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短編 ケセラセラ

自分は電波が聞こえるのだ、と尚美は言った。曰く、音波のように電磁波が音色を奏でるのだと。
「有り得ないわよ、電磁波が聞こえるなんて。」と私が言うと、「でも聞こえるんですもの。」と尚美が応える。
「人の聴覚は空気の振動を感じとるように出来てるのよ、電磁波でなくてね。電磁波っていうのは光のお仲間よ。百歩譲ってあなたの細胞が電波を感知できたとしても、それは視覚みたいになる筈。”聴こえる”なんて事にはなりっこないわ。」
そうまくし立てる私に、尚美は苦笑いを浮かべた。「ほんと紗江は理屈っぽいわね。仕方ないか、リケジョだもんね。」
彼女は続ける。
「でも聴こえるものは、聴こえるんですもの。私だって勘弁してほしいわ。おかげで、最近は街中にも満足に出れないのよ。通行人のスマホにカフェに居座ってる人のパソコン、Wi-fiなんやが、ひっきりなしにピーピーガーガーブンブンかき鳴らすの。まるで騒音のオーケストラよ、気が滅入るったらないわ。」
私は肩を竦めた。
「それで一日中、家に引きこもってるの?」
「外出してるわよ、よく公園や川縁を散歩するもの。あまり街中には出ないけど、元から騒々しいのは嫌いだから。」
「ねぇ貴女、病院に行きなさいな。」
「嫌よ、変なとこなんか何も無いわ、私。それに結構、気に入ってるのよ、これ。一日中、色んな音が聴こえるの。冷蔵庫や電灯、洗濯機からだって。」
大型家電や変圧器はコントラヴァスのような低音で、電子レンジはヴァイオリン、ルーターはヴィオラのようなのだという。
「それらが混じり合って、一つのグルーヴを奏でるの。」
私がここにいないかのように彼女は笑う。楽しげに、今一番楽しいのはラジオだと話を続けた。
この近くにある電波塔から、ラジオ番組が聞こえるのだと。
「電波で聞くとね、奇妙に歪んでるの。人の声や音楽が、まるで音の波形をひっくり返したように。」
「少しだけアップテンポなのに、音色は物凄い低音。人の声は、まるでトンネル内でチューバを使って話してるみたい。音楽はあまり鮮明に聞こえないのだけれど、まるで象の足踏みね。」
彼女の熱の篭った話ぶりは勢いを増すばかり。やれ、エレキギターはアップビートの稲妻だの、ドラムは気の抜けたチェンバロだの。私はややウンザリしつつある事に、ロクに気付きもしないで。
「でもラジオが聞こえるなら、テレビなんかのも聞こえるんじゃないの?」話の腰をおる私に、尚美は少し黙りこんだ。
「そういうのはよく分からないのよね。たぶん、波長が複雑すぎるんだと思う。そこかしこの雑音のどれかがそうなのかも。」
「それは気にならないの?四六時中聞こえるんでしょ。」
「さあ、そんなに煩く無いから。それに心地いい音よ、ホワイトノイズみたいで。」
ようは彼女は、地上に満ちた電磁波が奏でる音の洪水から、ラジオ放送やその他好みの音だけを聞き分けられる、と言いたいようだ。鎮座した、ルーターや家電は一切気にせずに。
「街中は無理なのに、電子レンジは平気なの?」一瞬、そう言い返そうかと思ったが、結局は飲み込むことにした。

後書き

元は長編の冒頭だったのですが、納得のいくプロットが練れずお蔵入りにした文章です。
いつかまた続きを紡げるようになりたいものです。


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