「トーキョー王」 #3

【コウ-6】
 トーキョー王?なんだそりゃ、と僕は思った。トーキョー王に、オレはなる!と両の拳でテーブルを叩きながらキャラっぽく云うと、スーは露骨にげんなりした顔をした。だがスーよ、その顔をしたいのは僕のほうだぞ。夜のファミレスで、お前はなにを云っているんだ。

 スーが云うには、こないだ僕がplagでスプレッドしたカードには、何か強力な魔法がかけられていたのだという。そのカードには「これを引き抜きたる者トーキョーの王たるべし」と書かれていて、それがしばらく前までplagのTokyoエリアで話題になっていた《ゴーストカード》、つまり残りカード枚数のカウントが1から減らない理由だったのだそうだ。

 で、それを僕がたまたま引いて今トーキョー王になったかと思ったら、どうもそういうことでもないらしい。そのときはスーも驚いて、それであの、ものすごい表情が出たのだが、魔法は失敗したらしいのだ。誰かが妨害したのか、もともとうまくいかないようなものだったのかはわからないが、あの瞬間にスマホがオチたのはそのカードの魔法が正しく発動されなかったためらしい(魔法がうまく発動しないとなぜスマホがオチるのか、僕は考えないことにした)。

 それでも魔力は僕のところにあるとスーは云う。発動には失敗したが、魔法をかけた人間の思うようにならなかっただけで、魔力はひろがって飛び散っていって、それが例のカードを「引き抜きかかった」僕のほうに飛び込んできたのだそうだ。そんなの何も感じなかったぞ、と云ったらスーは僕の中に流れ込んできたというよりも、僕の肩のあたりに引っ掛かっているぐらいのもので、魔法に通じていない僕はそれを取り込むこともできず、効果的に扱うこともできないのだと、なぜか勝ち誇ったような顔をしながら説明した。

 ――でも実際、センパイのやってるアレが強くなってる。気づいているでしょうとスーに詰め寄られ、僕は返答に困った。たしかにここのところ、僕が《介入》と呼んでいる「神様へのお願い」の「効き」が、いやに強くなっているように感じていたのだ。

もともと、うまいこと偶然が重なるぐらいのもので、他の人を意に反して行動させられるわけでもなければ、パチンコ玉ひとつ動かせたこともない。しかし最近になって効き方が大胆というか、大規模になった気がしていた。云われてみれば、それはスマホがオチてスーが目をむいた、あの日以来のことだったかもしれない。

 スーに云うとまた怒るので云っていないが、道を歩いてたある日、路駐しているクルマが邪魔っけだったのでどいてくれますようにと《介入》を試みたら、トラックが突っ込んできてそのクルマを押し出してしまったのだ。ちょっと偶然の神様も乱暴すぎやしないかと、僕はそれ以来《介入》を控えるようにしていた。

 悪い魔法使いとかが接触してくるかもしれないので、スマホにこれを入れといてください――僕が返答に窮しているのを肯定ととったか、スーはバッグから、ケースに入ったマイクロSDを取り出してテーブルに置いた。僕のほうに押しやりながら、5.0以上のAndroidに対応したインストーラーパッケージだという。魔法使い除けにスマホのアプリとは。僕は頭をかかえた。

 インストールしてください、なにかあったら私のところに知らせが来ます、と自信ありげにスーは、自分のスマホを取り出してポーズをとってみせた。変身ポーズみたいに芝居がかって見えたので、僕のピンチにはキュアチャイナに変身して駆けつけるのかと云ったら言下に否定されたが、真っ赤な顔でテーブルを叩いたところからすると、案外本当に変身するのかもしれない。社会通念上ゆるされる魔法少女の年齢制限をとうに過ぎていると思ったが、怒りそうだったので云わなかった。


【CJ-1】
 はじめまして、あなたがCJ?そう云って少女は屈託なく、彼の職業上のあだ名を口にした。

 羽田空港のロビーである。南方の血でも入っているのだろうか、褐色の肌にゆるく波うつ金髪の彼女は、二十歳になるならずといったところに見えた。少女はディアナ・ブラウンと名乗り、お祖母様に云われて来たけど、私ここで何するの?と彼に尋ねた。

 なんだってんだこの仕事は、とCJはもう何度めかの悪態をついた。天下のCIA様が送り込む増援が娘っ子ひとり、どう見ても荒事向きではなく、おまけに自分が何のためにこの東京まで来たのかも知らずにいるときている。

