🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 五十三

五十三、

近藤長次郎小伝、これも意外と引っ張ってしまった。大局的な見地に戻ろうと。近藤の死の時期を見る。これが丁度、所謂第二次長州征討の開戦時期。そしてこれだから素人は、と我が実力を不甲斐無く思うのだが、西郷が戦線から離れた、決定的に参謀職から外れたタイミングが掴めなかった。ここが読ませ所、とは意気込んでいたのだが。つまり筆者の邪推として、近藤の死と西郷の離脱期を重ねて、いよいよ坂本龍馬登場!と。西郷の役職上の動きが見えなかったので、どうするか?と再考し、邪推のまま進めばいいのでは?と思い至った。故に、そういう流れで進行する。
近藤及び社中人士が長州-薩摩間で活動に腐心していた時期は、所謂第一次長州征討期に当たる。これははっきり言って調べる価値を余り感じない。ただ関心が長州メインで歴史探究している方にとっては価値以外の何物でもない、目を通して当然の資料である。何故余り意味を感じないか?と言って、単純に坂本が出て来ないのだ。なるべく大局的、客観的に見ても、坂本が介在する余地がない。テーマが坂本なので通る必要性がないのだ。
近藤小伝が長引いたのは、所謂第一次長州征討と脱土佐藩士の重なりが濃厚であった故。坂本がこの時期何をやっていた、何処にいた、あやふやで煙幕が濃い。近藤の挫折、そのタイミングで一気に存在感を増して行く坂本。そのプレ段階での推測。

①西郷と行動を共にしていた
②小松の事業展開に加担していた

両方であろう。西郷自身、そして小松自身、殆ど明日は自分がどうあるのか甚だ予想の付かない状態。彼らだけでなく、日本が列島規模でそんなカオス状態であった。坂本龍馬、これは当初半ば居候で薩摩に庇護される。まあ坂本だけでなく。ただどうも、ただの穀潰しの居候扱いではない雰囲気は感じ取れる。

上記の①を取ると、坂本の役目的な役目は軍事目的であると言える。そして調べれば調べる程、西郷は幕府軍参謀格でありながら停戦方面に腐心している。西郷が坂本を手下として扱っていたなら、坂本は幕府側にどちらかと言うと強かった、それが、それだけが脱藩浪士"坂本龍馬"の強味で、本当にそれしか持っていなかった。後は長州、土佐にちょいちょい人脈がある、ぐらい。幕府側に通じて、長州の雰囲気を測って、とやるには丁度いい、実に丁度いい人物ではあっただろう。
そして。これはもう小説的、というか通説版坂本龍馬通りで面白くないのだが、この西郷隆盛、まあこの時期はまだ別名だった様だが、全く小回りが利く様な人間ではなかった。小回りする事が嫌いだから、しない。西郷隆盛という男は特別に坂本龍馬を大事に思っていた。何故か?坂本龍馬は話がとても達者だったという。喋る喋る、の方ではなく"会話"が上手かった様だ。対話者が話し始めたら、一切口挟まず耳を傾ける、そんな人だった、と。これは証言を引用してみてもいいかも知れない。筆者の意訳で。田中光顕による。

"全く、役者というか…皆で話している間も、何かの役を演じているのか?と思うぐらいで…不気味ですらあった"

田中光顕はどうやら坂本龍馬が好きになれなかった気配だ。西郷は坂本を好んだ。

話が面白い
要点を簡潔に伝える
人が話している時は聞きに回る

やはり賢い、賢かった様だ。この賢い男は、船の購入のいざこざ、人間関係、功名争い等無縁で、残された船のある長崎に現れる事となる。

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