トーキョー王 #8

【CJ-16】
    CJがいくらか頭を下げて前傾した直後、廊下の壁のところで大きな音がした。見ると彼の頭の高さぐらいの壁に、拳ほどの大きさのへこみができていて、壁材が剥がれ落ちていた。

    やはり「横殴り」か、とCJは思った。彼女の見えない<武器>が、自分の左――窓側から彼の頭を襲ったのだ。

    ディアナが、あわてた様子で部屋から出てきた。いつも危機感を見せない彼女が、今は固い表情をしている。廊下の少女を見つめるディアナを見ながら、CJは珍しいなと思った。

    いきなりやってくれるじゃないか、とCJは少女に、穏やかでない内心を隠しながら云った。攻撃を避けたのは偶然にすぎない。尊大な印象のこの少女は、ターゲットの頭をきれいに射抜いて力を誇示するつもりだろう、と読んで姿勢を変えたにすぎず、うまくかわした形になったのは、思いがけず彼女の攻撃が早かったというだけだった。

    少女はちょっと意外そうな顔をしたが、次はどうかしらねと意地悪く笑った。やってみるかい、とCJは歯を剥いてせいぜい強面に見せながら、意味ありげにゆらゆらと体を揺すり始めた。右手に提げた銃はまだ彼女に向けられてはいないが、背後の天井へ3発打ち込んで存在を印象づけた。この隙にこっそり近づこうとしていた背後の住人たちが、腰をぬかして後じさった。

 さっきはうまく避けたが、今度はどうだろうかとCJは考える。おそらく次も横から来ると、彼は想像した。初弾をかわされたことは、彼女の自尊心を大いに傷つけたにちがいない。狙いどおりに撃ち倒そうと、ことさら同じ形で仕掛けてくるだろうと彼は思った。さっきの感じからすると、彼女の<武器>は追尾性をもってはいないようだったが、彼女がそのつもりになれば自分の頭を追いかけてくるかもしれない。

 当たらないわ、とディアナが少女へ云い放った。CJの前に進み出て、やってみろというように手をひろげる。そういえばイケブクロでは、ちっとも当たらないとあの悪ガキが云っていたなと思い出したが、直後に彼は、ディアナを狙ったはずの一撃が自分の胸のところで炸裂したことも思い出した。また俺に命中したらどうするんだと彼は思った。

    少女は苦笑して肩をすくめた。吸いとってしまうのだから当たりはしませんわよね、と笑う。どこからかさっきの様子を見ていたのか。CJは小さく舌を打った。ああいう「手品」はここぞという時まで、他には隠しておきたかった。

   少女は貴族的な面ざしを悪戯めいた表情にして、あいにく本命はこっちですのよ、と云った。

    直後、さっきの部屋から衝撃音がひびいた。大声男の悲鳴に続いて、部屋の壁が震えたのがわかった。


【CJ-17】
    ディアナが自分の周囲をくるりと回った。空中の何かに手のひらを合わせるような動きをしたので、CJは自分への攻撃をディアナが食い止めたことを悟った。

 その隙をついて少女が、自分たちの横を走りぬけようとしたので、彼は少女の足元を銃撃したが、少女は廊下の窓を伝い走るように動きそれをかわした。失礼、とすりぬけざまに声がかかる。

 少女は垂直な窓、それもさっきの大声男の衝撃波でガラスが割れているところを、器用に走り抜けた。窓枠に足を乗せているのだと思われたが、何回かはあきらかにガラスが割れ落ちているはずのところを蹴って、銃声に伏せた住人たちの上を通り抜けていく。

 悪い言葉を吐き捨てながら、CJは彼女を追った。少女はいちばん奥のドアへたどり着くと、ドアを引き開けざま身を隠した。銃声と衝撃音が重なる。銃声は中から、例の緩慢な兵士たちのものだろう。衝撃音はあの少女の、見えない<武器>だろうか。ドアを開けたのは室内へそれを「通した」のか。

 あまりの展開に呆けたようになっている住民たちの間を割って、CJは奥の部屋へと進む。さっきの少女は既に室内に飛び込んでいる。振り返ってCJは、住民たちの足元に数発打ち込んだ。近づくんじゃないぞと彼らに云うよう、ディアナに指示して、彼はゆっくりと室内へ踏み入った。

