「トーキョー王」 #5

【ミノル-11】
 出社したとき松尾さんがコーヒーを淹れてくれて心が和んだが、部長から預かったという茶封筒を渡されて、いくぶん心が沈んだ。封筒に入った書面には、私が行きつけにしている居酒屋の二階住居に賊が押し入ってその家のお嬢さん、就職活動中のレナさんではなく下のほうのお嬢さんを襲ったことが書かれていた。

 賊は家族によって窓から叩き出され、下を通りがかった大学生によって取り押さえられたのだが、その賊というのがパク氏――北の工作員ヤンとユンの二人に連れられて私が訪問した、あの会社の人間だという。

 これが偶然だとしたらできすぎだが、しかし作為的なものだとしたら意味がわからない。まるでパク氏の事務所に疑いの目を向けさせるよう、ヤンとユンの出自が注目されるよう、誰かが企んだことのようだ。

 そんなことを考えながら、私は当の居酒屋のカウンターに座っていた。これで私が襲われたとしたらあまりに露骨すぎるし、意味がないので同じ家が襲われることは考えにくいから、要するにふだん通りにしていろ、何か変わったことがあったら連絡しろ、というのが部長の、ということは当局の指示だった。

 常連客たちは店を手伝うレナさんに、先日の事件のことをしきりに話しかけていた。聞くでもなく聞いていると、賊を叩き出した家族というのはレナさんだった。武道の嗜みでもあったのだろうかと思ったがそんなことはなく、本人は照れくさそうに(あるいは面倒がっているのをせいぜい愛想よく)いやもう無我夢中とはあのことですよーなどと笑っていた。

 私はこれ以上うざったい思いをさせるのも申し訳ないし、とはいえ周囲の酔客にもの申して楽しい酒場の雰囲気をこわすのもはばかられたので黙っていたが、そのとき二階の階段から早足の足音がして妹さん、つまりまさに話題の人物が現れたものだから、店内の視線はいっせいに彼女へ注がれた。

 しかし下のお嬢さんは、客のどよめきにも声をかけようとしたご店主夫婦にもかまわずレナさんにとびつくと、何か嬉しそうというか、わくわくしたようすで彼女になにごとか告げた。レナさんの顔色がぎょっとしたふうになったのでなんだろうと思って見ると、今度は妹さんのほうが私をじっと見てきた。以前の訝しむような視線ではなく、何かを期待するような目で。

 あの、と云いながら妹さんが私に近づき、ちょっと待ちなさい、といった調子のレナさんが彼女の肩に手をやったそのとき。

 店の引き戸といわず窓といわず、あちこちがガタガタと震えだした。最初は地震かと思ったが、床は揺れておらず電灯も揺れてはいない。これは!?と、まるで楽しみが増えたように目を輝かせて妹さんが私を見たが、いったい彼女は何を私に求めているのだろうか。

 妹さんがさらに何か私に云おうとしたそのとき、激しい音とともに入口の引き戸が吹き飛んだ。


【ミノル-12】
 激しい音と衝撃が襲ってきて、私はカウンターの椅子から転げ落ちたが、倒れてきたレナさんと妹さんと体を入れ替えるように床へ倒れ込んだ。とっさに二人をかばう反射神経があったわけではない。店の入口に近い場所に立っていた二人に強い衝撃があったぶん、勢いよく倒れてきて、私ともつれた結果そうなっただけだ。ともあれ私は二人をかばうように床に倒れ、わずかに遅れて店の引き戸が、背中から頭にかけてぶつかってきた。がしゃんという音が頭のすぐ後ろでひびいて、ガラスや陶器の割れる音と重なった。

