「トーキョー王」 #2

【アキウ-4】

 ――トーキョー王を、探してほしいのです。講義室を出ていこうとする僕を呼び止めて、話したいことがあるという姫ちゃんの隣に腰かけた僕は、自分の耳を疑った。姫ちゃんは、正確には「トーキョー王になるはずだった人」というべきでしょうねと訂正した。訓練されたやわらかい微笑みに交じるわずかな困惑は、たぶん僕たちみたいな、彼女の表情を見慣れた者にしかわからない。

 姫ちゃんは僕の名前を呼んで(彼女が他人の名前を口にするのはきわめて異例だ)、信頼できる人にしか頼めないの、と云った。ということは、これは姫ちゃんの個人的な頼みごとなのだ。そもそもこれがもし彼女を含む「家」の意思――つまりは「家長」の決断であれば、姫ちゃんが講義室でこんな話をする必要もないし、僕のところには「事務所」から指示がくるだけだ。

 講義が終わって学生たちもまばらな講義室で、ということはつまり松尾さんの耳さえ避けて話したい、ということなのだ。教壇へ顔を向けたままなのは、松尾さんに唇の動きを読まれないようにするためじゃないだろうか。

 それはつまり、彼女が「家」の方針に逆らっているということだ。

 「私は、この国を強くしたい。」

 ――前を向いて、強い意思を感じさせる目で姫ちゃんは云った。「お祖父様たちは、失われたトーキョー王を探し出して庇護下におけばなんとかなると思っていらっしゃるけれど、それではだめなの。この国の霊的世界に他国の勢力が入ってきて、それでこの国は弱くなっていっている。今度のことでまた、外国からの侵食が行われるかもしれない…私はそれを防ぎたい。この国を強くして、二度と誰も手を出したくないと思わせられるようにしたい」

 ――それでこそ私たちの国が、静穏と繁栄の両方を得ることができると思うの。姫ちゃんの言葉に、僕は鳥肌が立った。家長のことを「お祖父様」と呼ぶのも異例であれば、この国の霊的領域について一族が持論を述べるのも異例中の異例だ。しかもその考えは「家」の方針とは違っている。前の戦争からこっち、この国の霊的領域を統べる姫ちゃんの一族は、一切の野心を捨ててただただ平穏に時がすぎるに任せていたし、僕らの「事務所」もあくまでそのために専守防衛の、いってみれば「霊的領域のための自衛隊」として存在しているんだ。

 僕は姫ちゃんのことを、あくまで従順に、柔和な微笑みで「家」での役目を果たす、健気な女の子だと思っていたけれど、それはどうやら違うようだった。「成人したのだし、私も自分の考えで行動しようと思うの」そう云う姫ちゃんは、今までに見たこともないほど真剣な表情で前を見据えていた。


【スリン-3】
 日本への入国は、拍子抜けするほど簡単だった。提携先の日本商社から招待される形でビザを取得すれば、あとは形ばかりの審査で上陸ができた。簡単すぎる、と感じる自分をスリンは戒めた。公安警察が自分たちをマークしていないとはいえないのだ。

 空港では、予定どおり日本商社の人間が待っていた。彼はキザキと名乗り、ご滞在中は主に私がアテンドします、と云って日本人特有の曖昧な笑いをうかべた。折り目正しい態度も、あまり高価そうではないスーツと無難なネクタイの組み合わせも、いかにも日本のサラリーマンという印象だ。

 彼が運転してきた社用車に乗ってホテルに向かう間、スリンは「初めての日本出張で見るものすべてが珍しい女子社員」を演じながら、周囲に目を配った。少なくとも彼女が見てわかるレベルの尾行はついていないようだった。よほど大規模なフォーメーションを組んでいるなら別だが、そのように注目される理由があるとは思えなかった。

 「上司」役の男はヤン・ロンファンを名乗っていた。スリンもその名前しか教わらなかった。彼も彼女もお互いの本名を知る理由はなかったが、もしかしたら姓か名かどちらかは、スリンのように本名なのかもしれない。一から十まで嘘で固めるのではなく、真実と混ぜておくことで嘘を見破りにくくするのは常道だった。

