🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 七十五

七十五、

坂本ー高杉と比較して、というよりかは類似点の方が多いかな、と。夢一杯の青年。夢、と本人達はそうボヤボヤな解釈はしてなかっただろうが、何かやる事なす事夢一杯である。いや、本人達は絶対そう思っていなかった。

坂本の行動に人は夢を見る
高杉の行動に人は夢を見る

だが他人が膨らませた夢は本人と合致しない。それはこの“衣装歴史学”のテーマでもあるのだが。

という訳で今稿はその夢潰しを。

大上段、初頭で申し訳なく思うが、高杉には恐らく維新回転の思想はなかった。何故そう思うかと言うに、高杉の記録的な足跡を見るにつけ、悪く言って非常にいい加減だからだ。この点は、坂本と比べるより儀助と比べた方が判り良い。

吉田塾の双璧
久坂に高杉

もう有名な吉田塾のキャッチフレーズではある。あるが…

これも有名な句の引用だが、吉田の…

“高杉はもうちょっと勉強しなければ…”

難しく考えなくて良いと思う。

勉強が嫌いだった。

では何故吉田の元にいた?

面白い奴らが沢山いたから。

そして、悪さが好きだった。

有名なのは大使館放火である…

晋作メインで物語を進行すると、首謀者も高杉、実行も高杉と以下舎弟達。

しかし一説で、これは儀助が企んで誘った若い衆の中の高杉、との見方も。恐らく編集柳井もそうだと思う。純粋尊王攘夷思想の急先鋒の儀助が大元と考えた方がしっくりくる。

もっとざっくばらんに…

火を点けてみたかったんだろう。
元も苦もなく…
そして、これは、流石に日本列島が欧米に侵食されていて気に食わないという思いは寧ろ強かった様だから、こんな奴らの宿舎焼いちまえ!ヘッヘッへ!ぐらいかな。

逆手にすると、純粋思想に染まり切れない、結構な賢さがあったとみる。

純粋尊王攘夷思想に染まり切れなかったのはこっちも同様の坂本龍馬。

こいつも…一個の固定した“思想”は不自由だった、とみる。

土佐時代は瑞山グループに入っていたは入っていたらしいが…

龍「おい!アゴ!アゴアゴアゴ!飯食っちゅうか⁈」

武「何じゃあ、アザ!何しに来よった!」

の様な関係だった、と伝わり。付け加えで、瑞山は美丈夫だったがアゴが出ていた、と。一方の坂本は顔がアザだらけだった、と。瑞山グループの集会では、皆瑞山を慕って集まっていた会だった様で、気さくに、いやこう馴れ馴れしくタメ口きく坂本は結構白い目で見られていた、とか。伝わる。

真面目に瑞山の話に耳傾けて聞き入る事などなかったとみるな、これでは。

しかし坂本ー高杉、と吉田の様な先達、瑞山の様な同年代のカリスマ、これらに嫌われる事なく疎まれる事なく、時には離れ時には寄り、随分と自由な立ち回りだ。

吉田は高杉にもっと勉学を、と期待して
瑞山は坂本はありゃ放っちょけ、と

固定化されて生きないこいつらが、日本の国体の変化の礎となった。本人達、望むと望まないと、結果、そうなった。では何の為の自由だったのか?

時代を変えるなんて大層な事は望まない。寧ろ億劫だ。だが変化の時が今ならば、激しいそっちへ行って遊ぼう。

矢張り、類似、似た物同士。こっちへ行ったら面白い、若いまま死んだが二人の早青春期、皆んなと遊んでたら人生こうなった、そういう感じですらある。

ただそういい加減に捉える程、俗物でもなかった。これも共通だが、仕事は上から言われたら嫌がる癖にやらせると並の人間以上の成果を出す、という…西郷もそうなんだが…

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