 引き戸のへりのところがぶつかったのか、背中のあたりが痛い。私はうめきながら体を起こし、下になった二人のお嬢さんに声をかけた。店の灯りがいくつか消えてしまったらしく店内は暗かったが、見えるかぎりではひどい怪我はないようだった。背中に乗ったままの引き戸をどけようとした拍子にどこかから血が垂れて、妹さんの服に落ちてしまった。こりゃ失礼、となんとも間の抜けたことを云いながら、私は床に落ちていたおしぼりを拾い上げ、裏返しにしてからお嬢さんの衣服にあてがった。

 そんなことより、とレナさんは私が妹さんの服に当てたおしぼりを、手ごと私の左の側頭部におしつけた。血でも出ているのかと思って頬に手をあてると、べっとりと血がついた。困りましたねと苦笑しながら体を起こし、お二人が後じさりするように私の体の下から這い出たとき、数人が足音をたてて店に入ってくるや、その中の一人が天井に向かって発砲した。すぐ近くで悲鳴があがり、離れかかっていたお店の姉妹が私に体を寄せてきた。

 発砲は男たちが持っている自動小銃によるものだった。背中ごしに見ると3人の黒ずくめの男が、それぞれ自動小銃を手にしている。サブマシンガンというやつだろうか、海外の空港でたまに警備の軍人が手にしているのを見かける、比較的小さなやつだ。真ん中の男が天井に銃口を向けている。この男が発砲したのだろう。私はゆっくりと体を入れ替えて、せめてもの盾がわりにと引き戸の陰に入ったが、おそらくあの銃から発射される弾は、この程度の建材など紙同然に貫通するだろう。

 なんだおい、と壁際の客の一人が声をあげた。酔った勢いだろうか、ジョッキを手に立ち上がる。いかん、と云うひまもなかった。客に近いほうに立っていた襲撃者は躊躇なく彼に銃を向け、短い連射音をたてた。腹に銃弾をうけて彼は壁にたたきつけられた。私の両側で小さな悲鳴があがり、私は両方から肩や腕をぎゅっとつかまれた。痛い。妹さんの腰のあたりから、生温かい液体が流れてきているのがお尻でわかったので、私はさりげなくそのへんに転がっているジョッキを動かして、彼女のいるあたりに飲み残しの酒が流れるようにした。

 男たちは店内を見回した。中の一人、まだ発砲していない男が店の奥に行こうとしたのを、中央の男が声をかけて止めたように見えた。その男はこっちを指さした。おいおい、私が襲われることはないんじゃなかったのか?これで私が死んだら、どう考えたってヤンとユンとパクに嫌疑がかかるだろうに――そう思ったとき、中央の男が「そこの女二人、こっちへ来い」と云った。日本語を母語とする者の発音ではなかった。

 私の背中にしがみついている両側の二人が、揃って手に力をこめた。痛い。助けて…と、どちらからかわからないがか細い声がする。役に立たないことを知りながら、私は引き戸の残骸を引き寄せて身を隠そうとした。助けてあげたいのはやまやまだが銃、それも軍隊が使うようなものを持った3人を相手に、私のような運動不足のオッサン一人で対抗できるはずはなかった。

 軍隊?そう軍隊だ。私は自分の想像に自分で納得した。北の工作員たちとは別に、実戦部隊が侵入していたのだ。さっきの日本語が妙な調子だったのも、それで納得がいく。なぜこのお嬢さんたちを、わざわざこんな派手な騒ぎまで起こして拉致したいのかわからないが、とにかくここにいるのは北の国の軍人だ。

 そんなことがわかっても何ひとつ助けにはならないが、私は軍人ならむやみに乱暴を働くことはないだろうと自分に言い聞かせながら、背後のお嬢さんたちをかばうように彼らをにらみつけた。この子たちになんの用があるっていうんだ、と勇敢に云ったつもりだったが、実際には歯の根が合わず滑稽に噛みまくって何ごとか口走っただけだった。彼らの返事は私の頭のすぐ上への一連射だった。私は失禁した。さっきのジョッキが私の役にも立った。情けは人のためならず、を地で行く話だった。