 先に入っていった少女へのものだろうか、部屋の奥から鋭い声がした。それはまだ幼い少年の声だった。

【CJ-18】
 玄関からダイニングキッチンに入ると、数人の少年たちが全裸の少年を殴りつけているのが目に入った。

 別の一人がケトルを持っていて、湯気の立っている液体を全裸の肌にかけてはひきつったような笑い声をあげた。全裸の少年の体は青あざだらけのうえに、火傷があちこちに見てとれた。別の少年が泣き笑いのような表情で、また彼を殴りつけた。背後のディアナが息を飲むのがわかった。

 CJにしてみれば珍しくもない集団暴力の現場だったが、奇妙なことに彼らの腕や顔にも同様のあざが見られた。誰かにやられたことを、この全裸の少年に同じようにやって、うさ晴らしをしているのだろうか。それにしては彼らの笑いはひきつっていて、無理やり笑おうとしているように見えた。CJは彼らに歩み寄ると、ものも云わずに殴りとばした。

    全裸の少年がCJの足にすがりついて何か云った。あちこちの火傷が化膿した顔で、弱々しく首をふっていた。ディアナが、やめてと云っていますと通訳した。CJは舌打ちして彼の手をもぎ放し、部屋の奥に行くことにした。誰がいるにしろ、そこに超自然の力があるならディアナに吸いとらせるのが仕事だ。

 それを既にあの少女が吸いとっていたら、あの少女から奪い取るまでのことだと彼は思う。そのときかけかやは足元への銃撃ではすませない。見えない武器の不意打ちで先に仕掛けたのは、あの育ちのよいお嬢さんのほうだ。


【コウ-13】
 そりゃあ国際化のこのご時世だから、中華系の同級生の一人や二人はいたもんだ。いや、地域によっては違うのかもしれないな。少なくとも僕の地元は中華系、それも中国じゃなくて台湾系の人がそこそこ住んでいたらしくて、クラスに一人とまではいかないにしても、学年に一人やそこらはいたのだった。

 乗ってきたカローラフィールダーじゃなくて、別のところに停めてあったデミオに乗せられ、ハンドルを握るスーから子供の頃の話を聞かれた。周りに中華系のクラスメイトがいたでしょうというので、僕はたしかにそうだったと云った。

 中にはちょっと仲良くなった子もいたし、1学年上のちょっと神秘的な感じの女子生徒に、僕のふしぎな能力というか星のめぐりについてからかわれたりして、当時うぶな男子中学生だった僕は、魅惑的な想像とかいろいろ膨らませたものだよ。どうしてるかなあ幸恵先輩。

 自分の家は台湾の、今の多数派である「台湾人」ではない、先住民族の占い師の家系だとスーは、唐突に違う話を始めた。

 家でいちばん偉いおばあちゃんがあるとき、ふしぎな子供が生まれたことを知ったという。あまりにも奇妙なことだったので、占い盤やらなにやら総動員して調べたところ、その子供は日本にいるらしいことがわかった。

 非常にまれな能力あるいは運命をもっている、スーによれば「キャラメイクのバグで特定の能力値が仕様以上に高まった」その子供が悪い道に走らないよう、他からの余計な干渉を受けたり、誰かに利用されたりしないようにしなくてはならない。その占い師の家を中心とする集団は、「候補者」とおぼしい子供たちに近づき、誰がほんとうの「その子」なのか確認するとともに、ひそかに彼らの身辺を護衛することにした。

 おいまさか、と僕はスーの話をさえぎった。おまえらずっと、子供の頃から僕を監視していたのか。

 スーは僕のほうを見ずにうなずいた。でなきゃどうしてセンパイの周りにいちいち台湾人の同級生がいますか。ユキエさんがあなたに近づいたのは、あなたが悪戯半分で《干渉》をはじめたからです――身に覚えがないことはなかった。

 ――ならスー、お前が同じ会社に入ってきて、同じ部署の配属になったのは。

 スーの笑顔に、僕は総毛立った。


【CJ-19】
    リビングルームの小さなソファには少年が腰かけていて、さっきの少女と対峙していた。少年は日本語で何か云っていたが、彼女には意味がわからないらしい。

