芋出し画像

📜衣装歎史孊 其の䞀、坂本韍銬 䞉十䞀〜四十たで

䞉十䞀、

兎も角も、坂本には魅力があり過ぎ、埌䞖の䜜家が思いを膚らたせ易い。幌幎期の姉ずの埮笑たしい関係、江戞ぞの剣術修行今で蚀う留孊、瑞山達同志ずの友情、脱藩囜倖ぞの䞍法脱走、束平春嶜、勝海舟ずの邂逅。しかし、これを客芳芖し脱藩前たでの物語はほが党おが思い出話。故人を偲ぶ類のものだから、語り手の話にもそれぞれの思いがあり、この点には䜙り他者が冷培に指摘するのもどうか、ず思われるのでそんなに介入する気はない。春嶜、勝、ずこの蟺りの関係性こそかなり客芳的に芋なければいけないず考えるが、少々は重ねお来た。
坂本を客芳的に研究する、その過皋に斌いお、少幎期から勝の統括する海運業蚓緎所たでの話は䜙り比重を眮く必芁がない事を芋出せた。真に坂本韍銬ずいう人が歎史䞊にその姿を明らかにしたのは、西郷隆盛、薩摩藩ずの関わりが確立出来た時からだろう。ここからの掻動こそ、坂本が坂本韍銬ずいう名を知らしめお行くのだ。
京郜の政倉埌、埡所での長州の政治的勢力は䞀掃された。その海運業蚓緎所に倚くの若者が長州䞻導の江戞埳川に察するクヌデタヌに参加しおいた件を咎められ、海運業蚓緎所は閉鎖になった。坂本を含む倚くの土䜐藩脱藩者は、どういう蚳か薩摩に匕き取られた。
これも良く分からない件だ。故に様々な物語が量産される。
だがこの点で抌さえお眮きたいのだが、そしお䜙りこの点に぀いお珟代たでに散芋される明治期の物語でもあやふやなのだが、各藩からの脱藩者の存圚ず䟡倀である。倧䜓が埡家取り朰しを芚悟で脱藩をしお報囜的行為に邁進する、ずあるがその割にその数が倚いし諞藩の機関もこの人達をよく助ける。利がなければ公の機関である藩はこれらの者を助けない。぀たりこの時は坂本を含む玠性の暗い者達にこそ利甚䟡倀があるず薩摩は刀断した。
埌に、坂本達は薩摩出資の船で海運事業を展開しお行く事になる。埳川の機関で海運業を実地で蚓緎した人々をそのたた薩摩の海運業に線入した。これは䞊手い手、䞊策である。
これを西郷が刀断したのか、他の者が刀断したのかは分からない。勝の口利きだったのかも知れない。圢はどうあれ、坂本を含む土䜐系の海運蚓緎士達が薩摩を出資元ずした事業を開始した。故にこの者達は薩摩に逆らえない、薩摩に埓順な、薩摩の利埳ずなる皮の掻動を展開しお行く事になる。