【スリン-10】
 パクと特科戦の男が作戦準備のために下がったあと店の個室には、ヤンとスリンだけが残された。二人きりになるとヤンはさっそく、敵の工作員との接触を写真に撮られたことについて彼女をきびしく叱責した。

 スリンは反駁しようとしたが、ヤンはとりあわなかった。たとえ自分が命じたものであれ、本来の接触相手を敵がインターセプトしたことに気づかず、敵に情報を与えてしまったことはスリンの落ち度であるという。その後始末もあって店に来るのが遅れてしまったのだと、厳格な態度のなかにも嫌味がまじる。

 唇を噛むスリンに、ヤンは食卓の上のナムルを少量、口に含むように云った。そのまま椅子をずらし、脚を大きくひろげる。こんなところでは初めてだったが、動作そのものは見慣れたものだった。スリンがためらっていると、将軍様からいただいた名誉ある任務での失態は一族もろとも「再教育」だろうと口の端をつりあげ、一度やってみたかったのだと笑った。

 ここまで耐えねばならぬのか。スリンの目に涙がにじんだ。彼女はのろのろと箸でもやしのナムルをつまみ上げて口に含むと、ヤンの脚の間に跪いた。

 ――代役だろうが替玉だろうが、トーキョー王に逢えるならちょうどいい。

 数分後、ヤンの放ったものをナムルといっしよに嚥下させられながら、スリンは思った。

 トーキョー王が将軍たちの思うような力を持っているのなら、まずこの男を殺してもらおう。


【アキウ-9】
 ヤバイぞまたあの店だ、と大沢さんからLINEが届いて、僕はあわてて朝霞に向かっていた。大沢さんのセンサーネットはこないだ強盗犯だか強姦魔だかが侵入したあの家に、明白な魔術の行使があることを示していた。なにせ当のその家にセンサーが置いてあるもんだから、魔力を受けている地点の特定はあまりにも簡単だった。

 しかしいったいあの家だかあの家の子だかに、何があるっていうんだろう。顔を合わせたのは暴漢を取り押さえてから警察が来るまでの少しの間だったけど、あの家の人々に「トーキョー王」の魔力が備わっていたら、さすがに気づいたと思うんだけど。僕は訊いたけど、大沢さんも見当がつかないようだった。あの事件の後、いちおう「事務所」のほうでもこの家について調査したけれど、ご一家にもこの場所そのものにも霊的な干渉を受けるような要素は見当たらず、あの家が事件に巻き込まれる原因は、少なくとも僕らの領分にはなさそうだった。

 にもかかわらず、ここにきてはっきりと魔力が使われているというのは――正直、罠かもしれないなと思う。なんだって朝霞なのか知らないけど、例の「トーキョー王」騒ぎ以来、霊的あるいは魔術的現象に親しい人々の間にはいろいろと波風が立っている。その状況でこれだけあからさまなことをするというのは、誰かをおびき出したいとか誰かに挑戦したいとか、そういう意図があるのかもしれない。

 バイクで信号待ちしている隙に僕がそう伝えると、大沢さんから同意の返事がかえってきた。大沢さんのセンサーネットが強い力を検知しているのは例の居酒屋さん家と、そこからいくらも離れていない公園のあたりだ。挑発にのって霊力を使いたくないから「店で待ち合わせる約束の学生二人組」の体裁で現場入りしようということになった。公園のほうはいかにも「こっちが出所でーす」って云っているみたいだから、僕ら二人じゃなくもう少し大勢で行ってもらえるよう「事務所」に連絡した。

 だけど僕らは間に合わなかった。僕らが現場に着く前に、その家に大きな力が加えられたのを「現場」のセンサーが告げたのだ。どうして待ち構えているはずの相手が、いきなりお店に強力な魔術を加えたのかわからない。一歩遅れて、だけど僕より先に現場に着いた大沢さんからは、その衝撃に合わせて誰かがお店に乱入することはなく、どう見ても少し遅れて、あわてて3人の軍人が店に入ったのだという。

