日常の記①飛び出せnoteへ

 前世療法という本を読んでいます。「米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘」だそうです。作者はブライアン・L・ワイス(PHP文庫、1996)。翻訳は山川紘矢氏と山川亜希子氏。

 べつにスピリチュアルに関心が高いわけでもなく、コロナ禍で人生哲学を見直しているわけでもないのですが、たまたま自宅にあったのでなんとなく読み進めています。たぶん、妻のものだと思います。寝る前に読んでいるのですが2~3ページ読むとまぶたが重くなりよく眠れます。

 催眠治療中の女性患者が前世の記憶を鮮明に語り、彼女を通じて伝えられる精霊(驚)たちのメッセージによって精神科医が輪廻転生の世界を理解していくノンフィクション(驚)とのことです。内容はほとんど頭に入っておらず、睡眠のための道具として毎日手に取っています。15章まで読み進めていますが、よくわかりません。

 きょう、2020年4月28日(火)からnoteをチャレンジするにあたり、何を書こうか全く浮かばなかったので、目の前にあったこの本のことから書きだそうと思ったのです。「前世療法」をGoogleをで検索するとこちらのサイトが目にとまりました。

 なるほど、「ヒプノセラピー」ですね。ヒプノセラピーと言えば、思い出すことがあります。

 私は、生まれも育ちも沖縄です。いま住んでいるのも沖縄です。沖縄の大学を卒業したあと、地元の市役所で臨時職員として働きました。そこで出会った市役所職員の方(ちょうど20年くらい前です)が、その後、ヒプノセラピストに転身されました。男性です。この方は一時期(5年ほど前か)、SNSを通じてヒプノセラピーを紹介されていました。その時は、特になにも感じることはありませんでしたが、いまこの本を私が手に取っているというのは何か縁があるのでしょう。

 世の中は新型コロナウイルスの感染が拡大しており、世界全体が不安定です。経済的な不安定さから来る精神的なアンバランス。市役所職員から転身したあのヒプノセラピストはいまどこで活躍されているのだろうか。いまなら、お話をしてみたい。

 さて、「日常の記」としてこれから書き連ねて行こうと思っています。

 「日常の記」とは、私の尊敬する大学の恩師の手記タイトル。師は大学名誉教授であり、弁護士であり、旅人です。旅と書くことを愛している人なのかなと、私は思っています。彼は私と同じ年の頃(わたしはいま40歳)、「日常の記」と「非日常の記」を分けて記録していました。なんとなくですが、私もわたしなりにnoteを書くことでこれまでの人生の棚卸しと、いまと、これからの人生について考えて行きたいと思います。仕事の関係上、名前や職業、会社名は今後も伏せつつ記録していきますが、ライフワークについて書いていくことで、noteやウェブ上での接点があるクリエーターや実業家その他のみなさまとつながることができればと考えています。よろしくお願いします。くるりの「ハイウェイ」は、私が大学を卒業し、市役所の臨時職員を終え、その後、愛知県岡崎市にいわゆる「季節労働者」として働きにではじめたとき、コンビニで流れてきた曲で、不安と期待が交錯する私の心に心地よく流れた音楽です。はじまりの時にあたり、選んでみました。「飛び出せnoteへ」というような気持ちです。

 さて、本「前世療法」は全16章からなっているようです。のこりあと1章となったようです。本書あとがきには

「私達は、人間とは何か、自分とは誰か、何のために私達はここに生きているのかといった問いかけと、真正面から取り組まねばならない時代にいるのではないかと思います」

とあります。いつの時代にも通用する不変的な問いかけですよね。コロナ禍にあって、より一層の意味をもつ文章だなと感じました。内省的になる機会が毎日毎日あるってすごくいいことだと思います。あまり思い詰めすぎないように注意が必要なひともいるかもしれませんが。

 最近「一日一生」という言葉を想起することが多いです。きょうも一日、37度以上の熱がでなくてよかった。家族の誰もPCR検査を受けるような状況になくてよかった。父母、祖父祖母に罹患させるリスクがなくてよかった。あしたも一日健康でいよう。などと、こころのそこから思うのです。裏を返せば、「きょう死んでも悔いはない」と思えるようになっているのかも。これは大げさではなく。だから「前世療法」なんて本に目がとまり、手にするだけではなく読み進めるに至ったのでしょうか。人生はとてもおもしろいなーと、改めて感じます。

 寺尾紗穂「幼い二人」。ハイウェイのイントロとすこーしだぶるので。

それではまた、次回。