 唖然とする彼にディアナと名乗った少女はにっこり笑って、東京には世界中どこの料理もあると聞いたから、どこかに美味しいものを食べに行きましょうと云った。だいじょうぶ、私いいものを見つけるのは得意なんだからと、にこにこしながらCJの腕をとる彼女は、どう考えてもCIAのエージェントには見えなかった。

 なんだってんだまったく、とCJはまた悪態をついた。


【スリン-5】
 特科戦――特殊科学戦部隊を中心に編成された探索チームからの報告に、スリンは言葉を失った。接触すべき「トーキョー王」なる者は存在しておらず、それを生み出すと推定されていた特殊科学装置が破壊されたというのだ。

 キザキと別れ、セキュリティの確かな飲食店に腰を下ろすやどういうことなんだと詰め寄るヤンに、現場指揮官に代わってさっきの顔色のわるい男が説明した。スマートフォンを使った情報サービスの中に仕込まれていた特殊科学的機構(彼はいったん「魔術」という言葉を使い、小馬鹿にしたように言いなおした)が、内部から自壊したのだという。彼も含めて4人で寝ずの番をしていたというのだから、なにかのエネルギーが外から飛んでくればわかるはずで、外部からの干渉で破壊されたという線はなさそうだった。

 東京に行ってみましたけどいませんでした、では済まされないぞというヤンは、あてが外れたとはいえひどい狼狽ぶりだった。男はそんな彼を嘲るように笑って「じゃあ誰か連れていくしかねえだろ」と返事した。幸い「特殊科学」(彼はわざとらしく強調した)の力は消え去っていないので、適性をもった日本人にその力をあてがって本国に連れ帰ればいい。日本人を連れて行くのは通常戦工作部隊が昔から得意としてきたのだし、候補は自分たちがピックアップするから少し待っていろ、というのが特科戦の男の言い分であった。

 スリンが引かされたのは貧乏くじどころか、当たりのない空くじだった。おまけに上司がはずれくじときている――すっかり平静を失い、青くなって唇をふるわせている上官を見て、スリンの気持はさらに暗くなった。


【CJ-2】
 ことの発端はラングレーのカンパニー本社が情報収集に出遅れ、日本側との折衝がもたついたことだった。いつもは融通をきかせてくれる日本の公安が今回はやけに頑なで、あっちの調整がこっちの折衝がと返事を遅らせてエージェントの入国をかわし続けた。何があったのかと尋ねても要領を得ず、しまいには今回貴国のご援助をいただくに及ばずと慇懃に断ってきたので分析官たちも半ば意地になり、あれこれの政治的なつてを頼ってようやく得た答えが「霊的なエネルギーの炸裂」だという。

 霊的なエネルギー?日本は神秘の国だというが、今や未来を生きるテクノロジー国家だ。それが霊的なエネルギーとは。ラングレーの分析官もあっけにとられ、それが何か重大なのかと日本側に尋ねたが、担当者は日本人特有の曖昧な笑顔で「ですからご説明するようなことではないと申し上げていたのです」と返答した。

 これだけなら、わけのわからない東洋の神秘として報告書の数ページも提出すれば幕引きとなりそうなものだが、困ったことに合衆国に友好的とはいえない勢力が、その「霊的なエネルギー」とやらをあてにして日本に入国したとの報告が入った。ここにきてラングレーの官僚たちも、何かはわからないが日本にあるものなら彼奴らに渡すまじとエージェントを派遣しようとしたが、なにぶん既に日本側との話は終わってしまっているし、いざ派遣といっても「霊的なエネルギー」に通暁した者がCIAにいないことに気づいた。

 しかたなく彼らは別動を頼ることにして、それなりに霊や魔術や神智学など、およそこれまで彼らが経験したことのない世界に近しい人々の間を経由しCJに話がまわってきた――というのが彼の知る経緯だ。どこまで本当なのかもわからなければ、どこまで本気にしていいのか見当もつかない。それでも彼がこの仕事を受けたのは、そこそこ魅力的な報酬の5割が前払いという好条件と、いい歳をした大人が何に大騒ぎしているのか見てやろうという好奇心、日本ならロケット弾の間を走り抜けるようなことにはなるまいという安心感からだった。