   少年の傍らには暗い目をした、彼と同い年ほどの少女が床に座って、彼の膝に頭をのせている。その視線の先では別な少女が、制服のスカートを口にくわえて持ち上げ、下着をつけていない股間をさらしたまま両手でピースサインをしていた。同級生らしい少女たちが、それをスマートフォンで撮影していた。少女たちもキッチンの少年たちと同じように、泣き笑いの表情をしていた。

    恥を知りなさい、と金髪の少女の、上流階級らしい叱責の声がしてCJは、キッチンの少年たちもこの少女たちも、同級生を虐めているのではなく、それを強いられているのだと気づいた。

    そのガキはいじめっ子をこしらえる魔法でも使うのかい、とCJが訊くと少女は、そんなところですわと返答した。彼の能力は支配と服従であり、このアパートメントの住民にたちを牛耳っていた。あの緩慢な兵士たちは大声男に抱き上げられて眠っていた少女の、夢の力が作り出したものだという。

    それで夢から醒めろと云っていたのか、とディアナを見ると、でもさっきの一撃で彼女は夢から醒めた、彼女の力はもうここにはないと云う。そのとおりよ、とクイーンズ・イングリッシュが後を引き取る。さっきまでの、あの子の夢の中に包まれて強化されていた力なら少々厄介でしたけれど、今の彼の力では私の敵ではありませんわ。

    それでようやくわかった。この金髪の魔法使い(だかなんだかCJにはわからないが)は、彼を襲ってみせてディアナを大声男たちから引き離し、そこで眠っていた少女に一撃を加えて彼女を目覚めさせることで、彼女の夢の力を無化したのだった。

    ほったらかしにするな、とでも云いたげにソファの少年が幼い声をあげた。言葉は通じなかったが、CJは少年の――少年王の云うことに従うべきだと思った。この金髪のイギリス貴族は仲間どころか商売敵だし、今すぐ撃ち殺してもいいが、二度と王に楯突けないように屈辱を与えたうえで、王のもとで飼っておくのがいいだろう。彼女の背後に誰がいようと、生かしておけば有効なカードになる。

 手始めに、そのご自慢の金髪を丸刈りにしてやるのがいいだろう――CJは少年王に歩み寄る体で、よどみなく彼女に近づいた。

【コウ-14】
    話を聞いてまず思ったのは「そんなことをしてお前たちの一族になんのメリットが」だった。

   特殊な星のもとに産まれた子供がいたとして、それをわざわざ日本まで来て探し、候補者それぞれにお目付け役をあてがったりする、その動機がわからない。

    僕がそう云うと、スーは子供に教え諭すように「災いが起こるかもしれないと思えば誰だって気にかけるでしょう」と云った。

    それが日本に手勢を送り込む理由か?  いまひとつ納得できないままではあったが、とにかくスーたちは、僕がダークサイドに堕ちないように、長いあいだ見守っていてくれたというわけだ。それはスーたちにとって僕個人に対する人助けではなく、スーの言葉を借りれば「世界の調和を保つ」営みの一環なのだった。

    そして今、僕はスーに呼び出されて、朝霞の居酒屋で飲んでいる。センパイにボランティアしてほしいことがあるのです、というスーに連れられて朝霞くんだり(⬅朝霞の人ごめん)まで来て、やっていることといえば鶏わさをツマミに生中…何やってんだこれ。

    そろそろタネを明かせよとスーに詰め寄ると、スーはにっこりして店のフロア係の女の子と、カウンターで一人酒のおじさんを示した。覚えていすか、と訊くが僕の返事を期待しているふうではない。

    ――センパイはあの「トーキョー王の日」、電車であの子が席に座れるように《干渉》したのです。そしてあのオジサンが席を立った結果、あの子は席に座れた――ね、センパイだって困ってる人を見て《干渉》してるじゃないですか。それと同じことです。

    とうてい同じことに思えないが、スーはそんな僕にはおかまいなしに、近くここに災いが起こるかもしれないから、そのときは何かのご縁と思って、ぜひ《干渉》してくださいねと笑った。

    実際、いくらもしないうちに僕はスーに連れられ、朝霞のこの店の近くから《介入》を行うことになった。こんなので災いがどうにかなるのかと云ったら、僕にできるのはこのぐらいなのだという。