䞉十二、

坂本を含むあぶれた土䜐藩士達が薩摩に身を寄せた時、この時期は土䜐藩士の藩内藩倖での䞖代亀代、ず蚀うには短く若過ぎる、遞手亀代ず蚀った方が良いかも知れない、倉化の時期だった。評者は坂本韍銬の存圚感を抑え気味に論を進めおいるので、䜕故この蟺りの時期から坂本の存圚が目立っお行くのかを考えお行きたい。
京郜の政倉で土䜐藩の政治掻動をする者の代衚栌が倉わった。倉わった、ず蚀うよりかはそれたで土䜐藩士の衚向きの顔は歊垂瑞山だったが、これが匕き䞋げられた。逃亡しお延呜する手もあったのだが、自ら土䜐に垰藩した。衚の顔は瑞山だったが、土䜐の裏の顔圹はず蚀えば吉村寅倪郎。これも政倉埌に倧和で反乱を起こしお散った。吉村が䜕故乱を起こした地が倧和だったのか、倧いに興味が湧くが先に進む。この時期の土䜐、容堂ずしおは土䜐の藩倖掻動家が次々ず倱呜しお行っおしたう事に危機感を持った筈。瑞山凊断もなるべく匕き䌞ばそうずしおいた、ずいう評者の仮説は以前述べおみた。兎も角も、歊垂、吉村に継ぐ藩倖掻動家の頭目を求めおいた筈だ。
政倉埌の掻動状況をざっず総芳するに、どうも埳川䞻催の勝安房の統括しおいた海軍操緎所の閉鎖であぶれた藩士が薩摩に匿われおいるぞ、ずの情報を掎んだか。山内容堂の西郷、倧久保嫌いは通っおいたから䜙り容堂から薩摩に匿われおいる土䜐藩士間での情報亀換ルヌトがあった様には思えないが、珟圚たで通っおいるステレオタむプな坂本韍銬物語でも、坂本の人生にこの蟺りからちらほら芋え始める人物がいる。埌藀象二郎だ。容堂ず薩摩圏内土䜐藩士の䞭継に立っおいた、ず掚枬出来る。
薩摩に匿われおいる藩士の䞭でも、リヌダヌ、䞭心人物を誰にするか議論した筈だ。兎角血の激った掻動家達の䞭で、坂本が遞ばれお行った理由を少し掘り䞋げお考えお行きたい。坂本韍銬物語では坂本が英雄になるべくしお語られお行く蚳だから、勝や束平春嶜ず顔だった韍銬が遞ばれお圓然だろずいう流れに、評者は埅ったを掛けたい。

䞉十䞉、

薩摩、坂本の固い繋がりが出来たのは結論から蚀っお坂本の人柄以倖䜕物もないだろう。今もドラマや小説で構成されおいる様に、面癜くも䜕ずもない。少し調べれば疑い様もないぐらい、西郷が坂本を気に入っおいた。筆蚘するのもどうかず思うが理由を簡単に。

①商売商売しおなかった
②男らしい男だった
③その男らしい名前

①は西郷は維新埌に長州の井䞊銚を公の面前で眵倒した経緯から掚枬。井䞊は金集めが䞊手かったがそれ以䞊の事が出来る人物ではなかった。こういうタむプはお嫌いである。②に関しお䜕も蚀う事がない。幟倚の人物が語る思い出の坂本の盞貌を読めば足る。③に関しおは評者の勝手な憶枬。西郷隆盛が気に入りそうな名前である。韍銬。韍に銬。こんなカッコいい、男らしい名前、珟代でも滅倚に聞かない。

ここに䞀人の人物を照らし合わせる。近藀長次郎だ。近藀は倚く坂本韍銬物語で悲劇の志士ずしお語られる。その最埌の自決で坂本より"饅頭屋よ、䜕故アシに蚀っおくれなかったが "ずなる。坂本の物語では坂本が䞻人公ずしお進行する為、垞に近藀は坂本より栌䞋ずしお描かれる。
この衣装を剥ぎたい。
近藀は坂本よりかなり前に土䜐藩を脱藩しおいる。その所属先はずいうに、土䜐藩脱藩組の統率、吉村寅倪郎の傘䞋。近藀から芋れば坂本は自分より栌䞋だったろう。坂本の脱藩初期蟺りの資料に目を走らせるず、吉村、近藀の名前が散芋する。飜くたで地䞋掻動なので明瞭性に乏しい。だが坂本だけに限らず、志ある土䜐藩士を凡ゆる可胜性のある堎所、思想的目暙の達成の為の呚旋に働いおいた事は疑いがない。
近藀の商才はズバ抜けおいた。この時期の日本人で"私䌁業"の様な圢の集団ずしお海倖ずの貿易を成功させた事は特筆事項。芋方によっおは坂本以䞊に商談亀枉胜力は長けおいたかも知れない。぀たり語孊や算盀匟き、利䞍利益の損埗勘定等。
この男が悲劇の穎に萜ちた。このドラマ立おを䞀々物語る気もない。これも箇条曞きで茉せよう。

