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📜衣装歎史孊 其の䞀、坂本韍銬 䞀〜五十たで

衣装歎史孊 其の䞀、坂本韍銬



䞀、坂本の物語の最も䞍可解な点はその行動範囲ず自由さだ。そしおその掻動資金。


二、衣装歎史孊坂本韍銬 2 、英雄的な人物を語る時、党く別の人間の業瞟が英雄の物に転嫁される事は倚い。この論考の坂本の章の䞭で泚意したい人物がいる。山内容堂だ。


䞉、坂本韍銬結論を先に開瀺するず、坂本は最初から終わりたで公歊合䜓の掻動で通しおいる。それは藩䞻の山内容堂の政治姿勢ず䞀臎しおいる。故に坂本は尊皇攘倷の志士ではない。土䜐藩を優䜍にする地䞋掻動を行っおいる。


四、坂本韍銬山内容堂ずの盎接な関わりは殆ど語られないが、土䜐藩の海運、海軍の増匷、躍進に力を泚いだ共通点は芋逃せない。語られおいる坂本䌝は、容堂を倖す。


五、坂本韍銬坂本䌝の脱藩時の動きは奇劙な件が盞圓倚い。しかし容堂ずいう人を坂本像に重ねるず氷解する。䟋えば坂本の人脈ず蚀えば束平春嶜だが、これは容堂ず指針を共にする友人。坂本が容堂の䜕らかの物を携えおいたず仮定すれば、単身春嶜に謁芋出来た事は理解するに容易い。


六、坂本韍銬脱藩時の動きは坂本䌝では陞路を取っおる様な空気が濃厚だが、これは海路を取ったのではないか陞路では幟぀もの藩の関所を越えなければならない。幟倚の獣道を遞んで越前に向かったのか疑問だ。廻船に乗り越前、江戞ぞず移動したず考えれば、これも理解が容易になる。


䞃、坂本韍銬坂本、ず来れば勝は䜕より先に䞊がるが、勝の立堎から芋るず坂本は航海術蚓緎生数十人の䞭の䞀人。そしお勝は尋垞ならざる倚忙な男だった。航海塟閉鎖埌は、二人の掻動は接点が取れない皋別だ。然皋、密な垫匟はなかったず芋る。


八、坂本韍銬坂本が勝の元に所属した、坂本䌝では有名な匟子入り話から暖かい垫匟関係で語られおるが、ここでは二石投じる。①脱藩しお食い詰め者だった為、手っ取り早く人員募集の航海術蚓緎所に入隊した。


九、坂本韍銬②䜕らかの意図があっお勝の元に盎接向かった。䜕らかの正䜓はやはり山内容堂。政治䞊の同士である島接斉圬、束平春嶜、䌊達宗城共に江戞埳川の膝元の勝安房ずいう人材に着目しおいた。容堂は土䜐の人間を埳川基金による海運蚓緎所に倚く投入したかった。


十、坂本韍銬幕府の基金に寄る航海術蚓緎所で孊んだ若者達に、䜕れは土䜐藩で海運・海軍を担っお欲しいず容堂が考えおいたずすれば、これは為政者ずしお本道。埌䞖の我々が容堂の理解を惑わせる原因は以䞋。

①土䜐勀王党の粛正

②䞖評『酔えば勀王、芚めれば䜐幕』

③晩幎の遊蕩


十䞀、坂本韍銬遡るが、坂本䌝で幟぀もある華やかな出来事で、青幎期の江戞ぞの留孊(剣術修行)。これは䜕故次男である坂本が行けたのかこれは家の意向があったのではかなり裕犏な商家だった坂本の家は、江戞に支店を出店したかった、ず。坂本を江戞に慣れさせ、支店長にするず。

十二、

ここで少しだけ坂本から離れお、山内容堂を批評する。前に挙げた䞉぀の容堂の評䟡の項目の内、先ず

『酔えば勀王、芚めれば䜐幕』

ずいう䞖評。幕末期の人々に取っおは、容堂の政治的蚀動は歯痒い物だった。しかし容堂は盞圓難しい立ち䜍眮を取っおいた。早く亡くなった埳川政暩の䞻導者阿郚正匘の路線を継ぐ圢を遞んだ。胜力の高い者の採甚、若い力の育成、それず同時に公歊合䜓ずいう圢での日本の再統合。酔えば ず導入句がからかいで先に付いおいるのは、無類の酒奜きが所以。容堂を俯瞰的に芋るず、倧きく揺れ動く思想的察立の䞭、藩政や䞭倮政局の動きを鑑み、バランスを取っお行こうずいう努力が盞圓に芋られる。

十䞉、

この吉田東掋を新政策を掚進する為に採甚した事も、思い切った政治的意志であり行動だった事だ。知性面ではある皋床名を確立しおいた東掋だが、人間性の面で難が倚く、酒が入るず粗暎で䜿甚人も殺し、喧嘩沙汰も絶えない。そしお政治的地盀・コネクションも殆ど持っおなかった。容堂はこの東掋に賭けおいた。東掋を面癜く思わないのは、開明掟に察する䞀掟だから守旧掟や嫉劬に駆られた土䜐藩政暩内の圹職者。もっず突っ蟌むず、容堂自信にも反容堂が倚数いた。容堂が藩政に携われる迄に耇雑に入り組んだ問題が倚々あった。
そうした盞圓難しい困難を乗り越えた䞊での容堂の新政暩だった。

十四、

埌暗殺される東掋だが、生前は過激掟の若者、特に板垣退助、歊垂瑞山らず面ず向かっお話をしおいた。この行動から吉田東掋は人ず倚く察話をしようず心掛ける人間だったず刀断出来る。幎霢的にも名声的にも優䜍な人間が若者ず話をしおいた点は、東掋の心に暖かい物があった事は必然である。付け加えお残念な事は、板垣はどうやら東掋が嫌いだったらしく、自分の元で勉孊をしないかずいう誘いを無䞋に断った。瑞山ずの察談も平行線だった。しかし瑞山も䞭々の人物だったず芋お、互いに"東掋殿のお心も察したすが "、ずか"歊垂君の立堎や思いも刀る、しかしながら "ずいうやり取りだった様だ。぀たりフェアなディベヌトを出来おいた。この瑞山が埌の東掋暗殺の銖謀者ずなるが、曎にこの点を研究する。

十五、

歊垂瑞山ず山内容堂、吉田東掋。耇雑な間柄だった。幕末期に日和芋を決め蟌んで動かなかった藩は幟らでもあった。客芳的に資料を芋るず、政倉前の容堂は尊皇掟、過激掟を無闇に取り締たる事はしなかった。掻動家瑞山を育おたのは容堂でもある節がある。珟代の通説ずしお圓時脱藩者は重眪だった、ずいうが非垞に疑わしい。重眪な割に藩を出お政治掻動に邁進する若者が土䜐に限らず党藩、かなりの数だ。藩䞻及び藩の芁職者から芋お、藩倖で地䞋掻動をする人材が盞圓数必芁だったず掚枬する。埳川の時代がもうすぐ終わり、党く未知の新しい時代に向けた動きに適応しおいかねばならない、容堂、東掋、瑞山、皆そう切実に考えお生きおいた。

十六、

どうにも薩摩、長州の勀王運動に遅れお動いおいた感の吊めない土䜐藩。瑞山ずいう人間は若き指導者ずしお倚面的だった。誰しも思う事だが、薩摩、長州に远い付く事が目的ではなかったはず。薩摩、長州を远い越し次の時代のリヌダヌシップを土䜐藩が採っおいく事が最倧の悲願だったろう。そこに土䜐藩内の政暩争いも絡んで行く。田䞭光顕等の圓時の土䜐藩の実際話ずしお、吉田東掋の暗殺は東掋の政敵による謀だったずいうのが通説だったずいう。珟代の通説では、東掋の暗殺は瑞山銖謀だずいう事で通っおいる。これは幕末史を考えお行く䞊で重芁で有意矩である。もっず蚀えば、珟代の我々は次の䞖代の幕末史に関心を深める子䟛達の為に、この圓時の土䜐藩の闇を明らかにしお行かねばならない。

十䞃、

土䜐藩吉田東掋を暗殺した者は特定出来おいる。圌らは瑞山の元に集たっおいた勀王過激掟だった。しかし東掋を暗殺した䞻犯は政治的反東掋の者だろう、ず誰しも勘づいおいた。東掋は公歊合䜓掚進の持論の持ち䞻。藩䞻容堂ず方向性を同じくする。では䞻犯ずされる者達は玔粋に勀王の思想の持ち䞻達だったのか非垞に疑わしい。東掋䞻導で藩政が動いお行くのが面癜くなかった、いや䞍利益だった、それが殺意にたで䞊昇しおいたのだろう。末端の過激掟は過激掟だけに公歊合䜓ずいう考え方自䜓が気に食わない、故に䞻犯達ず同様殺意にたで䞊昇しおいた。田䞭光顕の回顧では、瑞山はそんな熱狂状態の若者をたあたあず宥めおいたずいう。珟代、瑞山が暗殺事件の銖謀者ずされおいる原因、これは瑞山が䞀぀の団䜓぀たり土䜐勀王党の責任者ずしお責任を負ったからだ。反東掋の人間ずの裏取匕があったか、どうか瑞山の出䞖を逌にした極秘亀枉はあっただろう。しかし線者は、これは瑞山を通さず䞻犯者が焚き付け実行者が先走ったず掚枬する。

十八、

吉田東掋暗殺埌の歊垂瑞山の出䞖はめざたしい。これも䞀芋䞍思議な流れで、山内容堂は右腕の東掋を暗殺されたので藩政の䞻導暩は反東掋、容堂から移っおしたった蚳ではないだろう。しかし容堂が実質䞊倱暩したず仮定しお瑞山が東掋に取っお倉わる様に躍進したずするず、この事件の埌もっず混迷しお行った日本党囜レベルでの政治闘争の䞭で䜕故土䜐の容堂がその存圚を瀺し続ける事が出来たのかが刀らなくなる。故に、こう理解したい。容堂自身がやはり盞圓倉わった思考の持ち䞻で、吉田東掋の殺害埌は考えを早々ず切り替えお歊垂瑞山に藩際的な䞭倮政暩の䞻導暩争いの担い手ずしお暩限を任せた。若しくは、東掋生前時から思考は良い物を持っおいたずしおも品行の良くなかった東掋を芋限っおいた。蛇足、容堂も酒豪で東掋及び臣䞋参列の酒垭は郜床あったろう。倧䜓、酒の癖ずいう物は隠しきれる物ではない。頭の切れる容堂が東掋の本性を感づかない筈がない。

十九、

吉田東掋暗殺埌の歊垂瑞山の出䞖ず掻躍は目芚たしい。だがこの出䞖ず掻躍は血塗られた功名だったのは間違いがない。容堂の重臣の東掋殺害事件で反東掋掟の埌ろ楯を埗お、䜕せ人を殺しおいるものだから容堂すら䞋手に刺激出来ない。そしお京郜での地䞋掻動。この時期の京郜での芁人殺害事件の倚さは異垞で資料を調べるのも目を芆う。ただ瑞山を匁護すれば、京郜での激しい血颚事件は、党お朝廷内の朝臣が銖謀者だったろう。坂本の物語、維新期の英雄物語等でほが觊れられないが、この点こそ深堀した方が良い。玔粋な思想掻動のみで語られるのは矎しいしロマンチックだが、実際の京郜は朝臣達の黒い出䞖欲ず保身、暩益欲の䞖界だっただろう。瑞山のみならず長州、薩摩、これらの藩士も同様に、劂䜕に倩皇に近い朝臣ず結び付くかに賭けお呜を燃やしおいた。この政治的営業レヌスで最終的に䞀等を取るのが、薩摩の倧久保ずなる。

二十、

薩摩、長州に远い付けず土䜐藩諞志は死力を尜くしおいた。だが、時代の倉化は目たぐるしかった。"酔えば勀王、芚めればは䜐幕"ず揶揄された藩䞻容堂だが、時代が倉化の急激な時代だったので、評者ずしおは然もありなん、共感及び同情する。反幕勀王の旗頭であった長州が政争に敗れ䞋掛するず、長州ず呌応を取り合っおいた土䜐勀王党䞻流掟の立堎がなくなった。䞊り竜だった瑞山にも倱墜の時が蚪れる。ここで抌さえたいのは、同郷の仲間及び瑞山を心配した芁人達は瑞山の垰郷、藩什ずしおの呌び戻しを拒吊する様に勧めおいた。誰しもが瑞山が垰藩したならば盎ちに凊分される事を案じおいた。瑞山本人も。即ち、死眪凊分芚悟での土䜐垰藩だった。䜕故か䞭岡慎倪郎は垰らなかった。瑞山が垰藩したのは土䜐藩内の同士達を守る為だっただろう。責任者、䞭心人物が行方をくらたしたらば残された同士達に远及が行く。しかし自らが戻れば守れる同士がいた。䜐幕だ勀王だ、もっずそれ以前それ以䞊の問題で逃げずに垰った。そういう人間だったから、自らの思想、行動を共にしおくれる仲間達が集たったのだ。蛇足ずしお、板垣退助も土䜐勀王党発足時に名を連ねおいる。

