トーキョー王 #9

【CJ-22】
    金髪の少女は床の「少年王」――もはや「元・少年王」と云ったほうがよいかもしれない彼にもう一度、恥を知りなさいと厳しく云った。暴力の論理を支持する者たちに暴力で応じてはあなた自身が、その論理を支持する者になりますのよ。

    英語が通じるようではなかったが、彼女も期待はしていないようだった。云うだけ云うと興味を失ったように踵を返し、このような者の力は喜んであなたがたに差し上げますわ、とCJたちに言い捨てた。

    そのまま部屋を出ていこうとするが、すぐに部屋のドアに、身を隠すように戻ってきた。ねえちょっとあなた、と使用人を呼ぶように、CJに声をかける。物騒な方々がおいでになっていますの、道をあけるように云ってくださらない?

    この状況で騙し討ちを試みるような恥知らずではあるまいと、CJはディアナから離れた。少年は片頬を青く、もう片方を赤く腫らして意気消沈しており、まだディアナが力を吸収していないとはいえ、自分たちをどうにかしようという気持を残しているとは思えなかった。

    それにしてもいろいろ現れる日だな、と口を曲げながらCJがドアのところまで行くと、がらのよくない男たちが廊下を歩いてくるところだった。なりゆきに手をもみしぼっているダンチの住民たちは、男たちに威嚇されてCJたちのいる部屋を指さした。

    お嬢ちゃんなら自分でなんとかできるだろ、とCJが云うと少女魔術師は、お連れ様のおっしゃるとおりあいにく「弾切れ」ですのと、ディアナの指摘を引き合いに出して小首をかしげた。ああした手合の相手はご専門でしょうとCJに云う様子は、落とした銀器を拾うのはウェイターである貴方の仕事でしょうと云っているかのようだ。

    不意討ちをかけた相手に云うことかよ、とCJは顔をしかめたが、少女は意に介さなかった。見せ場をご提供してさしあげるのですから、はりきってご活躍くださいませね?

    少女の態度に苦笑しながら、CJは銃を構えなおした。せめてものお返しにと、せいぜい渋く笑ってみせながら、期待には応えられないと云った。見せ場というほどの相手ではないからだと続けたが、少女は人を使うことに慣れた者の口調で、いいからさっさとなさいな、と手をひらひらさせた。

    また苦笑させられたCJは、やれやれと廊下に出た。男たちは彼の姿を見るや、中国語で何か言い交わして銃を抜いた。

    その後はCJの云ったとおり、見せ場というほどのことにはならなかった。


【スリン-14】
    後部座席でぶつぶつ何かを呟いている小柄な男を、スリンは横目で、奇妙な気持で見た。本当にこの男があの居酒屋――日本の「特殊科学」組織の拠点に、特殊科学攻撃を加えたのだろうか?

    クルマが停止して、スリンは男に促されクルマを降りた。この先の駐車場で仲間が待っていると云われて、そちらに歩きだす。その彼は後部座席から仲間を、ほとんど引きずり出すようにして降ろしている。

   時間制の駐車場は、スリンが東京に来て以来あちこちで見かけたものだった。数台が停まっている中に一台、灰色のワンボックスがある。スリンはなんとなく目をとめて、少し離れた場所からそのクルマを見たが、自分がなぜそこに目をとめたかがわからない。

    なにやってんだ、と追いついてきた男が云った。彼は小柄な男の首根っこをつかんだまま、躊躇なくスリンが見ていたワンボックスに歩み寄る。やはりこのクルマなのかと彼女は思ったが、ではなぜ自分がそれだと思ったのか。

    男がワンボックスのすぐ横に立っていた男女に声をかけたので、スリンは悲鳴をあげそうになった。

    彼が声をかけるまで、スリンはクルマの横に人が立っていることを知覚していなかった。

    声をとどめるように口を押さえる彼女に、おかしなものを見るような目を向けながら、特科戦の男は来るように示した。クルマの横に立っていた大柄な、ぼんやりした表情の男からカギを受け取り、後部のドアをスライドさせる。男は大柄な男とその連れの少女を後部に乗せた。

    連れの少女がぶるぶる震えては、時おり取り乱して激しく動く。それを男のほうが、抱きかかえるようにして落ちつかせていた。少女は精神に問題を抱えているのだろうか。特科戦の男は、連れてきた小柄な男を後部座席へ押し込んで、スリンには運転席を示した。

