😊🚬モトイ様、衣装歴史学 其の一、坂本龍馬へのコメント

※この回に頂いたコメントを開いてみてください。感謝の気持ちが絶えないのです。モトイさんありがとう。

二十九、

坂本、勝、の関係性を衣装歴史学的に検証したい。現時点まででしつこく批評的に進めているが、この坂本、勝の何と言うか英雄伝的なエピソードを剥がしたい。まず第一に挙がるのは、坂本、勝の初対面。ここから、この二者の繋がりの強い師弟関係が始まる。その語り口は殆ど活劇で、例えば歴史学への誘いとして児童向けに読んで貰う意図があったり、歴史愛好家の読書家を楽しませる意図がある。まあ、有名な台詞がこの初対面で幾つも生まれている。軽く下記に列挙する。
『勝を斬る!』
『あんたら、攘夷攘夷と言うがねぇ…』
『世界は今、こう動いている』
『敵う訳ねぇじゃねぇか』
『勝先生!アシを弟子にして下さい!』等
こう書くだけで、結構ワクワクする感覚がある。つまり坂本の物語に入り易い。これを少し腑分けする。
最初に、何故坂本は勝に面会出来たのか?もうこの時点でかなり闇なのだ。そして資料らしい資料もない。故に数説ある、というより説を生産するしか物語の紡ぎ様がなくなる。ただ極論としては解らない、解っていないと断定した方が正しい。千葉道場の子息が同伴していた、というのは解っている。それ以上はない。
つまり坂本が何の意図があって、どういう訳で幕府の要職者と面会出来たのかは全く不明なのだ。上記に挙げた活劇調の出所は…と言って、勝の回顧録『氷川清談』が挙がるが、この回顧録も相当に編集者のアレンジが効いてしまっているので、当てにならない様だ。曰く、
『坂本は俺を斬りに来たんだよ』
という勝の回顧。だがこれ勝は一体どこまでこの土佐の一青年の事を覚えていたのだろう。恐らく、殆ど憶えてはいなかっただろう。勝の多忙さ、人と会う機会が尋常ではなく多く、時代の移行の目まぐるしさ、等を考慮に入れれば、想像するに容易い。ただもし上の言葉を勝が言っていたとしたら、面白い例話がある。実はこれ、板垣退助と中岡慎太郎の間ではあった話なのだ。板垣、中岡の初対面で中岡が板垣の牽制球的な問い掛けに中岡が『実はおんしを斬りに来た』…これは板垣の回顧なので、証拠証言的にやや固い。そこから類推、延長すると、勝は『氷川清談』インタビュー時に坂本龍馬、と問われて記憶に薄い…土佐の輩か…よし、あの話をするか!と若干悪いノリと機転で答えた…これも飽くまで推測である。
伝記小説な類推はここまでにして、確実である事が判っているのは、対面後坂本は坂本らしい言い方で『アシは勝安房守様の弟子にして貰いました。エヘン、エヘン』と故郷の姉に報告手紙を宛てている。この『弟子』という言い方にも大変疑問を感じるが、勝のこの時の職務上での課題に海運技術者操練所の人員確保が優先事項であった。故に一人でも元気のある(多少素性が不明でも)男を押さえたかった筈。故に弟子というよりも一水夫として雇ったニュアンスだったのでは…
蛇足としては、両者共に法螺吹き、要するに冗談好き、話を面白くする性格だったのは疑い様がないぐらい人々が証言しているので、後世の我々が正確に歴史を追うならば、この二人に纏わる大いに面白い話にも留意して進めなければならない。

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