二十䞀、

土䜐藩の勀王党の粛枅。これがどうもたた奇劙で考え蟌んでしたう。容堂の過激掟憎悪で始たったずは考え難い。政局に敏感だった容堂にしおは、断眪の仕方が激しい。違和感の䞀぀、瑞山捕瞛埌の裁定期間がかなり長い。䞀幎以䞊は蚊問しおいる。捕捉ずしお瑞山は特別扱いで拷問にはかけられなかった。この裁定期間の劙な長さに、評者は容堂による過激掟凊分の匕き延ばし策があったのではないかず掚枬する。この時期の政局の政倉は目たぐるしく、冷静な政治的勘があれば瑞山を凊分する事は党く埗策ではない。切れ者だった容堂だから早い凊断をしなかった、ず芋る。䜕せ、この数幎前には安政の倧獄、桜田門の倉ず続けざたに起こっおいたのだ。極端過ぎるから比べるのは䞍向きであるが、安政の倧獄時の井䌊盎匌の凊断は狂気的だった。捕瞛埌即死眪。これに比べおの土䜐勀王党粛枅は盞圓な時間猶予を取っおいる。問題の栞心、䜕故容堂は瑞山の死眪に螏み切ったのか。もう少し着地点を螏み固めたい。
蛇足井䌊盎匌の安政の倧獄、桜田門の凶事も語りたい物だ。

二十二、

瑞山、容堂垰藩。少し経ち瑞山の捕瞛。京郜の政倉の埌に、どうやらお膝元の土䜐でも過激掟の乱があった。この過激掟の䞀味に察しおは厳眰で臚んだ。容堂ずいう人をどう捉えるかでこの粛枅劇に察する解釈も倧分倉わっおしたう。瑞山ぞの拷問は殆ど無かった。ただしその袖の者ぞの拷問はあった。しかし圓初の拷問は緩かった様だ。この点に留意。捕瞛圓初の蚊問取り調べの䞭に、板垣を初め土䜐勀王党シンパの者が配眮された。これは容堂の目論芋か敢えお板垣蟺りを取り調べる偎にさせお、板垣達を藩内の政敵から守ろうずしたか及び、瑞山ぞの远及も板垣達なら緩和させられる。ただ真っ盎ぐな板垣は盎ぐに職を蟞しお江戞に払われおいる。捉え方なのだが、随分容堂は容堂なりに時間を皌ごうずした、ず芋る。板垣退任埌、埌藀象二郎が就くが、これは思想云々よりも物事をがかすのに長けた者だったから最適ではあった。もしも長州が埩調したらば盎ぐに瑞山を解攟し䞭倮の政治的動向に圓たらせる。芋萜ずせない事ずしお、朝廷からの瑞山远及が厳しかった様だ。長州党盛の時に苊枋した朝臣達。幕府寄りの臣達の怒り。䞍可解な芁人暗殺事件の数々。瑞山の䞀味を叩き党おを明らかにせよ。出来埗る限りしらを切っお時勢が倉わるのを埅ちたかった。そんな時に䜕凊からずもなく土䜐に捕瞛連行されお来た男がいた。岡田以蔵だった。

二十䞉、

岡田以蔵に぀いお。岡田の土䜐連行がなければ瑞山䞀党の粛枅はもっず延長出来た事は確実。岡田の自癜でかなりの郚分の土䜐藩士の京郜での地䞋掻動が割れおしたった。しかし、歎史ドラマや坂本韍銬の物語で語られるよりも遥かにこの岡田の土䜐連行事件は偶然だった。神の悪戯ず蚀っおもよい。
岡田以蔵ずいう人間は、少々埮劙な蚀い方になっおしたうが、花圢のヒットマンずしお京郜で持お囃された、぀たり倧衆からの人気があった。ずいうのも岡田が殺したず目される芁人達が時代劇に出お来るの悪人䞊みの者達だった様だ。かなり京郜の庶民を苛め回っお暎利を貪っおいた為、これらを殺したず噂される岡田は正矩の味方、矩賊の様に取られた気配がある。勀王の志士぀たり政治的掻動家ずは毛䞊みが異なり、どうも芁人護衛、ボディヌガヌドが本職だった様だ。
少し逞れるが、この歎史衣装孊を始めお歎史䞊の人物の虚食性を剥ぐ様に歎史を勉匷しおいるのだが、この岡田以蔵の様な人物は正に打っお぀けで、調べようずしおも殆ど蚘録らしい蚘録がない。぀たり䌝えられおいる岡田像が倧郚分は䜜家や歎史奜きの創䜜物である事が理解出来る。
岡田の人間性を最も埌䞖に䌝えおいるのが、勝海舟護衛時の暗殺未遂事件。これを詳しく語るのは埌の機䌚に。珟時点で曞き䌝える事は、この事件埌、岡田は出奔しおしたった。完党に行方䞍明である。その意図も䞍明。この埌どこで䜕をしおいたのか、远いようがない。京郜での政倉、長州の政治的没萜、長州寄りの掻動家の粛枅、そういった政治䞊の動きずは党く関係なく町のどこかで庶民に暎行を働き捕たった。この暎挢をよくよく調べおみたらばあの岡田以蔵だったらしい。
この取るに足りない偶然が、瑞山及び土䜐藩の運呜を䞀気に䞋り坂に傟けた。党くもっお、真実は小説よりも奇なり。

二十四、

土䜐勀王党ぞの凊眰は岡田の捕瞛連行で䞀気に加速した様だ。京郜での地䞋掻動のみならず東掋暗殺事件にたで勀王党の䞍可解な行動に取り調べも加わった。拷問に耐えられなかった岡田も岡田だが、やはりこれは政治䞊の案件。誰かがのし䞊がれば、䞀方からは殺意すら抱かれる。しかし瑞山もどういう圢であったかは倚様に掚枬出来るが、銖謀者ずしお件の責任を持ったのは、事実だった。
容堂の心理だが、いや容堂に限らず土䜐藩ずしおは瑞山ずは今埌も利甚䟡倀倧ずしお考えられ埗る存圚だった事はかなり固いのだが、物事を䌏せようにも暈そうにも肝心の取り調べで積極的に自癜する者が出お来おしたったら、しらばっくれない。぀たり取り調べは自動的に進行を速めるしかなくなる。ある芋方では、板垣は運が良かった。䞍運が回っお来おしたったのは、容堂である。
瑞山以䞋の土䜐藩士の地䞋掻動ぞの远及を土䜐藩に匷く芁望しおいたのは、どうも幕府より朝廷だった様だ。瑞山捕瞛埌半幎以降、なだらかに取り調べを進めおいた藩に厳しい催促が朝廷からあった様だ。岡田の捕瞛ずいう運呜の悪戯も絶劙に圓たっお、暈し蟛い、寧ろ容堂及び土䜐藩党䜓ずしおの責任問題に事案が膚らんだ。
かなり誀解のされる容堂だが、敢えおこの衣装歎史孊ではこう蚀う。人䞀倍面倒芋の良い藩䞻だった容堂にも限界が来おしたったのだ。

二十五、

結局、瑞山の死眪は容堂の盎䞋の呜什で決断された。䞀幎以䞊はみた様だが、盞圓な苊しい決断だった筈だ。しかしこの土䜐勀王党の粛枅は未来の我々から远うず、劂䜕にも若い過激掟に苛立っおいた容堂が藩内のそうした分子を䞀掃したかの様に捉えおしたい易い。歎史孊の眠だず思う。瑞山ぞの远及は殆どなかった。瑞山以䞋の者ぞの拷問は圓初はそこたで過酷なものでもなかった。岡田捕瞛連行埌、拷問は重くなっお行った様だが、捕瞛圓初の岡田の自癜は臎呜的であったものの埌半からの自癜の件数は枛っお行った。岡田は恐らく、そもそもの自癜するネタがなくなった。数ある䞍可解な殺人事件の実行犯ず目されおはいたが、指瀺の内容たでは岡田に呚知されおいなかった様だ。぀たり岡田捕瞛及び自癜埌は他の者をより締め䞊げるしかなくなった。しかし進展はしなかったのだろう。
業を煮やした、これは二通りあった。本圓に業を煮やしおいたのは、朝廷の嫌土䜐藩の朝臣だった。そこからの远及に耐えられなくなった容堂。盎什で瑞山の死眪を決定した。か぀お政敵であった井䌊盎匌ず同皋床のこの呜什、粛枅劇など行いたくなかった筈だ。容堂の心に螏み蟌もう。どうせ朝廷からの远及で瑞山をこれ以䞊守れないのならば、自分が瑞山に匕導を枡しおやろう、ず。この最埌の容堂の決定は頑なだったらしいので、䜙皋の意志、芚悟があった筈だ。埌䞖の我々はこの蟺もう少し汲む必芁がある。
殊に明治の埡䞀新、容堂は事ある毎にこの粛枅劇の非぀いお問われおいた。ずいうのが、䞀新埌の囜の舵取りを担っおいたのは反幕運動の䞻導者達で、瑞山は同時期に考えを同じくしおいた他藩の重芁人物、容堂が行った粛枅は同士を斬った事に近い感情だっただろう。䜕故の問いに容堂は口重たく、藩の芏定に則したたでずの答えを溢すたでだった。それ以䞊以䞋の返答もなく。

二十六、

容堂察土䜐勀王党の抜き差しならぬ察立を思わせおしたう最倧の芁因は、瑞山のその死に際に起因する。切腹の際に最も困難ずされた方法の内、䞉文字に腹を裂く方を取った。ここたでやれば、切腹の儀匏の域を越えお憀死である。誰しもこの報を聞けば、瑞山劂䜕に悔しかったか、ず深くその志を慮るがここでは敢えお別芋地を提瀺したい。
瑞山は志を達成出来なかった悔しさ、憀りを蟌めおこれを遞んだのかもっず少幎的、男児的に"どうせ死ぬなら掟手に死んでやる"ずいった気抂だったのではないか
瑞山の抱えおいた問題はどれも䞀筋瞄ではいかない皮の物であったし、その抱えおいた問題の殆どが瑞山の本意でない、朝臣の意向、長州の意向、薩摩の意向、土䜐藩の意向、それらがごちゃ混ぜに入り組んだ代物、いや䞋手物だったろう。瑞山の本圓の志は、恐らくただ玔粋に新時代の日本の建築、建お盎し、その䞀点だけだったのではもっず極限に玔粋で、朝廷も雄藩も、そしお膝元の土䜐藩すらも、その志ず理想の内には入っおいなかったのでは
故に怚み蟛みでこの憀死を遞んだ様に思えないのだ。ただただ、自分の死に際だけは掟手に芋せ付けお死にたかった。我慢の倚い人生ず掻動だった。その䞭には殆ど自分の意向が達成された事もなかった。藩内で異䟋の出䞖は遂げられた。圓時の政局で土䜐に歊内ありずたで名声を取った。しかし日本がこうたで疲匊しきっお囜家ずしおの䜓裁を保おないのであれば、䜕の為の掻動か 今は数幟倚の陰謀、暗殺の件の嫌疑が自分に掛かっおいる、自分の志を同じくした仲間達に掛かっおいる 今この囜を指導しおいる芁職者達の䜕ず心のコマい事かのうあしが男っちうもんの死に様を教えちゃるき ぐらいに男の子ずしお死にたかったのでは 
その真意は刀らない。䞊は党お自分の空想。ただこの土䜐勀王党粛枅劇に䞀石投じたかった。以䞋、曎に蛇足。

、岡田も凊刑されるが時䞖の句を読むず、満曎文劄でもない。自分の闇の掻動は党お囜の為、ずいうよりは土䜐藩の為のものだったず刀る句を残しおいる。䜙り難しい政治的思想は刀らないが、自分は腕力でしか人に貢献出来なかった、でも党お無駄に終わったな ずいう慚嘆の句である。

、瑞山及び勀王党の幹郚の粛枅埌は、板垣が藩内の勀王党の有志達を匕き受ける。調べるず、どちらかず蚀えば瑞山より板垣の方が危なっかしい性栌をしおいるが、もうここたで来るず運の持ち様ずしか蚀い様がない。瑞山は運が悪かった。板垣は運が良かった。埌の薩摩を䞭心にした倧いなる倒幕戊争に土䜐藩も䞀翌を担うが、瑞山死埌も藩士が志を倱わず掻動を維持出来たのは板垣の存圚なくしお有り埗なかっただろう。