 それがどうだ。ろくな援助も物資も情報もなく、新宿のホテルに逗留して1週間。ようやく到着した増援は彼の隣のカウンター席に腰かけて、ライスに焦げたチャウダーをかけたような食べ物を、にこにこしながら食べている少女だ。やっぱり私のカンは抜群ねとうなずいている少女と、目の前の「カレーライス」(体が大きいんだからこういうのにチャレンジしないとダメよ、とディアナが選んだ、大量のカツレツが盛られた大皿)を見比べ、CJはうなだれてフォークを手にとった。


【CJ-3】
 ディアナが片言の日本語で店員に声をかけたのは、CJが2枚めのカツレツ(1枚めと違ってチキンだった)を食べ終えて、シュリンプフライにとりかかったときだった。悪い妖精がついてきてマスネ、と云われた店員は面くらったようすだったが、褐色の肌をした金髪の美女に屈託なく云われては訝しむこともない。

 おまじナイしますネ、とカウンターごしに云ってディアナは手をのばし、口の中でなにやらつぶやきながら両手を店員に向け、左右の手指を複雑に動かした。店員はきょとんとしてそれを見て、周囲の店員に困惑したような苦笑いのような顔を向けている。他の店員たちも「おかしなガイジンさんにへんなことをされている仕事仲間」の図を笑って見守っている。

 彼女が最後に左右の指を鳴らしたとき、CJの目には指が2回動いたと見えたが、音はなぜか3回聞こえた。彼女はぱっと右手で空をつかむ動作をして、ハイおしまいデースと店員に笑った。何かよくなるのと訊く店員に、ハッピーになりますネと笑って、CJにウィンクしてみせた。彼はフォークをくわえたまま、曖昧にうなずいた。

 なんだったんだありゃ、と店を出てCJは尋ねた。ディアナは笑って、彼にくっついていた魔力を吸い取ったのよと云った。CJが目をむくと彼女はこともなげに、いいものを見つけるのは得意だって云ったでしょうと笑った。CJったら聞いてなかったの?

なにがどうなってるのか知らんが心強い援軍だと、彼は思った。


【レナ-7】
 夜中にLINEが入って、私は目を覚ました。誰よもう、とiPhoneを取りあげると、誰ともわからない相手からスペイン語…いやポルトガル語かもしれないけどそれっぽい言葉でトークが入っている。知らないわよもう、と私はiPhoneをサイドテーブルに戻す。出会い系かiTunesカード買ってほしいのか知らないけど時差を考えろ、と息をつく。

 怒ったせいか目がさえてしまった。何か飲みに台所へ行って、ついでにトイレに行っておこう。私は部屋を出て、階段の方に歩いていった。

 そのとき、ミナの部屋で何か音がした。あの子ったらこんな時間になるまで、例の魔法センサーだかなんだかをいじってるのだろうか。でもそのわりに、ドアの下からは灯りが漏れていない。

 気のせいかしら、とまた階段に行きかかったとき、ミナの部屋から再び、今度はバタバタと何かもがくような音。気のせいじゃないし、だいいちうるさい。

 ちょっとミナうるさいわよ、と云いながら私がドアを開けると、ベッドの上に黒い影が四つん這いになっているのが見えた。ミナらしい影はその下でもがいている。

 考えるより早く、私はその影にとびかかった。けれど影はすばやく動いて、私の腕をブロックしながら脚を出した。お腹に衝撃。私は蹴り飛ばされて、部屋の壁にたたきつけられた。息がつまる。おまけにミナの机にぶつけた。肩が痛い。

 その隙にもがいて逃げようとしたミナを、影はすばやく組伏せた。私は動けなかった。痛みのせいか暴力を受けたという事実のせいなのか、今ごろになって恐怖が湧いてきた。動けないのは苦痛のせいだけじゃなかった。影は腰のあたりから取り出した何かを妹に振りかぶった。街灯りをはじいた光で、それがナイフとわかった。ファァ、と情けない声のような息のような音が喉から漏れるのを、私は他人のもののように聞いた。

 そのとき、壁 を 背 に し た 私 の 背 後 か ら 風が吹いた。

 私の髪を揺らした風は次の瞬間、ごうっと音をたててナイフを構えた影の腕をとらえ、窓のほうに吹き飛ばした。見えない巨人が影の腕をつかんで、窓に向けてほうり投げたみたいだった。

