「トーキョー王」 #4

【CJ-5】
 不良少年というには可愛げのないその男はCJに向かって、もう一発くらう前にお嬢さんをおいてどこかに消えてくれないか、という意味のことを、ひどく口汚い英語で云った。自分が力を分け与えた「あいつら」と東京をものにしようとしていたのに、とんだ邪魔が入ってしまった、と吐き捨てる。

 おまえの友人たちに何があったか知らないが我々は無関係だ、と身構えたままCJは返答したが、男はそれをさえぎるように怒鳴った。ほとんど同時にCJの周囲で、さっきと同じ炸裂が起こった。一瞬の熱と衝撃が彼の腕や脚にたたきつけられる。ジーンズが裂け、コートの肩章がはじけとぶ。反射的に顔をかばう彼の体がわずかに後退した。

 おかしな力を使う金髪ねえちゃんが次々に現れるわけねえだろ、と男はするどく云った。タンクトップの首から下がる金のチェーンをいらだたしげにもてあそびながら、その嬢ちゃんじゃねえとしたら、なんでさっきから た だ の 一 発 も 当 た ら ね え ん だ、とディアナを噛みつくような表情でにらみつける。

 そうなのか?とCJが見るとディアナは「え?わたし?」とでも云いたげな顔をして、自分のほうを指さした。自分で避けたのではないらしいと思ってCJは、やつにも悪い妖精がついているのかと訊いた。ディアナは困ったように笑いながらうなずくと、男にむかって「あなたにはよくない妖精が憑いていて、その力を分け与えたお友達にもよくないことが起こったのですね」と云った。

 なにごとか日本語で怒鳴りながら、男はディアナにむかって手のひらを向けたが、ディアナには何も起こらなかった。かわりにCJの胸もとに、さっきのより強い衝撃があって彼はうめいた。狙いのあまいやつだとCJは思った。どうせ外すなら仲間に当ててくれればいいものを。

 舌打ちの音が聞こえてきそうな表情で、男は二人を交互ににらみつけた。自分でも何が起こったかわからないが、思うようにいかない展開が生じていることだけはわかって苛立っている顔だ。CJはひとつ訊いていいか、と男に云った。そのダサい英語はホームステイ先で教わったのか?

 男が激昂の表情とともに、今度はCJに手のひらを向けた。CJは腕で顔をかばいながら一気に距離を詰める。接近戦にもちこめばさっきの見えない炸裂弾も使えないと読んでいたし、そこいらのストリートギャングにインファイトで負ける気はなかった。

 そのとき、男の体が横ざまにふきとんだ。横から殴りつけられたように、頭からふきとび仲間たちのところに倒れこむ。CJはその隙に、手近な二人を右フックと左のキックで沈めた。さっと身を返してディアナのもとへ動く。ディアナを襲おうと特殊警棒を振り上げた少年は、落ちていた空き缶に足をとられたところにCJのコンビネーションをくらって、その場にくずれおちた。

 さっきの男が昏倒して動かないのを視界の端にとらえたまま、CJはまだやるか、と少年たちに吠えた。英語がわからなくても意味するところはわかったのだろう、彼らの間にじわりと怖じけた空気が流れる。そこにホイッスルの音とともに警官が走ってきたので、それをきっかけに包囲はくずれた。CJはディアナの手をとり、急いでその場を離れた。

 振り返るとさっきの男のそばに若い女性が屈みこんで、彼のようすを確かめているのが見えた。通りすがりの医療従事者だろうか、死なせないでくれればありがたいと彼は思った。自分が手を下したわけではないが、人死が出て警察に手配でもされては面倒が増えるだけだ。


【CJ-6】
 それで結局さっきのは何だったんだ、とCJが云うと、ディアナは何だったのかしらねと首をかしげた。おまえな、とCJが彼女に指を突きつけて云いつのろうとしたとき、注文していた麻婆豆腐の皿がテーブルに置かれて、会話はそこでとぎれた。

 池袋を脱出して、二人は西日暮里で山手線を降りた。実際には常磐線の線路を越えて三河島が近い辺りだが、山手線を中心に東京の地理を把握したCJにもその他の路線の知識はなく、そのことを知るよしもない。