二十䞃、

土䜐勀王党の粛枅事件に倧分時間を割いおしたった。本来は山内容堂の人物像を探るタヌムであるので、テヌマに戻る。
最埌の䞉番目の、容堂が悪印象を受ける理由に晩幎の乱行がある。しかしこの的に眮いおは、匁護をしようがないのかも知れない。そもそもが、容堂は栌䞋の人間に察しお粗暎な面もあった。だが、数件ある乱暎な蚀行に眮いお、藩士に察する件は土䜐勀王党及び党内の最前衛の過激掟の反乱に察する物、しかもそれは領䞻ずしおの責務ずしお眰した、ずいう公的な䞀面で行ったのであり、粗野ずいうかは責任の間の苊枋が読めお取れる。調べおいる内に評者は、これはある意味、昔のガキ倧将的だなず感じた。簡単に蚀えば、自分の瞄匵りの者は倧事にするが䜙所者に察しおは喧嘩腰で察する、぀たりナメられない様に剣幕を匵っおいた、ず。
では埡䞀新埌の乱行はず問われるず、身も蓋もない。䜕でもかなりの数の愛人を䟍らせお、酒の沌に深く深く朜り蟌んでいた。身も蓋もない、だが人情の面で容堂を芋おみる。維新埌の容堂は、薩摩を䞭心ずした次䞖代の人間達が執政を采配し、容堂の様な旧領䞻は埐々に政局から倖されお行った。決定的だったのは廃藩眮県だろう。身分的な保蚌以倖の党おを倱った。これは鬱屈する。酒、女の道に耜っお行った事、これは評者個人の感興だが深く同情する。新しい時代に賭けお動かしお行った重鎮だが、時代の速床が速過ぎた。
土䜐藩の䞻䜓性は、䜕だったのだろうか維新の倧きなうねりの䞭で、土䜐の志士達は䜕を残し埗たのだろうか容堂が晩幎にかくも荒れたのは、目的も理想も達成されなかったからだろうその酔った県に新時代はどう映っおいたのかあんなにも倚くの若者が呜を散らした。自分の"子分"達

生き長らえおいたくなかったのかも知れない。"酔えば勀王、芚めれば巊幕"。そんな自嘲を本人も酔った半ばでがやいおいたかも知れない。新しい時代は、党く違う人間達の手で䜜られ匕率されお行った。"子分"達も新しさの流れで豹倉しお、党く新しい人間になっお行った。早うあの䞖で正匘公、斉圬公ずでも盃を酌み亀わし、屈蚗なく笑い合いたいき 
容堂を調べ終わり、享幎を芋るず驚く皋若かった。

二十八、

坂本韍銬をテヌマずしお進めおいるのだが、倧分山内容堂の人物像に぀いお深入りした。ずいうのが、ざっくばらんにどうも山内容堂抜きにはこの時代の坂本始め土䜐藩士達の動きの根元が芋えないず螏んだからだ。そしお穿っお芋お、坂本の動きず容堂の意向は笊号するのでこれはよもや ず蚀う蚳だ。
そしお坂本の動きに話を戻す。
坂本ず蚀えば、勝ず来る。最早垞識レベルにさえなっおいる。しかしこの衣装歎史孊ではその俗説を疑う。坂本の物語では、垫匟の絆の深い間柄ずしお展開しお行く。ただ前に述べた様に、勝から芋た坂本は倚くの航海術蚓緎生の䞭の䞀人で、然皋密接だったず考えられない。もし坂本ず勝が昵懇だったならば、倚くの坂本から勝宛おの手玙が残っおいる筈だ。歎史孊では手玙の内容の真停はさおおいお、手玙の宛おられた期日、送った堎所等に重きが眮かれる。それが殆どない。
そしお坂本ず勝が航海塟で同じ所圚に圚った期間ず蚀うのは盞圓に短い。曎に、勝ずいう男は調べれば調べる皋プラむベヌトの時間が取れないぐらい倚忙な者だった事が分かる。
それに比しお、なのだが実の所坂本韍銬ずいう男には資料が少ない。坂本が魅力溢れる男ずしお描かれるのは、"蚘録の人"ではなく"蚘憶の人"だからだ。坂本に関する思い出話は、盞圓にある。付き合った女性達に京郜の宿の子䟛達、そしお維新の荒波を乗り越えお生き残った男達。皆、坂本ぞの奜悪は別ずしおも生前の坂本を生き生きず語る。それを曎に近珟代の䜜家達が空想膚らたせお倧いに腕を振るう。
坂本の物語を魅力的に語るならば、勝ずの関係は深めに曞いた方が人を惹き付けられるが、これがここたでステレオタむプになっおしたっおは面癜くなかろう。真の坂本、坂本韍銬の圱を評者は远求したい。

二十九、

坂本、勝、の関係性を衣装歎史孊的に怜蚌したい。珟時点たででし぀こく批評的に進めおいるが、この坂本、勝の䜕ず蚀うか英雄䌝的な゚ピ゜ヌドを剥がしたい。たず第䞀に挙がるのは、坂本、勝の初察面。ここから、この二者の繋がりの匷い垫匟関係が始たる。その語り口は殆ど掻劇で、䟋えば歎史孊ぞの誘いずしお児童向けに読んで貰う意図があったり、歎史愛奜家の読曞家を楜したせる意図がある。たあ、有名な台詞がこの初察面で幟぀も生たれおいる。軜く䞋蚘に列挙する。
『勝を斬る』
『あんたら、攘倷攘倷ず蚀うがねぇ 』
『䞖界は今、こう動いおいる』
『敵う蚳ねぇじゃねぇか』
『勝先生アシを匟子にしお䞋さい』等
こう曞くだけで、結構ワクワクする感芚がある。぀たり坂本の物語に入り易い。これを少し腑分けする。
最初に、䜕故坂本は勝に面䌚出来たのかもうこの時点でかなり闇なのだ。そしお資料らしい資料もない。故に数説ある、ずいうより説を生産するしか物語の玡ぎ様がなくなる。ただ極論ずしおは解らない、解っおいないず断定した方が正しい。千葉道堎の子息が同䌎しおいた、ずいうのは解っおいる。それ以䞊はない。
぀たり坂本が䜕の意図があっお、どういう蚳で幕府の芁職者ず面䌚出来たのかは党く䞍明なのだ。䞊蚘に挙げた掻劇調の出所は ず蚀っお、勝の回顧録『氷川枅談』が挙がるが、この回顧録も盞圓に線集者のアレンゞが効いおしたっおいるので、圓おにならない様だ。曰く、
『坂本は俺を斬りに来たんだよ』
ずいう勝の回顧。だがこれ勝は䞀䜓どこたでこの土䜐の䞀青幎の事を芚えおいたのだろう。恐らく、殆ど憶えおはいなかっただろう。勝の倚忙さ、人ず䌚う機䌚が尋垞ではなく倚く、時代の移行の目たぐるしさ、等を考慮に入れれば、想像するに容易い。ただもし䞊の蚀葉を勝が蚀っおいたずしたら、面癜い䟋話がある。実はこれ、板垣退助ず䞭岡慎倪郎の間ではあった話なのだ。板垣、䞭岡の初察面で䞭岡が板垣の牜制球的な問い掛けに䞭岡が『実はおんしを斬りに来た』 これは板垣の回顧なので、蚌拠蚌蚀的にやや固い。そこから類掚、延長するず、勝は『氷川枅談』むンタビュヌ時に坂本韍銬、ず問われお蚘憶に薄い 土䜐の茩か よし、あの話をするかず若干悪いノリず機転で答えた これも飜くたで掚枬である。
䌝蚘小説な類掚はここたでにしお、確実である事が刀っおいるのは、察面埌坂本は坂本らしい蚀い方で『アシは勝安房守様の匟子にしお貰いたした。゚ヘン、゚ヘン』ず故郷の姉に報告手玙を宛おおいる。この『匟子』ずいう蚀い方にも倧倉疑問を感じるが、勝のこの時の職務䞊での課題に海運技術者操緎所の人員確保が優先事項であった。故に䞀人でも元気のある倚少玠性が䞍明でも男を抌さえたかった筈。故に匟子ずいうよりも䞀氎倫ずしお雇ったニュアンスだったのでは 
蛇足ずしおは、䞡者共に法螺吹き、芁するに冗談奜き、話を面癜くする性栌だったのは疑い様がないぐらい人々が蚌蚀しおいるので、埌䞖の我々が正確に歎史を远うならば、この二人に纏わる倧いに面癜い話にも留意しお進めなければならない。

䞉十、

勝、坂本間の垫匟関係期の゚ピ゜ヌドで最たる物は、坂本が䜓の空いおる岡田以蔵を呌んで勝の身蟺譊護に圓たらせた件、そしお勝暗殺犯を斬り远い返した゚ピ゜ヌド。これを今回怜蚌する。
勝の埡䞀新埌幟幎を経おの回想で、圓時岡田に救われた事は鮮明だった様だ。寧ろ、坂本の蚘憶よりも岡田の蚘憶の方が匷かった様に感じる。犯人を斬り倒した埌の勝、岡田の蚀葉の遣り取りもほが実話だろう。劂䜕に冗談や法螺の奜きな勝でも、呜を救われた事に察しお乗せたり盛ったりする事が考え難い。
䜕故坂本が岡田を呌んだ、ずいう話になったのかず問い暫く考えれば盎ぐ答えが出る。䜕故岡田が勝を譊護しおいたのかの確たる資料、指瀺曞の様な物が党くないからだ。故に埌䞖の我々は岡田、土䜐、ず来お坂本、ず短絡しお結び付け易い。
衣装歎史孊的芋地での掚枬。この圓時で岡田を動かせる人物ずしお考えられるのは歊垂瑞山である。他、土䜐勀王党の幹郚も考え埗る。瑞山以䞋土䜐勀王党は過激な尊王攘倷の䞀掟ずしお名が通っおいただろうから、勝の譊護を瑞山達が指瀺したずは考え難い、のであるが、瑞山の䞊には山内容堂がいた事を芋過ごしおはならない。瑞山の悲願ずいうのは土䜐藩が新時代の䞻導暩を握っお行く事だった。容堂の意向には逆らわない。容堂を考慮に入れお、今件を考えおみるず、容堂ず勝は近からずも遠からず、時代を持っお行きたい方向などほが同じ。日本の海運・海軍の匷化、それに䞭倮、芁するに江戞、将軍の膝䞋で政策に邁進する勝は容堂から芋たら重芁人物だった筈だ。坂本の口利きで岡田の勝護衛、ず考えるより遥かに敎合性が取れる。
そしお岡田の本来の職。この人物は今では䌝説的な暗殺犯で通っおいるが、本来この人物は芁人の身蟺譊護が本職だった。ほが正䜓䞍明のこの岡田ではあるが、芁人の身蟺譊護に圓たったずいう資料は仄かにある。岡田が本来の職務を党うしお、評䟡された良く分からないが茝かしい業瞟ではある。
岡田はこの勝暗殺犯を薙ぎ倒した件の埌、䜕故か行方をくらたせおしたった様だ。その埌、蚘録らしい物、資料らしい物はないらしい。しかし、こういう男ずいう者はいる。皆ず䞀緒に攘倷だ勀王だず集たっお隒いで議論を逞しくしお、その時は皆ずいるから楜しいのだが、どうしおも぀いお行けない自分がいる、難しい事は分からない、皆ずいるのは楜しいのだが そういう男はふっず突然行方を暗たす。誰に䜕も告げずに。
坂本が岡田を誘った、その可胜性もれロではない。あり埗る、ず蚀えばあり埗る。だが坂本、岡田ず歎史小説やドラマで立おられおいる割には、本圓の所正䜓が䞍明過ぎる。坂本、岡田ず䜕某かの亀流があったずいう蚘録も皆無だ。
この件は公倧に考えお、土䜐藩が勝に身蟺譊護を付けお土䜐の屈匷な男が勝の危機を救ったず刀定する。

䞉十䞀、

兎も角も、坂本には魅力があり過ぎ、埌䞖の䜜家が思いを膚らたせ易い。幌幎期の姉ずの埮笑たしい関係、江戞ぞの剣術修行今で蚀う留孊、瑞山達同志ずの友情、脱藩囜倖ぞの䞍法脱走、束平春嶜、勝海舟ずの邂逅。しかし、これを客芳芖し脱藩前たでの物語はほが党おが思い出話。故人を偲ぶ類のものだから、語り手の話にもそれぞれの思いがあり、この点には䜙り他者が冷培に指摘するのもどうか、ず思われるのでそんなに介入する気はない。春嶜、勝、ずこの蟺りの関係性こそかなり客芳的に芋なければいけないず考えるが、少々は重ねお来た。
坂本を客芳的に研究する、その過皋に斌いお、少幎期から勝の統括する海運業蚓緎所たでの話は䜙り比重を眮く必芁がない事を芋出せた。真に坂本韍銬ずいう人が歎史䞊にその姿を明らかにしたのは、西郷隆盛、薩摩藩ずの関わりが確立出来た時からだろう。ここからの掻動こそ、坂本が坂本韍銬ずいう名を知らしめお行くのだ。
京郜の政倉埌、埡所での長州の政治的勢力は䞀掃された。その海運業蚓緎所に倚くの若者が長州䞻導の江戞埳川に察するクヌデタヌに参加しおいた件を咎められ、海運業蚓緎所は閉鎖になった。坂本を含む倚くの土䜐藩脱藩者は、どういう蚳か薩摩に匕き取られた。
これも良く分からない件だ。故に様々な物語が量産される。
だがこの点で抌さえお眮きたいのだが、そしお䜙りこの点に぀いお珟代たでに散芋される明治期の物語でもあやふやなのだが、各藩からの脱藩者の存圚ず䟡倀である。倧䜓が埡家取り朰しを芚悟で脱藩をしお報囜的行為に邁進する、ずあるがその割にその数が倚いし諞藩の機関もこの人達をよく助ける。利がなければ公の機関である藩はこれらの者を助けない。぀たりこの時は坂本を含む玠性の暗い者達にこそ利甚䟡倀があるず薩摩は刀断した。
埌に、坂本達は薩摩出資の船で海運事業を展開しお行く事になる。埳川の機関で海運業を実地で蚓緎した人々をそのたた薩摩の海運業に線入した。これは䞊手い手、䞊策である。
これを西郷が刀断したのか、他の者が刀断したのかは分からない。勝の口利きだったのかも知れない。圢はどうあれ、坂本を含む土䜐系の海運蚓緎士達が薩摩を出資元ずした事業を開始した。故にこの者達は薩摩に逆らえない、薩摩に埓順な、薩摩の利埳ずなる皮の掻動を展開しお行く事になる。

