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エジプト航空ハイジャック事件、15分おきに殺される、次は私の番


1985年11月23日。ギリシャのアテネ。アメリカ人女性ジャッキー・プフルグは、仕事で住んでいたエジプトのカイロに戻るため、エジプト航空648便に搭乗していた。

彼女は真ん中の座席エリアの通路側にある自分の座席を見つける。フライトアテンダントが向かってきて、彼女の前に座っている男性に、床に置いてあるブリーフケースは誰のものかと尋ねた。

通路を介してジャッキーの隣に座っていたその男性は、「俺のじゃない。放っておけ。」と怒鳴る。フライトアテンダントは、誰のものであれ、離陸する前に前の座席の下に入れるように言った。

するとブリーフケースの所有者がトイレから戻ってきて座席の下にしまう。今思えばあれが危険信号だったとジャッキーは言う。

98人を乗せた飛行機は離陸し、10分ほど経ったであろうか。

ジャッキーはその時のことを振り返る。

「左側から何か当たるのを感じました。誰かが立ちあがろうとしてつまずいたような感じです。それはあのブリーフケースの所有者でした。彼は通路に立っていて銃と手榴弾を手にしていました。私は頭を手で覆いました。なんてこと!なんてこのなの!ハイジャックされたんだわ。」と。

やがてフライトアテンダントが来て言う。

「当機はエジプト革命によりハイジャックされました。言われた通りにすれば危害は及びません」と。

ハイジャック犯は国際テロ組織「アブ・ニダル」で、中東問題に対するエジプト政府の姿勢に抗議するのが目的だった。

ジャッキーは言う。

「頭の左側に何か押し付けられたのを感じました。犯人の1人が前かがみになり、銃を私の頭に当てていたのです。そして私を見下ろして言いました。怖いかい?お嬢さん?と。ただ信じられなかった。当時30歳だった私は、やりたいことは何でもできる時間があると思っていたのに・・と考えていました。」

ジャッキーは犯人の詳細に注意を払うことにし、主犯と思われるハイジャック犯2人を見る。そして彼らが着ているもの、顔立ち、を観察し始めた。逃げ出した時に犯人の特徴を説明する必要があるからだ。

犯人は5人いたことが後に判明している。彼らは乗客のパスポートをひとつづつ回収して行った。

機内には武装した航空保安員が3人搭乗していたが、そのことは乗客も犯人も知らなかった。航空保安員の1人の男性がパスポートを渡さざるを得ない状況になった時、彼は立ち上がるとコートのポケットに手を入れ、パスポートを取り出すふりをして銃を取り出す。そして犯人を撃つや否や、他の犯人達から撃たれてしまう。

この銃撃で、犯人の1人が死亡したが、彼を殺害した航空保安員カマル氏がまだ生きていたことを知ると、主犯のオマール・レザークは激怒し、飛行機から引きずり出されたカマル氏を再び撃つ。しかし彼はどういうわけか生き残った。救急隊員は犯人にカマル氏が死亡したと告げ、飛行機から降ろすことができた。

残りの2人の航空保安員は銃を発砲しなかった。1人はこれでは命に値しないと判断し、密かにピストルを抜き取って2つの座席の間に滑り込ませ、もう1人は銃をブリーフケースの中にしまったままだった。

「銃撃戦の中、負傷した人たちが何人もいました。泣いている人もいます。すると突然、飛行機が急降下しました。空中で突然落ちるんです。私は母親達を見ていました。彼女達はこれが最後の瞬間であるように子供達の手を握っていました。飛行機は垂直降下しはじめ、もうこれが原因で死ぬんだと思いました。」

酸素マスクが降りてくる。息苦しさから乳幼児は泣いていた。機内は大混乱し、ジャッキーも酸素マスクをつけるのに必死だった。

銃弾で飛行機外壁に穴が開いたため、急減圧が発生したのだった。後に急降下はパイロットが意図的にやっていたことが分かる。乗客が酸素なしでも息ができるようにしている手段だった。

機体のどこかが壊れ、そこから空気が漏れて圧力が保てなくなると一瞬にして気圧が抜ける。一般的に富士山より低い高度程度まで降下すると酸素マスクがなくても問題ないため、そこまで一気に急降下する。

機長は90秒足らずで飛行機を5,000フィートまで降下させた。これにより、なんとか機体を水平飛行に戻すことに成功。しかし低空飛行を余儀なくされた結果、膨大な量の燃料が消費される。

早急に着陸の必要に迫られた648便だが、現在地点から着陸が可能な国はマルタ以外にない。マルタは地中海に浮かぶ諸島で、世界で最も小さい国の一つである。

機長はルカ空港の航空管制官に緊急着陸の許可を要請するが、テロ事件の経験のないマルタ政府は受け入れを拒否。さらに648便が着陸出来ないように誘導灯の照明を消してしまう。