 池袋でラーメンを食べそこねたので、ディアナが次に選んだ店がここだった。といってもディアナは店を知らず、直感でこっちの方だあっちの方角だという彼女が、最終的に指をさしたのがこの店だったというだけのことである。彼女の直感にもとづく行動に慣れつつある自分を感じて、CJはそれもまた気にくわない。

 ディアナは紅白二種類の麻婆豆腐が出てきて目をまるくしていたが、おっかなびっくり白い方を口にするや、にっこりと笑った。お祖母様のお店に負けないぐらい美味しいわ、と云ったのでCJはチャイナタウンの出身なのか、と思った。褐色の肌と金髪はとても中国系には見えないが、顔つきはどことなくアジア系…南洋諸島の人々に近い気がする。

 魔力がついていたのはほんとう、私が彼の仲間から魔力を奪っていないのもほんとうよ、とディアナは云った。じゃああいつの技はとCJがうなると、ディアナは苦笑まじりに、乱暴な人は乱暴な力の使い方をするものなのねと云った。CJも常軌を逸した現場や超自然的と云えなくもない事件に関わってきたし、その経験を買われて今回の依頼となったのだが、魔法で直接攻撃されたのは初めてだった。

 見えず聞こえず、前触れもなく炸裂する力とはたいした武器だと彼は思った。あの男が殺す気で来なかったのは幸いだった。最後の一撃はそのつもりだったのかもしれないが、これまた見えない何かがあの男をふきとばして助かった。

 最後にやつがふっとんで…(CJはなんとなく口ごもった)俺を助けてくれたのはお前か、と訊くとディアナはかぶりをふった。私あんなことできないもの、とこともなげに云う――ということは。

 別の誰かが…とCJは云いよどんだ。自分の口から魔力だの魔法だのという言葉を発するのがためらわれた。大の男が、21世紀のトーキョーで、からまれた相手も魔法使いなら、助けてくれたのも魔法使いだと?

 だって他に誰かがいるのはまちがいないじゃない、とディアナは平然として云った。壺に入っていた中国風のピクルスをかじりながら、少なくとも彼の仲間から魔力を奪った金髪の女性がいるっていうことでしょう?

 あんなことができる人間が他にもいて、おれはそいつらと渡り合いながらディアナに魔力を吸い取って回らせるってわけか。「超自然的エネルギーに関する情報収集とその回収」――依頼内容に嘘はなかったが、考えていたよりずっと物騒な仕事のようだ。


【サヤ-6】
 スポンサーのお歴々は、姉さんが私と一緒に来なかったことに不満げだった。お話は私が承りますと云っているのに、おじさま方は納得いかない顔をして、それぞれの画面に収まって並んでいる。それもしかたないかと、私は表情に出さないままで苦笑した。呼べば部下が飛んで来る世界に生きている皆さんだから、会議を召集すれば私と姉さんが揃って出てくると信じて疑わなかったのだろう。

 このおじさまたちの会社の人はたいへんだろうな、と思っていると、左のほうから、今日ここに来ることを知られてはいないだろうね声がした。ここの遠隔会議システムは画面ごとにスピーカーを持っていて、誰かが話すとその人のほう、つまりその人の顔が映っている画面のほうから声がするようになっている。

 しょうもないことを云ってきたのは、サエ姉さんが「部品屋の小倅(こせがれ)A」と呼ぶ男だ。父親になにかあれば明日からでも社長をやらねばならない立場で、最初に云うことが会合の露見の心配とは。ここに来ることはもちろん、ふだんの中でも私たちに尾行はつきませんよと私は笑った。尾行していればわかるし、相手も私たちがわかることをわかっているから、わざわざ無駄な尾行はつけてこない(それでも後をつけてくるようなら、泣かせて帰すだけのことだ)。

 首尾よく進んでいるのは結構だが、彼らとのいざこざは避けたまえよと正面のモニターから重い声がする。彼ら、というのはこの国の霊的防御を任務とする組織で、こないだ私たちを恫喝しに来た(が、姉さんに恫喝し返されて尻尾を巻いて帰った)人々のことだ。彼らの庇護下にあった術者から私たちが霊力を奪い取ったと、彼のところに遠回しな苦情がいったらしい。

    彼らと揉めて、私たちが国の仕事を受けるときに不利になっては困るんだよ、と小倅Aがかぶせてくる。私は姉さんが面倒がって来なかったことに感謝した。姉さんがいたら、視線で彼の舌を灼きかねない。

