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松尾芭蕉になりたかった中学時代

更科日記や奥の細道、弟子と旅をしながら俳句を読む。諸説有りの忍者だったのではというトンデモ説があったり、酷い痔だったりとも言われるがとても素敵な生き方に憧れを抱いたものである。

といういかにも語りそうな切り口だが特に詳しい訳ではない、せいぜい奥の細道の冒頭文を暗記してたり俳句をいくつか知ってるだけというありきたりな知識のみ。だが中学生ながらとても感銘を受けたのはやはり彼の俳句の素晴らしさが大きいだろう。

最近はプレバトという番組(いつも楽しませて頂いております)から俳句の輪がとても広がったのではなかろうかと思うが、番組に出演している講師の夏目先生から習った俳句の作り方「場面を切り取る、俳句を読んだ時に情景が浮かぶような」。まさに、まさに偉大な俳諧の俳句はそうだなととても感心した記憶。松尾芭蕉の俳句はそれを地で行く。凄い。

俳句をいくつか、足りない頭の引き出しから引っ張ってみよう。

“閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声”…これ、やばないですか(語彙力皆無)「閑さ」と「蝉の声」って対照的に感じるのになんですんなり入ってくるの?って思ってたのだけれど、まず読みながら自然と頭の中で映像化しているのがミソ。蝉の鳴き声だけの空間って不思議と静かな感じもするっていう、この俳句でわかったのだわ。しみ入るという表現、あの夏のじーわじーわと鳴く木にとまってる蝉の鳴き声が地面に佇む岩に染みていってるイメージ。上から下に動き水のように岩にじんわり馴染んでいくような、目に見えないものに動きすらも感じさせてくれる。どえらいわ、えらいこっちゃ(ボキャ貧)

“夏草や つわものどもが 夢の跡”…困った、、小か中学生の頃初めてこの句を読んだ時に思った感想が「困った」。正直パッと見は表面的な字面が並んでるように思えてしまうのと、「つわもの」が何を指すのか分からない気がする。けどほんとに気がするだけ!つわものってつまりまあそのまま強い人なんだろうなと、戦いに出る人かな?と。「夢の跡」の「跡」って傷跡やお城の跡と同じような意味の「跡」なのだろうと推測出来る。って考えるとわかりづらそうに見えて小中学生にも意味が理解出来る言葉選びになってるのがすごい!っていう実際そこじゃないだろって感動を覚えて凄すぎて困ったっていう思い出。純粋に噛み砕くと、「夏草や」でああ草が生い茂ってる青々とした草が生えてるのを思い浮かべる。「つわものどもが(漢字だと「兵(つわもの)」)」、兵が沢山いる風景や戦国時代を思い浮かべる。意味と同時に時の流れを感じさせる言葉だ。「夢の跡」!!この言葉が素敵すぎる、、、あの時にここで戦った兵たちが見た夢、一瞬の輝きと共に、もうとうに過ぎ去った物事なのだというように。この言葉のお陰で頭の中の映像にセピアがかかる。そして夏草の生えた、兵たちが戦ってたであろう草原がひろがり少し物悲しいかなそんな空気さえも感じる。

もっと語りたいが2句でいっぱいいっぱいだ。あくまでも私の主観であるので正しい解説があるのだとしたらどうかこれは忘れてそちらをお読み下さいレベル。

五七五の言葉で完成されるものは無限大だ、と松尾芭蕉に教えてもらった。こんなに感性を爆発させられる手段を私も得たいものだ、憧れざるをえない。今でも松尾芭蕉になれるものならなりたいと思う。

ちなみに芭蕉とはBANANAのことである。



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