それでも燃料が残りわずかだったため、機長は暗闇の中での強行着陸を決行し、無事にルカ空港への着陸を成功させた。

飛行機が着陸したのは離陸からほぼ6時間経った午前3時。45分ほどが経過すると、犯人がコックピットから出てきて、負傷した人々を解放し始める。

そして犯人はタマラ・アルツィの名前を大声で呼んだ。彼女は友人と共に搭乗していた若いイスラエル人女性だ。彼女は他の乗客が解放されたため、自分も解放されるのだと思っていた。しかし飛行機から降りようとしている時、犯人は彼女の頭部を撃つ。そして倒れた彼女を階段から突き落とした。

「窓側に座っていたオーストラリア人の男性が窓を見つめているのに気がつきました。彼は『彼女は動いてる』と言いました。彼女が動き始めた時、私は動いちゃダメ、じっとしていて、じっとしてるのよ、と思っていました。」

犯人は降りていくと彼女を再度、何度も何度も撃った。彼女が動かなくなるまで。それから15分ほどすると、犯人は次のイスラエル人女性の名前を大声で呼んだ。タマラの友人のニッツアン・メンデルソンだ。

彼女は足を蹴りながら叫んでいる。自分の身に何が起こるのか分かっていたからだ。別の犯人が来て彼女を前方へ連れて行く。再度ジャッキー達は銃声を聞くことになる。彼女の体が階段に当たる音も、滑走路に当たる音も。機内では皆恐怖であえいでいた。

タマラは傷を負いながらも生き延びていた。友人のニッツァンは脳死判定を受けて1週間後に死亡した。

犯人グループはリビアへ向かう燃料補給の要求をし、直ちに給油に応じなければ15分ごとに人質を射殺すると告げたが、これをマルタ政府は単なる脅しと判断し、人質全員を解放しなければ給油には応じられないと回答した。

「時間の経過とともに私達には分かりました。彼らが待つのは15分間。その間に要求が満たされなければ誰かを殺しにくるのです。」

ジャッキーはスカーレット・ローゲンキャンプというアメリカ人女性の隣に座っていた。ジャッキーが通路側でスカーレットは真ん中の席。窓側にはオーストラリア人の男性。

イスラエル人女性達が撃たれた15分後、犯人はジャッキーとスカーレットを飛行機の前方へ移動させる。最も嫌われていたイスラエル人とアメリカ人が最前列に移動させられたのだ。

ジャッキーとスカーレットは別のアメリカ人、パトリック・ベーカーと一緒に並んでいた。

犯人達はアメリカ人3人の手を背中に回し、ネクタイで縛り始める。彼らはパトリックを通路側に座らせた。ジャッキーはその前を通って窓側へ座る。スカーレットは真ん中の席だ。

15分後、犯人がパトリックを呼びに来る。彼は頭部を撃たれ、滑走路に投げ出された。銃弾は、最後の瞬間に頭を動か​​したパトリックの頭蓋骨をかすめた。死んだふりをし彼は手を縛られたまま、数分待ってから逃走した。

「私は祈り始めました。スカーレットが私を見て、何をしているのか聞くので、祈っているというと彼女は泣き始めました。そして15分後、彼らはスカーレットを呼びに来ました。怖い映画を観に行ったりする時、私はいつも目を閉じて耳を手で覆いますが、それもできません。私の手は背中で縛られていたから。」

ジャッキーはただ目を閉じて全てを聞くしかなかった。銃声も、体が階段に当たる音も滑走路に当たる音も。

主犯のオマル・レザックが中へ入って来てジャッキーを見ている。そしてコックピットへ入って行った。私には15分しかないと分かっていました。

「死に対面している時、誰もどうすれば良いか教えてくれません。まだ私は30歳でしたから、死に対する心構えを教えてもらったこともありません。だから愛する人達一人一人を魂の中に呼び出し、一人一人のどんなところを愛しているのかを伝え、さよならしました。母と父、姉妹へ。夫にも別れを告げました。結婚してまだ5ヶ月でしたから、子供のことはまだ考えていませんでした。だから自分の前にいたかもしれない子供にもさよならを言いました。そしてただ待ちました。」

ジャッキーの後ろは4列空席が続いていたので、次に選ばれるとすれば彼女だと機内の乗客皆が知っていた。

「フライトアテンダントが来てサンドイッチを配り始めようとしていました。彼女は私を見ていましたが、私を飛ばして配り始めました。まるで、あなたに食べさせる必要はないでしょ、と言うように。そして15分経過しましたが何も起こりません。15分が1時間になり、2時間になりました。3時間経過した時、もしかしたら交渉がうまく行っているのかもしれない、大丈夫かもしれないと思いました。」

ジャッキーが一人で最前列に座っている間、飛行機の出発時に友達になったエジプト人男性が後ろの列に並ぶ。彼はジャッキーに「あなたは大丈夫、生きられるだろう」と言う。

「もしそうでなければ、夫のスコットに愛していると伝えてください」とジャッキーが頼むと、「あなたは大丈夫だからそんなことはしません」と彼は言った。

トイレに行くのに手を挙げる人がいたり、ひそひそと話し声が聞こえたりしていた。その前は誰とも話すこともささやくことも禁じられていたため、機内では希望が出てきてきたように思えた。