 影は何か叫びながら、窓を突き破って外に落ちていった。下で誰かが驚いた声をたてるのが聞こえた。私はミナにとびついて無事を確かめた。ミナは震えながら私にしがみついた。私の耳元で、かちかちと歯を鳴らしているのが聞こえて、私はミナを強く抱きしめた。

 暴行犯は下の道路に落ちたところを、通りがかりの大学生に取り押さえられ、匿名の通報で駆けつけたパトカーで連れていかれた。犯人が転落した理由を私は説明できなかったが、警官のほうでそれらしい話に誘導してくれた。恐怖で動けなかった私は、危険を顧みず犯人と取っ組みあって窓から叩き出した、勇気あるお姉ちゃんになった。

 事情聴取に向かう学生さん(たいしたことしてないんで、と彼は最後まで名乗らなかった)を乗せたパトカーを見送りながら、私はミナの肩を借りたまま、お姉ちゃん魔法を信じてもいいよと云った。 


【スリン-6】
 戦争中であれば昂ぶった男性の心を憩わせるために、女性が男性に奉仕するのは当然である。男性が戦場で砲火をかいくぐって戦うのに対して、女性はそうした男性を支えることで戦うのだ。それは洋の東西を問わず古今の戦場で行われてきたことであり、我が国においても例外ではない、というのが政府の主張だった。

 具体的な交戦状態にないとはいえ、我が国はつねに世界の帝国主義反革命勢力との間で臨戦状態にあるのだから、それとわかる砲火の応酬がないだけで実質的には交戦状態といえる。敵勢力の卑劣な浸透を防ぐためには、我が国の男性とくに政府高官や軍関係者が帝国主義諸国の放つ色香に惑わされないように、国の女性が男性の欲求を満足させる必要がある。

 とはいえ我が国は文明国であるから、それを望まない女性にさせることも、ましてやかつてこの地を支配した帝国のように、支配地の女性にそうした任務を、労役のように強いることもしない。それは崇高な任務であり、我が国が掲げる思想を理解し共鳴した国民女性たちによって担われなくてはならない――スリンもそのように教育され、それを信じていた。

 それが将軍たちをはじめとする政権中枢の、自分たちの権力を維持するためのおためごかしだと気づく前までは。

 実際、どこの職場でもある話だった。男どもは政府の主張を利用して(利用するにもたいして知能を必要としない主張だ)女性たちをいいようにしていた。兵士は後方支援の女性を、士官は同僚の女性兵士を。政府の思想に染まりきって、それをむしろ喜びと感じている女たちもいたが、たいていはそれが自身の境遇とあきらめて身を任せていた。

 望まない女性にはさせない、という表向きの通達があったところで、いざ望まないと云おうものなら国が掲げる思想への理解が足らないと、一家もろとも「再教育」の憂き目に遭うのはわかりきっているからだ。その一方、相手によっては夫人の座を射止めてよい暮らしを得るチャンスでもあったのだから、そこは流れに任せるというのが、この国に生まれた女の処世術であった。

 それにしても、とスリンは思う。ここのところ激しさを増すヤンの責めは、若いスリンの体力をもってしても閉口させられるものだったし、そして若いがゆえに精神に堪えた。トーキョー王が失われてしまったとわかって以来、ヤンの焦りは日増しに強くなっているようだった。キザキたち日本側の人間といるときにはかろうじて抑えていたものの、日に日に言動がきつくなり、スリンに当たることが多くなった。

 夜は夜でスリンを、見えるところに傷はつけないものの好きなように責め苛み、翌朝スリンがつらそうにしていると、職業人としての自己管理がなっていないなどと、キザキの前でも平気で罵倒に近い叱責をするようになった。

 特科戦の男の云うとおり、どうにか代役を持ち帰って作戦を終えてしまおうと考えていたスリンだったが、上官のただならぬ焦燥のはけ口にされて、自分の運命を呪った。国での暮らしも呪われたようなものだったが、日本で彼女にふりかかっているこの災いはいっそう具体的だった。


【サヤ-5】
 あかん、ここやなかったわ――とサエ姉さんはお箸を手に取りながら云った。私もうなずいた。このお店のあたりに霊的な力を感じたけど、この店の中ではなさそうだった。私たちの言葉にカウンターの店員さんが反応したので、私はにっこり笑ってお店のことやないんですよと云った。