    「センパイは恐い人たち相手には1ミリも役に立ちません」とスーは、にこりともせず云った。

【CJ-20】
 まずはこの女をぶちのめす――そう思って彼女に近づいたCJだったが、ディアナが背中に手を置くと、自分がどうしてそう思ったのかさえわからなくなってしまった。振り向くと、悪いものを食べたように顔をしかめながらディアナが平気?と訊いてきた。彼女がCJから、何かの心理的な衝動を取り除いたのはあきらかだった。

 支配と服従――少女魔術師が云っていたのはこれか。

 CJは手を添えたままにしてくれとディアナに云うと、大股でソファに歩み寄るや、少年の頬を拳で殴りつけた。周囲の同級生たちから悲鳴があがった。

    やってくれたなこのくそがき、と怒鳴りつけるや彼は、手の銃を少年に突きつけながら、同時に抜いた腰の拳銃を、あっけにとられて見ていた金髪の魔術師に向けた。

    ずいぶん不作法でいらっしゃいますのね、と呆れたように少女が云う。お前さんほどじゃない、とCJは応じた。ご覧のとおりオレの得物は目に見えるしな、そうだろう?

    次の瞬間にもあなたの頭に《あれ》が命中するかもしれませんわよ、と少女が云うのでCJは、彼女にぐっと顔を近づけた。お嬢ちゃんの綺麗な顔に当たるかもしれないが、腕前には自信があるかい?

    当たりません、とディアナが後ろから云った。さっきまで彼女の周りを回っていた魔力がもうありません、彼女は「弾切れ」です。回っていたから、彼女の方からではなく横殴りに飛んで来るのか――CJはにやりとした。そしらぬふりの少女に彼は、銃口を前にはったりをかませるとは、立派な博打うちになれるぞと笑った。

    CJの拳をうけて床に転がっていた少年が、また何か喚いた。CJは床に数発撃ち込んで黙らせた。背中のディアナに、今のうちに「吸い取れ」と云う。異議を唱えようとするイギリス人少女の顔に銃口を突きつけ、今回はこっちの取り分にしとけと睨みつけた。

【エド-9】
 手の中のGalaxy noteに映った地図を見て、彼は満足げにうなずいた。画面はPlagのそれである。彼の指が画面の隅をタップすると、映しだされた島の地図の、岸辺にあたる場所から周囲へ赤い点が飛散し、周辺にいくつもの赤い点を形成する様子が再生された。

 Plagへポストされた1枚のカードが、島内といわず周辺の海といわず、その周辺におびただしい数の感染を起こしている様子だった。Plagのアーキテクチャからすると奇妙なことに、そのカードが感染――つまり他のユーザに伝播されるのは、その島の周辺のごく限られた領域だけであった。

 しかしほんとうに奇妙なのは、その島のまわりにおびただしい数の感染が起こっている、そのこと自体だった。

 その島は日本列島のはるか南、もはや台湾が近いあたりに位置していた。エドワードはその島にたいした興味もなかったが、日本人女性のそれのような、島の名前はおぼえていた。

 はたしてそのような南海の離島に、おびただしい感染を起こすだけのPlagユーザがいるものであろうか。離島の周囲の洋上に、それだけのユーザが集まっている道理はなかった。

 彼はファブレットの画面を何度かタップして、ブックマークしておいた別のカードを呼び出した。そのカードもまた、ポストされた場所のまわりの比較的小さなエリアに、異常な数の感染を引き起こしていた。

 東京湾の海上にPlagユーザが集まっているはずはなかった。

【CJ-21】
 CJに云われてディアナは、気が進まないようすで少年に近づいた。CJがさっきのように少年に支配されないよう、彼女はCJの体に手を触れたままにしていた。

 CJの一撃によって頬を青く腫らした少年に、ディアナは日本語でなにか声をかけた。少年は日本語で彼女に答えた。何を云っているのかはわからなかったが、CJには彼がなにか、やくたいもない泣き言を云っているのが感じられた。そのような声音であり、そのような表情だった。

 彼が鼻白みながら目の前の少女魔術師を見ると、彼女もCJに銃を突きつけられた体勢のまま、うんざりした表情で床の少年を見ていた。あの恥知らずな少年が何を云っているか当ててあげましょう、と彼女が云うのでCJは通訳の必要も要望もないと答えた。

