祖父が歩いた支那事変 〜杭州湾敵前上陸〜
8月に起こった第二次上海事変以降、上海では日本軍と国民党軍の戦闘が続いていました。
8月下旬には日本からの増援部隊が上海へ上陸しますが、敵兵力は既に30万に膨れ上がっていました。
クリーク(水路)を利用した敵陣地に日本軍は苦しみ、前進できずにいたのです。
さらに敵軍の背後には更なる増援の気配があったため、参謀本部は主戦力を北支から中支へ変更することを決定し、祖父の部隊は北支から抽出されることになりました。
日本は支那での全面戦争など想定していなかったので、一気に増援を