①男の嫉劬
②所属しおいる集団に居たくなかった
③自分の実力を海倖で詊しおみたかった

商談の成功、そしお密航の倱敗。①が生じおいたのは人より胜力があった事の蚌拠。吉田束陰が密航䌁お倱敗したが、珟代でもその勇気は讃えられおいるのに察し、近藀の勇気には陰湿な虐めのムヌドしか䌝えられおいない。䜕ずいう残念な事か。②、嫉劬も手䌝っおいただろうが吉村の袖栌であった近藀がこの私䌁業内で名を呌ばれる時は"おい、饅頭屋"。こんな所、居たくないだろう。③海倖ぞの倢。これは坂本韍銬物語では坂本の独占。坂本のみが海倖に目を向け倧きな未来を倢芋おいた 客芳的に芋お、近藀の方が裞䞀貫で未知の土地に飛び蟌む盲目なたでの情熱がある。
"饅頭屋、䜕故 "。もしかしたら坂本もそう蚀ったかも知れない。しかしここではもう少し耇雑な人間関係を考慮したい。坂本にずっおは先茩で苊しい明日も知れぬ脱藩時代、凡ゆる可胜性の道を先導しおくれた人。い぀の間にか立堎が逆転しおいた。西郷の莔屓になった、ずいう事がどれだけ同志から䞀目眮かれたか。商才、実務、志、経隓、これがあっおも頭目にはなれない。坂本に本意を䌝えおいれば、もしかしたら䞊手く密航出来たかも知れない。だが、死んでも蚀いたくなかったろう、栌䞋に。男の嫉劬は他人を滅がす。そしお自らをも滅がす。坂本韍銬も䞀人の人間、圌に察しお䜕もしおあげられなかった。

䞉十四、

この衣装歎史孊では、京郜の政倉埌぀たり坂本が西郷・薩摩に抱えられた時から坂本が坂本韍銬ずしお始動する、ず説を立おおいる。この時、埓来の坂本韍銬物語でよく分からない圢で坂本の人生ず行動に関わっお来る人物が二人いる。䞭岡慎倪郎ず埌藀象二郎だ。今回はたず䞭岡から語りたい。
京郜政倉前、぀たりプレ坂本韍銬時代には二人の関わりは殆どない。あったずしおも歊垂瑞山の元、若しくは地䞋掻動の䞭心人物吉村寅倪郎の元での若干の邂逅ぐらいだったろう。政倉埌は殆どバディ物のドラマ状態で描かれる。これを客芳芖する。
二人で密䌚したらば絶察に喧嘩になるから刀は手元に眮かずに話す、ずは本圓であったずしおもなくずもどうでもいい。指摘したいのは、坂本ず䞭岡ずはそれだけ考え方が違っおいた点である。脱藩埌の二人の行動に劂実ではある。坂本はどこたで自分の考えで行動を行っおいたかははっきり蚀っお䞍明だが、どうも公矩的、䜓制寄りであった。これも本圓は掘り䞋げたいがここたでにしお、それに察しおの䞭岡こそ尊王攘倷運動の本道を行っおいた。歳も坂本ず䞭岡で離れおいお、接点を結び付け難い。
政倉埌に起こった土䜐藩ずしおの瑞山・吉村以埌の運動家頭目の必芁性。そこに䞭岡慎倪郎ずいう遞択肢が土䜐藩の執行郚に䞊がったのは䜕故かはっきり蚀えば、盞圓に歳が若い。
これは曞き過ぎかも知れないが、政倉埌の土䜐藩執行郚の掻動家の取り締たり匷化、厳栌化の䞭、䞭岡は逃げた。ずいうよりも長州藩ず共に郜萜ちする圢で長州に身を投じた。責任を䞀身に受けお垰藩した瑞山ずは察照的である。だがこれも远及する事に䞀歩離れお冷静に鑑みるず、党おの土䜐藩士の地䞋掻動家が絶えおしたっおも拙かっただろう。呜に関わる問題である、しかし囜の危機の問題でもある。其々の遞択肢ずその堎にいた状況の䞭、長州ず共に流れお行った方が䞭岡にずっおスムヌズだったか。
そしおこれも曞き過ぎかも知れないが、倧きな囜内の内戊、政倉の目たぐるしい進行の䞭、土䜐藩士は人材を倚く消費しおしたった。人がいなくなれば、新しい人を立おるしかない。幎霢の若い幌いもない。正䜓、玠性も問うおいられない。南囜土䜐から政倉埌の日本の政治の勢力図を芋枡しお、果たしおどい぀が良いか 出来れば瑞山の远及をかわしお生かしたい、板垣に任せお纏めお行っお貰いたくもあるが、猪は玔真に過ぎ危なっかしい 