 キザキの会社を訪問し、滞在中の予定を確認して初日の「仕事」は終わった。スリンとヤンがホテルに戻ると、予定どおり荷物が届いていた。先行して日本に潜入しているチームが、彼女たちが持ち込みにくい荷物をあらかじめ届けてくれたのだ。スリンたちはホテルの部屋を、天井裏からコンセントの中、ベッドのマットレス内部まであらためてから、荷物を開梱した。まず電波検出器で盗聴・盗撮の類がないことを確認し、銃器その他の装備を整えるのはそれからだった。

 申し合わせた時間どおりに、ヤンから通信が入った。ホテルに届いた荷物から組み立てた通信機で、ヤンの部屋と通話する。ヤンが云うには、いくつかの先行チームの要である「トーキョー王」探索チームとの接触は、次の週末になる予定だった。それまでは商社の人間として、くだらないお芝居をしていなくてはならない。

 ――まあいい。スリンは通信を終えてつぶやいた。自分が荒らした部屋を見られないように細く開けたカーテンの隙間から、品川の夜景を見る。故国とはあまりにも違う街と人の群れに、あらためて自分の境遇を思う。あといくらかの辛抱で、「トーキョー王」とやらに会える。彼奴が何者であれ、その身柄と能力を手土産に帰ればよいだけのことだ。

 思いにふけるスリンの傍らで、通信機が再び小さな音をたてた。ヤンからだった。これからシャワーを浴びるので20分経ったら私の部屋に来るように。

 上官がストレスによって判断を誤るようなことがあってはならないので、そのストレスを緩和するのは女性の部下であるスリンの仕事だった。任務と言いつくろうヤンのにやにやした顔が目に浮かんで、彼女は嘆息した。


【ミノル-7】
 ――最近、変わったことはありませんでしたか?居酒屋の娘さん(就職活動中のあのお嬢さんだ)に訊かれて、私は焼酎を噴きそうになった。

 どうして彼女がこんな質問を?なにかのカマかけだろうか、と私は考えた。協力者の守秘性に関する、公安当局の抜き打ち検査だろうか、あるいは調べているのは「北」のほうで、私が余計なことを云わないかチェックするためだろうか。

 外国人が「恋人」を使って情報収集することは珍しくない。しかしこのお嬢さんとお近づきになるのであれば、相手方は私自身が知る前から私が協力者になることを知っていたことになる。あるいはこの家に別の理由で張り付いていたのが、私がこの店に通うようになってからターゲットに私を加えたのか。

 すみませんヘンなこと訊いちゃって、とお嬢さんは笑って取り繕った。きっと私が、彼女の想像よりも難しい顔になって考えこんでしまったのだろう。私が照れ笑いとともに理由を訊くと、なんでも占いに凝っている妹さんが、運気が上がるタイミングと私が店に来る日が近いのだと、私のことを運の強い客だと云っているのだという。

 説明しているうちにだんだんお嬢さんのトーンが下がっていったのは、自分でもその話を信じていないからだろうか、私の表情が気の毒な子を見る目になっていったからだろうか。意気消沈して下がろうとするお嬢さんに私は、初めて会った日のことを話した。たまたま電車に乗り合わせた私を覚えていたこと(彼女が座れるようにした作為については、これからも話すつもりはない)、たまたまそのご実家の営む居酒屋に立ち寄ったら、彼女が手伝いに来ていたこと。

 変わったことといったらその偶然ぐらいでしょうか、と私は笑った。女性のことばかり記憶しているオヤジに見られそうだったので、最初にこの店に来た後、中国系とおぼしき女性に(結果的に)命を救われた話をするのはやめておいた。ましてや、いま自分の身に起きているまさしく「変わったこと」など話せるわけもない。

 運がいいというのであれば、こんないいお店を探し当てたのですから運がいいのでしょうね。私は冗談めかして云った。もう20、いや15若ければお嬢さんにかける別なせりふもあったが、父親であるご店主の前でなくてもそんなことを云うつもりはなかった。私が気分を害しても彼女をばかにしてもいないとわかって、彼女はほっとしたようだった。