 なんで魔術を使っておいて軍人が銃を持って入っていくのか、僕には意味がわからなかった。ここまで魔術を使ったんだから、何が目的か知らないけど最後まで魔術でやっちゃうほうが簡単なんじゃないだろうか――なにか手違いでもあったのかな?僕はそんなことを考えながら、大沢さんの指示どおりお店の裏口から厨房に忍び込んだ。床に倒れているお店のおやじさんと、その横で震えているおかみさんに向かって唇に指をあてて見せると、お二人はカクカクとうなずいた。

 大沢さんとタイミングを合わせて仕掛けたいところだったけど、状況的にそれは許されなかった。軍人たちは明らかなカタコトを隠そうともせず、家の女の子二人に来るように云い、二人をかばってるオジサンが何か云ったらマシンガンをオジサンたちのすぐ上にぶっぱなしたのだ。


【スリン-11】
 数日前の屈辱的な記憶を苦い唾とともに飲み下しながら、夜闇の中スリンは作戦の時を待っていた。

 今回の作戦の本命は公園の中ではなく、公園の脇に停めた車の中だった。車中の特科戦隊員がアサカの日本側拠点(二階三階は住居、一階はカムフラージュのためか居酒屋をやっていた)へ「特殊科学的干渉」を実施し、日本側をおびき出す作戦である。

「干渉」の出処である車のほうに日本側組織が現れれば、公園に配置したパクの手勢がこれを攻撃し少なくとも1名を捕獲、日本側拠点のほうに現れた者も同様に数名で攻撃、この場合は一気に拠点へ乱入し、日本側の関係者とみられる少女とその姉を拉致する、というのがヤンのもくろみだった。

 そんなにうまくいくものだろうか、そもそも乱暴すぎやしないだろうかとスリンは不安を口にしたが、特科戦の男はいつもの人をばかにしたような笑いをうかべて一蹴した。日本の連中は「特殊科学」勢力だと思って出張ってくるが、実際に配置されてるのは狙撃銃だ。「鳥撃ち」みたいなものだから心配はいらねえよ。

 それをかわしきる能力が向こうにあったら、とスリンが云いつのると彼の笑みがいっそう大きくなった。そのときは、お前さんを含めて戦うのが本職の皆さんにお任せするさ。俺たちゃ体が弱いって云ったろ?

 貴様だって軍人であろうが、とスリンが声をひそめながらも厳しく云うと、男はそうとも、とにやにやしながらうなずいた。お前さんより上級のな、と笑ってシャツの下から、首から提げたドッグタグを見せると、そこにはスリンの二階級上の紀章が固定されていた。


【アキウ-10】
 オジサンたちの頭上に威嚇射撃が飛ぶにいたって、僕はこりゃだめだと思った。タイミングどうこうの場合じゃない。僕は何か使える道具はないかと、周囲に目をやった。近づこうとする兵士にこの家のお姉さんのほうが、妹になにかしたらただじゃおかない、というようなことを喚いた。

 その声に兵士たちの注意が向いたタイミングで、大沢さんが動いた。店の入口前を横切りながらやつらの足元にコインをばらまいて霊力を注ぐと、やつらは大沢さんの術で平衡感覚を失った。ぐらりと頭がゆれる。だが中の一人が耐性持ちだったのか、振り向きざま苦しまぎれに大沢さんのいたほうへマシンガンを連射した。ぐお、と夜闇の中から声がして、大沢さんが倒れたとおぼしい音がした。術の効果が消え、他の兵士も後ろを振り向く。

 このタイミングしかなかった。僕は落ちていた刺身包丁の刀身に、術の媒介となる梵字を(霊的に)刻んでいるところだったが、最後のところは端折って厨房のカウンターを乗り越えた。行儀が悪いけどカウンターの上を転がって店の床に降りざま、床に刺身包丁を突き立てて呪文の一声を呼ばわると、僕の目の前にあわく光る障壁が出現した。