 在野の術者から、例の「トーキョー王」とやらの魔力をいただいたのは事実だが、多くの方は私たちの説得に応じてくれたものだと私は返答した。応じてくれないばかりか私たちに仕掛けてきた術者に や む な く 応戦したケースも皆無ではないが、断じて私たちから手を出したわけではないし、その結果として人事不省に陥った人がいたことは残念に感じている――私はせいいっぱいしおらしく説明した。

 それにそもそも、彼らの魔力を自分たちのもの扱いするのであれば、彼らが匿うなりそこに人を配置しておくなりすればよかったのであって、それをせずに看過しておきながら後で難癖を、それも私たちに直接ではなく皆さんに云うのはどうなんでしょうね。私は残念そうに苦笑してみせた。彼らは私たちが護衛を眠らせたのだと云うだろうが、証 拠 で も あ る な ら 見せてもらいたいものだ。

 とはいえ、若輩ゆえ私たちにも大人げないところがあって、それで行き違いがあったかもしれません。以後は気をつけますのでご安心ください――私がにっこり笑ってみせると、その話題はもうおしまいになった。少々芝居っけが過剰だが、このぐらいやってみせないと彼らもこっちに味方してくれない。現実的なあれやこれやの中では彼らの助力が役に立つし、彼らには私たちが勝ち馬であり投資するに足る相手だと、信じてもらわなくてはならないのだ。

 それにそろそろ、在野の術者の相手もおしまいだ。自分たちの存在を隠さず、いわば自ら囮になってきたのだから、じきに私たちに仕掛けてくる者が出てくるはずだ。できればそれまでに、霊力をたっぷり蓄えてきてもらいたいものだ。


【エド-8】
 日本の警察には目をつけられなかっただろうね、とエドワードはため息まじりに云った。画面の中のアリスンは微笑んで、問題ないと答える。その屈託のなさに、彼はまたため息をついた。

    駅に向かう途中で騒ぎに気づき、なんだろうと思っていたら人が倒れていたのでガールスカウトの知識で介抱した英国人旅行者、という設定には矛盾がなさそうだったが、あまり何度も「現場に居合わせる」ものではないよとエドワードは姪にくぎを刺した。

    わかってるわ、とアリスンは微笑んだまま、だがいくらか真剣な表情をまじえてうなずいた。これでイケブクロのあたりに用はなくなると思うから、別の街に行くわ。同じポリスに出くわさないかぎり、詮索はされないと思う。

    それならいいが無理はしないでくれ、とエドワードはiPadのカメラにうなずき返した。ちょっと姪に甘いだろうか、と思ったが、いくらか危ない橋を渡ったとはいえ今回の成果は満足すべきものだった。心配しすぎて煩わせるのもよくないだろうと、自分で納得する。

    イケブクロを根城にしていたストリートギャングの頭目が「トーキョー王」の魔力を授かることになったのは、彼にとって看過すべからざる事態であった。かの魔力はもう少し高潔な人物に親和性のあるものと期待していたが、そうもいかなかったようだ。

    アリスンが彼らを見つけたとき、頭目は三人の手下に自分の力を分け与えていた。不良少年が自分の力に対する探求を行い、そのような技巧を身につけたことがエドワードには意外でもあり、いささか不愉快でもあったが、姪の働きによって彼らから力を奪うことができた。

    肝心の頭目も、彼らが別の外国人に絡んだところを彼女の「曲射砲」で撃ち抜き、そこへうまいこと彼女が通りがかって介抱するふりをしながら魔力を奪い取ることができた。危険な対抗勢力を無効化し、こちらのリソースを増強した。アリスンひとりで成し遂げたことをおいてさえ、充分な戦果といえた。

    それにしてもあのお二人には悪いことをしたわ、とアリスンは少ししょげたふうに云った。惜しげもなく魔力で攻撃したことからすると、彼らは自分と取り違えて報復しようとしたのかもしれない、危険な目に遭わせてしまった。

    もしかしたらこの金髪のせいで取り違えられたかもしれないと云うので、エドワードは黒髪にするんじゃなかったのかいと訊いた。アリスンは苦笑いしてカメラの前から離れると、ブルネットのストレートヘアになって画面に復帰した。

