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偏愛本紹介6月 水の本

祝日の無い6月。梅雨の6月。
ゴールデンウィークと夏休みに挟まれた空白地点、6月。
なにか楽しい予定を入れたくなりますね!
そんな思いから、十数年ぶりに大学の友人とプチ同窓会を開くことにしました。大変なのはここから。久しぶりな友に少しでもよく見せようと、超短期間ダイエットにショッピングと天手古舞。ついには試着したデニムのファスナーでお気に入りのブラウスをひっかけ、お直しの二千円を払って、肥大したナルシシズムをお祓いすることになりました…。
涙涙の帰宅途中ぽつぽつ降りだす雨にずぶ濡れになり、泣きっ面に蜂とはこのこと、この悔しさ、なんらかの糧にできねば、もはやただでは起きられぬ…。
そこで今月は「水」を感じる本を紹介します。怨念めいた導入で恐縮ですが、おつきあいください。


とにかくうちに帰ります

津村記久子著(新潮社)
うちに帰りたい。切ないぐらいに、恋をするように、うちに帰りたい——。職場のおじさんに文房具を返してもらえない時。微妙な成績のフィギュアスケート選手を応援する時。そして、豪雨で交通手段を失った日、長い長い橋をわたって家に向かう時。それぞれの瞬間がはらむ悲哀と矜持、小さなぶつかり合いと結びつきを丹念に綴って、働き・悩み・歩き続ける人の共感を呼びさます六篇。

表題作「とにかくうちに帰ります」は、巨大倉庫群や企業ビルが軒を並べる洲に通勤する人々が、大雨の日あらゆる手段を使って帰宅しようとするお話です。
部下の仕事を肩代わりして明日の息子との面会(離婚した妻を乗り越えて)前に徳を積む男、帰宅ラッシュを避けようとした結果同僚の濡れ場に遭遇してしまいほうほうの体で逃げ出した女、自習に夢中で送迎バスに乗り遅れた小学生、腹をくくってレインコートを着用しコンビニのから揚げを買い占め三重に包んで徒歩踏破を目指す男。それぞれが秋の大雨の中、いけずなバス会社の運行、タイミングの悪い事故に心折りながら洲を脱出しようとする、これは都会遭難物語…。

パンツの中まで湿っている。いったいどこから雨が入り込んで来たのか。レインコートの前のボタンを全部留めているだけあって、さすがにシャツやスカートは無事のようで、蒸し暑くさえあったが、寒気が下半身から這い上がってくる。ずっとスラックスが濡れていて、水分が染み込む繊維を求めてじわじわと進んでいるからだろう。生きているようだ、とサカキは思う。降る雨も流れてくる雨もスラックスに染みた雨も動く。ただ触れたものを濡らすために。隣り合った粒と融合してより大きな粒になるために。いずれ大きな流れになるために。

本文より

コミカルな文章をにまにまと読んでいると、ふいにこんな文章にぶつかります。一滴一滴は大したことのない雨粒が足元から体温を奪い、集い、命の危機を覚えるほどの猛威となって、あっという間に日常をひっくり返す。
大雨は、毎年のニュースが物語る通り、日本という列島で最も身近な自然災害なのだと改めて実感しました。

雨がすごくなればなるほど、比例して大きくなる「うちに帰りたい」。会社に着いた瞬間から、何なら朝起きた瞬間から「うちに帰る」ことを希求する、胸が痛くなるようなあの気持ち。
この言葉にハッとしたら、ぜひ本書をおすすめします。