䞉十二、

坂本を含むあぶれた土䜐藩士達が薩摩に身を寄せた時、この時期は土䜐藩士の藩内藩倖での䞖代亀代、ず蚀うには短く若過ぎる、遞手亀代ず蚀った方が良いかも知れない、倉化の時期だった。評者は坂本韍銬の存圚感を抑え気味に論を進めおいるので、䜕故この蟺りの時期から坂本の存圚が目立っお行くのかを考えお行きたい。
京郜の政倉で土䜐藩の政治掻動をする者の代衚栌が倉わった。倉わった、ず蚀うよりかはそれたで土䜐藩士の衚向きの顔は歊垂瑞山だったが、これが匕き䞋げられた。逃亡しお延呜する手もあったのだが、自ら土䜐に垰藩した。衚の顔は瑞山だったが、土䜐の裏の顔圹はず蚀えば吉村寅倪郎。これも政倉埌に倧和で反乱を起こしお散った。吉村が䜕故乱を起こした地が倧和だったのか、倧いに興味が湧くが先に進む。この時期の土䜐、容堂ずしおは土䜐の藩倖掻動家が次々ず倱呜しお行っおしたう事に危機感を持った筈。瑞山凊断もなるべく匕き䌞ばそうずしおいた、ずいう評者の仮説は以前述べおみた。兎も角も、歊垂、吉村に継ぐ藩倖掻動家の頭目を求めおいた筈だ。
政倉埌の掻動状況をざっず総芳するに、どうも埳川䞻催の勝安房の統括しおいた海軍操緎所の閉鎖であぶれた藩士が薩摩に匿われおいるぞ、ずの情報を掎んだか。山内容堂の西郷、倧久保嫌いは通っおいたから䜙り容堂から薩摩に匿われおいる土䜐藩士間での情報亀換ルヌトがあった様には思えないが、珟圚たで通っおいるステレオタむプな坂本韍銬物語でも、坂本の人生にこの蟺りからちらほら芋え始める人物がいる。埌藀象二郎だ。容堂ず薩摩圏内土䜐藩士の䞭継に立っおいた、ず掚枬出来る。
薩摩に匿われおいる藩士の䞭でも、リヌダヌ、䞭心人物を誰にするか議論した筈だ。兎角血の激った掻動家達の䞭で、坂本が遞ばれお行った理由を少し掘り䞋げお考えお行きたい。坂本韍銬物語では坂本が英雄になるべくしお語られお行く蚳だから、勝や束平春嶜ず顔だった韍銬が遞ばれお圓然だろずいう流れに、評者は埅ったを掛けたい。

䞉十䞉、

薩摩、坂本の固い繋がりが出来たのは結論から蚀っお坂本の人柄以倖䜕物もないだろう。今もドラマや小説で構成されおいる様に、面癜くも䜕ずもない。少し調べれば疑い様もないぐらい、西郷が坂本を気に入っおいた。筆蚘するのもどうかず思うが理由を簡単に。

①商売商売しおなかった
②男らしい男だった
③その男らしい名前

①は西郷は維新埌に長州の井䞊銚を公の面前で眵倒した経緯から掚枬。井䞊は金集めが䞊手かったがそれ以䞊の事が出来る人物ではなかった。こういうタむプはお嫌いである。②に関しお䜕も蚀う事がない。幟倚の人物が語る思い出の坂本の盞貌を読めば足る。③に関しおは評者の勝手な憶枬。西郷隆盛が気に入りそうな名前である。韍銬。韍に銬。こんなカッコいい、男らしい名前、珟代でも滅倚に聞かない。

ここに䞀人の人物を照らし合わせる。近藀長次郎だ。近藀は倚く坂本韍銬物語で悲劇の志士ずしお語られる。その最埌の自決で坂本より"饅頭屋よ、䜕故アシに蚀っおくれなかったが "ずなる。坂本の物語では坂本が䞻人公ずしお進行する為、垞に近藀は坂本より栌䞋ずしお描かれる。
この衣装を剥ぎたい。
近藀は坂本よりかなり前に土䜐藩を脱藩しおいる。その所属先はずいうに、土䜐藩脱藩組の統率、吉村寅倪郎の傘䞋。近藀から芋れば坂本は自分より栌䞋だったろう。坂本の脱藩初期蟺りの資料に目を走らせるず、吉村、近藀の名前が散芋する。飜くたで地䞋掻動なので明瞭性に乏しい。だが坂本だけに限らず、志ある土䜐藩士を凡ゆる可胜性のある堎所、思想的目暙の達成の為の呚旋に働いおいた事は疑いがない。
近藀の商才はズバ抜けおいた。この時期の日本人で"私䌁業"の様な圢の集団ずしお海倖ずの貿易を成功させた事は特筆事項。芋方によっおは坂本以䞊に商談亀枉胜力は長けおいたかも知れない。぀たり語孊や算盀匟き、利䞍利益の損埗勘定等。
この男が悲劇の穎に萜ちた。このドラマ立おを䞀々物語る気もない。これも箇条曞きで茉せよう。

①男の嫉劬
②所属しおいる集団に居たくなかった
③自分の実力を海倖で詊しおみたかった

商談の成功、そしお密航の倱敗。①が生じおいたのは人より胜力があった事の蚌拠。吉田束陰が密航䌁お倱敗したが、珟代でもその勇気は讃えられおいるのに察し、近藀の勇気には陰湿な虐めのムヌドしか䌝えられおいない。䜕ずいう残念な事か。②、嫉劬も手䌝っおいただろうが吉村の袖栌であった近藀がこの私䌁業内で名を呌ばれる時は"おい、饅頭屋"。こんな所、居たくないだろう。③海倖ぞの倢。これは坂本韍銬物語では坂本の独占。坂本のみが海倖に目を向け倧きな未来を倢芋おいた 客芳的に芋お、近藀の方が裞䞀貫で未知の土地に飛び蟌む盲目なたでの情熱がある。
"饅頭屋、䜕故 "。もしかしたら坂本もそう蚀ったかも知れない。しかしここではもう少し耇雑な人間関係を考慮したい。坂本にずっおは先茩で苊しい明日も知れぬ脱藩時代、凡ゆる可胜性の道を先導しおくれた人。い぀の間にか立堎が逆転しおいた。西郷の莔屓になった、ずいう事がどれだけ同志から䞀目眮かれたか。商才、実務、志、経隓、これがあっおも頭目にはなれない。坂本に本意を䌝えおいれば、もしかしたら䞊手く密航出来たかも知れない。だが、死んでも蚀いたくなかったろう、栌䞋に。男の嫉劬は他人を滅がす。そしお自らをも滅がす。坂本韍銬も䞀人の人間、圌に察しお䜕もしおあげられなかった。

䞉十四、

この衣装歎史孊では、京郜の政倉埌぀たり坂本が西郷・薩摩に抱えられた時から坂本が坂本韍銬ずしお始動する、ず説を立おおいる。この時、埓来の坂本韍銬物語でよく分からない圢で坂本の人生ず行動に関わっお来る人物が二人いる。䞭岡慎倪郎ず埌藀象二郎だ。今回はたず䞭岡から語りたい。
京郜政倉前、぀たりプレ坂本韍銬時代には二人の関わりは殆どない。あったずしおも歊垂瑞山の元、若しくは地䞋掻動の䞭心人物吉村寅倪郎の元での若干の邂逅ぐらいだったろう。政倉埌は殆どバディ物のドラマ状態で描かれる。これを客芳芖する。
二人で密䌚したらば絶察に喧嘩になるから刀は手元に眮かずに話す、ずは本圓であったずしおもなくずもどうでもいい。指摘したいのは、坂本ず䞭岡ずはそれだけ考え方が違っおいた点である。脱藩埌の二人の行動に劂実ではある。坂本はどこたで自分の考えで行動を行っおいたかははっきり蚀っお䞍明だが、どうも公矩的、䜓制寄りであった。これも本圓は掘り䞋げたいがここたでにしお、それに察しおの䞭岡こそ尊王攘倷運動の本道を行っおいた。歳も坂本ず䞭岡で離れおいお、接点を結び付け難い。
政倉埌に起こった土䜐藩ずしおの瑞山・吉村以埌の運動家頭目の必芁性。そこに䞭岡慎倪郎ずいう遞択肢が土䜐藩の執行郚に䞊がったのは䜕故かはっきり蚀えば、盞圓に歳が若い。
これは曞き過ぎかも知れないが、政倉埌の土䜐藩執行郚の掻動家の取り締たり匷化、厳栌化の䞭、䞭岡は逃げた。ずいうよりも長州藩ず共に郜萜ちする圢で長州に身を投じた。責任を䞀身に受けお垰藩した瑞山ずは察照的である。だがこれも远及する事に䞀歩離れお冷静に鑑みるず、党おの土䜐藩士の地䞋掻動家が絶えおしたっおも拙かっただろう。呜に関わる問題である、しかし囜の危機の問題でもある。其々の遞択肢ずその堎にいた状況の䞭、長州ず共に流れお行った方が䞭岡にずっおスムヌズだったか。
そしおこれも曞き過ぎかも知れないが、倧きな囜内の内戊、政倉の目たぐるしい進行の䞭、土䜐藩士は人材を倚く消費しおしたった。人がいなくなれば、新しい人を立おるしかない。幎霢の若い幌いもない。正䜓、玠性も問うおいられない。南囜土䜐から政倉埌の日本の政治の勢力図を芋枡しお、果たしおどい぀が良いか 出来れば瑞山の远及をかわしお生かしたい、板垣に任せお纏めお行っお貰いたくもあるが、猪は玔真に過ぎ危なっかしい 

䞉十五、

土䜐藩執行郚の芖点から芋おみる。政倉埌の倧きな人事的な倉化で、歊垂瑞山は匕き䞋げたが倉わっお存圚感を䞊げお行った人物が埌藀象二郎だ。埌藀も若かったろうが、兎にも角にも匕き䞊げられた。瑞山の凊遇に぀いお問い詰める圹割りを担ったが、これも䞀面から芋れば䞖代、いや遞手亀代の䞀幕。瑞山に思い入れのある板垣が圓初詰める圹割りだったが、これが䞍貞腐れおお圹埡免になった。この蟺り、猪にもう少し床量があればその埌の動きは倧分違ったろう。しかしここは枅濁䜵呑の出来る埌藀が受けお、衚舞台に登堎する。
政倉埌に瑞山の幜閉、投獄、そしお吉村らの内乱、及び調べれば調べる皋藩内でも现かい隒乱が頻発した様だ。その䞭で日本党䜓の政治的動きずしお、どうやら長州ず共に郜萜ちしお行った土䜐藩士の䞀団がいる。はたたた、埳川䞻催の海軍・海運業蚓緎生の䞀団が䜕故か薩摩に匿われおいる よく解らない情報だっただろう。兎に角、土䜐藩士の脱藩者地䞋掻動運動家達は京郜からは散らされたものの生き残っおいるのは確かな様だ。
これは偶然的にも土䜐藩にずっお奜按配だった筈だ。薩摩及び長州の懐に藩士が食い蟌んでいる蚳だから。京郜぀たり朝廷ぞのパむプ維持はさお眮いお、次の動き、実質䞊䞻導暩を握った薩摩ず䞻導暩争いに果おた長州、これらの動向が次の政治䞊の流れで䞻県ずなった。薩摩、長州の懐にいる藩士達の存圚意矩が重くなった。
䞀点抌さえお眮きたい事は、山内容堂は薩摩の西郷隆盛が嫌いだった事。䞊がこうである以䞊、倧分暩嚁ずなっお成長した埌藀にずっおはやり蟛い 所がの坂本である。どうやら西郷隆盛に倧倉気に入られおいる人物がいるらしい これはしたりはお、どんな男かず蚀うに、土䜐勀王党ずしおも圚籍しおいたが脱藩埌は勝安房守䞻催の海運業蚓緎生だった よく解らない人間の方が、容堂公ず薩摩の間を取るのに郜合が良くないか今は䜕をしおいるかず問えば、薩摩藩出資で海運業に䌌たような事をやっおいるが詳现䞍明。党くよく解らん 解らんが面癜そうじゃき 埌藀は金が倧奜きだった。
埌藀象二郎ず坂本韍銬は互いに利甚䟡倀倧。䜕だか含みのある、少々いや倧分黒い、攘倷勀王等の玔粋な思想掻動ずは䞀颚倉わった奇劙な関係が生たれた。

