人と行為を切り離して考える事を考える
Aさんが人を殴る。
Aさんが悪いのではなく「人を殴る」という行為が悪いという考え方。
「罪を憎んで人を憎まず」というやつだ。
この考え方をすれば人に対して積極的になれるのではないか?と考えたことがある。
悪い人なんていない。「行為が悪」ならば教育やコミニュケーションで相手の行為を変えることができる。
いや、性格や人間性が悪い人っているよね。
これは切り離せるのだろうか?
Aさんは性格が悪い。
Aさんが悪いのではなく「性格が悪」なのだ。
ん?じゃあ、Aさんって何なんだ?
まあでも、Aさんにも良い部分はあるよね。
でも待って。そのAさんの良い部分は、Bさんにとっては良いけどCさんにとっては迷惑な行為だよね。
てな具合にグルグルと考えてしまう・・・。
正直に言うと「何だコイツ」という人はいる。
「関わったらマズイ」と感じる人だ。
聖人君主は、そういう人に対しても教えをとくかもしれない。
私は、距離をとる。関わらない。自分を消耗させてしまうからだ。
「オレはおまえに・・・近づかない」(byジョジョ第5部リゾット・ネエロ)である。
キャンプ場で大騒ぎして周りに迷惑をかけ、禁止されている行為を行い警察も出動し、挙句の果てに大量のゴミを放置して帰る人達がいる。
「自分の友達だけが友達」という考えだ。(自分の友人や恋人は楽しませるけど、周りは知ったこっちゃない)
私はそういう人達が大嫌いだ。許せないし、関わりたくない。
この気持ちを大切にしよう。
最後に1つ、今、正しいことをしている人の「罪深き過去」に関しては切り離して考えることで、少し重荷を取ってあげられるかもしれない。
(追記)
私は「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を間違って捉えていたかもしれない。切り離して考えるという意味で使ったが。
罪を憎んで人を憎まず
【読み】 つみをにくんでひとをにくまず
【意味】 罪を憎んで人を憎まずとは、犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教え。
引用 故事ことわざ辞典
人がした悪い行為には、事情や裏があるから、それを想像しろ、理解しろ。ということか。
うーん、またしばらく考えてみよう。
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