 すみませんねえおかしなこと云う娘で、とカウンターの向こうでご店主が頭をさげるのに応えて、私は炙り〆鯖を注文した。運がいい…と考えて、思わず私は苦笑いしてしまった。

 運がいいというのなら、どうして北の工作員の相手などをさせられているのだろう。


【ミノル-8】
 北からの工作員といっても、見た目は単なるスーツ姿の男女だった。ヤン・ロンファンとユン・スリン。どちらも、少なくとも肩からホルスターを吊っているということはなさそうだったし、ユンという女性のほうも、スカートの内ももにナイフを挟んでいたりはしなさそうだった。

 そのほうがむしろ危険かもしれない、と私は思った。見えないところに武器を仕込んでいるとしたら毒物の可能性が高くなるし、もしほんとうにこの二人が武装していない場合、彼らを視界にとらえる位置に別の部隊がいると考えるほうが自然だからだ。ともあれ私たちは通常のビジネスマナーに則って名刺を交換し、スケジュールどおり予定されている会社への訪問を開始した。

 実際、それは普通の仕事だった。彼らは日本のいくつかのメーカーを訪問し、自分たちが中国にもつ商圏を紹介し、うちの会社との提携関係にもとづいて日本の製造メーカーとの関係を強化したい旨を話した。すぐにまとまる商談はなかったものの、今後につながる話はいくつか拾った。これは私の会社(の表向きの事業)にとっても喜ばしい話ではあった。

 彼らは食事中や移動中の車内でも頻繁に携帯電話を取り出し、流暢な中国語で業務報告をしていた。私は「アテンドを任されるぐらいには中国語ができる社員」ということになっていたし、実際にそうだったので、それらを聞き取っている素振りを見せても、なんの不都合もなかった。彼らもそれなりに気をつかって、暗号で会話していたのかもしれない。

 相手が電波検出器を持っていた場合にそなえて、車中での会話を外部に発信はしていなかったが、録音装置は動作させてある。一日の業務を終えて二人を品川プリンスに送り届け会社に戻ると、クルマ好きが高じて社用車係になった(ということになっている)庶務課の松尾さんが、車内のチェックと清掃をする際に録音装置からメモリを抜き取り、システム管理部に持っていく。

 社内での落し物が情報記録媒体だった場合、持主に返す前にシステム管理部のウィルスチェックを受けるというのが、会社の情報セキュリティ規則だから――というのが表向きの理由で、もちろんチェックしている間に中身は当局に送信され、解析されるのだ。


【アキウ-5】
 僕にとって幸いだったのは、大沢さんも味方についてくれたことだ。僕たちは「事務所」の仕事の一方で、姫ちゃんの個人的なエージェントとして、あの「トーキョー王」の術に込められた魔力の、飛び散った先を探索しはじめた。

 といっても、仕事が倍になるわけじゃない。「事務所」のほうもあの魔力の行方を追っていたし、そもそもPlagのサービスに負荷をかけてまで情報封鎖を行ったのは、いち早く事態を把握して、魔力が誰か(あるいは何か)に宿っているようであれば、よからぬ連中や他国よりも先にそれを確保する目的だった。

 だけど――今日は「事務所」からの情報で渋谷に来てみたけれど、はっきり云ってムリめの指示だった。大沢さんと二人とはいえ、スクランブル交差点を行き交う人たちの中から魔力の気配を感じ取るのはとても難しい。「事務所」の監視網が基本的には神社仏閣を拠点としていて、新興の住宅地や開発の進んだ土地が苦手だから呼ばれたのだけど…だからって僕らがこうしてガードレールに腰かけていても、お目当ての相手を捕捉できるとはちょっと思えなかった。

 考えてみてほしい、人混みの中で誰かがケータイを鳴らしたとして、それが誰のかわかるだろうか?たまたま隣の人だったらさすがにわかるだろうし、すぐ近くだったら見当がつくかもしれない。でもスクランブル交差点のどこかでかすかに着メロが流れていたとしたら、その人を言い当てられるだろうか?僕らの場合その「着メロ」は鳴り止まないのが唯一の救いだけど、やらされているのは要するにそういう仕事だった。