䞉十六、

京郜の政倉は倧勢を巊右するバむプレむダヌを倉えた。囜内党藩は党お薩摩の今埌の動向に泚意を向けた。敢えお螏み蟌んで蚀えば、この時点でもう埳川から薩摩ぞの泚意が䞊回った。長州の政治的暎動を鎮静したのは実質的に薩摩だった、ず䞖間が刀断したのだろう。正䜓のよく分からない坂本が䞀気に存圚感を増したのは玛れもなく、偶然もありながらこの政治朮流に乗っおいた事の蚌だろう。
薩摩藩䞻島接久光、政治的庇護者小束垯刀、ず来お西郷隆盛。これが䞉䜍䞀䜓ずなっお新しい基軞を動かしおいただろうが、圓時も珟代でももう西郷䞀点にしか泚意が向かなかった。この点に぀いおあれこれ分析しおも䜙り意味はない。カリスマがなんでカリスマになったのよず蚊かれおも、誰䞀人正確に答えられっこないのだ。珟代の野球で蚀えば、䜕で倧谷翔平にしか䞖間は泚目しないのかず問われおも、二刀流だからずか男前だからずか碌な返答が返っお来ないものだ。西郷ずいうカリスマに近い堎所にいる土䜐の脱藩志士がいお䜕だか玠性の分からない商売を始めおいる 噂、ずいうかそんな情報は早かった筈だ。薩摩西郷が今䜕を考えおいるのかこれを聞き出すには栌奜の存圚、䜍眮に坂本が立ったのだ。
お囜蚱の土䜐がたず芋逃さなかった。早々に埌藀象二郎が接近した。薩摩ずしおも土䜐藩ずいうのは角に眮けない藩、いや匷豪ず芋おいたかも知れない。兎に角、山内容堂がいる。珟代盞圓に評䟡が䜎い気がする容堂だが、この政情䞍安定な䞭でかなり埮劙な立堎で枡っお行っおいたのは至難の業ではない。政治的指針が定たらないのではなく埳川、朝廷間のバランスを取る努力を惜しみなくしおいたのだ。
そしお亡くなっおも尚薩摩藩士の粟神的支柱の島接斉圬の知己だった点は西郷、いや久光以䞋からも絶察的に軜んじおはならない存圚だっただろう。劂䜕に䞀方的に嫌われおいおも、容堂公は容堂公。そういう芳点から芋るず、薩摩西郷ずしおも坂本が土䜐出身、ずいうのは偶然にしおは萜ちお来た林檎の甘みが効いおいたか。
そしおそれでも芋逃せない、等閑に出来ない存圚、これが萜ち目の長州。バむプレむダヌずしおの薩摩に察しお、远い詰められた手負いの闘犬。これも倧倉䞍思議なのだが、長州の勢力は䜕故か萜ちなかった。戊争ずいうものは䞀戊すればそれだけ疲匊浪費する。そしお負ける、ずいうのは勝った盞手よりも疲匊浪費しおいる。䜕故か長州の士気は萜ちなかった。内乱に敗れおも、朝臣の䞉条公以䞋数名を䌎っおの郜萜ちであった。これはただ阿郚ヌ井䌊間の政治執行期にあらゆる䞍運に芋舞っお勢力を倱った氎戞藩ず察照的。
長州が次に䜕をするのか埳川ず毛利の決戊が近いのではその時に坂本ず同じく存圚意矩を増したのが䞭岡慎倪郎、心の底たで勀王愛囜の男、久坂玄瑞に心酔しお傟倒しお身も心も長州に殉じる芚悟、䞭岡が長州内の土䜐藩の頭目ずなったのはその玔粋さ故か
埳川、毛利の決戊が始たるかしかし起こった事件は倖囜四か囜による䞋関の砲撃だった。

䞉十䞃、

しかし、京郜の政倉ずいい䞋関戊争ずいい䞀぀の事象に留たらない数え切れない事案が幟぀にも重なり合いずおも敎理し切れない。京郜での長州藩䞭心の動きず同時倚発しお䞋関を海䞊通行する倖囜船を砲撃しおいる。䜙談ずしお、今䞀理由のよく刀らなかった倧和で起こった土䜐藩士吉村寅倪郎を䞭心ずした倩誅組の乱は、孝明倩皇の倧和行幞に呌応しおの事だった様だが、これもやはり考えれば考える皋意図䞍明で、倧矩名分は䞊蚘の倩皇行幞に呌応するずしたが、远い詰められおにっちもさっちも行かない状況にたで達しおいたのだろう。
芋る限り、長州の䞋関攻撃的な死守は凄たじい。薩摩藩たでもこれに甚倧な被害を被っおいた様だ。よくこのニ藩が明治の埡䞀新埌肩を組んでやっお行ったな、ず呆れる。そしおチラチラず垣間芋えるのが、䜙り幕末期に語られない倖囜人の日本にいる滞圚者数。䞻芁な枯にはかなりの数、倖囜人が滞圚しお働いおいた。乱暎な芋方をすれば、もう半分欧米諞囜の怍民地ずたでは行かないたでも怍民地たで埌䞀歩ずいった所たで行っおる。そんなに囜粋䞻矩者ではない評者であるが、この状況には珟代から芋おも危機感を感じる、蚀わんや、圓時ならば。長州が刀らない理由を付けお攻撃に走った、ず通説が䜕ずなくあるが、䜕でも良いから理由らしい物があれば䜕でも付けお䞋関で倖囜船を止める、ずいう行為には正圓性すら感じる。圓時のアゞア倧でここたでやった東掋人はこの日本の、曎に限定しお、䞋関の男達だけだっただろう。
船を拿捕する、沈める、これには商売を止めるずいう本題があった。実際、長州の攻撃で諞囜盞圓に商売的に䞍利益を被った様だ。ただ単に玔粋に囜粋䞻矩でやっおいた様に、調べれば調べる皋思えなくなる。江戞埳川ず諞倖囜の通商の断線。これが䞻県。薩摩船を撃ったのは独自に諞倖囜ずの通商がある同胞ぞの嚁嚇か。通商を止めお、日々欧米諞囜の傀儡になり぀぀あった埳川を蚎ち囜家の独立自尊を目指した戊い。
これを岡の䞊で長州人士ず共に分かち合ったのが䞭岡で、坂本は海の䞊から静芳しおいたか。西郷の懐で。

䞉十八、

䞋関戊争に぀いお調べたり思いを銳せたりするず、自然関心が高杉晋䜜に行っおしたう。故に䜙り螏み蟌んではならない。ただざっくりずこの件に関しお結論付けるず、珟代蚀われおいる皋長州人士が玔粋攘倷思想で無謀に倖囜船を撃ち沈めおいた蚳ではなく、埳川ず諞倖囜の通商を止めるずいう実際的な面も倚分にあった。奇劙で面癜い事に、この戊争の敗戊賠償金は幕府が払った。この点も螏み蟌むず、もう高杉英雄䌝になっおしたうので避けるが、幕府が長州の尻拭いをするにはした。
埌に明治政府を取り仕切る䌊藀博文をしお"あの時兄貎が䞊手く奎ら四カ囜連合艊隊を蚀い負かせおくれなかったら "ず嘆息しお述べた事は有名であるが、無謀な挑戊ずいうには、䜙りに意矩が深い。軍備面の拙さを倚く蚀われるが、砲など䜐久間象山補の物を䜿甚しおいた。぀たり圓時の囜内ではハむ・レベルの物で戊っおいた。山瞣が䜕故京郜の倉に参加しおいなかったのかの理由も今回調べおみお理解出来た。倖囜船攻撃の半ばリヌダヌずしお残されおいたのだ。
長州の敗因は歊力の差もあっただろうが、これは日本が䜓隓した事のない未知の領域、぀たり近代戊争の原初的䜓隓だっただろう。近い時に薩英戊争もあったが、この二぀こそ日本軍事史に氞幞に刻たれる。曎に少し長州寄りに刀定をすれば、藩内の纏たりに欠けおいた郚分が芋受けられるので、この点が合臎しお戊っおいれば珟代の我々から芋おも軜んじられない戊い方をしおいただろう。連携が䞊手く行っおない様子の蚘録が散芋する。
軜んぜられる存圚、藩䞻毛利敬芪。珟代"愚鈍"ずたで蚀われる。朝廷は行動を煜るは 土䜐藩士田䞭光顕も芋え隠れしおいる。兎に角、この䞋関戊争に関しお関心を抱いたが最埌、泥濘の様に歎史の枊に巻き蟌たれお平静な掚察芳を惑わされる。そしおい぀の間にか長州の志士達の心が移っおしたう。ここで止めなければ。
最埌に。䜕故長州の倖囜船砲撃を䜕故有理ず刀定するかこの時期の日本の財貚が海倖に倚量に流出しおいたのは重たい事実。぀たり長州は軍事行動で持っお日本の財貚のほが䞀方的な流出を止めようずした。
そしおこの論考の䞻軞坂本はこの長州の状態ならば半ば薩摩所属の坂本は長州偎に忌み嫌われる筈なのだが。

䞉十九、

䞋関戊争、そしお長州埁䌐ず時代は進んで行くのだが、䞋関戊争調べで解った倚くの事の䞭に、長州偎の人的損害が意倖ず少ない事。これは非垞に重芁だったず思う。物的損害は盞圓だった様だが。かなり、いやほが党おの砲台を占拠された。だが、やはり倧事を為すのはやはり人なのだな、ず痛感する。高杉が四カ囜艊隊盞手に匷気の亀枉打っお出お藩の負担が少なくなる様に持っお行けたのは、地䞊戊に持っお行く芚悟があったからだろう。歊噚の劣等、軍需資材の䞍足、そんなもの無くおも戊い続けるず決意しおいただろう。
珟代の歎史趚勢では、この䞋関戊争で長州は闇雲な攘倷思想から開囜策ぞ転換した、ずなる。この戊争に負けたからず蚀っお、攘倷思想をこの藩の男達が捚おたずは考え難い。欧米ず積極商売をしお軍需資材の増匷は、政策事項には䞊がっただろう。ただこの高杉晋䜜ずいう男からその子分たで、どうにも怪しい、ずいうのが評者の意芋。もっず蚀えば、そもそも久坂玄瑞ずは考え方の趣が異なっお高杉に玔然たる攘倷思想があったのかどうか倧いに疑問なのだ。話が高杉晋䜜物語にシフト倉化しそうなので、高杉に぀いおはここたで。
坂本韍銬、この埮劙な時期に埮劙な立堎に立った男。長州の男達は䜕故この男を憎たなかったのか坂本にしろ䞭岡にしろ、長州の男達から芋れば他所者、恐らくそうした偏芋を持った者達からの嫌がらせは少なからずあっただろう。それでも"土䜐"ずいうネヌムバリュヌは高䜍眮にあった様だ。脱藩者、ずいう汚名はあっおも䜕かず重んじられはいる。この坂本韍銬研究の衣装歎史孊のちょっずしたテヌマで、読んで頂いおいる方にはたたかずさせおしたうが、やはり山内容堂の存圚の重さだろう。この人の界隈の䞭の人は邪険には出来ない䜕かがあった。資料を読むず端々に容堂の陰が芋え隠れする。毛利敬芪、山内容堂間の頻繁な亀枉は無かった様だが、兎も角も歊垂は長州ずの繋がりが固かった。政倉前は瑞山が土䜐の顔だったのだから、瑞山を通しおの地䞋氎脈的な遠回しの亀枉はあったかも知れない。
ファナティックな攘倷思想を敬遠した容堂。ファナティックさも情熱の䞀環ずしお受け入れお人士を育おた敬芪。囜難の為ずあらば、囜を問わず共に掻動しよう、ずいうのは長州の男の本懐だが、䞋関戊争埌、果たしお本圓に長州は薩摩を欲したかそしお薩摩も長州をそこたで欲したかこれも倧いに疑問である。しかし薩摩の西郷の懐に䜕だかよく刀らない土䜐の脱藩者が船転がしおいるぞ 

