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『The Miracle of Teddy Bear』書評②|誰かの是ではなく(評者:大矢博子)

書評第二弾は、書評家・文芸評論家の大矢博子さん。
ミステリーや時代小説等ジャンルの垣根ない縦横無尽の評者であり、ご自身で翻訳ミステリー小説の読書会を開催される愛好家でもある大矢さんに本書の魅力を伺いました。

クマのぬいぐるみがイケメン青年に変身して、持ち主の青年と愛し合うBL──と聞いたときの正直な気持ちは、「ちょっと何言ってるかわからない」だった。
さらに読み始めると、のっけから部屋の中の「抱き枕さん」だの「掛け布団おばさん」や「茶色のノートおじさん」だのが会話をしている。児童書? ファンタジー?
だが、保証しよう。最初の数ページを読んで抱いたそんな疑問や違和感は、いつの間にかすっかり忘れてしまい、あなたは物語にのめり込むはずだ。そして最初の疑問や違和感こそ著者の企みであり、実は大きな伏線であったことに気づくだろう。これはとても深くて、シビアで、そして切ない、恋と家族のミステリーなのだ。

物語の舞台は、タイの住宅街。脚本家の青年・ナットの留守中、彼の部屋に飼い犬のクンチャーイが入ってきた。狙いはクマのぬいぐるみ、タオフーだ。タオフーは慌てて立ち上がった──つもりだった。ところがいつもと視界が違う。体の動きが違う。ベランダに逃げ出し、窓ガラスに移った自分の姿を見て愕然とする。そこにいたのは人間の男性だったから。しかも素っ裸!
クンチャーイに吠えかかられ、ベランダから落下したタオフーを、ナットの母であるマタナーは「星の王子さまが降ってきた」と喜んで、彼を受け入れる。タオフーは彼の持ち主であるナットに相談すればなんとかなるのではと彼の帰りを待つが、帰ってきたナットは酒に酔ってへべれけの状態。しかもタオフーを誰かと間違えたのか、そのまま部屋のベッドに押し倒して……。
と、ここまでが2章のあらすじだが、実はこのスットンキョーな導入部にも、すでにいろんな仕込みがされているのである。
翌朝、酔いが覚めたナットは当然、タオフーを怪しむ。タオフーは「ソファさん」や「掃除機さん」のアドバイスを受けて記憶喪失を装い、しばらくナットとマタナーの家で暮らすことになった。次第に愛し合うようになるナットとタオフー。その一方でタオフーは、なぜ急に自分が人間になってしまったのかを調べ始める。


なんと贅沢で豊かな物語だろう! 恋の喜びと切なさ、家族の歴史と相剋、謎解きの興奮、サスペンス、ファンタジーのすべてがこの一冊に詰まっているのだ。タオフーとナットのいちゃいちゃにニコニコしたり、気持ちのすれ違いにはらはらしたりというロマンス小説の醍醐味。あのエピソードにはそんな意味があったのか、あの何気ない言葉がここで生きてくるのかというミステリのサプライズ。思わぬ形で顔を出す家族の事情。同性愛に対する社会の偏見と受容。二転三転する意外性に満ちた怒涛の展開。それらがひとつにつながり、大きな流れとなり、感動のラストへとなだれ込む。
「ひとつにつながり」と簡単に書いたが、これがすごいのだ。ここがつながるのか、という驚きが何度もあり、そのたびにきちんと伏線が張られてあったことに瞠目する。クマのぬいぐるみが人間になったり、「ソファさん」や「掃除機さん」が会話をしたりするのも、すべて意味があり、必然性があるのだ。終盤、タオフーがある因果関係に気づく場面があり、やや遅れて読者もそれに気づくことになるが、その瞬間に襲ってくるとてつもない切なさと言ったら! 最初に「ちょっと何言ってるかわからない」と思った自分を殴りに行きたい。つべこべ言わずに読め!と。


BLであることは間違いない。2020年に公開、配信されたBLドラマ「2gether」の大ヒットを皮切りに、タイのBLドラマは最早タイ流という言葉が生まれるほどに支持を得ているし、本書のドラマも6月にU-NEXTで配信が始まり、ブームはますます盛り上がっている。驚いたのは、そんな「BLというジャンル」を消費することについても、物語の中で厳しい意見が語られるのだ。
本書はBL小説としての核を持ちつつも、その底辺に流れるテーマは「抑圧」である。あるべき家族の形、あるべき恋愛の形、あるべき夫婦の形、あるべき社会の形──誰かが是としたものを妄信し、それに従って他者を抑圧することの愚かしさ、恐ろしさ。そしてそれは、あるべき同性愛の形、というのもまたひとつの抑圧ではないのかと抉ってくる。この物語は複数の恋愛や複数の家族を描写しながら、本当に大切な「あるべき形」とは何なのかを問いかけているのである。


主人公がクマのぬいぐるみなのは、人間社会の抑圧から離れた場所にいるからに他ならない。タオフーが命を得た理由、そして彼の最後の選択を、どうかじっくりと味わっていただきたい。BLは興味ないとか、ファンタジーは苦手とか、そういうレッテルで本書を読み逃すのはもったいない。逆にBLだから、ファンタジーだからという理由で手に取った読者には、いい意味で予想を裏切る展開が待っている。
 どちらに転んでも損はなし! 最高の感動と、最高の読後感を、お約束する。


大矢博子
1964年生まれ。書評家。
著書に『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)、『脳天気にもホドがある。』(東洋経済新報社)。

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