    ヘアサロンのスタッフがもったいないと口を揃えるので、染めるのはやめてウィッグにしたのだという。秘匿性の観点からも正解だねとうなずきながら、彼は内心でヘアサロンの人々に感謝した。


【アキウ-8】
 大沢さんのセンサーネットにかかったその団地は、なんだかイヤな感じがした。全体にこう、どんよりしているというか、陰気な様子だった。

 ぱっと見は、なんてことのない団地だ。昔からある白いコンクリートの、建物の真ん中へんに階段の口があって、その横にスチールの郵便受けが並んでいるやつ。僕は知らないけど、まだこの国が元気な高度成長期だった頃の様式だ。姫ちゃんは、これが建てられた頃のような日本を取り戻したいのかなあ。

 それはともかく、問題はこの団地――正確にはだだっ広いこの団地の一角によどんでいる暗い気配だった。一見したところでは(あるいは普通の人たちには)感じられないかもしれないけど、そのあたりを歩いている人の顔に、何かに怯えたような、不安にさえ慣れて諦めたような、憂鬱な感情が見えた。

 そうして見ると、そのへんで子供を遊ばせているお母さんたちさえ、それを強いられているような、幸せな家庭のふりをさせられているような感じに見えてくる。建物脇で固まっておしゃべりしている高校生たちさえ、なんだかやさぐれた感じに思えた。

 そしてその気配の出所は、僕らの右に見える一棟の三階にあるようだった。そこには暗い霊力、怨念のようなものが黒い渦のようになっていた。その周囲にもいくつか魔力が感じられるのは、あの部屋の主の仲間か、それとも使い魔か。

 気はすすみませんが踏み込みます?と僕は隣で渋い顔の大沢さんに尋ねた。おりしもその建物からは、暗い顔でうつむいた中学生の女の子が何人か出てきたところだった。入口のあたりにいた高校生たちが彼女たちに声をかけ何事か囁きかけると、女の子たちはためらいがちに小さくうなずいて、彼らに肩を抱かれ別の建物のほうへ歩いていった。特別な訓練を受けていなくても、いやな空気は感じ取れたはずだった。

 そのとき、横っちょで子供を遊ばせていたお母さんの一人が僕らに声をかけてきた。ここの誰かにご用ですかと訊かれて大沢さんが、よそ行きの好漢顔で笑って、あちらの三階に友人がと答えると、お母さんはあからさまに怯えた表情になった。

 そんな僕らの様子に気づいてか、警備員が僕らに近づいてきた。こんな団地に警備員とはと思いながらも、僕と大沢さんは適当にごまかしてその場を離れ、顔バレしてしまったから踏み込みは別のチームに任せようとうなずきあった。

 警備員の格好をした男がどこかの国の軍人だということは、僕らにはすぐにわかっていたからだ。


【スリン-7】
 ヤンが別件で出ているときに、スリンはパクから呼ばれた。「トーキョー王」として本国へ連れ帰る能力者のあてを、特科戦が用意できたということなのだろうか。しかしそれならヤンのいるときにと云う彼女にパクは、急ぎの案件だからヤンには別途連絡するとして、まず体の空いていたスリンに来るように云ったのだ。

 奇妙な胸騒ぎをおぼえながらパクの事務所に出向いたスリンを待っていたのは、彼女を盗み撮りしたと思しい写真だった。そこには少し前、ヤンに云われて単独で接触した現地工作員の男とスリンが写っていた。

 困ったことをしてくれたものだね――とパクは、応接ソファにもたれたまま厳しい表情で云った。優秀ゆえにこの作戦に抜擢されたはずだが、まさか敵国の工作員と接触をもつとは。

 あれはヤンの指示だったし、その男はちゃん工作員同士の符丁を知っていたのだと、スリンは即座に否定したが、パクは取り合わなかった。ヤンとは現在連絡がとれないが、それも彼女が接触した敵国の手によるものではないかとほのめかされ、スリンは吐き気さえおぼえた。

 これまで忠実に任務をこなし、作戦に抜擢されたかと思えばお伽話のような話に付き合わされ、上官に好き放題になぶられ、肝心の「トーキョー王」はおらず、替え玉を仕立てて切り抜けようとしたところに今度は裏切り者の濡れ衣だ。

 自分はなんというところに来てしまったのか――目の前が真っ赤になるような怒りと、沼に落ちるような暗い気分を交互に感じるスリンの前に、パクは透明な液体が入った小瓶と注射器を置いた。

 ――素直に話してくれればこんな薬を使わなくてもすむし、軍には私がとりなしてあげることもできるよ。

 パクの厳しい表情の底に好色そうな、あるいは嗜虐趣味のうすら笑いがよぎった。それを見逃さなかったのは、スリンにとってその表情が、既に見慣れたヤンのものと同じだったからだ。


【スリン-8】
 お邪魔しますよ、という日本語とともにノックもなく入ってきた男は、テーブルの薬瓶と注射器を見てにっこりした。お医者さんごっこの途中でしたか?