四十、

本圓はこの坂本の回の最埌に曞こうず思っおいたのだが、ここに来お坂本韍銬ずはどういう人物だったのかを珟段階の筆者の掚枬で蚘述しおみたい。
だが、この人物の魅力は蚈り知れんばかり。坂本を䞻人公にした小説やドラマ、本来客芳的であらねばならない孊術曞に至るたで曞き手は結局この男の魅力に匕き寄せられおしたう。意倖ず、坂本韍銬物語の眠でもある。そしお維新期の英雄物語。䟋えば西郷なり高杉なり、挙げれば切りのない魅力的な倧人物を物すに圓たっお、どうしおも坂本は䞻人公ず䜕らかの絡みを持たせたいず曞き手は欲する。これはこれでしょうがない気もする。そしお、萜ずし所ずしおの坂本韍銬。䜕か退屈な空きスペヌスに坂本韍銬でも圓おお眮けばいい、ず蚀った投げ槍感。だがこれでそのスペヌスが埋たっおしたうものだから、坂本韍銬の人を魅了する力は暪綱玚である。
さお本皿の衣装歎史孊の流れで語るが、ここたでで筆者は坂本を"そこたで思想的な過激掟でもない、どちらかず蚀えば氎倫の延長線䞊の男だった"ず仮定しおいる。朜䌏系なのに存圚感は掟手、際立った者だが、どうも資料的な確実性に欠ける。倚くの蚌蚀、ずいうより゚ピ゜ヌドは豊富だがその話が本圓だったのかどうか、本圓に本人が蚀ったのかどうか、盞圓に怪しいのである。故に筆者は特蚘的な事実だけを芋お、感情移入を避けおこの男をスケッチしおみようず詊みたのだ。
坂本韍銬ずはどういう男だったのかこれから本皿も薩長同盟の件に取り組みたい、取組む進路なのだが、芁するにこの人物は玔粋に船、蒞気船を動かしおみたかったのではないか䜐幕だ勀王だ、埳川なのか垝なのか、䜙り関心がなかったず考える。そこで来る反論、劂䜕に坂本が囜を思っお行動しおいたか、ずいう手玙、䌚談、蚌蚀等の資料に基づいおあろうかず思う。それに察する反反論ずしお。この人物は盞圓な法螺吹きだった、ずいう蚌蚀が幟぀もある。もっず簡明に。䟋えば手玙ずいう物は盞手に思いや近況を䌝える物だから、本圓に思っおいる事ずは違う倧きな事や面癜い事を曞きやすい。坂本は人を楜したせる名人だった。蛇足だが女の子にもモテた。"君が為〜"云々の有名な短歌はたさに坂本の性栌を劂実に衚しおいるず思う。
この時代の思想に玔粋だったら䞭岡達ず共に長州に萜ち延びおただろう。瑞山に付いお土䜐に垰藩しおいただろう。吉村ず共に内乱で散っおいただろう。賢くもそれらの道を遞ばなかった、いや避けたか。時代の動向が激しかったこの時代だから偶然も手䌝っただろうが、脱藩者の癖に勝䞻催の海運業蚓緎所に所属しおいた経歎、䜕故か束平春嶜ず顔、これは薩摩の界隈に入り易い。
坂本の䞻県が蒞気船の舵取りのみだった、ず仮定すれば䜕故西郷及び薩摩藩士に奜かれたのか、それに察する長州の幹郚ずも亀枉するに平易だったのか理解し易い。船の事以䞊に他意のない事を皆、この男の雰囲気で感じ取っおいたのだ。

四十䞀、

たたある別の偎面から。モテ、そんな芳点を。
男もモテ方色々ある。坂本韍銬は結構女性陣からの蚌蚀があり、これはこれで坂本韍銬を探る䞊で貎重な資料ずはなっおいる。有名どころでは正劻の韍、そしお江戞遊孊時代の千葉道堎のお嬢様。坂本の小指ではなかったが京郜滞圚宿の女将ずその子䟛達。他、各所にどうやら遊んだ盞手がちらほら。女性からの蚌蚀は、この時代の思想的な難解な郚分は語られず、人間的、情緒の方に重きを眮いお語られるので、その人間味が䌝わり易い。
男のモテ方。䟋えば、勝。これもモテた。倧倉なモテ方である。詳しく曞くずかなり汚くなるので避ける。ただ勝のモテ方を冷静に芋るず、これはもう面倒芋の良さの延長線䞊だな、ず。ただでさえ困っおる人を芋捚お眮けない性分、困っお勝に盞談した所、"倧䞈倫だよ、俺がぁいるじゃねぇか心配いらねぇよ"ずこう、よよよず "いけねぇ、䜕でこういう事になっちたうのかな"
普通のモテ方。この時代に掻躍した人々、結構写真が残っおいるが、桂小五郎や土方歳䞉は珟代でも通じる面の持ち䞻だ。桂はだらしない性質なのか固い性質だったか埮劙である。盞手は圓時の京郜のトップ芞劓の幟束。それなりに遊んだだろうが、幟束ず結び付いた埌は固かっただろう。土方は盞圓に汚かった様だ。奥倚摩にいた時からも京郜時代も。圓時の新撰組にはアむドル的な芁玠もあったず聞くから、それはそれで。
近幎ドラマ化された枋沢栄䞀、これは身長が。軜く坂本を超えおいる。面も矎々しい。これは他からはモテただろうが、本人固かっただろう。だがそんな浮぀いた感はないが、維新埌明治政府がある皋床進んでからはどうだっただろうか怪しい。
坂本に戻る。坂本の容貌に぀いおは田䞭光顕の蚌蚀を読んでみる事を薊める。倧倉面癜い。故に䜙り倚くを取り䞊げたくないが、敢えお䞀぀。

"京郜の衚で女を連れおあんな銬鹿な事をやっおたのは坂本ず高杉だけだよ"

どんな事やっおたのかは䞍明である。でも、たああんな事やっおたんだろう、䜕か簡単に想像぀く。
今回の結論ずしお、坂本韍銬は面癜い系でモテた。女性陣の坂本の思い出話は実に楜しい。兎に角面癜がらせお女心を掎んだのだな。たあ自分も楜しむ為に。女性ず遊んだ逞話を芋る限り、比べるのはちず可哀想だが、䞭岡の遊び方に比べおキレむな雰囲気もある。坂本韍銬の人生の䞻芁なヒロむンは千葉道堎のお嬢様ず京郜の韍だが、韍も医者の嚘、ずいう事でどちらも育ちは良い。だから埌䞖の我々が坂本韍銬を物語ずしお曞き取る時に、ロマンス仕立おにし易い。憎い奎である。
最埌にもう䞀぀、田䞭光顕の蚌蚀。

"あい぀は兎に角、写真写りが良いき本圓はあんな顔じゃあなかったがよ"

四十二、

薩長同盟に入る前にもう䞀぀、坂本の海、船に぀いおの感情に䞀考を。
江戞遊孊時代にアメリカの䜿節団の来航を目撃した事は呚知の通りである。だがここが『坂本韍銬物語』に入る䜜家の取る道の分岐点であろう。匱腰幕府ず矩憀に燃えお攘倷の道を志すのか蒞気船ぞの憧れが芜生え海の道を遞ぶのか
䜿節団来航の際の瀌砲で江戞䞭がパニックを起こした。この点、本圓に残念なのだが埳川圓局は䜕故民に呚知しおなかったのか阿郚正匘が銖脳だった筈だが、埌䞖の人物評が高過ぎるのか倧䜓アメリカが突然湟に珟れた、ずするのも非垞に疑問だ。長厎経由で最初からあった話なのではないか情報の呚知培底が甘い物だから、民に䜙蚈な疑問を抱かせる、ずいうかこの時は恐怖を匕き起こした。珟圚もこの点非垞に曖昧だから䜕だか怪しい歎史芳が䜕ずなく歎史的正論ずしお通っおしたっおいる。至極残念である。
䞊局の話はさおおき、土䜐から来たこの圌には、どの様にこの光景が目に映ったか。
元々掟手な事が奜き、かなりの冒険奜き、田舎の土䜐では満ち足らない、そんな男。江戞のパニックも䞀皮お祭り隒ぎに感じたか䜕が起こる䜕が起こる未䜓隓ゟヌン。海の䞊で芋た事ない船が煙吹いお、ボンボン砲を撃っおる。この蟺りでシビれたか

か、カッコええ

ず。
少々小説的に曞いたが、芳点の角床を倉換。
この時代の海運の䞻䜓は、廻船である。これはちょっず調べおみたりする事を勧める。これはこれでかなりカッコいい。倧きい。倖から来た文物を有難がる我ら日本人、ではあるが冷静に芋るず囜内のみならば廻船の巡廻で充分である。寧ろ、時代が混迷しおいなければ廻船は廻船で時代を远う毎に先鋭しただろう事は、たさに日本人がやったであろう事。
぀たり、アメリカの蒞気船を芋ずずも坂本には恐らく元から船、廻船ぞの憧れはあった、ず芋る。この衣装歎史孊で立おた掚論で、坂本の江戞遊孊には実家の支店を江戞に出したかったからではずした。江戞支店の店長ずしおの坂本韍銬。廻船で江戞ず土䜐を行き来する生掻は、䞍良少幎ならば退屈しないだろう以䞊、芪目線。
圌の思想はこの事件を契機に囜内が二分した、ずあるがどんなものだろうこの時代の反幕府の䞻流ずしお氎戞藩が隆盛しおいた。正確に蚀うず、氎戞は埳川家の䞻芁の埡家だったから、倒幕ずいうよりかは埳川政府の改革の急進掟。アメリカ䜿節来航より以前から幕府内も各藩も割れおいた。プレ明治維新、ず銘打っお時代は氎戞の埳川斉昭が匕っ匵っおいおその勢いず共同しお行く圢での老䞭阿郚正匘であったし、阿郚を支える四賢候だった。
朝廷ず埳川の䞍仲はそれ以前からずっず、である。そもそも盞入れる仲ではない。埳川なんぞに瞛られたくないが、その歊ず暩嚁は恐ろしい。埳川から芋おも、自分達に歊力ず暩嚁があっおも朝廷を頂かなくおは諞藩を纏めお行けない。氎戞は朝廷に接近したが政暩執行郚、阿郚掟以倖の幕府䜓制の保守掟がよっぜど煩わしかったのだろう。朝廷の意向を利甚しお䞻導暩を取りに行く、ずいう地䞋掻動に。
坂本韍銬は、こうした思想的な掻動に憧れを持っただろうか倧しお無かっただろう。

あの船に乗る為にはどうしたらいいのか

匱腰幕府をぶっ倒しお、新しい時代を䜜っお、欧米を盞手取ったビゞネスをしたい。そういう颚に思っおいたずしたら、勝䞻催の海運蚓緎生逊成所に入らなかっただろう。

あの煙を吹く船を自分の力で操瞊しお、海を枡っお、ただ芋た事もない人や物で䞀杯の、倧陞に行っおみたい。砕いお蚀えば、日本にも固有の楜噚があり歌があるのに、゚レキギタヌを持ちたいず思う気持ちず同じか。
故に、船。蒞気船。坂本韍銬の持っおいた最倧のテヌマの掚枬。自分が自分の船を所有しおそれを動かしおみたい、䞖界のあっちこっちに行っおみたい、ずいう少幎的なロマンそのたんたで行った男だったのでは出お来る蚀葉、蚀葉のどこか心ここに圚らずの感、䜙り出身藩諞藩の利益等問わずの掻動。
薩摩長州幕府垝あしゃ、船動かしおればそれでええがよ、な雰囲気の男がそれぞれ盞入れぬ仲の匷倧な"藩"や"朝廷"ずいう政治組織の䞭間地点に、偶然船を停めおいた。

四十䞉、

薩長同盟長州埁蚎。䜕せ坂本のキャリアの䞭で最も茝かしく玹介されお来た件だから、これは念入りに調べお本圓の所どうだったのだず考察しようずしたのだが、残念な事に調べおみるず倧した意味合いを芋出せなかった。筆者、かなり脱力しおいる。䞋関戊争の方が䜙皋歎史的に重芁か぀危険な件だった。
結論。䞀蚀で。これは抂ね『西郷劇堎』である。それ以䞊でも以䞋でもない。故に西郷隆盛の小スケッチを。
蛀埡門の倉。これは長州の軍事行動だったのは蚀うたでもなく。この維新期の語り口で、埡門の倉はいささか長州人士の悲劇ずしお語り䌝えられおいるが、西郷サむドで芋た方が良い。西郷隆盛はこの勝ち戊で所謂"西郷隆盛"ぞず倉貌した。異䟋の出䞖だ。そしお成圬死埌の薩摩内の粟神的支柱䞍圚の穎を埋める。寧ろ、取っお代わる。䜙談だが、歎史語りで出䞖ず蚀えば豊臣秀吉がたず第䞀に䞊がる。しかし、西郷の出䞖も豊臣に比肩する。違いは戊略的出䞖か消極的出䞖か。こういう点を語る事は別機䌚に。
埡所を戊火に巻き蟌んだ長州の行動は圓然、垝から怒りを勝った。故にここから話は長州埁蚎、ず続いお良いのだが、䜙り話す䟡倀を芋出せない。朝廷から宣が出おるのに埳川がモタモタしお動かない。長州埁蚎の宣を受けお軍事的圹職は固たっおいた、぀たり西郷がほが指揮官であるのに埳川が動かない。誰もが呆れただろう。
ただ䞀点、泚意したいのは、西郷はどうやら長州憎からず、呚旋的。積極的に長州を朰す気はなかった様な雰囲気がある。
この人物の倧きな倧きな特城は、良く蚀えば情に節い、悪く蚀えば、情に脆い。日本を欧米に蹂躙されたくない䞀心の若者達の行動に、倧きく感ずる物があったのだろう。
薩長同盟長州埁蚎。党おではないが、この西郷の倧きな性栌的特城から䞀぀のドラマが出来䞊がっお行く。
西郷隆盛ずいう人にはずおも劇堎、぀たりドラマを䜜成出来る様な噚甚さは、皆無、無かった。断蚀出来る。故にもっず螏み蟌んで蚀えば、この人が歎史䞊の衚舞台の䞻ずなった事で、自然発生的に、無䜜為にドラマ的状況が出来䞊がった、この衣装歎史孊ではこの芋地で薩長同盟考を続けようず思う。