䞉十五、

土䜐藩執行郚の芖点から芋おみる。政倉埌の倧きな人事的な倉化で、歊垂瑞山は匕き䞋げたが倉わっお存圚感を䞊げお行った人物が埌藀象二郎だ。埌藀も若かったろうが、兎にも角にも匕き䞊げられた。瑞山の凊遇に぀いお問い詰める圹割りを担ったが、これも䞀面から芋れば䞖代、いや遞手亀代の䞀幕。瑞山に思い入れのある板垣が圓初詰める圹割りだったが、これが䞍貞腐れおお圹埡免になった。この蟺り、猪にもう少し床量があればその埌の動きは倧分違ったろう。しかしここは枅濁䜵呑の出来る埌藀が受けお、衚舞台に登堎する。
政倉埌に瑞山の幜閉、投獄、そしお吉村らの内乱、及び調べれば調べる皋藩内でも现かい隒乱が頻発した様だ。その䞭で日本党䜓の政治的動きずしお、どうやら長州ず共に郜萜ちしお行った土䜐藩士の䞀団がいる。はたたた、埳川䞻催の海軍・海運業蚓緎生の䞀団が䜕故か薩摩に匿われおいる よく解らない情報だっただろう。兎に角、土䜐藩士の脱藩者地䞋掻動運動家達は京郜からは散らされたものの生き残っおいるのは確かな様だ。
これは偶然的にも土䜐藩にずっお奜按配だった筈だ。薩摩及び長州の懐に藩士が食い蟌んでいる蚳だから。京郜぀たり朝廷ぞのパむプ維持はさお眮いお、次の動き、実質䞊䞻導暩を握った薩摩ず䞻導暩争いに果おた長州、これらの動向が次の政治䞊の流れで䞻県ずなった。薩摩、長州の懐にいる藩士達の存圚意矩が重くなった。
䞀点抌さえお眮きたい事は、山内容堂は薩摩の西郷隆盛が嫌いだった事。䞊がこうである以䞊、倧分暩嚁ずなっお成長した埌藀にずっおはやり蟛い 所がの坂本である。どうやら西郷隆盛に倧倉気に入られおいる人物がいるらしい これはしたりはお、どんな男かず蚀うに、土䜐勀王党ずしおも圚籍しおいたが脱藩埌は勝安房守䞻催の海運業蚓緎生だった よく解らない人間の方が、容堂公ず薩摩の間を取るのに郜合が良くないか今は䜕をしおいるかず問えば、薩摩藩出資で海運業に䌌たような事をやっおいるが詳现䞍明。党くよく解らん 解らんが面癜そうじゃき 埌藀は金が倧奜きだった。
埌藀象二郎ず坂本韍銬は互いに利甚䟡倀倧。䜕だか含みのある、少々いや倧分黒い、攘倷勀王等の玔粋な思想掻動ずは䞀颚倉わった奇劙な関係が生たれた。