    ぼんやりした大柄なのと、精神を病んでいるのか錯乱したように見える少女。さっきまでそこに立っていることを知覚できなかった二人。それに何かを呟きながら、自分の世界に入り込んでいるように見える小柄な男。どうにかまともに話ができそうなのは隣の彼だけだ、と思いながらスリンが助手席を見ると、彼は瓶から大量の錠剤を取り出し、まるで粒ガムかラムネ菓子のように噛みくだいていた。

    悪い夢の中にいるようだった。しかしスリンはすぐに、自分が生まれたときから既に、たちの悪い夢の国にいたことを思い出した。


【アキウ-13】
 「事務所」は京都のお姉さまがたに、せっかく集めた霊力を奪われ――もとい、交渉の結果いくらか提供することになってしまった(言葉には気をつけないと、いつ怒鳴りこまれるかもわからないからなあ。くわばらくわばら)。

 ちなみに同じ頃、京都の某電気部品メーカーが韓国企業との取引でもめて、違約金を30億円ばかり先方に支払わせて手打ちになった。北との関係が疑われていたらしいその会社は倒産して、韓国の有力財閥に吸収されてしまった。「事務所」の話によればそのお金はどうやら、めぐりめぐって彼女たちの懐に入ったらしい。

    サエさんの云うとおり、あの連中の「雇用主」はしっかりむしり取られたわけだ。 そりゃあ居酒屋一軒、修理しようが建て替えようが、なんてことないよね。3倍じゃきかない気がするけど、サエさんはきっと「利子やな」とすまして云うだろうし、サヤさんは「気ぃ遣ぅてくれはったみたいやわ」とにっこり笑うのだろう。

 笑っていられないのは「事務所」のほうだった。上のほうとしては「損害」をどうにか埋め合わせたかったけれど、正面からであれなんであれ彼女たちとことを構えるのは大沢さんいわく「文字どおり骨が折れるし、へたすりゃ大火傷だ」。いや、上手いこと云わなくていいんで。

    誰が「トーキョー王」かというのはさておき、その力だけは管理しなければならない「事務所」としては、なんとも頭の痛い状態だった。京都方面をアンタッチャブルとして手をつけないなら、別のところから持ってくる必要がある。

    その線で行くしかないですよねえ、と僕は大学のカフェで嘆息した。大沢さんはテーブルに立て掛けた松葉杖を拳で叩いて、自分が復帰するまで待っていろと云った。姫ちゃんはそんな僕たちを見て、「他の皆さんもいらっしゃいますから、しばらくは英気を養ってください」とやわらかく微笑んだ。

    実際、「事務所」の組織力は「トーキョー王」の力を狙うほかの勢力の存在を、誰とは特定できないまでも推定しつつあった。それらと僕たちが対峙するのも、そう遠くはないだろう。


【スリン-15】
 おそろしい勢いで錠剤を貪ると、男は助手席に身を預けて深く息をついた。暗い車内でよくわからなかったが、街の灯りをうけて彼の額に汗が光っているのがわかった。スリンは少しためらったが、信号待ちを見計らって声をかけた。

 ――心配ねえ。ちょっと能力を使いすぎただけだ。

 頭の中に彼の言葉が飛び込んできて、スリンは今度こそ悲鳴をあげそうになった。ぎょっとして見ると、彼は疲れた表情にいつものにやにや笑いを浮かべて彼女を見ていた。

 俺の能力は察知と通信だ、と彼は、今度はふつうに発声して云った。ここへ来る途中、彼が誰かと話していたのにスリンの通信機に音が入らなかったのは、彼がその「特殊科学的技能」を用いて通信を行っていたからだという。頭の中に直接とばすことも、こうやって(彼が云うとカーオーディオから彼の声が流れた)通信機に自分の声の信号を乗せることもできるのだと、彼はいくらか荒い息で説明した。

 プランBの拠点まで連れて行け、と男は云った。その後はヤンのところに戻るなり、俺たちがヤンとパクを追い払うまで身を潜めるなりしていろ、と云って目を閉じた。

 ヤンとパクを追い払うのを手伝ってもいいですか、とスリンが尋ねると、男は片目だけ開いて彼女を見た。あなた方の目的が何か知りませんが、トーキョー王を手に入れるなら私の任務の一環ですとスリンは云った。作戦に失敗したヤンとパクが排除されたとしても、私たちはこの崇高な任務を成功させなくてはなりません。