 大沢さんなどはこの任務を「事務所」への義理立てぐらいにしか思っていないらしく、お前あそこのコに声かけてこいよ、などと僕にナンパをそそのかす始末…いやまあ、たしかにこのあたりには人待ちなのかヒマなのか、いっこうに立ち去らない女の子たちがいっぱいいたし、中にはびっくりするような美人の…えーと、ムネのおっきい金髪のガイジンちゃんとかもいて、けっこうな眼福だったけどね。

 そうは云ったってほんとにナンパとかしてるわけにもいかないしそんな度胸も、大沢さんは知らないけど僕にはないので、僕たちはちょくちょく女の子を眺めたりしながら、交差点を通って行く人たちと、世界でも珍しいというその風景を写真に収める観光客さんたちの中に、魔力の気配を探っていた。けれどそれは、雑踏と宣伝とクラクションで騒がしい街と同じに、ノイズにまぎれてとらえどころがなかった。


【サヤ-3】
 その波動を、私たちは遠雷を聞くように感じとった。見えたか、とサエ姉さんが聞く。姉さんは私よりも鋭敏なところがあるが、視覚イメージとして捉えるのは私のほうが得意だった。

 私は自分が見たままを伝えた。東京で炸裂する霊力、あるいは魔力。きっと東京では(ある種の人間たちにとってだけ)大事件として捉えられたことだろう。サエ姉さんはさっそく東京の友人たちに連絡をとって、何が起こったのか聞いてくれたが、東京に駐在している皆さんのほうも混乱しているようだった。

 結局、まがりなりにも何が起こったかつかめたのは、まる一日が経った後だった。トーキョー王を生み出すか何かの霊的装置が、「爆発」したように霊力を放出して消えてしまったのだという。スマートフォン用のサービスに宿っていたそれは以前から発見されていて、それで他国の勢力が入り込んでくる原因にもなっていたのだが、どこでどのように発動するのか誰も知らなかった。

 サエ姉さんは、ほらやっぱり東京やったやないの京都まで来てあいつらあほか、などといつかの猪化けの件をむし返して怒りなおしている。私もあのときのことを思い出して苦笑した。まあ確かに私たちもからかいすぎたが、追い詰められて魔物をけしかけるのは三流のやりくちだった。宗教を弾圧したせいで、かの国には人材が不足しているのだろうか。

 それとな、と姉さんがめずらしく真剣な声で云った。「本家」のほうはその力が消えてしもたとは考えてへんのやって。みんなでどこ行ったんか探してるて。

 それはそうだろう。京都にいる私たちが感じ取れたほどの力が、すっと消えてなくなるとは思えない。力の断片がどこかに、あるいは誰かに宿ったり、あるいはそういう体質(霊感が強い、と云われるようなタイプ)の人が引き寄せてしまうかもしれない。でなければ、それを察知した者が意図的に「回収」してしまうか。

 姉さんの情報では、本家はこの情報が外にもれるのを防ぎながら「宝探し」つまり魔力の回収を始めたという。よそ者が引き寄せられる前にこの、目の前にばらまかれた財宝をさらってしまいたいのだろう。私はこれを機に、本家の主流とは違う考え方をもつ一派――ようするにあのお嬢さんが動き出す可能性を口にした。そこはサエ姉さんも同じ考えだったようで「砂金かき集めるまでは協力して、あとは取っ組み合いやな」といつものいけずを云いながらけらけら笑った。

 それで私たちも、東京に行くことにした。この争奪戦を前に京都にひっこんでいては、私たちもお友達やスポンサーのおじさま方に顔が立たない。タクシーを待つ間に最低限の荷物だけととのえて、私たちはそれぞれバッグひとつで家を出た。仏教会そのほかへ協力をお願いするのは、新幹線の中からにさせてもらおう。