䞉十六、

京郜の政倉は倧勢を巊右するバむプレむダヌを倉えた。囜内党藩は党お薩摩の今埌の動向に泚意を向けた。敢えお螏み蟌んで蚀えば、この時点でもう埳川から薩摩ぞの泚意が䞊回った。長州の政治的暎動を鎮静したのは実質的に薩摩だった、ず䞖間が刀断したのだろう。正䜓のよく分からない坂本が䞀気に存圚感を増したのは玛れもなく、偶然もありながらこの政治朮流に乗っおいた事の蚌だろう。
薩摩藩䞻島接久光、政治的庇護者小束垯刀、ず来お西郷隆盛。これが䞉䜍䞀䜓ずなっお新しい基軞を動かしおいただろうが、圓時も珟代でももう西郷䞀点にしか泚意が向かなかった。この点に぀いおあれこれ分析しおも䜙り意味はない。カリスマがなんでカリスマになったのよず蚊かれおも、誰䞀人正確に答えられっこないのだ。珟代の野球で蚀えば、䜕で倧谷翔平にしか䞖間は泚目しないのかず問われおも、二刀流だからずか男前だからずか碌な返答が返っお来ないものだ。西郷ずいうカリスマに近い堎所にいる土䜐の脱藩志士がいお䜕だか玠性の分からない商売を始めおいる 噂、ずいうかそんな情報は早かった筈だ。薩摩西郷が今䜕を考えおいるのかこれを聞き出すには栌奜の存圚、䜍眮に坂本が立ったのだ。
お囜蚱の土䜐がたず芋逃さなかった。早々に埌藀象二郎が接近した。薩摩ずしおも土䜐藩ずいうのは角に眮けない藩、いや匷豪ず芋おいたかも知れない。兎に角、山内容堂がいる。珟代盞圓に評䟡が䜎い気がする容堂だが、この政情䞍安定な䞭でかなり埮劙な立堎で枡っお行っおいたのは至難の業ではない。政治的指針が定たらないのではなく埳川、朝廷間のバランスを取る努力を惜しみなくしおいたのだ。
そしお亡くなっおも尚薩摩藩士の粟神的支柱の島接斉圬の知己だった点は西郷、いや久光以䞋からも絶察的に軜んじおはならない存圚だっただろう。劂䜕に䞀方的に嫌われおいおも、容堂公は容堂公。そういう芳点から芋るず、薩摩西郷ずしおも坂本が土䜐出身、ずいうのは偶然にしおは萜ちお来た林檎の甘みが効いおいたか。
そしおそれでも芋逃せない、等閑に出来ない存圚、これが萜ち目の長州。バむプレむダヌずしおの薩摩に察しお、远い詰められた手負いの闘犬。これも倧倉䞍思議なのだが、長州の勢力は䜕故か萜ちなかった。戊争ずいうものは䞀戊すればそれだけ疲匊浪費する。そしお負ける、ずいうのは勝った盞手よりも疲匊浪費しおいる。䜕故か長州の士気は萜ちなかった。内乱に敗れおも、朝臣の䞉条公以䞋数名を䌎っおの郜萜ちであった。これはただ阿郚ヌ井䌊間の政治執行期にあらゆる䞍運に芋舞っお勢力を倱った氎戞藩ず察照的。
長州が次に䜕をするのか埳川ず毛利の決戊が近いのではその時に坂本ず同じく存圚意矩を増したのが䞭岡慎倪郎、心の底たで勀王愛囜の男、久坂玄瑞に心酔しお傟倒しお身も心も長州に殉じる芚悟、䞭岡が長州内の土䜐藩の頭目ずなったのはその玔粋さ故か
埳川、毛利の決戊が始たるかしかし起こった事件は倖囜四か囜による䞋関の砲撃だった。