 東京での私たちの「収集」作業は、それなりに順調といえた。他の勢力は隠密行動をしているようだったけど、こっちはそうした気遣いぬきで、あちこちを探索してはあの事件で飛び散ったとおぼしき魔力を宿した人々に近づき、何かしら理由をつけてそれを吸い取っていった(もしかしたらあの爆発とは関係なく、もともと霊力を持っていた人もいるかもしれなかったが、そのあたりは考えないことにした)。

 最初は銀座に根を張って、行き交う人の中に目ぼしい相手を見つけては、占い師のふりをして近づいていた。占い師のふりをした姉さんと助手の私、という役どころでやっていたが、実際には二人がかりなのでそれはそれはよく当たる。じきに「無料で占ってくれる銀座の美人占い師」の噂が広まってしまい、テレビ局が出てくるに至って私たちはやむなく銀座を離れた。商売敵には隠れもしないが、素人さんの世界を騒がせたくない。数と善意と道徳を頼みに押し寄せるから、素人さんは怖いのだ。

 じつは銀座で評判になる前に「自衛隊」の皆さん、菱川さん家の秋保くんがご厄介になっている組織のメンバーがやって来て、なかなか高飛車に警告をしてくれたのだけど、サエ姉さんが歯を剥いて凄むと退散してしまった(姉さんはむしろ私が彼らを脅したのだと云って譲らないが、私は銀座の真ん中で喧嘩するのも気が進まないがそもそも喧嘩になるかどうかあやしい、と彼らの身を案じたにすぎない)。

 私たちがカレーうどんを食べている間に、魔力の気配は消え去ってしまった。私たちは顔を見合わせ、誰かに先手を取られてしまったことを確認した。表に出ながら姉さんは、カレーぽかったんやけどなあと首をひねった。魔力の気配がカレーぽいというのもおかしな話だが、姉さんの云うことだからまず間違いはなかった。

 その謎はすぐに解けた。カレーうどん屋さんが入っているビルの地下には、カレー屋さんがあったのだ。私たちは路地のほうから来たので、そこにカレー屋さんがあることに気づかなかったのだった。紛らわしいことしおってからにと黄色いのぼりをにらみつけて唸る姉さんの前を、店から出てきた二人連れの外国人観光客が通りすぎていった。


【アキウ-6】
 いくら犯罪者の逮捕に協力した善意の市民でも、警察官用の仮眠室は使わせてくれない。留置所で泊まる気にもなれなかったので、事情聴取が終わってすぐに僕は警察署を出た。4時をすぎて、夜中から朝になろうという頃合いだけど、この季節まだまだこの時間は寒い。僕はピーコートの前をかきあわせて肩をゆすった。

 事情聴取はたいしたことなかった。もともとこっちは善意の市民だし、通りがかりに民家の窓を突き破って降ってきた男が、黒ずくめに目出し帽で超あやしかったからとりあえず組み伏せただけの大学生だ(ここのところ実践の機会はなかったけど、「事務所」での訓練もなかなか役にたつものだと僕は思った)。

 なんでこんな夜中に、住んでもいない朝霞を歩いていたのかと警察に訊かれたけど、大沢さんとの打ち合わせどおり、友達が近くに住んでいることにした。警察は裏をとろうとしたけど、こんな時間に電話するのは勘弁してくれと云ったら引き下がってくれた。なにせ善意の市民だし。あとは「事務所」のほうで、「友達」を仕立てるなりなんなりしてもらおう。

 警察署の前で待ってくれていた大沢さんに、あらかたの成り行きを説明すると、大沢さんは当然のようにうなずいた。考えてみろ、姫さんの「ご学友」が夜中に朝霞の彼女のところに行った帰りに歩いて火照りを冷ましてたんだ、警察もつっこめねえだろう。

 夜中に人をたたき起こしてパシらせたあげくカノジョ捏造ですかと僕がにらむと、大沢さんは笑いながら僕の肩を叩いた。あとはこっちでやっとくから心配すんなと云うけど、どんな「事情」をこしらえるつもりなのやら。

 大沢さんは僕をクルマに案内しながら、今夜の成り行きが自分にも意外だったと云った。センサーの動きが妙だったから見に行ってもらっただけで、強盗だか強姦魔だかを撃退する意図なんかなかったと。