 紺色のスリーピースを着た男は、おだやかな表情ではあるものの隙のない印象だった。自分からはなにもしないが、仕掛けられたら即座に致命的な切り返しを行うにちがいないとスリンは思った。

 男はスーツの内ポケットから身分証らしきものをちらりと見せると、公安の松尾と名乗った。二人が向い合う応接テーブルに手をついて、パクを見つめる。ぎょっとした様子のパクに代わってスリンが自白剤の瓶と注射器を手元に引き寄せると、男は無言のまま彼女に微笑んだ。

 男はパクの名前を呼び、この会社の社員がアサカで強姦殺人未遂事件を起こした、と云った。その家の人間に2階から叩きだされて、前の道路に転落したところを通りがかりの人が取り押さえたのだという。慣れない土地に暮らしてストレスが溜まっちゃったんですかね、と男は苦笑してみせたが、目は笑っていない。

 ――パクさん、あなたのところとは諸々の解決しなければならない課題を抱えながらも、それなりにおつきあいはさせていただいてきたと思うのですが…こうやってあちこちで問題を起こされますと、うちの「本店」も少々厳しい対応をとらざるをえなくなります。

 こうやって問題を起こしては商売もやりにくくなるでしょう、そう云って松尾は笑っていない目のまま微笑んだ。どうです、ここらでいったん事務所を畳んで本社へお戻りになっては?

 退去勧告だった。これ以上ここに事務所を構えているようであれば公安がお前たちを潰す、と口調だけは丁寧に云っている。彼は今になって気づいたように、もしやこちらはお取引先だったでしょうかとスリンに尋ねた。ええまあ、とスリンが不審に思われない程度に流暢な日本語で答えると、彼はお見苦しいところをご覧にいれて申し訳ない、と今度は目も含めて表情ぜんぶで笑ってみせた。

 松尾に愛想笑いを返しながら、これでパクもおしまいだとスリンは思った。不手際で公安に目をつけられ日本の拠点を撤収したとあっては、本国へ帰ればよくて銃殺、でなければ施設で「再教育」だ。

 ふとオフィスのほうを見るとパーティションの向こうから、以前に会った特科戦の男が皮肉な笑いをうかべてこっちを見ていた。


【サヤ-7】
 スポンサーのおじ様たちとのくだらない会合から戻ろうとした私は、サエ姉さんからのLINEで行先を変えた。指定された都心のホテルで私を迎えたのは、見慣れないスーツに身を包んだ姉さんだった。ブランドとしてはよく知っているが、姉さんがふだん身につけることのない黒の上下。光沢のある黒の上着の下は、真っ赤なブラウスだ。

 ロビーのソファで不機嫌、というより深刻そうな顔をしているサエ姉さんは、私に気づくと私に隣へ座るよう促した。ぼそっと、クルマに細工がされていた、と云った。聞けばその「事故」でクルマは大破、姉さんは「自力」で難を逃れたものの、運転手――スポンサーから「貸して」いただいた手勢の一人が重体だという。

 まさかそんな、と私は思ったが、姉さんはめずらしくいくらか自嘲的に、魔術でもなんでもない機械的な細工だったのだろう、と云った。魔術的な仕掛であればたやすく看破しただろう姉さんも、物理的な悪意は見通せなかったのだ――だがその意味するところは。

 私はきっと、もの問いたげな顔をしていたに違いない。サエ姉さんは私を見つめて、敵は魔術師ではないと云った。軍隊かヤー公か知らんけど、やつら私らを物理的に攻撃しよるで。

 深傷を負った運転手さんにも家族があったろうにという姉さんの顔は、彼を守れなかった悔いと、出し抜かれた屈辱をこらえて硬い。そんな姉さんを見て、私も唇を噛んだ。魔術師どうしの争いに首を突っ込むだけでなく、「素人」に怪我を負わせるとは。

