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2017.09.10 りんごジャム(ブラムリー/ブレンハイムオレンジ)
長野県飯綱町で購入した二種類の青りんご。
ブラムリーズシードリンク通称ブラムリーと、ブレンハイムオレンジ。どちらも加工に適した品種で、酸味が強く煮崩れが良い。
せっかく二種類の青りんごを一度に買ってきたので、できる限り同じレシピで、風味の違いを楽しむことに。ヲタ気質全開である。
テンションが違うと味にも影響ある気がする(品質も何もあったものではない)ので、一晩のうちに続けざまに煮た。
作り方はごくシンプルに。皮と芯を除き、8等分のくし切り、5mm程度に刻む。40%の砂糖の半量とレモン汁をまぶし1時間おく。火にかけ、灰汁を取りながら15分ほど煮る。
ちなみに今回ここで水を加えた。そうしないとペクチン豊富過ぎて無理。それにしても火にかけるとすぐにトロットロになる。そしてちゃんと混ぜないと焦げる。
残りの砂糖を加えたら、さらに5分ほど煮て火を止める。
ブラムリーは去年はじめて煮て、出来上がったりんごジャムの、あまりにりんごジャム然とした佇まいに驚いたのだった。キング・オブ・クッキングアップルは伊達じゃない。
今回は昨年より香りが弱いように感じた。もっと、芳香族化合物的な、青りんごガムみたいな匂いがしたような気がする。未熟なのかも。
しかしそれでも味のバランスは素晴らしい。トロトロの舌触りまで美味しい。
一方のブレンハイムオレンジは今年初めて。サビのある外見で、熟すとオレンジがかってくるらしいが、買ったのはほぼ緑。ブラムリーに増して酸味が強烈で、生の食感は紅玉のようにもっさりしている。
そしてジャムにしても、やっぱり酸味が強い!さすがに強すぎる!砂糖を増やしても良かったかもしれない。こちらも未熟なんだろうか。
食感も少し不思議で、粉っぽいというか。そのまま食べるより、パイにしたりするといいかも。
というわけで二回も煮たので当然、大量の瓶が並ぶことになる。しかし、この瓶詰めして並べたときの満足感たるや。ジャム作りにおけるクライマックスである。
もちろん、素材選び、下ごしらえ、煮る、各工程にそれぞれの楽しさがある。しかし、瓶詰めして、煮沸して脱気して、冷ましてから、その重みを掌に感じつつ、瓶を並べる。
それを眺める。
これに勝るものは、ない。
今回いつも以上に多めに作ったこともあり、いつも以上の満足に浸りつつ、ふと思った。
保存食を作ることは人類の根源的な欲求なのではないか。
それだ。そう考えれば、すべて頷ける。世間を見渡せば、作り置きおかずのレシピ本が溢れる程度には人々はおかずを作り置きたがっている。どう考えても面倒なのに燻製作りがちょっとしたブームになったこともある。もちろん、作り置きはライフスタイルの変化もあるし、燻製は美味いから流行っただけだしやっぱりめんどくさかったのか鳴りを潜めた。しかし、それらが登場して社会に浸透する前提として、「それをしたいという何か」があってしかるべきではないか。そしてそれこそが「保存食を作りたい欲」とは考えられないか。
人類は長い歴史の中でさまざまな保存食を作ってきた。干物、ピクルス、味噌、梅干…ビスケットだって果実酒だって、保存食として登場してきた(たぶん)。
保存食の目的は当然、食料の不足に備えることだ。人類繁栄の秘訣として道具や農耕の発明が挙げられるのはもちろんだが、保存食の存在は無視できない。乾季や冬季における生存の可能性を高め、環境変動に伴う絶滅を逃れてきた。また長距離移動を可能にしたことも、人類が世界中に広く分布できた要因だ。
ダーウィニズムの文脈で言えば、「保存食を作りたい欲」を持つものだけが生き残り、その遺伝子は脈々と受け継がれている。
来たるべき危機に備え、意識とは別の、奥底から湧き出る「保存食を作りたい」という気持ち。そして行動によりそれを満たすことで脳の報酬系に働きかけ、「保存食つくったった!」という快感・幸福感に変わる。
もうひとつ、仮説がある。保存食は作ったら独り占めせず、家族や集落などの社会で分け合ったのではないか。見方を変えると、保存食をシェアする社会だけが、厳しい環境を生き残ったのではないか。
そう考えると、ジャムを作る人がやたらと周囲に配りたがる現象も、よく説明できる。もし、消費できない量のジャムを煮ては配る知人がいたら、素直にもらっておけばいい。それは他意も下心もない、人間としての本能に従っているだけの行為なのだ。なんなら欲しければ欲しいと言えば貰える可能性が高い。
逆に、知らない人に渡すのは正直すごくハードルが高い。本能にインプットされているのは、同じコミュニティに属する人に配る、までである。プロのジャム屋さんは、そのハードルを常に高く設定した上で乗り越えなくてはならないという宿命にある。作ったジャムを、誰が買って誰がどうやって食べてどう思うか全然わからないとかほんと怖い。並々ならぬ不安と緊張の中で仕事をされているのだと察する。プロはそれでも美味しいジャムを作り続ける。尊みしかない。
夏〜秋は煮るべき果物が多い。とは言え調子に乗って煮てると、家の収納をどんどん圧迫し、苦情が出る。本能のおもむくままに作るのでは不足なのだ。本能のおもむくままに配らなければ。
40億年かけて遺伝子に刻み込んだ、壮大な言い訳。
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