 聞けばその家の子は、大沢さんが「事務所」とは無関係に組織した魔法研究サークルの一員だった。勉強会では実践魔法のための道具やなんかを配布していて、その中のひとつとして魔力検知器も配られている。データはメンバーのスマホ経由でサーバにアップされて…要するに大沢さんは、自前で関東一円を覆うセンサーネットをこしらえていたのだった。

 オフ会で顔を知られている自分が都合よくピンチに駆けつけたらストーカーみたいだし、へたをすると自作自演を疑われかねないというのが、大沢さんが僕に連絡した理由だった。それで夜中にたたき起こしたわけっすかと僕がまたにらむと、大沢さんはJKとそのお姉ちゃんを魔の手から救ったんだから誇らしかろうと笑って流し、メシでも奢るぞとクルマを示した。ステーキ300gぐらいいっとかないとおさまらないなと僕は思った。


【エド-7】
 アリスンからの報告によれば、東京に散らばることとなった魔力が、いくつかの勢力に収斂していく構図が見て取れた。新しい勢力が現れないとはいえなかったが、どうやら有力陣営ともいうべき魔術勢力がどこにいるかがわかってきていた。

 エドワードにとって、強い魔力を有する者が現れてくるのは、あるていど予想の範囲内であった。もともとあの魔術はトーキョー王すなわちトーキョーの魔法圏を一時的にであっても支配する存在を構成して、都市の霊的エネルギーをまるごと吸い上げるように組み上げられたものである。失敗したとはいえそこから飛散した魔力がある種のベクトル、つまり「霊的エネルギーを吸い上げる」という属性をもつことは予想されたし、ひとつの術式から飛散した魔力が引き合うことも、彼ら魔術師の知識の中ではけして不自然でも異常でもなかった。

 しかしそれでも、とエドワードは思う。アリスンからの情報をいくら大げさに解釈しても、彼らの傀儡ともいえる「トーキョー王」が有すべき魔力には及ばない。情報が足りないのは明らかであった。アリスンは精力的に東京をめぐり歩き、高層ビルや放送塔の上からおおよその方角にあたりをつけてはその場へ出向いていたが、慣れない土地で思うに任せるとは云いがたかった。

 それでも現状の成果には感謝しなくてはならないだろう、と彼は思う。もしもスマートフォンとGPSの使えない時代だったとしたら、彼女には絶望的な探索を命じなくてはならなかっただろう。

 少なくとも1つの陣営について、その存在を実際に確認したのはアリスンのお手柄といえた。銀座で見かけたその双子の女性は、アリスンよりいくらか年上だったという(東洋人は若く見えるから、実際にはアリスンが思うよりさらにいくらか年上だとエドワードは推定した)。

 アリスンは遠く離れた場所から「ほんのご挨拶」を飛ばしたところ、彼女たちの付近に落ちていた紙片が、魔術的操作をうけたとしか思えぬ動きで舞い上がり、彼女たちの身代わりになってそれを受け止め四散したのだった。それはシキと呼ばれる、無生物を使い魔のように使役する東洋の技術だと思われた。

 直後に周囲の男たちの何人かが、通行人だったはずなのに彼女たちを庇うような動きを見せたところからして、この勢力は双子の女性魔術師を中心に、「通常戦力」をボディガード的に配しているというのがアリスンの見立てだった。おそらく他に魔術師はいないか、少なくとも別行動をしていた。周囲の男たちが魔術師だったとしたら、シキを配する理由がないからだ。

 これともうひとつ、アリスンの云う「霊的警戒網」を東京にはりめぐらせている組織の存在は疑いない。また、彼女の報告によれば少なくとも3人の魔力保持者、それも自分の魔力を隠蔽することのできない「素人」がいるという。もともとそうだったのか宿した魔力の性質によって集積されたのか、それらをはじめとする魔力保持者から魔力を回収することで、エドワードは効率よく目的を果たすことができそうだった。

 このまま監視ばかりを続ける間に魔力が引き合い、意図をもった勢力が回収し、アリスンの手にも負えない存在が出てきては困る。ついにエドワードはアリスンに、人間に宿った魔力の回収を命じた。アリスンはようやく腕をふるうときが来たのねと顔をかがやかせたが、彼はバックアップを送るにはまだ時間がかかるから身元を特定されることのないようにと、強く云い聞かせることも忘れなかった。

 アリスンはにっこり笑って、じゃあ手始めにオモテサンドのヘアサロンでブルネットに染めてもらうわね、と云った。目立たなくていいし、だいいちすてきでしょう?


