『The Miracle of Teddy Bear』書評|夢物語ではなくて(評者:一穂ミチ)
ぬいぐるみの熊がある日イケメンに変貌し、家の中のさまざまな「物」――スリッパや携帯電話や掃除機たち――と心を通わせながら人間として暮らすようになる。
ディズニーの映画みたい、読み始めはそう思った。おとぎの世界のプリンセスが現実のNYにやってくる『魔法にかけられて』を連想したからだ。お姫さまは鳥やねずみやゴキブリ(!)の力を借りて奮闘し、シングルファーザーのビジネスマンと惹かれ合っていくが、熊のタオフーは、持ち主のナットくんに無垢な愛を捧げることになる。
ファンタジックな幕開けからのコミカルな展開に「どーなっちゃうの⁉︎」とタオフーと一緒にあたふたしながら読み進めた。ぬいぐるみが人間に、ってどういうこと? ナットくんのお母さんもすんなり受け入れちゃって「天然」じゃ片づけられないよ? えっ、スリッパのキャラめっちゃ立ってるんですけど(しかも左右で夫婦)? 創作だから何でもありとはいえ、ありすぎじゃない?
この物語はわたしをどこに連れて行ってくれようとしているんだろう、楽しみ半分不安半分でページを捲ると、人間としては生まれたての無垢なタオフーと、怒りっぽくて傷つきやすいナットくんはすこしずつ近づき、愛を育んでいった。
ナットくんがつらい時や悲しい時、ぎゅっと抱きしめられていたタオフーの愛情は、雛鳥の刷り込みに近いものから始まった。ナットくんが笑顔でいるため、幸せになるために、自分のなすべきことを精いっぱい考えるタオフーはとてもいじらしい。そしてその愛はいつしか身体の交歓を含んだ複雑なものへと変化し、ナットくんもタオフーの気持ちに応える。
恋人同士の甘いひと時、ここでハッピーエンドにしてしまったって、全然いい。何だか知らないけれど人間になった元ぬいぐるみが、ご主人さまと恋に落ちていつまでも幸せに暮らしました――けれどこの物語は、何よりタオフー本人が、安直に締めくくられることを望んでいなかった。
ぬいぐるみの自分は、なぜナットくんの元に来たのか? なぜ人間になり、ナットくんと結ばれたのか? この日々はいつまで続くのか? タオフーは自分が生まれた意味、人間の姿でナットくんの傍にいる意味を探すことになる。
それは痛みを伴う旅だった。ナットくんの過去、ナットくんのお母さんや、謎めいた隣人の過去。旅の中でタオフーは、愛が含む醜さや闇を覗き込み、時に苦しみ、時に怯む。人は、愛を理由に誰かを憎み、傷つけることもある。きらきら輝く虹の七色を全部混ぜたら、どす黒く濁ってしまうように。叶わなかった愛がドミノみたいに次々倒れていき、その果ての最後の希望としてタオフーは生まれた。抑圧と無理解に打ちのめされてふるえていたナットくんが崩れ落ちてしまわないように。
愛とともに生まれ、愛を知り、愛をおそれ、それでもタオフーはナットくんへの気持ちを手放さなかった。生まれたてのころのあどけない思慕とは違う。愛が憎悪や悲しみの源泉にもなり得ることを知りながら相対する、強くしなやかな愛だ。
『ぼくが奇跡だとしても、ぼくは今ここで、ナットくんのそばで、手を握ってる』
誰かに出会い、束の間でも想い合えること。大切な約束を果たすこと。愛に、世界に絶望せず生きていくこと。何もかも、熊のぬいぐるみが人間になるのと同じくらいの奇跡だった。わたしたちは時々奇跡と巡り合い、また見失っては探し、それぞれのファンタジーを抱きしめながら現実を生きていく。
ばらばらに見えていた要素がつながり、謎が解け、そして自らの運命を選択したタオフーとナットくんが迎えた結末に、安堵とも寂しさともつかない涙がこぼれた。冒頭であんなに面食らっていたわたしは、気づけば彼らとお別れするのが名残惜しくなっていた。
またね、ナットくん。おやすみ、タオフー。
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