 あとあれやで菱川さんとこのぼん、学生さんの「ご学友」やってるやろ。グリーン車の座席で姉さんは、なにげない親戚の消息のように云った。あなたにしか頼めないの~んとお嬢さんの、相当に悪意のあるものまねを披露して、彼がきっとお嬢さんにほだされて味方についたにちがいないと笑う。秋保くんには申し訳ないけど、私も同じ意見だ。やんごとなき美人女子大生の涙や笑顔にほだされたかはともかく、彼には面倒ごとに巻き込まれる運がついている。


【ミノル-9】
 今週最後の仕事は、ヤンの顔なじみだという韓国企業の日本事務所へ、仕事ともいえないちょっとした顔出しにつきあうというものだった。韓国での仕事でお世話になった方が日本事務所にいるというので、出張ついでに旧交を温めようという話だ。

 彼らの出自を知る私としては、韓国企業とのコンタクトは怪しいと思わざるをえなかったが、ヤンはせっかくですからと私も事務所に招き入れて彼らに紹介してくれたので、内緒の会合というわけではないようだ。先方のパク代表もあけっぴろげな人で、私を人払いすることも、私が聞き取れないであろう韓国語や中国語の難しい言い回しや方言を使うこともなく、協業先を探しているがなかなか難しい、などという話をしていた。

 これもカムフラージュのための訪問なのだろうか、私にはどうもよくわからない。そもそも彼らはほんとうに工作員なのだろうか、と私は隣に座ったユンさんの整った、ちょっと気難しそうな横顔を盗み見ながら思った。工作員と考えられる何人かが日本に来ていて、公安当局は私たち協力者に「いちおう工作員として扱わせる」ことで、人手の足しにしているだけなのではなかろうか。

 そのまま食事に行くという彼らと別れて社に社用車を返し、最初の一週間を終えた。会社が入っているビルの駐車スペースにつけるとすぐに、いかにもOLさんといった感じの事務服に身をつつんだ松尾さんが出てきて「おつかれさまです伝言メモとコーヒー置いてありまーす」と明るく云いながら、私から車のキーを受け取った。ここから先は彼女が車内をかるく清掃し忘れ物をチェックし、ビル地下のガレージに入れてくれる。

 私はオフィスに戻ってコーヒーカップと、その下の伝言メモをとりあげた。松尾さんから不倫デートのお誘いでもあればときめくのだが、もちろんそんなことはなく整った字で「お客様は何か探しておいでです。探したり見つけたり持ち帰ったりする話題にご注意ください」と書かれてあった。

 ほんの数時間前のことだ。訪問先の韓国企業で、先方の代表が云ったことを私はおぼえていた。彼は「本社が目星をつけた協業先があって、せっかくだからお引き合わせしたかったのですが、コンタクトに難航していてもう少し時間がかかりそうなんですよね」と云ったのだ。本社というのは本国だろうか本隊だろうか。相手は武器、あるいはクスリの「協業先」だろうか。私は付箋を握りつぶし、帰りがけにトイレに流して捨てた。


【スリン-4】
 金曜日の午後の訪問先は、韓国系企業の日本事務所だった。国内にいくつか用意してある、軍の拠点のひとつだ。韓国系の人間が出入りしていても、人の入れ替わりが激しくても不自然でないし、日本から撤退するという理由があれば、急に事務所をたたんでもこのご時世よくあることで済ませてもらえる。ここで先行部隊から情報を聞いて、今後の作戦を確認するのが今日の目的だった。ようやく三文芝居から解放されると、スリンはいくらかほっとしていた。

 中国の商社員が韓国企業を訪問するのであれば日本事務所である必要はなく、必ずしも仕事とはいえない。ヤンが以前に仕事でつきあっていた相手が今は日本事務所に出向になっているので、情報交換を名目に旧交を温めるというのが、キザキに説明した表向きの主旨だった。

 じつは金曜日の夕方にセッティングしたのも、そのまま食事に行くつもりだからなんですよとヤンが説明すると、キザキも営業系の人間らしく、そのあたりはすぐに察した。人脈の維持も仕事のうち、というのは商社マンなら理解できるし、まっとうな理由をむりやりこしらえるよりも、こうしてちょっとハメを外した部分を見せておくほうが信じてもらいやすい。