【コウ-7】
 ――マイクロプロセッサの中を電気信号が流れるとき、その信号、つまり電流のパターンですね、これがある周期で動いてるとき、周囲の魔力によって不安定になりやすくなります。つまり、逆に云うとプロセッサが魔力に反応しやすいので、この効果を用いて、パターンの乱れによって魔力を検知するのです。スマホが魔力センサーになるのです。

 いやいやいや。「なるのです。」ってことはないだろ。スーの説明に僕は呆れて云ったが、彼女はもの知らずな相手を諭すように(というか絶対こいつはそのつもりだ)、これはまだ序の口であり、最近はこの「微小で高速な電気信号パターン」を積極的に利用した種々の魔術が開発されているという。実際には並行的に動作している別のアプリやOSそのものとの相性問題があって、あまり実用的とは云えないが、マイクロプロセッサの動作クロックが高まったことで、魔法にも新たな研究開発の世界がひらけたのだそうだ。

 今は人間が行使する魔法のほうがはるかに強力だが、電子回路は単純な「呪文」をバッテリのかぎり疲れも飽きもせず「唱え」続けることができる。単純作業をずっと連続するセンサのような仕事であれば、今や機械にやらせるほうがずっと合理的だというのが、スーの云う現代最先端の魔法なのだった。

 そんな話をスーと夜のファミレスでしていたのが、少し前のことだ。スーが毎日のように尋ねるので、抵抗していた僕もスーが持ってきたソフトをインストールした。バッテリ保ちが目立って悪くなることもないし、他のアプリが重くなることも余分なアイコンや通知もないので困りはしていないが、やはり気になってアプリ一覧を眺めたとき、そこに出てくる謎のアプリ名は気にかかった。

 魔法が「合理的」に「電子回路」で使われるってどんなだ、と僕は思うが、何か特定の電気的パターンがスーの云う「あちら側」の力学と反応しやすいとすれば、ありえないとも云いきれなかった。僕だって(今は控えているものの)偶然を自分の思う方向に傾けることができている…たぶん(僕の《介入》は物理法則の範囲内でしか起こらないので、魔法なんていう超自然的なものと関係があるのかもわからない)。

 なんとなくそんなことを考えながら、僕はカフェのカウンターでスマホをもてあそんでいた。外はやけに風の強い日で、下の歩道を歩く女子高生たちがスカートに手をやっているように見えるのは、たぶん裾を握っているのだろう。その上では工事業者さんがビルの看板の架け替えをやっていて、案の定、吊り上げた看板があおられて不安定な感じだった。こんな日によせばいいのに、納期が迫っているのか中止する気配はなかった。

 ――悪い魔法使いに見つからないように、目立たないようにしたほうがいいです。もしどうしても「アレ」をやりたいんだったら、見つからないようにせいぜい人混みにまぎれてください。

 スーの声がよみがえってきて、僕はため息をついた。厄介事を背負い込むのはごめんだけど、目の前で事故が起こるのも目覚めがわるい。僕は窓の下のようすを目に焼きつけてカフェを出た。ビルのエスカレーターで左側に並ぶ人の列に加わりながら、「願いごと」を慎重に考える。《介入》が乱暴に作動して、「人死には出ませんでしたが看板がビルに突き刺さって工事中止」なんてオチにならないよう、穏便にすむように。

 結局、僕は「あの看板が落っこちたりせずちゃんと設置されますように」と願った。翌朝、出社のときに通ってみたら看板はちゃんと設置されていたので、《介入》が効いたのかはともかく作業は無事に終了したのだろう。


【アキウ-7】
 トーキョー王になるはずだった人物はまだ見つからない。そう云うと姫ちゃんは僕を非難するどころか微笑んで、頼りにしていますね、と云った。ホントちょろいな僕も。

 しかしどうやったら目の前の人が「たまたま霊力のかけらを宿した人」じゃなく「ほんとうはトーキョー王になるはずだったけど何かの手違いでそうならなかった人」だってわかるんだろう。僕はそんなことを考えながら、目の前のおばさんを見つめていた。

