の人(Vtuberの配信者)の話。

動画内で出ていた中の人ではなく外の人について
私は俗に言う中の人と言うのはVtuberを運営している人だと思っているので配信をしているVtuberのバーチャル体、運営としての社会的側面の外の人、肉体としてこの世に存在している中の人と分類できるのかなとストンと落ちました。

社会的側面なので、肉体というか内からは俯瞰して見れる存在であって「バーチャルを運用するにあたってどういう事を考えているか」を思考した上で表に出せるので、外の人という表現がとてもしっくり来ました。株主総会はバーチャルの存在でありながら外の人も滲ませているのかな。

中の人、内の人に関しては私も上手く表現出来ていないので割愛。

生きた芸術作品としてのVtuber

Vtuberは芸術になり得るかと言う話
芸術やアートの定義が何かを表現するべくアウトプットされたものとするならVtuberは活動することで芸術になり得ると思いました。

倫理的アイデンティティの話とも重なって来るのだけど、Vtuberというコンテンツが成長型アートだとしたらその過程を見る事や一緒に配信に参加する事、盛り上がる事も含めてひとつの表現であり作品と呼べるのかと。
人が集まってエンタメを作品として作り上げるってリアリティーショーのようだなと今思いついたのでここにメモ書き。

思想や心に浮かんだものを他者に伝える媒体として取った形が絵画か音楽かバーチャル体かの違いで、芸術とはこのていを成してなければいけないって事は何もないんだから自分の内を他者へ認識できる形に落とし込んだ時点でアートと呼べるのではないかな。

落とし込めていなければアートじゃないかと言われたら私の感想としては違っていて、先ほども述べた成長型アートと重複するのですがVtuberが育っていく事、内の人と外の人、関わった様々な人が体を生み出そうと存在させようとしている時点でそれは制作物であり芸術なんじゃなかろうか。

私が考えられたのはこの辺まで!
実際に読んでみてどんな言語化をされているのか、私の考えと一致する部分があるのか全く外れているのか、とっても楽しみです。

Vtuberの哲学を執筆してくださった山野弘樹先生
レビュー配信をしてくださった直枝律さん
ありがとうございました。

https://x.com/ricoeur1913?s=21&t=IkWUAQF5AUWekBWtbrlxhQ

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