 とはいえ人払いをしているように思われても困るので、キザキにも紹介したいから事務所へ一緒に来るようにと誘った。ビジネス上の社交辞令の体裁をとりながら、自分たちを尾行しているかもしれない公安警察に対して「アテンドの日本人を排した秘密の会合ではない」ことを印象づけるためでもあった。

 日本橋の雑居ビルにある事務所は、キャビネットと事務机の、ごく一般的なものだった。応対に出た、ヤンとは旧知の韓国人マネージャーが事務所の代表者つまりこの事務所にいる部隊の指揮官で、名刺交換もそこそこに日本事務所(ということはこの作戦部隊)の組織を説明してくれた。キザキがいるのでふつうの会社紹介としての言葉遣いであったが、スリンたちはその説明を読み替えて理解した。日本での工作活動部隊へ新たに派遣された作戦指揮官のもと、本国から派遣された特殊科学戦部隊が作戦にあたっているというわけだった。

 ――特殊科学戦部隊、通称「特科戦」。じかに接触するのはスリンも初めてだった。それは現代科学とは体系を異にする技術、要するに超能力や魔術といったオカルトめいた技術を、軍事的に利用することを目的とした部隊である。「超能力部隊」や「魔術部隊」では科学的革命思想を掲げる国の軍隊として格好がつかないので、どうにかそれらしく名づけたのだ。

 スリンは暗い気持ちになった。「トーキョー王」という単語からしておかしな任務だと思っていたが、要するにお伽話につきあわされている。こんな任務を成功させては道化だし、失敗すれば叱責、へたをすれば降格だ。重要任務と聞かされて日本に潜入したところが、とんだ貧乏くじだった。

 通常戦工作部隊も含めて今はほとんど出払っていたが、用心のためだろうか特科戦から一人が残してあった。マネージャーが声をかけるとオフィスの隅で若い男が、モニターごしに血色のよくない顔を見せて会釈した。ちょうどいい。お伽話につきあっているオカルト部隊がどんな連中なのやら見てやろうと、スリンは本題に入るタイミングで手洗いに行きたい旨を告げ、場所は彼に案内していただきますからとオフィスの隅の男のほうに行った。

 ひどく血色の悪い、はっきりいえば病的な顔色をしたその男は、ひどく痩せた体を猫背ぎみにして彼女をビルの、テナント共用のトイレへ案内した。オカルト部隊にいるとこんな不気味な風体になるのかしらと訝しみながらついていく道すがら、男があの日本人は誰だと訊いてきたので取引先だと云うと、彼はぶっきらぼうに言い捨てた――注意しとけ、あいつ最近、魔術を使われたことがあるぞ。


【ミノル-10】
 公安は暗号を解読して、松尾さんにあの伝言を託したのだろうか。松尾さんは意味をわかっているのだろうか、それとも云われたままをメモに記しただけなのだろうか。そもそも松尾さんは何をどのくらい把握しているのだろうか(社内にも私たちの「善き企業市民としての協力」について知らない者はいる)。

 パク代表の云ったことが、伝言にあった「探したり見つけたり」の話題だったのだろうか。持ち帰るという話は出てこなかったが、「お引き合わせしたい」という表現はあった。そもそもあの会社はいったいどういう会社だったのだろうか。帰社してから私は、先方がアクセス記録を見ても不審に思わない程度に、夕方の訪問先のホームページをチェックしてみたが、もちろんそのぐらいで何かわかるわけはなかった。

 なんとなく釈然としない気分だったのを口実に、私は自宅最寄りのひと駅前で下車してまた、馴染みの居酒屋の暖簾をくぐった。今日はお嬢さんはいなかったが、バイトのシンイチくん(名前をおぼえてしまった)が元気に出迎えてくれた。飲み物をつくるところには、あまり見かけない若い女の子が入っていて、並べたジョッキに氷をざらざら流し入れていた。手元にスマホを置いているのが、いかにも今どきの子らしい。