 ほんとうだったら連中をドカンと吹き飛ばしてやりたいところだったけど、吹き飛ばして大沢さんのそばに行かれたら困るし、呪文の最後のほうを端折っちゃったせいで術の効力が弱い。せめて大沢さんの撒いたコインにまで、霊力を繋げられればよかったのだけど、急ごしらえの術ではそれもままならなかった。

 兵士たちは僕がすぐには攻撃してこないと見てとるや、僕の方に銃弾を浴びせてきた。目の前に展開した障壁は、術者である僕の周辺がいちばん強力なので、銃弾はそこで止まるのだけど、衝撃が僕に伝わって頭が痛い。銃弾をひとつ止めるたびごとに、頭がガンガンする。お寺の鐘の中にいるみたいだ。マシンガンの弾がどかどか飛んでくる。お寺の鐘が何重にも頭の上に重なってくるみたいだ。頭がぐるぐるして、意識がもうろうとしてきた。吐きそうだ。

 やつらは撃ってもムダだと思わないのだろうか。思わないんだろうな。だんだん弾が止まるまで時間がかかるようになってきた。床に血がぼたぼた落ちた。とうとう弾が貫通したか。いやちがう、弾はまだぜんぶ止めてる。まだ止まってる。ちょっと動いてるのもあるけどじきに止まる。じゃあなんだ。鼻血か。僕は鼻血を噴いてるのか。さえないな。女の子たちを二度も救うヒーローが鼻血噴いてちゃさまにならない。姫ちゃんもがっかりだ。

 銃弾が止まった。あきらめたか。いや違う、やつら何か投げた。手榴弾かな、いや違う、あれだあれ、ハイジャックとかで使うやつ。突入するときの。

――目と耳ッ!!

 ぼうっとした意識をぎりぎりで立て直し、僕は背後に叫んだ――つもりだったけど、実際に声が出ていたかはよくわからない。障壁のすぐ際、ということは僕のすぐ目の前でスタングレネードが炸裂し、僕の障壁がとうとう力尽きた。僕は吹き飛ばされて、後ろのオジサンのほうにたたきつけられた。


【ミノル-13】
 兵士の一人が私たちに近づいてきたとき、レナさんが私の陰から顔を出すようにして、妹に何かしたらただじゃおかないわよ!!と叫んだ。勇敢なお嬢さんだ。前に暴漢を叩き出したときもこんな感じだったのだろうか。

 そのとき店の前を人影が横切って、兵士たちの足元に何か光るものをばら撒いた。と思うと彼らは急に頭が痛くなったかのようによろめいたが、中の一人が後方に銃を連射した。男のうめき声と、それに続いて人間が倒れたような音がした――と思う間もなく、厨房から誰かが飛び出してきた。カウンターを横ざまに転がって私の前に落ちてくると、何かを床に突き立てて私には聞き取れない言葉を発した。

 次の瞬間その、後ろ姿からは若い男と見える彼の前に、真珠色に光る幕のようなものが立ち上がった。兵士たちはマシンガンを乱射し始めて私は思わず肩をすくめたが、不思議なことに銃弾はその幕にさえぎられて、私たちのところには届いてこなかった。

 北の軍隊に対抗するということは、さっき前を横切った彼といい、自衛官なのだろうか?あるいは公安の特殊部隊かなにかなのだろうか?それにしてもさっき兵士たちをよろめかせた光るものや、この目の前にひろがる光の幕は――?

 魔法だ…と妹さんが隣でつぶやいた。ああそうか、魔法なのかと私は思った。たしかにこれはもう、魔法としかいえないな。気が動転しすぎて頭が麻痺してしまったのだろうか、私はお嬢さんの云うことを素直に聞きながらぼんやりと彼の――何をしているかわからないがおそらく命がけの、その奮戦をながめていた。

 兵士たちは埒があかないと思ったのか、光の幕にむかって何かを投げた。私たちを守ってくれている彼が、背中ごしになにかを叫んだ。呂律がまわっていないように思ったが、ふしぎなことに私はそれを聞き取ることができた。

 彼は「目と耳」と云ったのだ――そうか、スタングレネード!