 予想されたことではあったのだけど、魔力の破片は宗教関係とか在野の魔術師・霊媒師・陰陽師(いるよ?オリンピック選手よりは少ないかもしれないけどそこそこいるんだ)など、こうした方面に感受性のある人に引き寄せられているようだった。寺社仏閣の類には顔がきくし、在野の皆さんもそれなりに由緒伝統のある方々であれば、こちらの意向は尊重してくれる。なんたってこちらは、日本の霊的領域に圧倒的な支配力をもっている。

 で、残念ながら尊重してくれない方…これは姫ちゃん家の威光がいまいち効きにくい、新興宗教の人とかがけっこう多いんだけど、そこにはこうして僕らが「事務所」から説得に出向くことになる。インチキなのか能力が足らないのか知らないけど、余分な霊力が備わったことに気づいていない人もいるし、そうした方なら教義やら(霊的領域に関する)世間話やらをしている間に、こっちの力で魔力を引き剥がせる。

 ときにはその人が魔力をしっかり認識していて、この新たな力が自分の信じるナントカ星人からのギフトだと信じていて、自分はそれをもって選ばれた人類(自分におカネを持ってきてくれる人たちのこと)を上の次元に引き上げる使命をおびていると思っていて、それを奪いに来た「旧き地球人類」と戦わないといけない、と舞い上がっちゃうことがある。

 マナジリを決して牛刀を構えるおばさんを見ながら、僕と大沢さんは嘆息した。この人を「トーキョー王になるはずだった人です」と姫ちゃんの前に連れていくと、僕まで残念な人に見られてしまいそうだ。こんなん高井さんチームとかに回しゃいいじゃないすか、と僕は隣の先輩に不平を云った。高井さんこないだ、京都の姉さん方に泣かされて帰ってきたんでしょ、自信回復のいいチャンスじゃないすか。

 それを云うなよ飛び道具が出ないだけましだろ、と大沢さんのうめくような声に重なって、信者のひとりが部屋に駆け込んで「パトカー呼びましたっ」と云った。僕らはがっくりした。教団施設を訪問した大学生に牛刀を構えてるところへ警官がやってきたらどっちが悪者か、オリオン人でもプレアデス星人でもいいからこの人たちに教えてあげてよ。


【CJ-4】
 池袋をディアナと一緒に歩いていると、周囲から少年たちが群がってきて彼らを取り囲んだ。ストリートギャングみたいなものかな、とCJは思った。どこの国でもこうした連中の雰囲気は似ている。かつての自分もそうだったと懐かしい気持を感じて、歳をとったものだと思う。

 なにか用かとCJは云った。英語は通じないようだったが、おそらく云わんとするところは伝わったろう。前に進み出たニット帽の少年が何ごとか、からむような口調で云った。彼はなんと云っているんだ、とディアナに訊くと彼女は考えるような表情で、私が彼らの友達に何かよくないことをしたと云ってるわ、と云った。思い当たるふしはなさそうだ。

 彼らはきっと、金髪の女性はみな同じに見えるのだろう。彼が云うとディアナは笑って、きっとヒト違いですネ、と少年に向かって朗らかに云った。進み出てきた少年は、ディアナの態度に毒気を抜かれてしまいそうになったが、どうにか立て直して、そんなはずはない、というようなことを言い捨てたようだった。私に違いないと云ってるわ、とディアナが困った顔をしたが、彼にはこの少女が本気で困っているとは思えなかった。若い男たちに囲まれているというのに、恐れげもなく彼に寄り添うでもない。

 周囲を行き過ぎる人々は、外国人観光客に絡む不良少年たちの図をうろんげに見ながらも、誰ひとり声をかけることなく歩み去っていく。やれやれ、とCJはかぶりを振った。危機感を感じさせないディアナに、そこを通してくれなければ俺が相手になると云ってくれ、と促した。

 喧嘩はよくないわ、と眉をひそめるディアナにCJが文句を云おうとしたとき、彼の頭上で何かが爆ぜた。それは彼の髪をいくらか灼いて、周囲に焦げた匂いを散らした。まあ、とディアナが横で、開いた口に手をあてた。

 少年たちの輪を割って出てきた若い男は、彼らの多くよりもいくらか年かさに見えた。剣呑な表情の男を見ながらCJは、不良少年たちを懐かしく見ている場合じゃないなと思った。

■*Tokyoking*■

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