 私を出迎えたのはシンイチくんとご店主だけではなかった。カウンターに何人かいた客の一人が、入ってくる私を見つけて声をかけ、隣の椅子を勧めてきたのだ。その男は以前、私がケータイを拾ってあげた男だった。つまり私より先に、私がヤンとユンの相手をすることを知っていた男だ。よくお会いしますね、と男は云った。私はちょっと困惑した顔をした。突然のことに面くらったのが半分、おぼえているのも不自然な気がしたのが半分だ。

 男は、よくいらっしゃるんですかなどと他愛のないことを少し口にして、連れの男との会話に戻った。私はいつものように一人で飲み始めたが、連れがトイレに立った際に隣の男がまた話しかけてきた。男は自分の仕事の話をひとしきりした後で、私のほうはどうなのかと水を向けてきた。うまいものだなあ、と私は感心した。以前はもう少し簡単にメールとか、指定されたコインロッカーにものを入れるだとかしていたのだが、今回それだけシリアスな案件ということなのだろうか。

 サスペンス映画の中にでも入り込んだような気分で、私は今日の仕事の話を口にした。お客様と一緒に韓国の会社さんを訪問したのですが、お客様を引き合わせるつもりだった協業先とのコンタクトが進んでなくて、また後日ということになってしまいましたよ――自然なせりふを心がけようとしてみたが、話し始めるとその必要がないことがわかった。べつに芝居をしなくても、言葉にすれば何も怪しいところのないふつうの仕事の話だ。

 連れの男が戻ってきたので私はまた一人飲みに戻った。じきにさっきの男は、じゃあまた、と赤い顔でにこにこ笑いながら、私に挨拶をして出ていった。なんとなく、彼らを見送るように店の引き戸のほうを見ていると、厨房のドリンクコーナーからさっきの少女が、私のことを怪訝そうに見ていた。

 この店のお嬢さんが云っていた、占いに凝っていて私のことを強運の持主と思っている妹さんだろうか。私が目で笑いかけると、妹さん(?)はすぐにひっこんでしまった。酔っぱらいオヤジに微笑みかけられては当然か。やれやれ。


【エド-6】
 <協会>本部での一件以降、エドワードはビリニュスに派遣した仲間たちから、Plagの開発部隊に<魔女>あるいは他の魔術勢力の気配がないか確認していた。仲間を何度かに分けて派遣したのは、先発が何者かの魔術的影響下に取り込まれ、エドワードに虚偽の報告を、それと知らずさせられるのを感知するためであった。どうやら今のところ、よからぬ勢力による魔術の影響は、Plagから排除されていた。

 <魔女>が鳴りをひそめているのは、<協会>主宰が命と引き換えに、彼女に痛撃を与えたためであろうと思われた。できれば自分が生きている間ずっと、魔女の郭にひっこんでいてもらいたいものだ――そう願いながら彼は、東京に残ってもらったアリスンから報告を受けていた。

 トーキョー王を成すはずだった魔術のエネルギーはいくつかの「破片」に散らばり、場所に宿ったり人に宿ったりしているようだった。ただし東京に滞在している姪もそれを宿らせた人には未だ出会っておらず、人に宿っているのだろうというのは推測だった。アリスンが確認したいくつかの地点のようすからすると、全ての地点に宿ったエネルギーを合わせても、エドワードたちの計画に比べて少なすぎるように思われたのだ。

 一方でアリスンは彼の言いつけを守って、自分からは探知の魔術を使わなかったので、誰がその魔力の「宿主」になったのか、手がかりは多くなかった。東京はとにかく人が多いのよ、とアリスンはぼやいた。もう少し人がまばらに歩いていれば、それなりの魔力の持主を感じ取って特定できるかもしれないが、人の少ない郊外の駅で待ち伏せるには、東京の駅は数が多すぎたし、当人が鉄道を使っていなければお手上げだ。

 いきおい人の多い場所で待ち伏せすることになるが、アリスンの超感覚でさえ何かを感じてもだいたいの方向しかわからず、おぼろげな感覚を頼りに尾行しようにも、この金髪碧眼では東京では目立ちすぎて、とうてい尾行に向いているとはいえない。