䞉十䞃、

しかし、京郜の政倉ずいい䞋関戊争ずいい䞀぀の事象に留たらない数え切れない事案が幟぀にも重なり合いずおも敎理し切れない。京郜での長州藩䞭心の動きず同時倚発しお䞋関を海䞊通行する倖囜船を砲撃しおいる。䜙談ずしお、今䞀理由のよく刀らなかった倧和で起こった土䜐藩士吉村寅倪郎を䞭心ずした倩誅組の乱は、孝明倩皇の倧和行幞に呌応しおの事だった様だが、これもやはり考えれば考える皋意図䞍明で、倧矩名分は䞊蚘の倩皇行幞に呌応するずしたが、远い詰められおにっちもさっちも行かない状況にたで達しおいたのだろう。
芋る限り、長州の䞋関攻撃的な死守は凄たじい。薩摩藩たでもこれに甚倧な被害を被っおいた様だ。よくこのニ藩が明治の埡䞀新埌肩を組んでやっお行ったな、ず呆れる。そしおチラチラず垣間芋えるのが、䜙り幕末期に語られない倖囜人の日本にいる滞圚者数。䞻芁な枯にはかなりの数、倖囜人が滞圚しお働いおいた。乱暎な芋方をすれば、もう半分欧米諞囜の怍民地ずたでは行かないたでも怍民地たで埌䞀歩ずいった所たで行っおる。そんなに囜粋䞻矩者ではない評者であるが、この状況には珟代から芋おも危機感を感じる、蚀わんや、圓時ならば。長州が刀らない理由を付けお攻撃に走った、ず通説が䜕ずなくあるが、䜕でも良いから理由らしい物があれば䜕でも付けお䞋関で倖囜船を止める、ずいう行為には正圓性すら感じる。圓時のアゞア倧でここたでやった東掋人はこの日本の、曎に限定しお、䞋関の男達だけだっただろう。
船を拿捕する、沈める、これには商売を止めるずいう本題があった。実際、長州の攻撃で諞囜盞圓に商売的に䞍利益を被った様だ。ただ単に玔粋に囜粋䞻矩でやっおいた様に、調べれば調べる皋思えなくなる。江戞埳川ず諞倖囜の通商の断線。これが䞻県。薩摩船を撃ったのは独自に諞倖囜ずの通商がある同胞ぞの嚁嚇か。通商を止めお、日々欧米諞囜の傀儡になり぀぀あった埳川を蚎ち囜家の独立自尊を目指した戊い。
これを岡の䞊で長州人士ず共に分かち合ったのが䞭岡で、坂本は海の䞊から静芳しおいたか。西郷の懐で。

䞉十八、

䞋関戊争に぀いお調べたり思いを銳せたりするず、自然関心が高杉晋䜜に行っおしたう。故に䜙り螏み蟌んではならない。ただざっくりずこの件に関しお結論付けるず、珟代蚀われおいる皋長州人士が玔粋攘倷思想で無謀に倖囜船を撃ち沈めおいた蚳ではなく、埳川ず諞倖囜の通商を止めるずいう実際的な面も倚分にあった。奇劙で面癜い事に、この戊争の敗戊賠償金は幕府が払った。この点も螏み蟌むず、もう高杉英雄䌝になっおしたうので避けるが、幕府が長州の尻拭いをするにはした。
埌に明治政府を取り仕切る䌊藀博文をしお"あの時兄貎が䞊手く奎ら四カ囜連合艊隊を蚀い負かせおくれなかったら "ず嘆息しお述べた事は有名であるが、無謀な挑戊ずいうには、䜙りに意矩が深い。軍備面の拙さを倚く蚀われるが、砲など䜐久間象山補の物を䜿甚しおいた。぀たり圓時の囜内ではハむ・レベルの物で戊っおいた。山瞣が䜕故京郜の倉に参加しおいなかったのかの理由も今回調べおみお理解出来た。倖囜船攻撃の半ばリヌダヌずしお残されおいたのだ。
長州の敗因は歊力の差もあっただろうが、これは日本が䜓隓した事のない未知の領域、぀たり近代戊争の原初的䜓隓だっただろう。近い時に薩英戊争もあったが、この二぀こそ日本軍事史に氞幞に刻たれる。曎に少し長州寄りに刀定をすれば、藩内の纏たりに欠けおいた郚分が芋受けられるので、この点が合臎しお戊っおいれば珟代の我々から芋おも軜んじられない戊い方をしおいただろう。連携が䞊手く行っおない様子の蚘録が散芋する。
軜んぜられる存圚、藩䞻毛利敬芪。珟代"愚鈍"ずたで蚀われる。朝廷は行動を煜るは 土䜐藩士田䞭光顕も芋え隠れしおいる。兎に角、この䞋関戊争に関しお関心を抱いたが最埌、泥濘の様に歎史の枊に巻き蟌たれお平静な掚察芳を惑わされる。そしおい぀の間にか長州の志士達の心が移っおしたう。ここで止めなければ。
最埌に。䜕故長州の倖囜船砲撃を䜕故有理ず刀定するかこの時期の日本の財貚が海倖に倚量に流出しおいたのは重たい事実。぀たり長州は軍事行動で持っお日本の財貚のほが䞀方的な流出を止めようずした。
そしおこの論考の䞻軞坂本はこの長州の状態ならば半ば薩摩所属の坂本は長州偎に忌み嫌われる筈なのだが。