 少女魔術師に代わってディアナが説明した。同級生にいじめられていた彼とそのガールフレンドは、彼に宿った力を同級生たちにふるったのだという。腕っぷしの強い級友たちを服従させ、文句を云う人々を屈服させ、このダンチ(アパートメントのことをそう呼ぶらしい)の人々を支配した。

 それは彼と少女にとって当然の権利だった。力が強いというだけで自分たちを好き放題にしてきたクラスメイトたちも、少女をなぶってきた伯父も、酒に酔っては少年を殴りつけてきた母の「友人」も、それを見てみぬふりをしてきた親たちも周囲の大人たちも、力に従ってきたのだ。無関係な顔をして、時には被害者のような顔さえしながら、暴力の論理に従うことでそれを支えてきたのだ。

 だったら誰よりも強い暴力を示す自分に、誰もが従うべきなのだ。

 少年は少女の伯父に、自分で自分の陰茎を切断するように命じた。彼は泣きながらそれに従って、股間から血を流しながら死んだ。

 少年は自分の母に、自分を殴る同居人の男と死ぬまでまぐわうよう命じた。男を失いたくないばかりに少年への暴力を看過した母親の、望みをかなえてやったのだと少年は泣き笑った。

 聞くに堪えない、といった表情で少女魔術師は、失礼と一声かけてCJの銃の前から離れると、よどみなく少年に動いた。あなたは同情なさっているのとディアナに訊き、私は違いますわと返事を待たずに少年の頬を平手で打った。そのまま流れるような動きで、暗い目をした同級生の少女の頬も打った。

【スリン-13】
    特科戦の男はいらだたしげに会話を続けていた。どうやら彼らが根城にしていた場所が「特殊科学者」つまり超自然的な力の使い手に襲撃されたらしい。その中には「通常戦力」、要するに銃器を使う者も混じっていて、彼らのアジトは制圧されようとしているのだった。

    日本の組織ですかとスリンがためらいがちに訊くと、隣の男は首をふった。アジトにいる仲間の報告では確認されているのは3人、それも全員が白人だという。外国勢力の可能性が高いと云えたが、日本の組織がカムフラージュのために外国人を前に出しているというのも、ありえないとはいえない。

    しかしハンドルをせわしなく叩く男の関心は、事態の背後関係よりもアジトのメンバーの無事にあるように見えた。スリンには向こうの声が聞こえないが、隣の男は仲間の状態を確認し、撤収して安全を確保しろと指示していた。彼女には意外だった。二階級も上であるにもかかわらずこの男は、味方の尊い犠牲の上に作戦成功という栄光旗を掲げる英雄的精神とは、無縁のようだった。

    スリンがそれを口にすると男は、またいつもの小馬鹿にしたような皮肉な笑みをうかべて云った――生きて誇らしき文明的成果をなすこと以上に、国家を世界の一等国たらしめる貢献があるものか。死して国家の礎たらんなどとは、およそ愚かな敗北主義か、犠牲の上に私欲を満たさんとする貪官汚吏の方便にすぎんよ。

    スリンは初めて、尊敬の念をもって彼を見た。

    思いがけず彼女に見つめられることになった男はしかし、彼女の表情を鼻で笑った。どうせお前たちご立派な軍人は、我々のことなど人殺しが趣味の怪しげなオカルト部隊とでも思っていたのだろうと、これ見よがしに肩をすくめてみせる。

    こっちはなんとかパクの野郎とヤンを追っ払ってやろうとしたってのによ、と彼が云うのでスリンは驚いた。訊くとアサカの一件は彼の仕込みだという。「特殊科学」の行使を受けたとおぼしき、スリンと同行していた日本人商社員の足取りを追うと、特殊科学装置を備えた居酒屋に行き当たったので、を襲うようパクをたきつけたというのだ。

    彼はパクの手勢に、特殊科学装置をもつ家の娘を襲わせ、しかし案内と周囲の警戒を担当していた特科戦のメンバーが実はそれを妨害し、パクの部下を警察に逮捕させて、パクの失脚を誘ったのだった。

    いったいなぜ、そしてその居酒屋の家というのはまさか――目を見開く彼女をよそに、彼はヤンに連絡していた。トーキョー王の代役に確保していた少年の居所が、外国勢力の攻撃を受けている、「通常戦力」もいてこっちのメンバーだけじゃもたない、すぐに戦力をまわしてくれ。 *Tokyoking*

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