 今のところ、場所に宿った魔力の回収は、出足の良かった「地元」日本の組織のワンサイド・ゲームだった。そこに姪を参戦させて、日本の組織その他の連中に見とがめられたり、ましてや身柄を押さえられては厄介なことになる。どうせたいした量ではないのだから、アリスンにリスクをとらせるのは得策とはいえないと、彼は考えていた。

 魔力のあらかたは東京の人間のところにあるとみて間違いないから、ゴミ拾いは日本の皆さんにやってもらおう、とエドワードは画面ごしに、アリスンへ片目を瞑ってみせた。彼らは清潔好きの民族だそうじゃないか?


【サヤ-4】
 東京にも浄土真宗のお寺はあるし、天神さんもある。東京に仮住まい(誰がなんと云おうと仮住まいだ)の「本家」に与する神社も寺もあるが、私たちに協力してくれるところもたくさんあった。私たちはそういった「お友達」のところを訪問しては話を聞き、偶然そこに魔力溜まりがあれば、宮司さんやご住職にひと言ことわってからもらっていった。

 本家筋に感づかれたら厭味のひとつも聞かされそうだと私が云うと、サエ姉さんは「落ちてるもん拾てるだけやないの、自分のや云うんやったら名札でもつけといたらええねん」と云って取り合わなかった。

 魔力溜まりの数も規模もたいしたことがないと気づくのに、さして時間はかからなかった。あれだけの「爆発」が撒き散らしたエネルギーにしては、辺り(といってもまだホテルのある白金周辺ぐらいだが)の魔力溜まりが小さすぎた。どこかに巨大な塊があればすぐにわかるだろうし、これは魔力が素質があるか近くにいたか、なんにせよ人間に引き寄せられていたに違いなかった。

 トーキョー王のなりそこないやな、とサエ姉さんは笑いながら、銀座を行き交う人を窓越しにながめた。たまたま観光に来てたタイ人とかやないとええなと、こわいことを云う。私もタイ旅行はくたびれると思ったので、まずは東京中心部で探すことにした。

 昨日、立ち寄った八幡さんからあの「爆発」のあとしばらく、ときおり渋谷駅のあたりで霊力を使った者がいたようだという話を聞いて、私たちはこの方針でまちがいないと思った。外国人観光客がいかに多かろうと、地元東京の人々のほうが多いにきまっているのだ。渋谷駅の「なりそこない」さん(サエ姉さんは「シブヤ1号」と名づけた)はここのところぱったり現れないらしく、本家筋に「保護」されたか、魔力を吸い取られたかしたかもしれないが、他にそうした人のいないはずがなかった。

 ここからはスピード勝負、あるいは運の勝負のように思えた。本家筋が見つけるのが早いか、私たちが探し当てるのが早いか。あるいは猪化けで京都の皆さんに迷惑をかけた、あの外国の獣使いかと私が云うと、サエ姉さんはそらないない、と手をひらひらさせた。あんなどんくさいやつにうちらが負けるかいな、とにやりとしたので私はいやな予感がした。

 サエ姉さんはこっそり探すという選択を、既にあっさりと捨てていた。スポンサーのおじさまがたが手勢を出してくれるといっても、こういった領域のことであれば主戦力は私たち二人だけなので、気づかれないように立ち回ればそのぶん遅れをとる、というのが姉さんの言い分だった。

 それで何か仕掛けてくるやつがいても、私たち二人で相手すればいい。そもそも魔力を蓄積していけばいずれ、同じようにこの、期せずして東京にばら撒かれた財宝を集める勢力と対峙することになるのだから、人手の少ない私たちは力をつけるほうを優先したほうがいい――サエ姉さんがせっかちなのは元からだとしても、確かに一理ある話だった。

 スポンサーの力も借りることができる今が、私たちの目的を果たす千載一遇のチャンスだ。私も覚悟を決めて、姉さんにうなずいた。姉さんはにやっとしながら、せっかくやからイケメンくんに出てきてほしいなと云った。 

 ■*Tokyoking*■

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?