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『教会のバーベルスクワット』書評|女の体を取り戻す(評者:吉川トリコ)

最新小説『余命一年、男をかう』では、子宮がんの宣告を受けた女性を主人公に、仕事や趣味、生きることを描いた吉川トリコさんに、配信開始したばかりの蛭田亜紗子さんの小説『教会のバーベルスクワット』を読んでいただきました。


この女はどうして自分の身体を痛めつけるみたいにトレーニングしているんだろう。

ひとけのない深夜のトレーニングジムで女が一人、憑かれたようにバーベルスクワットをしている場面から小説ははじまる。骨や筋肉がきしむような苦痛をみずからの肉体に与えながら、しかし女は恍惚ともしている。その姿はさながら殉教者のようだ。

執拗で神経症的なトレーニング描写と交互する形で、やがて少しずつ女の事情が語られていく。タイムリミットを目前にし、なにかに急かされるようにはじめた妊活で思うような成果を得られず、ある日もう終わりにしたいと女は夫に告げる。出口の見えないトンネルを歩くような日々からようやく解放され、治療にかかるはずだった金で旅行にでも行こうと思っていた矢先、突如やってきたコロナ禍により、再び目に見えない壁で目の前をふさがれてしまう。ならば養子をと望んでみたものの、夫の反応はきわめて冷淡なもので、女に残されたのは不妊治療によってぶくぶく太った身体と、行き場がなくもてあました「母性」だけ。そうして女は、ネットを通じてある男と出会い、逢瀬を重ねるようになる。

女の選択はなにもかも間違っているように見えるが、はたしてほんとうにそうだろうか? という疑問も同時にわいてくる。ウィルスや老化、妊娠やホルモン剤、環境汚染etc.……自分の意志とは関係なく肉体に変化を及ぼすそれらのものに取り囲まれ、若い女の肉体を性処理や生殖の道具とみなす男性社会において、女は選ばされているだけのようにも見える。若いころは無頓着でいられた己の肉体に少しずつ老いが忍び寄り、やがて生殖のリミットを迎え、男から欲情されることもなくなり、もう必要がないと見向きもされなくなる。老いた女には「母」の役割しか残されていないというのに、どうやら母親にもなれそうにない。焦燥に駆られるように誤ったほうへと進んでいく女をだれが責められるだろう。

もしかしたら女は、自分の肉体を自分の手に取り戻そうとしているのかもしれない。トレーニングを重ねていくうちに重たくまとわりついた脂肪がするすると落ちていき、かわりに鍛えられた二の腕と割れた腹筋、引き締まった脚を女は獲得する。自分の肉体を自分の意志で完璧にコントロールできていることに女は満足をおぼえる。肉体を行使しているときだけは、自分の体が自分のものであると実感できる。女にとってそれは解放であり、復讐であり、祝福でもある。

正しくない人間を断罪することなく、ただこういう生であるとして書く。ひりひりと息が詰まるような、それでいてずぶずぶと生ぬるく体を包み込む、泥のようにやさしい小説だ。


吉川 トリコ(よしかわ・とりこ)
1977年生まれ。名古屋市在住。2004年「ねむりひめ」で「女による女のためのR-18文学賞」第3回大賞および読者賞を受賞。同年、同作が入った短編集『しゃぼん』にてデビュー。『グッモーエビアン!』『戦場のガールズライフ』はドラマ化された(『グッモーエビアン!』はのちに映画化)。その他の著書に、『少女病』『ミドリのミ』『名古屋16話』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu 上下巻)『夢で逢えたら』『余命一年、男をかう』など多数。最新著書は、第1回PEPジャーナリズム大賞オピニオン部門受賞の「流産あるあるすごく言いたい」を収録したエッセイ集『おんなのじかん』。


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