 部屋に私の服も用意したから着替えてくるようにと、姉さんはエレベーターのほうを指さした。ここは私がやっておくからと歯を見せて笑うのと、ロビーの一隅で怒鳴り声がしたのは同時だった。

 マフィアの頭目に差し向けられた鉄砲玉が、彼に銃を向けるふりをして、私たちを「流れ弾」に当てようとしていた――かどうか、本当のところはわからないが、ともかく姉さんはやかましい、と一喝するや男たちの一団を魔術の炎で包みこんだ。


【レナ-8】
    しばらくの間、店は「襲われた美しい妹とそれを悪漢の手から救った勇敢な姉」の話題でもちきりだった。ていうか誰の話よそれ。

    実際のところ私は勇敢な姉でもなんでもなく、犯人のキック一発で動けなくなってしまっただらしない姉だ(それでもミナはそんな私に感謝してくれて、パトカーを見送りながらお姉ちゃんありがとうなんて涙ぐんで云うもんだから、はーこりゃできた妹だわと思ったものよ)。

    だけどそのへんを説明しだすと『では誰がどうやってミナを救ったのか?』って話になって面倒なので、私は酔っぱらいのオジサンたちが適当なことを云うにまかせておいた。どうやってやっつけたのと聞かれたことも一度や二度じゃない(それも一晩によ)けど、そのつど私は能天気に笑って、いやー無我夢中ってあるんですねホントに覚えてないんですよーとごまかしていた。

    後ろの壁から不思議な風が吹いて犯人を吹き飛ばし、うまいこと窓から叩き出してくれた――なんて、云えるわけがない。

    犯人が、韓国の会社の日本法人に勤める韓国人社員だったのは、私たちにとって朗報だった。ミナとは面識がなくてストーカーの線はなさそうだったし、警察の話だと、量刑はともかく強制送還は確実だった。韓国人の単身赴任リーマンに大人気!!とかでもないかぎり、ミナが再び襲われる心配はなさそうだった。

    そのことは、トラウマやらPTSDやらになりかねない経験をしたミナの心を軽くしたようだったけど、それよりも妹にとって大きかったのは、魔法が実在していて、しかも自分を守ってくれたという事実だった。

    なんだか妹がどんどんアブない方に行ってしまいそうで、姉としては心配しないでもないけれど、私も現場でその不思議な何か――魔法かどうかはともかく超自然的な力が、はっきり意図をもって犯人を窓から放り出したところを見たのだ。ミナを呆れた目で見ることは、もう私にはできなくなっていた。

    そのミナが、血相を変えて店に降りてきたものだから、私までぎょっとした。なんだかんだとオジサンたちに云われるので、事件以来ミナはお店を手伝うのを断っていて、事情が事情だけに親もそれを許していたのだ。

    ミナはまっすぐ私にとびつき、「検出器」の値がすごいことになっている、と云った。「あの夜」以上の数値だからきっと今夜、すごい何かが起こるんだよ!

    そう云ってミナは、カウンターに座って焼酎を飲んでいる木崎のオニーサン(特別扱い)、こないだまで怪しんでいたお客さんを、憧れに近い目で見た(おいおい…)。


【CJ-7】
    建物の入口にいた男子学生たちは、ディアナが微笑みかけると相好をくずして彼らを通したが、3階の階段前にいた男はそうもいかなかった。

    二人は誰何の声に名乗ることなく、こんにちわと挨拶だけを返した。男が前をふさぐのを見て、CJは傍らのディアナに何か(彼は「妖精」という言葉を避けた)彼に憑いているのかと尋ねた。ディアナはかぶりをふった。

    男は日本語で彼らをとがめたので、例によってCJはディアナの通訳で彼の云うことを聞いたが、ディアナは彼の返事を待たずに自分で答え、ご丁寧にもCJのために英語でもう一度云った――奥の部屋に用事があるので、そこをどいてくれないとこの大きな男の人があなたをどかします。

    ずいぶんな云われかただな、とCJは苦笑しながらそれとなく身構えた。相手の佇まいは軍隊経験をに思わせた。元軍人の私服警備員は、日本では珍しいのではないだろうか。このような、あまり所得階層が高いとは思えない集合住宅ではとくに。

