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しない自由を愛してる

好きなもの、ありますか?

私はたくさんあります。

例えばアート。例えば着物。例えば日本酒。

私の好きなものは、主に趣味の中で育まれたものたちです。ハマると沼をズブズブ進んでしまうので、何か新しい沼が見つかるたびに、笑いながら沈んでいってます(超楽しい)。

趣味の深みにハマるにつれ、「好きなことを仕事にしたらいいのに」と言われることもしばしばでして。そのたびに私の心は、なんだかモヤンと曇ってしまうのです。

今回は、キラキラとした言葉に感じた私のモヤン、好きなものと私との関係性について綴ってみたいと思います。

オタク→凡人→趣味沼→好きを仕事に…そして…?という構成になってますので、ゆるりとどうぞ。

昔から書いて伝えることが好きだった

物心ついた時から絵を描くのは好きでした。小学校低学年の時は「にゃんころべぇ」という猫の漫画をノートに描いて友人に見せていたし、高学年になると地元新聞のイラスト投稿欄にせっせとハガキを出して常連投稿者になっていました。

中学・高校では、同じ趣味の悪友1人のためだけに雑誌を作ってました(読者ひとりの雑誌って思い返すと面白い)。またある時は、その悪友と一緒に1枚ペラ紙のイラスト雑記みたいなものを発行して本屋さんに置いてもらっていました。

同じ時期に音楽にもハマったので、好きなアーティストのイラストもよく描きました。あの当時の最高傑作は、CDショップに置いてあるファンノートに貼り付けるために描いたGLAYのHISASHIさん。今も超えられる気がしない。

高校生にもなると新聞へのイラスト投稿はさほどしなくなったものの、常連になったつながりで、新聞社のイベントにスタッフ側として参加したり、そこで繋がったイラスト描きの人と文通したりしていました。ルーズリーフの裏表10枚位(20ページ分)にびっしり文章書いて毎回送ってました。量がすごい。文章を書くのも実はこの頃から好きだったんだなと思います。

とにかく高校生まではオタク活動を存分に満喫しまくっていました。

普通になろうとしたら人生が薄まった

大学生。急に私服で登校しなければいけなくなりました。これまで自分の陰キャオタクっぷりに多少の劣等感もあって、もう少し普通になろうと試みることに。大学デビューというほどでは無いけども、初めてファッション雑誌を買って流行なんてものを知ろうとしました。

ファッションもデザインや色の要素があるから、結構楽しいかもと思って、それなりに身なりを整えられるようにはなりました。オタクっぽく無い普通の人たちと友達になりました。美術部にはなんとなく入りませんでした。絵もほとんど描かなくなりました。そんな大学生活。

黒歴史ほどのダサいことをやらかしたりはしなかった。

でも、熱を込められた出来事もほとんどなかった。

大学卒業が近づいた頃、私はやりたいことが分からなくなっていました。

無気力…からの趣味熱復活

就活は見事に失敗し、その後派遣でトラブルあれこれありながらも食い繋ぎつつ、CADスクールに通って転職しました。CAD職を選んだ理由は、普通の事務員のお給料が安すぎて手に職をつけたかったのと、地方でもある程度求人数がある分野だったから。ほとんど消去法みたいな選択。

それでも、一日中黙々とパソコン作業するのは性に合ってたようで、そこから8年勤めました。同僚と上司に恵まれたのも大きかったです。そこでようやくようやく、生活基盤が安定しまして。何かまた趣味でも始めようかなと。

派遣時代の休日の過ごし方はまるっきりダメ人間で。丸一日寝て過ごすこともあったくらいに無気力に落ちてましたが、自分の足元がしっかりすると、周りを見る余裕も出てくるもんですね。

ヨガに始まり、美術教室、着物の着付け、日本酒飲み歩き…などなど、趣味活動が広がっていくことになります。

好きなものを仕事にしてみた

ハマり始めると突き進む性格も相まって、趣味の一つを仕事にしてみようと思いました。着物の着付けの資格を取って着付けのお手伝いに入らせてもらったり、着物のネットショップの仕事をしてみたり。

好きなことを仕事に!キラキラしちゃうぜ!

それでどうなったかと言いますと。行きはヨイヨイ、帰りは撃沈。

結果、着物が好きか分からなくなりました。

コンディションの良い時も悪い時も、たくさんの着物が目の前を通り過ぎていく日々。
売れない烙印を押されて廃棄されていく着物たち。
業界の中にいるからこその不自由さや窮屈さ。

家族の問題や地元を離れての環境などいろんな要素が重なったのもありますし、何かが違えばまた違う気持ちになってたのかもしれません。

だけどその時は、好きなものに対して湧き上がる気持ちがスレて、カサカサになってしまいました。

好きなものとやりたいことが別でもいい

今思い起こすと、好きなものを取り囲むいくつもの仕事の中で、自分がどこに関わるかということが大事だったのかなと思います。
私は、対面接客や営業やセールスの分野が苦手です。着物は好きだったけど、そこは見落としていたポイントです。

あとは、良いと思えるものや感覚を共有できる仲間がいるとだいぶ違うなと思います。今でも着付けのお手伝いは時々させてもらってますが、そこはチームが良いからやれてる部分があります。

地元に戻って、着物好きな人たちとまた交流するうちに、だんだんと好きな気持ちも戻ってきました。そして、着物ユーザーとして出来ることを模索して、着物のイベントや集まりを主催したり、情報を発信したりするようになりました。今は仕事ではなく趣味で、着物の情報の共有や楽しめる場を作ることで着物に関わっています。

好きなものへの関わり方はいろんなパターンがあって、それが中からでも外からでも構わないし、オープンでもクローズでも、仕事にしてもしなくてもどっちだって良いんです。

好きなものとやりたいことが繋がってても繋がってなくても矛盾ではないし、むしろ人間そのものが矛盾だらけなのでオールOKなはず。

自分の好きな気持ちが瀕死になるくらいなら、好きなものから逃げたっていいと思ってます。

好きなものをしない自由

例えば「描くのをやめる!」と筆を置いたり。例えば着物をしまって洋服ばかりを買ってみたり。例えばワインにハマってみたり。

今日は気分が乗らないから、調子が悪いから。
”しない”という自由があること。

いつだって”しない”選択をできるから、私の好きは持続できるのかもしれません。

好きなことを仕事にする!

好きなことを仕事にしない!

どっちの自由も本人次第で人生楽しくなるんだと思います。

とかこんなこと書いちゃったら、今後の転職活動がやりにくくなるな〜と懸念しつつ。

それでも私は、”しない”自由をポケットに忍ばせていたいと思うのです。


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