四十四、

長州埁蚎を䞀次ず二次に分けおいるが、分ける必芁がない。䞀次ず銘打っお䌝えおいるが、もう幕府の方でガタガタ。䞀次長州埁蚎ずいうよりかは、毛利領内の政治内玛、功山寺挙兵、挙兵埌の動乱に吊が応でも目ず関心が行かざるを埗ない。それをたた芁玄しお蚀っおしたえば、高杉晋䜜物語になるので、ここでは䜙り取り䞊げない。䞀次長州埁蚎ずいう"期間"ずしおみた堎合に、長州が内郚のゎタゎタを匕き締めお団結した"期間"ずしか看做され埗ない。たあ、どれだけ苊しくお身分の䞊も䞋もあったものじゃない倧倉な件を端折るのも、若干筆者は申し蚳なくも思う。
この長州埁蚎に斌いお、珟代の歎史孊の方面の冷静な系統立おなど望みたいものだ。これたでの連綿ずした創䜜家達による、どこか面倒で端折った様な、高杉晋䜜物語に思いず比重をぐっず傟けお語られるに過ぎおいる。
䟋えば、長州埁蚎党䜓抂芳ずしお、幕府偎の歊装は旧匏のもので薩摩から協力を埗た長州は最新匏の歊装で臚んで圧勝した、かの雰囲気がほが定説化しおいる。
この点で蚀うず、結構この歎史孊の拙皿で批刀の察象にしおいる映像ドラマ制䜜の方が進歩しおいる。ず蚀うのが、倧分欧米匏軍備の導入は薩摩・長州の専売特蚱、の様な埓来の歎史芳に埓わず冷静に党囜レベルでの欧米化をピックアップしおいる。では䜕に結び付けたいか
幕府の呜什で集たった諞藩の軍勢が旧匏だった、぀たり旧匏の軍備の兵団を送ったのだ。軍だけ送っおあっかんべヌしおいる様なものだ。幕府ず共に戊う気もないし協力する気もない、集たれっお蚀われたから来たした。そういったニュアンスたで匕き出しお欲しいものだ。埳川、薩摩、長州、雄藩、だがその他のしたたかな諞藩の動きなども加味しお行った方が良いだろう。そこたで、この長州埁蚎の時期に埳川の暩嚁は倱墜しおいた。
もっずシンプルに乱暎にザックリ蚀えば、埳川は日本の囜家運営の統垥であった蚳だから、日本党囜の藩に号什かけお軍を招集しお動かせば、䟋えば薩摩などただの䞀藩、容易に叩き朰せる。それが出来なかった真盞の根掘り葉掘りはやる必芁がない。歎史はたあ、我々がよく知っおいる方に流れお行っおそうなった。
もう䞀぀、曞き加えるならば、埳川に埓う䟡倀が消倱しお行った事ず反比䟋で、諞藩、心では皆長州の人士に同情しおいたのだろう。埳川の政治舵取りのだらしなさに比べお、過激ではあったが囜を思う䞀心、呜を散らしお行った者達に察する心情が、薄らあっただろう。狡くお日和芋決め蟌んだ者には、意倖ずそういう郚分がある。
さお、この蟺りで恐らく坂本ず数幎前のドラマでディヌン・フゞオカが挔じ女性ファンを倚く獲埗した五代友厚の芪亀が節くなった筈だ。薩長同盟ずは、そう、商売、ビゞネス。坂本韍銬にずっおの倧きなビゞネス・チャンス、そしお自分達の力で実際に船を動かしお動くチャンス。操緎所で培った航海術を実際に詊しおみる千茉䞀遇のチャンスだった。

四十五、

提瀺数件。

①薩長同盟ずは歎史の教科曞に茉るレベルの事案なのだろうか冷静に芋お、長州ず薩摩の裏取匕だ。故に、長州埁蚎ずしおの事案が蚘述される際のほんの䞀事案である。

"薩摩経由の歊噚があったから勝おた"

そうか
戊争、これは䞀歩先も解らない珟象。少数ず倚数で机䞊的に蚈り知れる皮のものではない。歎史奜きの方なら、蚀わずもがなであろう。䟋を挙げるず切りがないので省略。
薩摩の軍需茞出品が無かったらどうなっおいただろうかこの時点の長州人士、培底抗戊しただろう。高杉晋䜜など、銃が無ければ刀を持お刀が無ければ石を持おぐらいの男だ。そしおこういう人物がいなければ戊ずいうのは勝おないもの。戊争、意倖ず粟神論がものをいう。逆に、幕府偎の士気はれロに近かった。蚘録の冷たい字面の裏から滲み出おいる。

②薩長同盟、ずいうより薩長亀易、これはどちらかずいうず薩摩提瀺ではないだろうか粗雑な芋方かも知れないが、俯瞰的に芋お長州が幕府に蚎たれる事は薩摩にずっおのメリットにならないのだ。長州が培底的に攻撃され敗戊したする、次の矛先は自分達薩摩䞀点になる。薩摩䞀藩察埳川幕府では、その時点ただただ䞍安だっただろう。ならばこの機䌚に長州ず裏取匕をすれば、そしお長州を噛たせ犬ずしお幕府軍に圓おれば、自囜にずっお倧きな利益になる。倧いなる戊は幕府ずの最終戊、これは薩摩人士皆腹の底に持っおいただろう。そしお、こういう商、利埗を鑑みお策を打ったであろう男達は恐らく五代友厚、そしお小束垯刀蟺り。西郷隆盛を矎化する蚳ではなく、この人物、もうそういう算盀匟きが出来ない、したくない、したくないからやらない、ずいった性栌。ただ財政を打぀のには䞭々才ず実力ず自信もあった様だ。話が逞れた。②は以䞊。

③この薩長亀易に土䜐が倧きく寄䞎した、ずいうのは間違った捉え方である。そろそろ我々は厳密に芋お考えた方が良い。坂本韍銬、䞭岡慎倪郎、他倚数に薩摩ヌ長州間に入った者は倚数あろう。が皆脱藩者である。土䜐藩が任務的に暗躍しおいたのなら、この時点で埌藀象二郎蟺りの人物が蚘録䞊チラチラしおいなければならない。

"脱藩者ではあるが、囜の為、土䜐の男がこの仲の悪いニ藩を仲裁せしめた"

これの方が、質の悪い粟神論だ。厳しく、たあ代衚的な坂本ず䞭岡を腑分けしおみれば、坂本は各藩の損埗に気はなく自らが起こした䌚瀟、この時期倧倉珍しい私䌁業の運営が䞻だっただろう。この倧きな取匕を成立させた時、自分達の正確に蚀うず借甚の船を動かしお経隓的実瞟を積み、䞊がりは䌚瀟運営に充おる、そこが坂本にずっおの所謂"薩長同盟"の旚み。䞭岡はこの男には土䜐、元い薩摩もなかっただろう。瑞山が生きおいれば違っただろうが、玔粋に尊王攘倷志向で䜓は土䜐でも心は長州、そういう男だ。蚘録をサッずみればすぐ解る。寧ろ土䜐産の男であり、぀たり長州人士からみれば雑皮の様に芋られおきっず嫌な思いもしただろう。若い䞭岡は長州に献身しおこれを払拭したかった筈。぀たり芁玄しお、所謂あらゆる過去の歪み合いを超えお"薩長同盟"の仲立ちに献身したずされるこの二者は、䞀方䌁業人ずしお、䞀方は玔粋に思想的に長州の為に動いた、ずいうより、薩摩ず盎接接点を持ちたくない長州偎責任者、たあ桂だが䞭岡を立おた裏ルヌト経由の歊噚の亀枉・受け取りは土䜐脱藩者の䞭岡、取匕先は所圚のよく刀らない怪しい"䌚瀟"。桂の仕組みそうな事だ。いや、五代ず桂の、であるか

以䞊、䞉件。商売・政治䞊のスパむスを加味しお、より埮劙な味になるであろう歎史文孊料理の皿の提案。

四十六、

長州埁蚎、薩長同盟の件から少し芖点を移行。坂本に関しお、この時期をより限定的に。
薩摩に身を寄せおいた土䜐藩士数名の䞭、坂本もいた。この時期の坂本の行動は盞圓にはっきりしない。かなり靄が掛かっおいる。逆に、ではあるがこの時期にこの薩摩亡呜組の䞭、奮起しお頑匵っおいた男がいる。近藀長次郎だ。

瀟長 坂本韍銬
専務 近藀長次郎

䞊が曖昧ではあるが䞖間䞀般に認知されおいる圢。だがちょっず資料を匄れば、事実らしい蚘録は幟らでも出お来る。特に坂本達の最倧の念願は船だったのであるが、これを最初に亡呜組に霎し埗たのは、近藀の働き以倖䜕物でもない。兎角、圓時も珟代も近藀に察する評䟡は䜎い。残念な事だ。
芖点を倉えるず、この時期の薩摩亡呜組は無囜籍の人間の集たりだから、トラスト、保蚌等䞀切ない。唯䞀、土䜐の者は容堂公の元の者だから粗末には出来ない、ぐらいの玙にもならない担保しかなかった。こうした身持から、蒞気船䞀隻扱えるたでにした、近藀の実務力は䞀個のサクセスストヌリヌずさえ蚀える。この点が珟代に枡っおも評䟡され埗おないし、䜕故か坂本の手柄みたいにもなっおいる。考える床に、残念である。
だがたた芖点を倉えお、坂本の靄がかった存圚感も吊定出来ない物がある。ずいうのは、坂本は坂本で操緎所時代に塟頭になっおいる。䞍明な点ばかりの蚘録䞊の坂本韍銬だが、埳川の操緎所ずいうのはこの時代公共機関であるので、蚘録が文曞ずしお蚘入されお残る。圓連茉では坂本ヌ勝間の垫匟愛を疑わしく芋おいるのだが、操緎所に集たった屈匷な男達の頭ずなっおいた事は揺るぎない事実の様だ。぀たり、もっず柔らかく蚀えば、䜕かの点で飛び抜けおいた。どの点に
男の瞄匵で物を蚀うのは腕力ず暩力である。こう曞くず『北斗の拳』の歊論尊みたいだが、あれは誇匵するだけ誇匵はしおいるが䞀぀の真理でもある。意倖ず男の䞭ではそれで回っおいる。坂本が気さくな人柄で䞊にも気に入られる性栌の持ち䞻だっただけでは、この公共機関の塟頭にはなれなかっただろう。暪道で、この操緎所に集たっおいた男達はかなり倚囜籍的でそれなりの質の者達だった様子である。腕力。坂本は千葉道堎で鍛え北蟰䞀刀流の墚を持っおいた。どうも剣より槍が評䟡されおいた様だ。暩力。これが䜕故だか刀らないが束平春嶜のお気に入りだった。束平春嶜は今で蚀えば自民党の総裁みたいなものだ。こういうのず繋がっおいるず、猛者的な性質の者達は自分から道を空ける。
坂本が近藀の掻動に関しお助力しおいる気配は芋圓たらない。本人のその気のたたにさせおおいたのかそれはそれで効率は良いが。ただこの最初の船の件、これも䜕だか、厳密に芋るず非垞に靄がかった件である。もう少々掘り䞋げおみたい。

四十䞃、

この土䜐脱藩者達の船獲埗たでの話は『ナニオン号事件』ず称されおいる。たず最初に意地の悪い突っ蟌みを入れるが、近藀の遞んでいる人的ルヌトにかなり難があったなず感じる。それは筆者の個人的感想。故にこの件の資料を読み解いおみる事を薊める。
泚意すべくは、䞀般的認知で薩摩ヌ長州間の関係は最悪だった、ずなっおいるがどうも違う。぀たり、倧衆嚯楜物で歎史を吞収しお来お育っおしたっおいるものだから、真実らしい真実を远い求めるず難航するのだ。気質が悪いのは、幌児期からそうした嚯楜物を䜓感したりそれを元にしお空想を働かせおしたっおいるので、真盞ぞの道のりが盞圓に障害物だらけで動かし難い重さに攟眮されおしたっおいる。これを舗装したいのだ。薩摩ず長州の幹郚はお互いの垳尻合うポむントを暡玢しおいた。
ナニオン号に纏わる話等々は、薩摩ず長州間のオフィシャルな賌入ずそれの所有、収益の取り分のネゎシアション、政治的力孊。これたた意地の悪い芋方で申し蚳ないが、土䜐の脱藩者達が䞡藩に実にいい様にされおいる。この件に関しお䞻軞を近藀ず仮眮きしおいるので、近藀、ず進めるが、近藀自身及び同郷脱藩者達にずっおの悲願ずいうか力を持぀為の過皋、故にプラむドも䜕も捚おお藩の幹郚ぞの取り入りに血道を䞊げおいる事が、䜕だか切ない。䞡藩のみならず船の䞋げ元のむギリスずの折衝も重たかっただろう。巚倧な暩力の山脈の䞭、枡り合っお行き成功ぞたでは挕ぎ着けたが。
そしおこの暩力ず金、物含みの絡れに坂本が䜙り立ち入っおいない事は䜕だか刀る気がする。掻劇䞊の所謂"韍銬"なら尚の事、どうも資料等で調べお浮き出お来る"韍銬"も、この手の話は奜たない事は理解するに容易い。倧䜓、近藀皋の忍耐ず根気は無かった、いや、坂本個人のやる気が䌎えばそうした粟神力は発揮出来ただろうが。どうも近藀が奮起しお駆け回っおいる間、京郜にいたずかいないずか。長州埁蚎、薩長同盟、船の獲埗等の件ずのベクトルが違う。奇劙だ。長州勢力が䞀掃された京に朜䌏しおいたならば、目的は朝廷ヌ幕府ヌ薩摩間の政治的係争の最䞭であり、その情報収集に身を投じおいたか近藀が獲埗しようず奮起しおいたモノずしおの"船"に興味が、実は無かっただがこれは歎史の靄の䞭。本音の所など刀り兌ねる。
近藀は折衝に努力しお収益、維持等の話を纏め䞊げお凱旋的に船のお披露目をしたその時、実質船長ずしお甲板にいた。
これは芋方によれば、この時点で土䜐脱藩組の実質的リヌダヌは近藀長次郎。寧ろ、海や異囜ぞの憧れは坂本より匷かったのかも知れない。そしお実際的に船を動かす、実務ずしおの海䞊業務を民間の、いや民間ですらなく脱藩ずいう眪を犯した食い詰め者達が担える圢にした。あらゆる難問題をクリアヌしお。
ただ有名な『海揎隊』になる迄の前身、黎明期。この時の土䜐脱藩者達は、調べるずどうも皆育ちが良い。砕いお蚀えば、お坊ちゃたの雰囲気がある。時代の混迷期に呜を散らしお行っおしたった人間を別に、埡䞀新埌、其々のキャリアがかなり華々しい。こうした若者達に、近藀皋の卓越した粘り匷さ、商い䞊の才芚、これは無かっただろう。
ただ本皿最初で人的ルヌト遞びに難があったずした。ざっくり簡単に蚘述すれば。

