祖父が歩いた支那事変 〜戦場へ〜
人員の増強、弾薬、食料の補給も十分で体力も充実した9月、祖父たちの隊はいよいよ天津を出発しました。
部隊はモロコシ畑の悪路を前進し始めます。
大部隊には国民党軍は近づいて来ないそうですが、祖父は「それでも敵地である、油断は出来ない」と気を引き締めます。
祖父は砲兵であるため、砲車、弾薬車を曳いていかねばなりません。
ぬかるんだ泥んこの道を行軍するときは必ず分隊単位で取り残されるのでした。
祖父は、江津湖や加勢川での悪路突破の訓練を思い出すのですが、ここは戦地の第一線