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騎士の一生について。

お疲れ様です。今回は、1人の騎士がどのように騎士となって行くのかを紹介していきます。是非創作時に参加なさってください。

先ず大切なことがございまして、多くの騎士が世襲で騎士となります。その理由は後から紹介しますが、世襲制なので多くの騎士の家が貴族の家です。

従いまして、大体の家が

・長男が家と領土を継ぐ

・次男が騎士となる

・三男以降は修道院へ送られる

と言う形を取っておりました。

長男が家と領土を継ぐと言うのは、分子相続から長子相続に変わってからです。元々は分子相続(子供全員へ領土を分け与える制度)だったのですが、相続者が多ければ多いほど細切れとなり、その子供も多ければ多いほど細切れとなって行くので、壊滅的な経済難に陥りました。そこから長子相続に変わったんですね。

これは家の存続には大きな意味があり、長男にとってはラッキーで、修道院へ送られる三男以降にとっては多大な影響は受けませんでした。最も影響を受けたのが、やはり騎士だった訳です。だから騎士は封土が必要だったんですね。

三男以降が修道院へ送られる理由としましては、コネ作りの為でした。中世最大のネットワークを有していたのは、他ならぬ宗教側だった為です。各地で巡礼が安全に出来る様に、と言う名目で、かなりネットワークが強化されていました。お金も持っていたので、ネットワークに入り込む事といざと言う時の助け舟を得られると言う考えから、コネ作りの為に修道院へ送られていたんですね。


そして、最後に騎士について紹介します。

中世最大の戦力と言っても過言では無い騎士は、家のプロパガンダとしても有用であり、騎士の一族にとっては「騎士だから貴族として居られる」ので、何としても騎士を生み出す必要がありました。しかし、騎士って莫大なお金を要するんですね。

先ずは馬です。これが高くて、家畜の20倍以上したと言われています。それも、質が良くなれば良くなるほどに跳ね上がって行きます。この費用を捻出するのにも一苦労です。

そして、甲冑と剣と槍と盾と言った装備品です。槍は比較的安価だったのですが、剣の場合は安価だと曲がって歪みます。なので、ある程度のお金を掛ける必要がありました。しかし、なんと言っても、甲冑が高かったのです。

鎖帷子しか用いられない時代は比較的安価だったので良かったのですが、プレートアーマーと呼ばれる金属板を内蔵した甲冑が主流となると、オーダーメイドになって行きます。従いまして、価格の高騰が起こります。

ですので、家長は財産として騎士になる息子へ甲冑を残しておく必要がありました。馬だけでも苦しいのに、甲冑まで新調出来る家は限られておりましたので。

そして、最後は「従者」です。何人かの従者も、騎士になるためには必要とされておりました。これも非常に高く、人件費の様な管理費や維持費も、その主人である騎士持ち、と言うことでした。

何故装備を残す必要があったかと申しますと、「装備が無ければ騎士になれなかった」からです。一旦騎士になってお金を稼いで…と言うのが不可能だったんですね。それが何故かと言うと、主君への敬意として「騎士を輩出する家が、騎士にかかる費用を負担する」事が善しとされていたからです。

だから世襲化が進んだ訳です。並の庶民では到底買えません。家畜の購入費だけで精一杯だった彼らが、20倍以上する軍馬と装備を買えるはずがありませんから(逆に、ブルジョワジーが騎士になれた理由もそこです)。しかし、戦争が始まる直前に、従者や歩兵へ騎士号を叙任する事がありました。その際の装備品等は、その彼へ騎士号を与える上官が担う事となります。従いまして、新たな騎士を生み出す時は、その直属の上の者(家長や上官)が費用を持つ事が一般的だったと言うことです。


ですので、息子へ財産を残せず、騎士が途絶える家が沢山出て来ます。資料によると、13世紀には、10世紀頃と比べて1/3にまで減っていたと言われています。

そんな騎士ですが、しっかりと準備出来ている家の次男は、幼い頃から馬と一緒に訓練を受けます。馬にも礼儀作法があって、歩き方を教え込まれるんですね。勿論、信頼関係を作ると言う理由もあります。

ですので、騎士にとって、馬は家族の一員だった訳です。覚えておいてください。

騎士にとっての馬は、家族の一員です。

サブカルでは、かなり省かれているポイントです。何処に行くのでも行動を共にしておりました。それぐらい、騎士にとって愛馬は大事だったのです。本当に、覚えておいてください。

もっと言うと「馬の作法で騎士の程度が分かる」とすら言われておりました。それぐらい共同体だったんですね。


話を戻しますが、幼い頃から馬と共に過ごし、戦闘技術を学んで行きます。そして、母親から口煩く「騎士道」について教わります。

そして14歳頃になると、コネを利用して王侯貴族や城主の城へ送り込まれます。感動的な場面として描かれる事が多い所です。騎士への門出になる訳ですから。

そして、そのお城で20歳頃まで、主人への世話を始めます。湯持ちになったり、調理に携わったり、給仕になったり、馬や装備の手入れをしたり…。ほとんど召使いの様な扱いですが、そこで宮廷での生活を教わっていたんですね。彼らを「従騎士(ドイツの従騎士とは別物です)」、あるいは「楯持ち」と呼びます。

そして、同胞も作ります。住み込んでいる他の楯持ちと親睦を深め、将来の戦友を作ります。戦友が甚だしい戦果を挙げれば、まるで自分の事のように涙を流すほど。その同胞と狩りに赴いて、身体面と戦闘のトレーニングを受けます。

剣技の特訓よりも狩猟での特訓の方が大人気で、ゲーム感覚で身体とセンスを鍛えられる狩猟の方が多かったようです。

そして、主人が戦地へ赴く際、従者として付き添います。

主人の重たい「楯を持ち」、騎士の仕留め方、戦場の空気、実際の流れを教えて貰います。

その一方で、その間、主人の奥方である「貴婦人」から騎士道精神を教わり続けます。時代と場所によっては、吟遊詩人から騎士道精神や冒険譚を聞いて育ちます。夢と理想が膨らんで行く時期、未だ現実を痛感する事が無い時期ですね。

そして、20歳を過ぎ、十分に騎士として生きて行けると主人に認めて貰えると「騎士の叙任式」が開かれます。

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