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時空のたわみや、その不思議な矛盾も、神秘的な人間存在の危うさも、愛と悲しみにむせぶ情緒の波に呑まれるような感動も、ボクには感じられませんでした。

新宿で映画を観るのは久しぶりでした。この二十年くらいは日比谷と六本木がボクの映画鑑賞の主戦場になっています。たまに渋谷と日本橋が挟まるくらい。

歌舞伎町のTOHOシネマズは、新宿コマ劇場があったところです。ご存じの方も多いと思いますが、新宿コマ劇場は北島三郎や小林幸子が恒例のリサイタルを行う名のある劇場でした。
ですがやはり、時代の趨勢には勝てず、2011年に取り壊されて、31階建ての高層ビルになりました。もともと東宝系の運営だったようで、新しい新宿東宝ビルにもIMAXスクリーンを備えたシネコンの映画館が入りました。

土曜の朝の歌舞伎町は、バブル期ほどではありませんが、夜を徹して遊んでいた若者たちがぞろぞろ歩いています。路上のアクセサリー屋にもホットパンツの娘さんたちが集まって歓声を上げていました。

TOHOシネマズ新宿のIMAXスクリーンで、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の新作[DUNE/デューン 砂の惑星]を観ました。
評判通りのゴージャスさで、大型画面による映像実験と壮大な音響効果の体感を充分に味わい興奮しました。
砂粒のひとつひとつがキラキラと輝いていましたし、重低音の爆音が腹に響きました。

領地(惑星)の覇権争いを基軸とする筋立てはシンプルですし、背景美術や小道具の使い方に暗示を感じさせ、未来を予測する編集方法も、観客の心理を高揚させるテクニックとして功を奏していたと思います。
俳優陣も魅力的で、それぞれのキャラクター設定も善悪の枠組みが明確なので、続々と登場する人物の認識に混乱はありませんでした。まさに技術の粋を結集した大作と言えるでしょう。

不思議なことに、この大作を見おわって我に返ると、以外と覚めた自分がいます。充分に技巧的な演出なのですが、思わせぶりな残り香が記憶の隅に残っています。これは何でしょう。

琴線に触れるような屹立した独創性を感じられなかったので、さては遊園地の余興のような娯楽性の方に重きを置く狙いだったかと推察しました。
ディズニーランドで観た3Dアトラクション[キャプテンEO](1987年/マイケル・ジャクソン主演/フランシス・フォード・コッポラ監督)をふと思い出しましたから。

時空のたわみや、その不思議な矛盾も、神秘的な人間存在の危うさも、愛と悲しみにむせぶ情緒の波に呑まれるような感動も、ボクには感じられませんでした。

デイヴィッド・リンチ監督[砂の惑星 DUNE]の破天荒で恥知らずな妖しさの迫真を、ボクは知っています。とんでもなく異常な突破力がありました。

良家の若者が試練を受けるという物語形式である貴種流離譚を描くというなら、震える名作、溝口健二監督の[山椒大夫](1954年)だってボクたちは観ています。

小さな人間が雄大な自然の力と対峙する「砂漠もの」なら、[アラビアのロレンス](1963年/ デヴィッド・リーン監督)や[シェルタリング・スカイ](1991年/ベルナルド・ベルトルッチ監督)がありました。

抜群にカッコイイさすらいのヒーローなら[エル・トポ](1970年/アレハンドロ・ホドロフスキー監督)の孤高にかないません。

抽象的な流動体である「砂」の表現なら、[砂の女](1964年/勅使河原宏監督)と[砂の器](1974年/ 野村芳太郎監督)の方が、肝っ玉を激しくを揺さぶります。

IMAXシアターのシートに深く身を沈めて、ボクは映画の魂とは何かを考えていました。

じつは、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の前作[ブレードランナー 2049](2017年)でも、人物(レプリカントを含む)の瞳の奥に愁いと輝きを見いだせませんでした。老いたブレードランナーのデッカード(ハリソン・フォード)をあんな風に枯らしちゃいけなかったんじゃないかとボクは思い続けています。

もちろんこれは個人的な感想なので、ボク自身の私的な内面の葛藤が反映されています。

余談ですが、
この映画の状況設定から、アラブの石油利権に群がる西側大国の覇権争いという、近代の世界情勢の構図も脳裏に浮かびました。
もともと砂漠で暮らしていたアラブの遊牧民族ベドウィンのコミュティには、ボクたちが学ぶべき、生き延びるための掟と作法があります。

https://wwws.warnerbros.co.jp/dune-movie/

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