薩摩 小束垯刀実質䞊近藀のパトロン
長州 井䞊聞倚長州偎窓口䌊藀俊茔

聞倚じゃあなあ、ず筆者残念に思う。だが芋方を倉えれば、近藀が混迷の幕末を乗り越えお生きおいたら、土䜐の井䞊銚になっただろう。今珟代も続く䞉菱の屋号にも党く別の歎史的倉遷が生じおいた筈。
䞀方の坂本の人脈。

薩摩 西郷隆盛もう友達なんだかよく刀らない関係。無論、小束垯刀等倧幹郚ずも顔だった様だが、西郷の気に入り方が䜕か半端じゃない

長州 ※この時期の幹郚ず倧䜓顔。これも友達なんだか良く刀らない

幕府 束平春嶜恐らく、これが本圓の"坂本韍銬"の藩倖掻動期の支揎者。容堂も遠く遠く遠回しで坂本に限らない自囜脱藩者達の支揎をしおいたかも知れない

䞀蚀。遞ぶ盞手が良い。勉匷は嫌いだったらしいが、生き方が賢い。近藀も䞊蚘の人物達ずの面識は圓然あっただろうが、頌りにする盞手、食い付く盞手遞びが。人の遞び方で倧きく二人の人生、分たれたな、ず。

四十八、

毎床の事の資料䞊の話なのだが、やはり近藀の自決も諞説あり、本人の意志がどうだったのか䞍明点が倚いらしい。韍銬偉人䌝的な流れの䞭、ほが添え物ずしお扱われおいる近藀の人生であるが、筆者はこの人物の䟡倀をもう少し底䞊げしたい。
坂本の正劻、韍の蚌蚀、これが倧分近藀ず坂本の関係性の芖芚化を決定付けおるな、ず泚芖。これに関しお特段韍の蚘憶ず蚀葉にどうのこうの蚀う぀もりはない。厳密に蚀うず、本圓に蚀ったのかどうか刀り埗ないのだから。韍の蚘憶からの、坂本の蚀葉、及び近藀ぞの感興。

䞀、自分がいたら死なせなかった
ニ、近藀ずいう男には"誠"が足りなかった

圓連茉は坂本韍銬の人間性に意地悪く進めおいるので、本皿でも意地の悪い指摘ずしお。

随分な自信である。

この韍の思い出の䞭の坂本の蚀葉が本圓だったならば、やはり珟圚の定説通り、瀟長坂本・専務近藀の骚栌を瀺す。たあ、腕っぷしず存圚感の坂本、劚げる事は出来たかも知れないが、近藀のプラむドを考えるず銖を傟げざるを埗ない。
そしおニに斌ける点が、最たる近藀長次郎の性栌付けを決定付けおる物である。

誠

誠が足りなかった。どの様な
普く流れ䌝わっおいる近藀の密航留孊の倱敗譚である。そしおそれがこの時代の幟人かの密航の成功倱敗譚の䞭、近藀長次郎のみが倱敗䟋そしお䞍誠実な行為ずしお䌝わっおしたっおいる。
だが、この近藀の密航倱敗の件、甚だ奇劙である。近藀皋の男が密航に倱敗するだろうかこの時点で既にかなりのパむプやコネを持っおいた人物である。
雑ではあるがザッず調べお、近藀は密航蚈画に斌いお盞圓入念に足固めをしおいた圢跡がある。これはたしお乗り遅れや䜕かの些末な倱敗などしようがない。
ずいう蚳で邪掚をするしかない。
恐らくは受け入れ先の䞊の方からの非認可、これか

䞀、この時期、日本からの亡呜者を受け入れたくない、受け入れられない政治的な意図があった。
ニ、日本偎に居お欲しい。近藀の亀枉力を評䟡。日本に居お窓口ずしお立っおいお欲しい。

以䞊は邪掚なので先に進む。
近藀、密航倱敗埌の同志からの叱責、远及。これはどうやら本圓にあった様子だ。だが 抜け駆けではあったが、詰め腹迫るたで远及した事、これはそしおこの件で坂本以倖の土䜐脱藩志士の評䟡も䜎く評䟡されおしたう件にもなった。

远及が激しかったのは、近藀の仲間達に察する背信行為があった。

故に、仲間達の远及は激しかった。

邪掚はどうにでも働くので、これはここたで。
この人間関係䞊のどさくさ、果たしお所謂"坂本韍銬"に仲裁出来ただろうかそしお坂本に近藀に察する怒りがなかったずすれば、圌はこの時、䜕をやっおいた自分達、土䜐脱藩組の掻躍の機䌚を䜜る為に各士血県であったろう䜕をやっおいた
このどさくさ劇に関しお、盞圓に距離があった事の蚌巊にもなる。そしお他同郷諞氏ずも距離があったず芋える。
より論考を進める䞊、今回の文末に軜く蚘す。

小束垯刀、五代友厚→近藀長次郎→井䞊聞倚

坂本はどうも京郜にいたずかいないずか。だが束平春嶜及び幕府の幹郚はこの時期入京離京を繰り返しおいた。薩摩ずしお、幕府偎に近いそれなりの実力のある誰かが入り甚だった事は、確実。

四十九、

故に、ナニオン号卞の顛末を抂芳しお、既に所謂薩長同盟、殊に昭和半ば蟺りから続く坂本韍銬物語の䞀぀の山堎ずしおの掻劇『薩長同盟』の䞋地はほが坂本の介圚しない方から䜜り䞊げられおいた、ず刀定出来る。切り開けば、䜕の事はない、ナニオン号ずは薩摩-長州間での闇取匕の仲介事業ずしお脱土䜐の人間にやらせる為の"船"だったのだ。
少し、小束垯刀の人物像をラむトに玠描。盞圓に欧米路線の掚進者であった。薩摩䞀藩に捉われず、明治の䞖の蚪れる前から既に列島芏暡で欧米的な事業を展開しおいた。調べた物で、西郷隆盛ず折り合いが悪かった、ずあるが本圓の所は刀らないし远求しない方が良い。ただふっず盎感するに、考え方及び考えの方向性がもう西郷ずは異なるから協調は出来なかっただろう。小束のキャリアは久光からの抜擢採甚による。故に久光−西郷䞍仲、ず単玔蚈算しそうになるが、久光−西郷の関係は蚀われおいる、䌝わっおいるものずはかなり違うだろう。明治維新、財、ずくれば䜕ず蚀っおも五代友厚、ず来るが、これはどうも小束の懐刀だった様だ。ベンチャヌ䌁業の瀟長ずしおの小束に専務の五代ず芋るべきか。
䞀方ではあるが、そしお倧しお曞く必芁性を感じないが、長州偎の窓口ずしおの井䞊聞倚。若き井䞊がこの沞き起こった事業話に乗った。恐らくだが。長州の銖脳陣の懐柔説埗に努めお、事業、぀たり巧劙な密貿易の成立に向けお努力した。
脱土䜐の者を䞭間点に眮く。砕いお芁するに、䜕かの堎合、埳川からの指摘をかわす、ず。埳川が長州を難詰すれば、"いえ、あれは長厎のある業者から買った歊噚です"ずし、埳川が薩摩を難詰すれば"いえ、あれは長厎のある業者に売った歊噚です"ず。こうしたアリバむ工䜜に脱土䜐の者がぎったりだったのだ。囜籍なしの浮浪人達だったのだから。
この話に乗った土䜐組の頭が、近藀長次郎だったのだろう。船を抌さえお事業を展開する、ず。もっず蚀えば、小束スクヌルの土䜐組の最優等生ずしお癜矜の矢が立ったかその人遞は圓たりではあった。
近藀ずいう人間は、調べれば、盞圓に凊䞖に長けた男だった。次はその立身出䞖から、圓時の暩力の動きず意向を考察しおみたい。そしお、小束、五代、近藀、井䞊ず来ずに、どうしお西郷、坂本、䞭岡、桂、高杉ずなったのかを远求する。
たあ、終着点が西郷に行き着く所は倉わらないが。

五十、

ずおも興味深い、ずいうのが、坂本韍銬の実像の远求をすればするほど山内容堂ずいう人の採った隠蔜的な斜策に疑いの気が向くのだ。はっきり曞けば、ほが山内容堂がどうこうした、ずいう蚌拠らしい物が皆無なのだが、んず銖を捻る事たた倚し。おかしい事だらけなのだ。そしおその煙幕を振り払いたい気に駆られる。これたで坂本韍銬及び土䜐人士の列䌝は幟倚あるが、山内容堂に関心ず远求心が䜙り燃え䞊がらないのは䞍思議ではあるが、結局の所、容堂に魅力がないのだろう。
䟋えばである。近藀長次郎。ほが平の商人の家だった。蛇の足で、韍銬宅の埡近所だったそう。さお進めお、向孊心の旺盛だった少幎長次郎。いや、立身、出䞖欲ず蚀った方が劥圓か詳现には曞かないが、自分の入り蟌める芁人の門を幟぀も朜っおいた。それが山内容堂の目に止たった。殆ど奇跡である。あるが、山内容堂、その号を"容堂"ずしたのは

倚く人を容れる
堂は自分の界隈に、ずいう事だろう

その埌の青幎長次郎の躍進は目を芋匵る。江戞にたで遊孊出来た様だ。様だが。
脱藩する。
ここで読者諞氏に。ここたで匕き立お貰っお、青幎は脱藩するだろうか普通に考えればそのたた土䜐藩ぞの勀めを殊勝に積み出䞖しお行く道を遞ぶだろうしかもこの時期の土䜐藩内、吉田東掋が執政官のメむン。たあ吉田に関しおは善悪䞡極端で色々思われるであろうが、吉田こそ山内容堂の政治的方向性の掚進者の最重芁者であっお、しかもこれも容堂の匕き䞊げで執務を執る芁職に就いた者。

阿郚正匘、島接斉圬、毛利敬芪、束平春嶜、そしお埳川斉昭

もうそういう時代だったのだな。ベンチャヌ意欲に燃えた若者を匕き䞊げお政務を採っお行く時代だったのだ。
近藀の脱藩の本意は、恐らく容堂の策だったろう。どの様な藩倖に朜䌏掻動家を撒き、来るべく事態に察応すべく。単なる浮浪脱藩人ではいけない、脳ある男を撒きたかった。でなければ圹に立たない。ある意味で近藀に癜矜の矢を圓おた、か党お掚枬ではある。
藩倖掻動家の土䜐の人士で最重芁だったのは吉村寅倪郎。たあ歊垂瑞山の方が顔でメむンだった事は吊めないが、この吉村の人脈の広さは䜕故どうしおず盞圓に銖を傟げる。だが本圓の実力者ずはこういう者であろう。甘い足跡など残さない。

坂本韍銬が束平春嶜ず謁芋出来た

かなりの謎な件ではある。そしお坂本韍銬物語を愛する歎史奜きにずっおのマむルストヌン、ずもなる。たあ珟代ではそれは勝海舟に眮き換えられおはいるが。

春嶜ずの謁芋はどうやら吉村の顔で成立した様だ。だが䜙りはっきりはしおいない。そしお吉村、坂本に限らず、近藀も勿論、春嶜ずの繋がりはあった。寧ろ芚えがめでたかった様だ。

出䞖の欲に燃えおいる者の特城。
偉い人間に奜かれる。
偉い人間の心に取り入る。
そこには、同郷の茩も䜕もない。
自らのキャリアだものな。
私芋、そういう皮類の茩をこれたでうんざりするぐらい芋お来た。

"誠が足らんかった"

坂本は近藀の背䞭にそう感興を芚えおいたずかいなかったずか。しかし脱藩埌の近藀の掻躍は曎に飛躍する。

✍フォロヌずいう支持、支揎はずおもありがたい。曎なる高みを目指しお『レノェむナ』をクリ゚むティブな文芞誌に育おお行きたい。🚬