🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 六十四
六十四、
かなり活動家としても有力な若き土佐脱藩者の中でも中岡が“ここ”を実質担当する。長州側の窓口としての顔となったのは前稿に臭わせた様な理由か。まあおさらいで、聞多の過重労働、桂の躍進、中岡の信用等で上手く嵌った、と。そしてもう一点おさらいで、この時期の近藤の変、自死による欠員、と。この近藤の欠が、薩摩ー長州の密貿易の商売的ニュアンスから変貌したのではないか?というのは、近藤存命で密貿易が継続していたならば、と仮定せば何となく伝わるか?と。恐らくは現代におけるここまでの