見出し画像

人生だいたい後払いって話

先日、外食をしていたら隣の席に着いた家族の会話が聞こえてきました。どうやら教育熱心なお母さんが息子さんにハッパをかけているようです。息子さんはうんざりした様子でしたがお母さんは止まりません。ママ友の息子さんの話なども引き合いに出し、なんとかやる気を出させようと必死でした。そんな中、お母さんが「何かを犠牲にしないと、何かを得られない。」と言っていました。

「何かを犠牲にしないと、何かを得られない。」 お母さんは「遊びを犠牲にしないと、志望校(得られるもの)は得られない。」というニュアンスで言ったのだと思います。息子さんに将来困ってほしくない親心からの言葉でしょう。でもこれって社会というか、人生というか、実生活ではあまり正しくないんじゃないかなと思うんです。

受験や買い物は先払いシステムです。レベルの高い志望校やブランド品を買うには、まず勉強量や労働などの「犠牲」を先に支払う必要があります。そのため「自分にはちょっと買えないかな...」「これだけ払ってまでは欲しくないかな...」と、自分の身の丈や必要性に照らし合わせることができます。そのため、手元にある以上に高い買い物はしないし、できないです。(借金とかは別)


でも、実生活のほとんどは「何かを得た結果、あとから請求が来る。」って表現の方が正確なんじゃないかと思います。しかも高い利子つきで。


僕はめんどくさがり屋なので夏休みは遊べるだけ遊んで、最終日にヒイヒイ言いながら宿題を終わらせるタイプでした。今でもめんどくさいことは基本的に後回しにして、あとから無理やりやらざる負えなくなり泣きを見ます。

遊べるだけ遊んだ夏休みを得た結果、最終日に泣かなければいけない請求が来ていることに気づきます。最終日に泣くという犠牲を払うことを了承して、遊べる夏休みを買っているわけではないのです。少なくとも、そのように認識している場合は少ないように思います。人生は「先に楽を得た結果、あとから苦を払う。」後払いシステムの方が圧倒的に多いと思っています。気がついたら請求が来ています。

「将来的にこれらが必要になるから、これだけ犠牲を払っておこう。」と考え、ヒイヒイ言っている人を尻目に「いや、やらないといけないとかわかってたことやん。」と言えるような堅実な人であれば関係ないかもしれませんが、なかなか僕には難しいです。



僕も23歳になりました。そろそろ先送りにしてきた支払いが始まるころかなと思っています。手持ちの犠牲のストックも多くはないので、ここから社会的に人並みの幸せを買おうと思ったら歯食いしばって頑張らなくちゃいけないんだと思います。

でも、あんまりそういうモチベーションがないです。多分、社会的には許されない発言なんでしょうがしょうがないんです。ないんだもの。ガリガリ勉強してバリバリ働いて何かを得るより、「高い買い物」をしないから努力の必要量を減らしたいです。逆にガリガリ勉強してバリバリ働いてる人は本当にすごいと思います。尊敬です。

将来、欲しいモノができたときに楽な学生生活を得た請求が来るわけですが、まぁそれは仕方ない事と思って諦めるか頑張るしかないと思っています。自分で選んだことなので。

多くを望まず、自分が支払える努力量の身の丈になった生き方を享受したいと思います。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?