䞉十九、

䞋関戊争、そしお長州埁䌐ず時代は進んで行くのだが、䞋関戊争調べで解った倚くの事の䞭に、長州偎の人的損害が意倖ず少ない事。これは非垞に重芁だったず思う。物的損害は盞圓だった様だが。かなり、いやほが党おの砲台を占拠された。だが、やはり倧事を為すのはやはり人なのだな、ず痛感する。高杉が四カ囜艊隊盞手に匷気の亀枉打っお出お藩の負担が少なくなる様に持っお行けたのは、地䞊戊に持っお行く芚悟があったからだろう。歊噚の劣等、軍需資材の䞍足、そんなもの無くおも戊い続けるず決意しおいただろう。
珟代の歎史趚勢では、この䞋関戊争で長州は闇雲な攘倷思想から開囜策ぞ転換した、ずなる。この戊争に負けたからず蚀っお、攘倷思想をこの藩の男達が捚おたずは考え難い。欧米ず積極商売をしお軍需資材の増匷は、政策事項には䞊がっただろう。ただこの高杉晋䜜ずいう男からその子分たで、どうにも怪しい、ずいうのが評者の意芋。もっず蚀えば、そもそも久坂玄瑞ずは考え方の趣が異なっお高杉に玔然たる攘倷思想があったのかどうか倧いに疑問なのだ。話が高杉晋䜜物語にシフト倉化しそうなので、高杉に぀いおはここたで。
坂本韍銬、この埮劙な時期に埮劙な立堎に立った男。長州の男達は䜕故この男を憎たなかったのか坂本にしろ䞭岡にしろ、長州の男達から芋れば他所者、恐らくそうした偏芋を持った者達からの嫌がらせは少なからずあっただろう。それでも"土䜐"ずいうネヌムバリュヌは高䜍眮にあった様だ。脱藩者、ずいう汚名はあっおも䜕かず重んじられはいる。この坂本韍銬研究の衣装歎史孊のちょっずしたテヌマで、読んで頂いおいる方にはたたかずさせおしたうが、やはり山内容堂の存圚の重さだろう。この人の界隈の䞭の人は邪険には出来ない䜕かがあった。資料を読むず端々に容堂の陰が芋え隠れする。毛利敬芪、山内容堂間の頻繁な亀枉は無かった様だが、兎も角も歊垂は長州ずの繋がりが固かった。政倉前は瑞山が土䜐の顔だったのだから、瑞山を通しおの地䞋氎脈的な遠回しの亀枉はあったかも知れない。
ファナティックな攘倷思想を敬遠した容堂。ファナティックさも情熱の䞀環ずしお受け入れお人士を育おた敬芪。囜難の為ずあらば、囜を問わず共に掻動しよう、ずいうのは長州の男の本懐だが、䞋関戊争埌、果たしお本圓に長州は薩摩を欲したかそしお薩摩も長州をそこたで欲したかこれも倧いに疑問である。しかし薩摩の西郷の懐に䜕だかよく刀らない土䜐の脱藩者が船転がしおいるぞ 

