Prague

 と書いて「プラグ」と読むし「Praha」と書いて「プラハ」とも読む。ちなみに「Lisbon」と書いて「リスボン」と読むリスボンは「Lisboa」と書いて「リスボア」と読むこともある。
 11.01.19。トロンハイムでオーロラが見れず、オスローとベルリンの駅で(寒い)夜を越してプラハに着いて早四日が過ぎた。約600円/1泊の安宿は郊外にあり、観光の中心地である市街までは歩くと一時間以上掛かる。丁度創元SF短編賞の〆切も迫っているので、暫く腰を据えて執筆作業に時間を充てようと思っていたが、ネットを繋げばツイッターばかり見てしまう。求めるものはそこにはないと知りつつ、瞬間的な反応に脳の報酬系を刺激されている自分を想像する時、自分は紛れもなく動物であると自覚する。
 そうは言っても流石に宿に閉じこもりひねもすツイッターを見ているばかりでは味気ない。生きる意味、などというものが普遍的に設定されている訳ではないにせよ、であればこそそれへの餓えは自らの手によって癒す外ない。そういう次第で、宿に着いて数日間積もる手前で降り止んでいた雪が遂に積もったので、夕食がてら雪景色でも拝もうと街に繰り出すことにした。すっかり陽も暮れて、往復二時間以上を雪道の中歩くのは気怠いなと思ったが、既に雪の解け始めた道は歩き難くもなく空気は好ましく感じられた。川沿いの、人気のない道を地図も持たずに歩く。どこかの橋を渡れば市街だ。自分は今、何の根拠もなくここに居る。歩いている。自分の足だけで行けるところまで行く。たったそれだけのことを、する自由がある、と感じられることは俺の精神にとってこの上のない安らぎだった。この感じだ。この感じを味わいたくて、俺はわざわざ言葉も通じない場所を目指すのだ。
 暫く歩くと橋が見えた。渡ろうと近付くと、階段は仕切りで塞がれていた。そのまま通り過ぎて川沿いを歩く。二手に分かれた左手は細い路地となり川沿いを続いていた。右手の通りを選んで歩く。街角にぽつんと開いている食堂を見付け、ここら辺で腹ごなしでもしようかと入る。メニューは三種しかなく、「Can I have English menu?」と訊くと老主人は丁寧に英語でメニューを説明してくれた。ソーセージと野菜のグリル、チキンのリゾット、それから豚肉を使った料理。魚はないということで、礼を言って店を出た。そのまま歩くとトラムの線路が見え、右に曲がるとちらほらとレストランや土産物屋が現れ出した。中華料理屋はどこの国にもある。インドカレー屋、それからトルコのケバブ屋も。こういう景色を見ていると、グローバリゼーションが世界を画一化してしまうことなんて有り得ないと思う。例え世界中のすべての土地が都市になってしまったとしても、そのビルの中には中華料理屋もインドカレー屋もトルコケバブ屋も寿司屋も蕎麦屋もピザ屋もあるだろう。それを多様性とは呼べないのか。その程度の多様性では不満なのか。
 歩き疲れて、帰りが思いやられるなと思いながら左折した大通り沿いには何の店の灯りもなく、そろそろ諦めて引き返そうと見渡した対岸に見付けたレストランと、その隣の中華料理屋の並びに俄かに既視感を覚える。それは宿の近くの光景にそっくりだった。そんな偶然もあるのかと思い信号を渡ると、果たしてそれはまさにそのレストランであった。つまり、知らず俺は一周歩き回っていたのだ。見知らぬ景色が不意に見慣れたものと接続され、一旦繋がってしまえばもう二度とそれを「知らない」とは思えない。この感覚は何度味わっても新鮮で、まだそれを俺は上手く言葉にできない。でも、一つ言えるのはここでは「見慣れた景色」と言っても見慣れ過ぎていてはいけないということだ。何年もそこに暮らしているような土地では、自分がその景色を見慣れているのか、いないのか、その区別すら曖昧になってしまう。知らない景色があったとしても、それを「知らない」ということにすら気付かなくなる。だから、そもそも見慣れていない場所で、少しだけ馴染んだような場所。そういう場所でこそ、こうした感覚は際立って感じられるように思う。それは快感とも不快感とも言い難いが、ともかく刺激的であることは確かだ。

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