 私はとっさにお嬢さん二人の頭を抱えながら、見るなと叫んだ。彼女たちの耳を私の体にくっつけるようにして、強く目をつむる。それでも激しい音と光が襲ってきたが、きっとあの光の幕が緩和してくれていたのだろう。とうとう力尽きてしまったのか、私たちを守ってくれた彼が、私のところにまで吹っ飛ばされてきた。気を失った彼を見て、お嬢さんたちは驚きの声をあげた。知り合いだったのだろうか?

 しかしこれで、私たちを守ってくれる人はほんとうにいなくなってしまった。煙が薄まって兵士たちの姿が――いや、どうして私たちの前に、女性たちが仁王立ちしているんだ?


【CJ-8】
 歩哨役の男を踊り場に横たえると、CJは新手の出てこないうちにと3階に戻った。廊下にはゴミが散乱していて、彼らのところにも酸えた臭いが漂ってきていた。それはCJにとってめずらしい眺めではなかったが、日本それも東京にこんなアパートメントがあるのは驚きだった。横を見ると、ディアナが鼻をすんすんいわせながらイヤな顔をしていた。

 一方でCJの目はやや遠く、廊下の端にうず高く積み上げられたゴミの脇に、人間が倒れているのを見つけていた。両側の壁に一人ずつ――途中のゴミに誰か埋まっていないとして、さらに向こうに一人。廊下のようすからして、不品行の末に酔いつぶれて眠り込んだ可能性もあるが、あの階段の見張り番のこともある。彼はディアナに、数歩遅れてついてくるように云って、慎重に廊下を進み始めた。

 さすがにゴミの中に埋もれて銃で狙っていることはあるまい、とCJは考える。そこまでするのであれば誰かが来ることを知っていて、それを問答無用に排除するつもりがあることになる。階段の「警備員」が軍隊経験者だとしても、あのように見張りを立てていては、待ち伏せもなにもあったものではない。

 CJは周囲を警戒しながら、倒れている男たちを検分した。手前のほうに倒れている二人はアジア系、おそらく日本人だろう。すでにこときれているが、まだせいぜい数時間前のことのようだ。上着をあらためても、身元の手がかりになりそうなものはない。いくつもの銃創があったが彼らの手に銃はなく、銃撃戦の末の死亡とは思えなかった。一方的に撃たれたのだろうか?

 それにしては弾をばら撒いているな、とCJは訝しみながら、奥の一人に近づいた。案の定、すぐ近くに自動小銃が落ちていた。こちらも既に命を奪われていたが、外傷らしいものはなく、しかし首のところに、強い力で締め上げられたような痕が残っていた。銃撃戦の最中あるいは終わった後で、誰かに首を締められたのだろうか。彼は強い驚きに見開かれたままの目に、まぶたをかぶせた。

 なにかわかるか、とディアナを振り返ると、彼女は悲しそうな顔をして、先に倒れていた二人組のどちらか、あるいは両方が力を使ったと思う、と云った。また魔法使いか。それも今度は、離れた相手の首を締める魔法ときている。ディアナがこのアパートを示した時点で覚悟はしていたが、CJはまた暗い気持になった。どうやってこんな連中の相手をしろってんだ。

 さらになにかディアナが云いかけたとき、彼らの後ろ、さっき通り過ぎたドアのひとつが開いた。ほとんど反射的な動きで、CJが前に出てディアナをかばい――だが待てよと考える。魔法使いの相手なら、ディアナを前に出したほうがよかったんじゃないか?