 後部座席で驚いたような声がして、スリンは体を震わせた。直後に近くで、金属に衝撃が加わった音がして、建築物が崩れるような重い音がそれに続いた。駐車場そばの集合住宅のようだった。助手席の男がスリンに、状況を確認するよう言いつける。彼女は当惑して彼を見たが、「特殊科学的打撃」だと彼に云われて表情をこわばらせた。

 男は後部座席に目配せして、今はこいつらが使える状態にない、と云った。敵性勢力との衝突は避けろ、こっちでも監視しておく――拳銃に消音器を取り付けながら、スリンは黙ってうなずいた。

 ブロック塀に激突したクルマの中には、パクともう一人の中国系らしい男がいた。特科戦の男の言葉がスリンの頭の中に入ってきて、誰かが近づいてくることがわかったので、スリンはパクたちを射殺した。敵手に落ちることを防ぐための、やむをえない措置だった。

    車に戻ると彼女は、そのことを晴れやかな顔で報告した。


【CJ-23】
 殺しちゃだめよ、と部屋の奥から声をかけるディアナになるべくな、と返してCJは、中国人らしい襲撃者を制圧した。ダンチの住民たちの前で何人も殺すのはためらわれたので、CJも多少の気を遣ったが、結果的に何人かは死んだ。金髪の少女魔術師は、CJの立ち回りがひと段落したところで部屋から顔をのぞかせ、ごくろうさま、とたいして感謝しているふうでもなく云った。

 ディアナは「元・少年王」を連れて出てきた。CJを呼び寄せて彼の腕に手をふれ、少年になにごとか云うと、少年は疲れたような声をして、廊下に出ていた住民たちになにか云った。住民たちはそれを聞いてうなずき、釈然としないようすながらも自分たちの部屋に戻っていった。今夜のことは忘れるように命じてもらいました、とディアナはCJに云った。

 少年が泣きながらなにか云ったので、ディアナが諭すように日本語で返した。やさしい表情と声音で、彼を安心させるように云うディアナの目はしかし、強い意思をこめて少年に向けられていた。学校の先生にでもなればいいんじゃないか、とCJは思った。

 彼女がもういいというのでCJは、中国系とおぼしき男のうちでまだ会話ができそうな相手に近づき、胸ぐらをつかんで引き起こした。以前の仕事がきっかけでおぼえた北京語で詰問すると、息のある別の男が横から、余計なことを云うなとうめいたので、CJは躊躇なく彼を撃った。そのことで目の前の男の口は軽くなり、自分が中国の犯罪組織の構成メンバーで、「上の者」と依頼主とが外のクルマで待っていることを白状した。背後関係については知っておきたいところだったので、CJはそのクルマを特定させた。

 終わりました、と云ってディアナが戻ってきた。彼女の後方で、かつて少年王だった子供は床に座り込んですすり泣いていた。部屋からさっきの少女が、平手打ちされた頬をおさえながら出てきて、少年のそばにひざまづいた。少年は泣きながら彼女にすがりついた。少女もまた泣いていた。

 心温まる眺めだな、とCJは皮肉を云った。自分の心を乗っ取られた不愉快は、力を奪い去っただけではなくならない。子供だったから手加減したが、大人だったらあんなものではすまない。それでも意趣返しは、愉快なクラスメイト諸君や親切なご近所の皆さんが、彼に代わって実行してくれるだろう。

 CJがそう云うと、ディアナは首をふった。彼らの安全のために、全ての力を吸収することはしなかったのだという。他者を支配するほどではないが、相手に畏怖を生じさせる程度に。なんとも寛容なことだとCJは口をゆがめ、今度なにかしでかしたら次はもっと酷い目にあわせると脅しておけ、と云ったが、ディアナはもう云ってあります、と微笑んだ。

 あのクルマでいいのですわよね、と少女魔術師が声をかけてきた。窓から下の道に停められた黒塗りのセダンを指さす。CJがそうだと云うと彼女は、ごきげんようと云って歩み去っていく。ディアナが横で、あ…と声をたてた。私はまちがっていました、すごく遠くからの力が――

 彼女が最後まで云う前に、セダンの側部に衝撃が加えられた。いきなりドアがひしゃげて吹き飛んだセダンは、そのままブロック塀に激突した。彼女は弾切れではありませんでした、とディアナが云った。見りゃわかるよ、とCJは云った。


【スリン-16】
 「プランB」の拠点とは、荒川沿いの自動車修理工場だった。いつもと違う車が入ってきても不自然でなく、周囲に民家の少ない立地だった。多少の音がしても不審がられることもない。スリンたちはその夜のうちに、ひとまず腰をおちつけた。

