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「こわいものをみた」3 殴りたいのがこわい(高瀬隼子)

 子どもの頃、少林寺拳法を習っていた。習い始めたきっかけはいくつかある。近所の友だちが先に通っていたこと。当時習っていたピアノ教室(嫌いだった)をやめる口実が欲しかったこと。放課後の体育館で練習するというのが、なんとなくかっこよく思えたこと。そしてなにより、人を殴ったり蹴ったりしてみたかった。
 少林寺拳法は道場があるわけではなく、地域のスポーツクラブ活動のひとつで、練習は週に二回、通っていた小学校の体育館で行われていた。先生は五十歳くらいの男の人だった。生徒は四十人くらいいただろうか。一、二年生の子もいたし、わたしと同じ五年生の子もいた。白の道着はお揃いだが、帯の色は段位によって違った。初めは白色で、型を覚えて昇級すると緑、水色、茶色、と変わっていった。ランニングをし、衝きや蹴り、型の練習をした。サンドバッグを相手にしたり、生徒同士が交代で防具を持ったりした。
 習ってみて分かったことがある。わたしは殴るのより蹴るのが好きだ。
 わたしは当時から身長が百六十五センチあって、小学生にしては高い方だった。背の順に並ぶ時は一番後ろだったし、小柄な同級生の頭の天頂も見下ろせた。ずんぐりデカい、そんな図体をしていながら、気弱でおどおどしていて、スポーツ全般は当然(当然も当然)苦手だったし、本を読むのが好きだったので一見得意に思えそうな国語も、音読は苦手だった。先生に当てられてひと段落ずつ順番に読み上げて行くあの時間、自分の番が近づいて来ると腹の中がグラグラと煮えて苦しかった。人前に立つのが苦手で、注目を集めるのが嫌で、そのくせ他者からどう見られているかということばかり考えているような、自己顕示欲と自己隠匿欲のどちらにも過剰にぶれた(それを思春期と呼ぶのかもしれないが)子どもで、自分が自分であることが苦しかった。
 地味でおとなしい子どもだったわたしが、クラスメートと喧嘩をしたり、ましてや殴ったり殴られたり、暴力沙汰を起こすなんてことは、まるでありえなかった。口喧嘩ですらほとんどした記憶がない。もめごとの種があれば消火に走った。曖昧に笑って同調したり、主張を呑み込んだり。今となっては、対話を放棄した自分の態度にこそ問題があった、ともったいなくも思っている。自ら選んだ我慢を、そのくせ「どうして」となじる自意識が肥大し、わたしはいつか誰かを殴ってやりたいと思っていた。
 高身長は拳法で有利だった。アスリートの世界ではもちろん体格だけでなく技術などほかの要素があるので、一概に有利とは言えないのだろうけれど、子どもの習いごとの範疇で戦う中では、身長の分同級生よりも長かった手足が、殴ったり蹴ったりする時によく働いた。それだけである程度「うまく」できたし、技術で負けていても、体格差のおかげですごく痛くて苦しむという機会はなかった。
 試合は同学年の子と組まれる。初めて参加した大会で、わたしは反則負けになった。相手の頭を蹴ってしまったのだ。小学生の試合で頭への攻撃は厳禁だった。わざとではなかった。お腹に入れるつもりで蹴りだした足が、相手の頭に当たった。相手は小柄な男子で、身長がわたしより三十センチほど低かった。
 彼の頭を蹴り飛ばした時、びっくりした。意図したものではないにせよ、防具を着けている胴体への攻撃と、無防備な頭への一撃は、全く違った。それは暴力の感触だった。相手の子は痛みで泣いていた。翌年の試合でも、わたしはその子と当たった。身長差は縮まっていなかったけれど、一年分練習を積んだわたしは彼の頭を蹴らずに済み、わたし以上に練習したのであろう彼から、防御の甘いところに鋭い衝きと蹴りを一発ずつ受けて、正当に負けた。
 そんな経験をしても、わたしは相変わらず蹴ったり殴ったりするのが好きだった。
 拳法は暴力ではない。礼儀作法や明るい心がまえ、正義感をもって強くなることなど、精神面も丁寧に指導された。脚で蹴ることも、手で衝くことも、技であり、日常の喧嘩で使ってはいけないと聞かされていた。
 そのとおりにわたしも守っていたと思う。拳法の練習以外で、例えばクラスメートに手を出すことはなかったし、相変わらずおとなしい子どものままだった。けれど、むかつくことがあると、頭の中で「こいつ蹴り飛ばしてやろうかな」と考えていた。考えると、気持ちが落ち着いた。いつでも殴れる、殴らないだけ。そう言い聞かせることが、自分にとってのお守りになった(そしてまた対話を遠ざけた)。
 中学生になってからも、しばらくは拳法の練習に通っていたけれど、そのうちやめてしまった。三十代も後半の今では、腕も足もノロノロとしか動かない、人を殴ることも蹴ることもできない体になってしまったけれど、相変わらず、頭の中では「殴ってやろうかな」と思うことがある。
 いつでも殴れるし、蹴れもするけど、しないだけ。道を歩きながら、電車に乗りながら、カフェでお茶を飲みながら、そんなことを考えているのは、多分わたしだけではない。自分の内側にある暴力性を、発露させないよう飼い馴らしている無数の人々の群れの中で暮らしている。隣にいる人も、その隣にいる人も、とこわごわ辺りを見渡す。

■著者紹介
高瀬 隼子(たかせ・じゅんこ)
1988年愛媛県生まれ。東京都在住。立命館大学文学部卒業。2019年「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞しデビュー。2022年「おいしいごはんが食べられますように」で第167回芥川賞を受賞。2024年『いい子のあくび』で令和5年度(第74回)芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。その他の著書に『犬のかたちをしているもの』『水たまりで息をする』『うるさいこの音の全部』があり、最新刊は『め生える』。


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