無意識な依存心

最近気づいた違和感を書く。
私の母親は何かをする時、
「ねえ、○○って××したらいいのかな?」ということを聞いてくる。
今日着る服だったり、パート先の人のもやもやだったり等些細なことだが、最近すごく違和感を覚えるようになった。

今まではいつもの事だしと思って流していたが、最近それがものすごく変に思えてきた。
なんでかを考えたら、自分の選択肢を全部こちらに委ねてきていることに対する恐怖だと気がついた。
人のアドバイスを元に自分で考えるならまだ分かるが、私に決定権を委ねてくることが気持ち悪く感じるのだ。

元来、人にはあらゆる選択肢があると思う。
何を言って何を言わないか、何をするかしないかなどを自分の責任で決めて、自分で選択していくのだ。
でも一定数自分の人生に責任を負いたがらず、他人にこれしたらいいかな?どうしたらいいかな?ということを聞いてきて、自分の意見を持つことなくそれに従い、人の意見に従って失敗したらそれを人のせいにする人がいる。

こんなふうに言ってはいるが、昔は私もそうだった。
人がいいと言ったものに触れ、自分の意思で行動せず、なにか不都合なことが起こると自分が不幸なせいにしたり、周りにその責任を押し付けるような醜い人間だった。
悲劇のヒロインを気取り、周りの人に甘えまくり、嫌な事やムカつく事があれば人に対して愚痴りまくっていた。
本当につい最近までは、そういう生き方をしていた。本当に恥ずかしい。

上記のような生き方をしてきたが、その生き方があんまり良くないことを教えてくれたのは友達だった。
私は本当に愚痴っぽく、意識はしていなかったが常に負のオーラ、ネガティブ思考をまき散らしていた。
自分の痛みには敏感で、他人の痛みや自分がしてしまったことに対しての不満などにはとてつもなく鈍感な人間だった。
その友達とは10年来になり、滅多に喧嘩をしたことは無かったのだが、この間ふとした事でものすごく怒らせてしまった。

無意識ではあったが、私は人にこんなに気を使っているのに、他の人は私に嫌な思いをさせると思っていた。
でも、私も人のことを気遣えていないことだって多々あるし、人が私のことを私が気付かないうちに気遣ってくれたことだって多々あった。
そして、その気遣いを無意識のうちにぶち壊してしまったり、その場の雰囲気とかその人の気持ちを知らないうちに踏みにじってることだって多々あった。

私は自分のことには本当に敏感なのに、他者に対しては本当に鈍感だったことを思い知らされた。
と、同時に私は無意識とはいえ、周りの人に対してじわじわと嫌な思いをさせていたんだな、と実感した。
周りの人のことが全然見えてなくて、自分のことばかりになっていた。
教えてくれた友達には本当に感謝している。

最近、私は愚痴っぽい自分を封印するようにしている。
完全には封印できていないし、嫌な事やムカつく事は当然あるのでたまにポロッと漏らすことはある。
でも、意識して愚痴を減らすようにはしている。
そのおかげか、最近自分の意思と責任をもって行動することが何となく実感としてわかってきた気がする。

すごい回り道をして、冒頭の話に戻るが母にも無意識に依存する要素がある。
自分も大概だったので人の事は偉そうに言えないが、最近それがものすごくしんどい。
母は自分が愚痴っぽいことや、人に対して自分の行動を決めて貰うこと、自分で決めればいいことに対していちいち確認を取ってくることを自覚していない。
私が彼氏や友達と電話したい時とかに構って構って、と言ってくる。
すごくそれが嫌だ。それを指摘するとあんただってそうだったと怒る。
ものすごく鬱陶しい。
最近感じた違和感の正体はこれだったのか、と思った。

でも多分今までの私だったら、上記に違和感を覚えてはいなかったのだろう。
と思うと、成長したのかもしれない。
そう思うと少し嬉しい。
本来はもっと自分の思うまま、人の顔色も伺わず、他人のことも自分のペースで思いやれるような人間になりたかったんだなと思う。
最近、私の思う自分らしい自分に戻ってきているから、今までの自分や母の行動を気持ち悪いと思っているのかもしれない。こんなことを言いつつ、母に感謝はしているが。

まとまりがなくなってしまったが、自分の気持ちを察してくれ、わかってくれ、私をもっと気遣ってくれ。という自分からはおさらばしたい。
他人に依存して、自立をしないのは辞める。
そのために、もっともっと自分の意思や自分の責任をもって、最後まで自分の人生を全うしていきたいと思う。

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