 拠点にはもう一人の仲間がいて、スリンたちを導き入れてくれた。彼もまた特科戦のメンバーだったが、本人いわく「たいした力がない」のでこうして表に出ないバックアップ任務を行っているということだった。

 他のメンバーよりもいくらか若く見える彼とは会話が成り立ちそうだったので、スリンはいくらかほっとした。助手席に乗せてきた「察知と通信」の男は到着するなり倒れ込むように寝入ってしまい、他にコミュニケーションのとれそうな相手がいなかった。

 他のメンバーたちは思い思いに過ごす――というより、それぞれの世界に引きこもってしまったようだった。錯乱していた少女はようやく眠り、大柄な男がその横で舟を漕いでいる。小柄な男はほこりっぽい修理場の隅で膝をかかえて座っており、起きているのか眠り込んでいるのかもわからない――どちらにしても、意思疎通ができそうにはないので同じことだったが。

 あなたがいて助かった、とスリンが階級とともに名乗ると、若い特科戦隊員はうすく笑った。協力してくれるならありがたいという彼にスリンは、特科戦は何をしようとしているのだと訊いた。組織上どうなっていたかは知らないが、行動をともにしていた部隊の長であるパクを罠にはめ、自分の上官であるヤンを放逐しようとは。

 目の前の彼が困った顔をして、それに答える権限を与えられていないと返答したとき、修理場の奥でうめき声がした。彼が倒れる音がして、工具や部品がくずれるような音がつづいた。スリンたちが駆けつけると、さっきの小柄な男が体をのけぞらせて痙攣し、口から泡をふいていた。

 たいへんだ、と横の男が奥に声をかけた。26号が壊れた!

 うるせえ、水でもぶっかけとけ――奥から、さっき寝入ったはずの「察知と通信」が返事した。それを聞いたスリンの横の男はちょっと躊躇したが、横にあった防火用水の赤いバケツの水を、痙攣している男に浴びせかけた。痙攣が徐々におさまり、「壊れた26号」はおとなしくなった。

 どういうことなの、とスリンは訊いた。 若い男はバケツを手にしたまま再び、それに答える権限を与えられていないと返答した。


【CJ-24】
 CJがひしゃげたセダンの中に見たものは、東洋系らしい二人の男の射殺体だった。ディアナを少し手前で止めて近づき検分したところ、射殺そのものには不必要なほどの弾数が撃ち込まれていた。さらに崩れた塀のブロックをぶつけてあるのは、怨恨というより顔面を破壊する細工のように感じられた。

 自分たちと、あの金髪の少女魔術師、中国系とおぼしき賊、それに彼らと敵対しているらしい勢力―― ずいぶん来客の多いアパルトだと、CJはひとりごちた。

 あの大声男と眠っていた少女の二人も、 いつのまにかいなくなっていたところからすると「少年王」の友人というわけではなさそうだ。少女魔術師の話では、眠っていた少女の夢が彼に力を与えていたらしいが、自分たちに抵抗するわけでもなく行方をくらましたところをみると、やつらはあの少年を利用したかっただけのようにも思える。だがなんのために?

 わるいんだけど、と後ろからディアナが声をかけた。振り返ると彼女は車に背を向けて立ち、そろそろここを離れたいと云った。今日はいろいろありすぎたし、それに気分が悪い、と云う。妙に丁寧な口調が元に戻ったのは、少し回復して調子が出てきたからだろうか。よい傾向だと思いながら、CJはうなずいて立ち上がった。

 乗ってきた車のほうへ歩きながら、ディアナは何かおいしいものが食べたい、と云った。今日は悪いものをいろいろ吸い取ってしまったから、気分がよくなるものをとりたいのだという。

 たしかにそんな顔をしていたなとCJが云うと、彼女は鼻頭にしわをつくった。あの大声男の力は油臭いようなクスリ臭いようなとにかく人工的ないやな感じだった、「少年王」がCJを支配した力はよどんだ小川の水みたいだった…あの女の子がCJを狙った力だけはそうじゃなかったけど。

   自分を狙った力だけは清く正しかったのかと彼がいやな顔をして問うと、ディアナは苦笑した。正統派だっていうだけで、正しいかどうかとは別よと笑う。力は単に力だというだけだもの。

 それより何か食べに行きましょうと、ディアナは繰り返した。彼らが何者であれ、私たちは「いいもの」を見つけに行くだけよ。CJはうなずいて、ホテルに近いところにしてくれよと笑った。  **Tokyoking**

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