 男は無言で階段の前に立ち、一段下にいるCJを油断なく見つめている。問答をする気はなさそうだったので、CJは最後の一段に足をかけた。途端に男がその足を払おうとしてきたので、彼は払い足をかわして踏み込んだ。男の突きがCJの顎めがけてくり出されたが、彼は手のひらで払いのけ、男が立つのと同じ3階の廊下に踏み込んだ。

 同じ床に立てば、男とCJの体格差は歴然としていた。男の身長は180センチもなく、CJからすれば見下ろす格好になる。CJは劣勢を悟った男が誰かを呼びそうになるのを察知して、すばやく男の肩を引き体勢を崩すと、拳の関節で喉を突いた。

   声にならない声をたてて前屈みになった男の口を押さえながら、彼は腹に一撃を入れてその男を昏倒させた。多少の音はたててしまったが、そこそこ素早く対処できた――CJは男を引きずって踊り場までもどる。

    殺しちゃったの、と心配そうに云うディアナに、しばらく食事しにくくなるくらいだと笑いながらCJは、ようやく自分の出番がきたと感じていた。

    悪い妖精だの魔法だの、超自然の力に驚かされる「間抜けな警官」役などまっぴらごめんだった。


【スリン-9】
 夜闇の中、スリンは特科戦の男の隣で息を殺していた。公園を囲む林の木陰で男女が並んで地面に座っていれば、万が一誰かに見とがめられてもお楽しみの最中かのようにふるまってごまかせる、というのが男の主張で、当然のようにスリンはいやな顔をした。

    まったく、なんでこんな成り行きになってしまったのか――スリンは公園の暗がりの中、今夜何度めかの溜息をついた。

 ヤンが戻ってきたのは、公安の松尾と名乗る男がパクのもとに現れた、その直後のことだ。まるでパクの失態を待っていたようなタイミングだ、とスリンは思った。ヤンとパクは同じトーキョー王探索の任務を共有しているが、二人の間にも競争、あるいは確執のようなものがあるのだろうか?

    前にトーキョー王がいないと知らされたのと同じ、都内の韓国料理店の個室でヤンは、彼らに料理をふるまいながら上官然として今後の話を始めた。「トーキョー王」がいないと聞いて青くなったり赤くなったりしていたのとは別人の、見ていて恥ずかしくなるような豹変ぶりだと、スリンは内心で悪態をついた。本国から増援を得る算段でもついたのだろうか?

 驚いたことに、アサカの事件はただ欲求不満の工作員が起こしたのではなかった。キザキに「特殊科学」の痕跡を見出した特科戦の男が、パクの部隊とともに彼を尾行させた結果、彼がしばしば立ち寄る居酒屋に、日本側の特殊科学拠点があることがわかったのだ。

 その家の娘を襲ったのは日本側の組織に対する情報収集と、そこに設置されていたなにかの装置の回収もしくは破壊が目的だった。それを特科戦が行えば、こちら側に特殊科学戦力のあることが知れてしまうので、特科戦の支援は周囲の警戒ぐらいにしておき、実働はパクの部隊の工作員が、それも強盗殺人のふりをして行うことになっていたのだった。

 だが実際は、日本側の「特殊科学」によって工作員が撃退されてしまった。今にして思えば特科戦の人間をあてておけばよかった、とヤンが云うと特科戦の男はよしてくれと肩をすくめた。うちらは「特殊科学」専門で、体が弱いんだ。匙より重いものは持てないねとにやにや笑う彼をスリンはにらみつけたが、男はたいして気にしたふうでもなかった。

 いつもなら目をむいて怒りそうなヤンも、その日は鷹揚だった。トーキョー王の探索も忙しいと思うが少し人を貸してくれと、むしろ丁寧といっていい調子で特科戦の男に云う。その店に日本側組織の防御がついているなら彼らをおびきだして、本国に戻るパクの手土産に、捕虜の一人も持って帰ってもらおうではないか。

 ヤンは精力的な笑顔を見せると、パクには撤収の支度を公安に見せながらこっそりいくらかの手勢を残すように、特科戦には「特殊科学」で日本の組織をおびき出す担当の準備を命じてさがらせた。日本側の組織に打撃を与え、トーキョー王も手に入れる。ヤンは満足そうにうなずいた。 *Tokyoking*

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