世界が平和であることを祈るように、今はうちに帰りたい。

本文より


黒い海 船は突然、深海へ消えた

伊澤理江著(講談社)
その船は突然、深海へ消えた。
沈みようがない状況で——。

本書は実話であり、同時にミステリーでもある。
2008年、太平洋上で碇泊中の中型漁船が突如として沈没、17名もの犠牲者を出した。波は高かったものの、さほど荒れていたわけでもなく、碇泊にもっとも適したパラアンカーを使っていた。なにより、事故の寸前まで漁船員たちに危機感はなく、彼らは束の間の休息を楽しんでいた。周辺には僚船が複数いたにもかかわらず、この船——第58寿和丸——だけが転覆し、沈んだのだった。
生存者の証言によれば、船から投げ出された彼らは、船から流出したと思われる油まみれの海を無我夢中で泳ぎ、九死に一生を得た。
ところが、事故から3年もたって公表された調査報告書では、船から漏れ出たとされる油はごく少量とされ、船員の杜撰な管理と当日偶然に発生した「大波」とによって船は転覆・沈没したと決めつけられたのだった。
「二度の衝撃を感じた」という生存者たちの証言も考慮されることはなく、
5000メートル以上の深海に沈んだ船の調査も早々に実現への道が閉ざされた。こうして、真相究明を求める残された関係者の期待も空しく、事件は「未解決」のまま時が流れた。

なぜ、沈みようがない状況下で悲劇は起こったのか。
調査報告書はなぜ、生存者の声を無視した形で公表されたのか。
ふとしたことから、この忘れ去られた事件について知った、一人のジャーナリストが、ゆっくり時間をかけて調べていくうちに、「点」と「点」が、少しずつつながっていく。
そして、事件の全体像が少しずつ明らかになっていく。
彼女が描く「驚愕の真相」とは、はたして・・・・・・。

第54回大宅壮一ノンフィクション賞(2023年)受賞作ということ、口コミで絶賛されていたこともあり手に取った本ですが、間違いなしの傑作でした。

「本書は実話であり、同時にミステリーでもある。」というあらすじの通り、本書にはいくつかのミステリーがあります。
一つは、船はなぜ沈んだか。
そしてもう一つは、生存者たちの証言が考慮されない報告書がなぜできあがったのか。
勘のいい方は、あらすじを読んでハッとしたかもしれません。
そう、2008年に福島県小名浜にある水産会社酢屋商店の漁船・第58寿和丸が沈んだ事件の調査報告書は、2011年4月に事故調査を担当した国土交通省所管の運輸安全委員会によって提出されました。通常なら約一年で提出されるはずの報告書が、東日本大震災のわずか一か月後のタイミングで。
大波による転覆という結論の報告書は、各種専門家の声をまとめた「よくできた」ものでした。しかしそれは、波で転覆という状況ありきでシミュレーションした結果を切り張りして作られたものでした。(報告書に関わった専門家への著者による取材で、生存者の証言等集めた資料を見せると「それなら話は違う」と口にした方もいたのです)
本書のキーパーソンでもある酢屋商店社長・野崎さんは、運行していた自身への責任が問われれば、被疑者として捜査対象になり、捜査と公判を通じて原因を明らかにできると考えていましたが、2009年福島県海上保安部は業務上過失致死の疑いで乗船し亡くなった漁労長のみを書類送検。乗組員に落ち度のなかったことをはっきりさせよう、公判で事故原因を追究しようという野崎さんの望みは、被疑者死亡により不起訴となり、閉ざされたのです。

第58寿和丸の取材に着手した当初、私は、運輸安全委員会は何らかの真実を隠すために潜水調査を拒み、強引な報告書を作成したのではないかとの疑念を持っていた。それはある意味、買いかぶり過ぎだったのかもしれない。実際にはリソースが限られるなかで、「教訓を残す」という役割を外形的に整える仕事をこなしただけのように思えた。

本文より

波ではなく、生存者や目撃者の証言から船体の損傷こそ事故原因に違いないと考えていた野崎さんたちにとって、船体検証は絶対に欠かせませんでした。水深5800メートルの深海に沈む船を調査できるのは、「国」しかありません。事故関係者だけでなく全国の漁労関係者の賛同も集まり、調査を求める署名は14万票集まりました。その声は、政党を問わず地元出身の政治家によって国会に持ち込まれたが、「実効性、あるいは物理的な難しさを含めて、直ちに潜水調査を行うというのは非常に難しい」という答弁を引き出すに留まりました。事故から15年たった今も、船は調査されることなく深海に沈んでいます。

