Ar frio

 日記は毎日続けるのが大事だ。分かっていても続かない。そんなに書くこともないような気がしてしまう。気になったことは後で纏めようとメモ帳にボールペンで書いておくけど、それらが後で纏まった例はない。だって別に人に見せるものでもないし、自分だけが分かっていればいいなら、別に自分が忘れてしまえばそれでいい。それでもいいのだが、一応は物書きを目指している手前、やはり書くからには人目に付く場所に書いておこうと思う。

 エゥルーラ、と発音するのが英語では正しいらしい。正確な発音が分からずに「オゥロラ」とか「ゥオールゥラ」とか発音を試しながら何とかトロンハイムの街角レコ屋のおじさんに意を汲んでもらった。
 05.01.19。トロンハイムを散歩中に見付けたレコ屋に入ると、コレクター達が熱心に盤を漁っていた。ラップをやっていると言いながらターンテーブルに触れたこともなく、勿論バンドを組んだこともなく、レコ屋にも楽器屋にも進んで足を踏み入れたことがない。音楽家にとっての日常の光景は俺には未だ非日常のものだ。けれど、ここは外国なので、既に非日常である訳だ。負と負を掛ければ正になるじゃないが、非日常に非日常を掛けるということでむしろ足を踏み入れるハードルが主観的には下がった。日本のレコ屋に行くとなると、それは当然何かしら目的がある行為と見做され、その「目的」を一挙手一投足に対して問われるような気がした。それはきっと思い込みなのだろうし、端的に自意識過剰なのだろうが、まあでも自分としてもわざわざ無目的にレコ屋に入ろうというモチベーションもない。
 店内ではレコードの他にコーヒーと軽食も売っていたが、狭いスペースに席はテーブルが一つとそれを挟む椅子が一つだけだった。レジの真横に日本製のコーヒーサーバーが売っていて、「これ日本の会社のやつだよね?」と店主に話し掛けてみた。「HARIO」という聞いたことのないメーカーの「V60」というコーヒーサーバーはこちらでは大変ポピュラーだそうだ。初めて聞いたよ、と言うと「日本以外では有名だよ」と笑われた。折角なのでその名も「V60 KAFFE」とメニューに書かれたコーヒーを注文する。「FILTERKAFFE」よりも少し高い。味はかなり酸味が強く、不味いとは思わないが旨いとも思わなかった。しかしこれは単に使用する豆による味の違いであって、使用するコーヒーサーバーによる違いではない筈だ。けれどわざわざメニューに書かれる程、「V60」という商品名はこちらでは何か象徴的な意味を持っているのだろうか。

 結局オーロラは見れなかった。わざわざトロンハイムまで行ったのに。それ以上北上して例えばナルビクやトロムソまで行くとなると宿代が安くても一泊一万円とかになってきてトロンハイムの三千円でも妥協した身としてはちょっと無理。行き当たりばったりで見れるものでもないらしいことが分かり、今度は本格的に計画を立てて帰国前に再チャレンジすることにしてプラハに向かうことにした。
 10.01.19午前一時。それで無事にプラハに着き、今はトロンハイムの1/5の値段でしかしめちゃくちゃ綺麗で設備も整った安宿に泊まりながらこれを書いている。トロンハイムからプラハまでは足掛け三日の鉄道旅行となった。6日の日曜日に宿をチェックアウトし、その日の15時半の便でオスローへ引き返す。そのまま駅で一夜を明かし、午前7時の便でコペンハーゲンへと向かう。オスローは北上の際にも一度立ち寄ったので勝手は分かった。午前1時に駅が閉まり、3:45に開く。その間の約3時間を路傍に雪の解け残る寒空の下を彷徨わねばならないのは正直堪えるが、椅子はないにせよイートインスペースのある24hのコンビニを歩いて15分程度の場所に見付けておいたので、迷わずにそちらに行こうと駅を出たところで背後から声を掛けられる。二人組の、警察官らしき男達が目の前に回り込んできて、一人が警察手帳らしきものを見せながら何やら言ってきたが、恐らくノルウェイ語なので分からない。English?と言うと流暢な英語に切り替えてくれた。IDを見せろと言われたので大人しくパスポートを出す。日本から来たのか。はい。ここには何をしに来た?今ちょっと鉄道旅行の途中で。わかった、もういい。ビザを確かめられたパスポートを返されて、立ち去る警察官の背中にわざわざ声を掛けた。
「When will the station open? Do you know?」
 Maybe four o'clock. Thank you.
 背を向けて街中へと一歩を踏み出しながら、今の一言で一体自分が守ったつもりのものは何だったのか、日本の警察官相手でもそんな風な媚を売るのかと、外気の寒さよりも自分の卑屈さによって心の芯まで凍るようだった。

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