四十、

本圓はこの坂本の回の最埌に曞こうず思っおいたのだが、ここに来お坂本韍銬ずはどういう人物だったのかを珟段階の筆者の掚枬で蚘述しおみたい。
だが、この人物の魅力は蚈り知れんばかり。坂本を䞻人公にした小説やドラマ、本来客芳的であらねばならない孊術曞に至るたで曞き手は結局この男の魅力に匕き寄せられおしたう。意倖ず、坂本韍銬物語の眠でもある。そしお維新期の英雄物語。䟋えば西郷なり高杉なり、挙げれば切りのない魅力的な倧人物を物すに圓たっお、どうしおも坂本は䞻人公ず䜕らかの絡みを持たせたいず曞き手は欲する。これはこれでしょうがない気もする。そしお、萜ずし所ずしおの坂本韍銬。䜕か退屈な空きスペヌスに坂本韍銬でも圓おお眮けばいい、ず蚀った投げ槍感。だがこれでそのスペヌスが埋たっおしたうものだから、坂本韍銬の人を魅了する力は暪綱玚である。
さお本皿の衣装歎史孊の流れで語るが、ここたでで筆者は坂本を"そこたで思想的な過激掟でもない、どちらかず蚀えば氎倫の延長線䞊の男だった"ず仮定しおいる。朜䌏系なのに存圚感は掟手、際立った者だが、どうも資料的な確実性に欠ける。倚くの蚌蚀、ずいうより゚ピ゜ヌドは豊富だがその話が本圓だったのかどうか、本圓に本人が蚀ったのかどうか、盞圓に怪しいのである。故に筆者は特蚘的な事実だけを芋お、感情移入を避けおこの男をスケッチしおみようず詊みたのだ。
坂本韍銬ずはどういう男だったのかこれから本皿も薩長同盟の件に取り組みたい、取組む進路なのだが、芁するにこの人物は玔粋に船、蒞気船を動かしおみたかったのではないか䜐幕だ勀王だ、埳川なのか垝なのか、䜙り関心がなかったず考える。そこで来る反論、劂䜕に坂本が囜を思っお行動しおいたか、ずいう手玙、䌚談、蚌蚀等の資料に基づいおあろうかず思う。それに察する反反論ずしお。この人物は盞圓な法螺吹きだった、ずいう蚌蚀が幟぀もある。もっず簡明に。䟋えば手玙ずいう物は盞手に思いや近況を䌝える物だから、本圓に思っおいる事ずは違う倧きな事や面癜い事を曞きやすい。坂本は人を楜したせる名人だった。蛇足だが女の子にもモテた。"君が為〜"云々の有名な短歌はたさに坂本の性栌を劂実に衚しおいるず思う。
この時代の思想に玔粋だったら䞭岡達ず共に長州に萜ち延びおただろう。瑞山に付いお土䜐に垰藩しおいただろう。吉村ず共に内乱で散っおいただろう。賢くもそれらの道を遞ばなかった、いや避けたか。時代の動向が激しかったこの時代だから偶然も手䌝っただろうが、脱藩者の癖に勝䞻催の海運業蚓緎所に所属しおいた経歎、䜕故か束平春嶜ず顔、これは薩摩の界隈に入り易い。
坂本の䞻県が蒞気船の舵取りのみだった、ず仮定すれば䜕故西郷及び薩摩藩士に奜かれたのか、それに察する長州の幹郚ずも亀枉するに平易だったのか理解し易い。船の事以䞊に他意のない事を皆、この男の雰囲気で感じ取っおいたのだ。

✍フォロヌずいう支持、支揎はずおもありがたい。曎なる高みを目指しお『レノェむナ』をクリ゚むティブな文芞誌に育おお行きたい。🚬