なぜ沈んだのか——。この問いを、著者はある仮説を有力としてペンを置いています。そこに至るまでの膨大な調査、そこから浮き彫りになる社会の在り方、生存者、犠牲者、家族関係者の思い。
速報性や利便性において「本」という形態が意義を失いつつある現代で、「本」として形にする意味を確信させる一冊でした。


リリエンタールの末裔

上田早夕里著(早川書房)
彼は空への憧れを決して忘れなかった——長篇『華竜の宮』の世界の片隅で夢を叶えようとした少年の信念と勇気を描く表題作ほか、人の心の動きを装置で可視化する「マグネフィオ」、海洋無人探査機にまつわる逸話を語る「ナイト・ブルーの記録」、18世紀ロンドンにて航海用時計(マリン・クロノメーター)の開発に挑むジョン・ハリソンの周囲に起きた不思議を描く書き下ろし中篇「幻のクロノメーター」など、人間と技術の関係を問い直す傑作SF4篇。

短編集「リリエンタールの末裔」より、『ナイト・ブルーの記録』をご紹介します。
科学雑誌の記者である主人公は、亡くなった無人潜水探査機の元オペレーター霧嶋にまつわるインタビューを行います。
こよなく海を愛した霧嶋は、有人潜水探査機のパイロットの座を後進に譲り、無人探査機の研究チームで遠隔操作を行うオペレーターの職につきました。チームの目的は深海調査そのものではなく、霧嶋と機械を接続することで、無人探査機に搭載された人工知能に熟練のパイロットの技を習得させることでした。
しかし研究が進むうちに、霧嶋は奇妙な感覚を覚えます。遠隔操作にもかかわらず、無人探査機が握った触感、波の音、水の匂い…感じるはずのない感覚を味わったのです。ついには無人探査機のある事故によって、実際にはない衝突を味わった霧嶋は—―。

「人間と技術の関係を問い直す」短編集の名にふさわしい、脳の共感覚をテーマにしたとても美しい作品です。
例えば長く愛用している楽器をこつんと机にぶつけた時、痛みなどないはずなのに一瞬の衝撃を得るような感覚。
著者は本書の中で「感覚が違えば思考も変わる。意識も変わる。」「技術が、人の間に、社会的な溝を作ってはならない」と問題提起しつつ、焦がれるような美しさで脳の共感覚を描きます。

 ぎらぎらと銀色に輝くギンガメアジの大群と、浮き出た縦縞模様と細長い体つきが特徴のオニカマスが、それぞれに集団を作って泳いでおりました。まるで、塊全体がひとつの生物であるかのように、微かな海水の流れや周囲の物音に反応し、ときどき、ぱっぱっと群れ全体の形を変え、ホバリングするように一か所で留まり、また前へ進み……。
 そのとき、リアルタイムスキャンしていた霧嶋さんの脳画像全体に、さざ波のように、ぱーっと光が走りました。脳の活動を示すその光は、頭蓋内を駆け巡り、何度も跳ね返り——。
 それは霧嶋さんが、ナイト・ブルーを経由して、全身で感動を味わっている証拠でした。文字通り、体が震え出すような感動を。
(略)
《そちらでも、よく聞こえますか》
「え?」
《魚たちの鰭が海水を搔き乱している音です》
「そんなものまで聞こえるんですか」
《ええ。私はいま、耳だけでなく、肌でそれを聴いています。聴覚が、どんどん触覚に置き換わっていくのを感じます。夢のような体験です》

ナイト・ブルー…本書で霧嶋が操作する無人潜水探査機の名前 本文より

そして、ふと思います。この「共感覚」は小説を読む、その体験に極めて近いということを。なぜなら私たちは読むことによって味わっているからです。

 ナイト・ブルーの記録を書くとき、私もまた、霧嶋氏の感覚を疑似的に体験できるだろうか。
 音を肌で聴き、肌で海の味を知るような感覚を—―。

本文より


終わりに

いかがだったでしょうか?
雨の日に、水音を聞きながら読む本に加えていただければ嬉しい限りです。

ご紹介した作品は、すべてU-NEXTでも販売していますので、ぜひご確認ください(以下はU-NEXTの作品詳細ページに遷移します)。


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