【CJ-9】
 開いたドアからは、眠そうな顔をした若い男が出てきた。着くずれたシャツとジーンズ、焦点のさだまらない、ぼんやりとした表情の目が二人に向けられると、男の表情が驚愕と恐怖のそれに変わった。

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!

 男が大声をあげると同時に、何かの力が炸裂した。CJたちのほうに向かって窓が次々にはじけ飛び、廊下のゴミが舞い上げられ彼らのほうへ飛んでくる。やっぱりかと唸りながら、CJは腕で顔をかばった。

 だが、その力はCJのところまで届かなかった。いつのまにか彼の前に出ていたディアナが、左手を前につき出している。その手のひらの位置で不可解な力の奔流は失われていた。彼女の横の窓は割れず、吹き上がったビニール袋や空き缶は彼女の手の前で力を失い廊下へ落ちる。

 大声をあげた男はさらに驚いた顔になって、滑稽なほどの大慌てでわたわたと部屋の中へ戻って行った。CJは追おうとしたが、ディアナがふらついて壁に手をついたため足を止めた。

 ディアナは青ざめた顔をして、廊下の壁に寄りかかって息をついでいた。今のを食い止めたのがこたえたのか、と訊くと、心配いらないといくらか荒い息で答えた。さらにあっちは良くない、と男の引っ込んだ部屋を見てかぶりをふり、こっちに行かなければならないと、もともと彼らが行こうとしていた廊下の奥を指さした。

 おりしも廊下の奥の部屋からは、小銃を腰だめに構えた男たちが出てくるところだった。CJはためらうことなく腰のハンドガンを抜いた。こっち方面なら任せとけ、と獰猛に笑うと、動きのにぶい男たちに3発ずつたたきこんだ。


【CJ-10】
 小銃を持った男たちは奥の部屋から続々と、だが妙にのろのろと出てきた。いや、出続けていた。こいつはおかしい、とCJが気づくのにいくらもかからなかった。前に出た仲間が次々に撃たれているのだから、もう少し警戒したり連携したりするべきではないか。

 そもそもやつらは焦点の定まらない目をして、棒立ちでのろのろ出てくるばかりで、いまひとつ攻撃の意思が感じられない。それでも時折、腰だめにしたサブマシンガンを撃ってくるので、CJは伏せたり避けたりしなければならなかったが、およそ素人以下の、表情と同じくうすぼんやりした、生気のない攻撃にすぎなかった。

 問題は数に際限がないように思えたことだ。それほど一部屋が大きいとは思えないが、あの中にどれだけの人数を待機させていたのか。

 こいつも魔法の仕業か、とCJは後ろのディアナに問うたが答えがない。見るとディアナは、さっきの大声男の部屋に入ろうとしている。おいちょっと待て、という彼の声と小銃の連射音が重なる。CJはあわてて廊下を転がるが、ディアナはたいして気にするふうもなく室内へ入っていった。

 少しは警戒しろよまったく――唸りながらCJは右手のベレッタで再び応戦、生気のない兵士たちを食い止めつつディアナを追って部屋に入った。狭いキッチンに小さなテーブルが置いてある。ここがダイニングを兼ねているのだろうか。そこを通り抜けるとディアナが、さっきの男と対峙していた。

 おそらく居間なのだろう、ひどく狭い空間にはフトンが敷いてあって、おそらくそこに寝ていたのであろう少女が、スウェットの上下のまま男に抱き上げられている。まだ子供といってよい歳だ。少し顔をしかめたまま、男の腕の中で眠り続けている。

 どういうことなのかわからないCJが声をかけるより先に、ディアナが口をひらいた。あなたたちには何もしないから、その子を夢から醒ましてあげてと云う。彼女の眠りと今の事態に、なにか関係があるのだろうか。のみこめないままCJは、彼女に云われて銃を後ろに下げた。

 男は子供のような表情で、うろたえながら首をふった――だめ、王様に怒られる。  *Tokyoking*

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