「密かに私は縛られた手を解き始め、犯人が近くに来るとやめました。そして手を解くことに成功。そこでどうしよう、もし犯人に知られたらと思いました。そこでネクタイを手に巻き、縛られているように見せました。」

ジャッキーはリラックスするように努め、上を見上げると主犯のオマル・レザックがコックピットから出てくる。毎回彼がコックピットから出てくるときは交渉が失敗した時で、誰かを呼びにくる時だと、機内の乗客は皆知っていた。犯人がジャッキーを連れて行く。彼女は手が縛られているふりもしなければいけなかった。

ジャッキーの計画は、まだ外が暗ければ、犯人の股間を蹴り階段の下の暗闇に着陸して逃げることだった。

「私が呼ばれた時は朝の10時でした。外が明るい場合の計画はありませんでした。私が歩き出すと犯人が直ちに銃を構え、頭に銃が当たっているのを感じます。そしてこんな考えが頭をよぎります。

大丈夫。全てうまく行く。

そして犯人は引き金を引きました。銃弾が頭に入るのを感じました。脳が破裂したようでした。」

銃弾は彼女の頭蓋骨を粉砕し、骨の破片が脳に押し込まれた。

「階段に倒れる瞬間、空気に浮いているような感じでした。そして何か硬いものに当たり、滑走路に倒れました。深呼吸をしようと試みて、それがコントロールできるようになると、死んだふりをしました。犯人、少なくとも主犯格はすぐ上のコックピットにいると知っていましたから、私を見ているだろうと思いました。」

彼女は自分にこう言い聞かせた。「落ち着いて、とにかく落ち着いて。何をするにしても動かないで。イスラエル人女性に起こったことを思い出して。顔を上げないで。死んだふりをして。落ち着いて。完全に静止して。」

ジャッキーはそこに5時間も横たわっていた。雨が降り始め、寒さが骨に染み込む。胸の下に挟まった手は痛みを増した。彼女は慎重に注意深い動きで胸の下から手を出した。

「ある時点で車両が近くに来たのが分かりました。とても慎重に目を少しだけ開けると、黒いパンツを履いた足が私の方へ近寄ってくるのが見えます。犯人だと思いました。彼は私を抱え上げるとバンに乗せました。右側の男性が私の頭部の銃弾を見るのが嫌なようで、私をひっくり返したのですが、その時息をしてしまったんです。すると彼は、『彼女は生きてる、生きてるぞ!』と叫びはじめました。私は銃で撃たれ、殺されるのを待ちました。しかし何も起こりません。もう生きていると彼らに知られているのに私は死んだふりをしているわけです。自分自身に問いかけました。どうしたらいい?どうしたらいいの?」

ジャッキーは彼らの声に耳を傾けると、犯人の声ではないことに気づく。彼女はリスクを冒して目を開けて聞いた。

「あなた達は良い人達ですか、それとも悪い人達ですか?」と。

すると隣にいた男性が身を乗り出し言った。

「ハニー、私達は救急隊員だよ。もう大丈夫だ。」

彼女が乗っていたのは救急車だったのだ。犯人グループは食料供給を条件に滑走路の遺体を回収することに同意した。車は遺体安置所に向かう途中で、ジャッキーが生きていると分かり病院へ行き先を変える。

彼女が病院で脳の手術を受けている間に、ハイジャックの最後の瞬間は終わる。

事件発生から25時間後にエジプトの特殊部隊が貨物室に爆薬を仕掛け爆破しそれを合図に強行突入。犯人との銃撃戦の末にハイジャック機を奪還する。機長が犯人の1人を殴り倒すなど、乗員も機内から協力した。

しかし、この銃撃戦で乗客57名が死亡し34人が負傷する大惨事となった。犯行グループが投げた手榴弾3発が客室で爆発し、機体にも引火して火災発生、さらに突入用煙幕で視界が悪いなかでの銃撃戦となったことなどから人質の犠牲が増えた。

犯人グループのうち主犯格のオマル・レザックだけが生き残り、重傷で発見された。機体は数時間にわたって燃え続け全損となった。

ジャッキーを撃ったオマル・レザックはマルタでの裁判で懲役25年の判決を言い渡されたが、服役7年後にして恩赦が行われ釈放された。しかしFBIは国際刑事警察機構の協力を得てオマル・レザックをナイジェリアで拘束。現在、レザックはアメリカで終身刑に服している。

銃撃されたジャッキーには視力障害が残り、精神的トラウマの治療を必要とした。脳損傷、学習障害、PTSD、うつ病、離婚、てんかんとの12年間の闘いを彼女は「感謝の旅」と呼んでいる。

ジャッキーの夫スコットは彼女を守ろうと懸命に働いたが、彼女の進歩の遅さを理解していなかった。

「このハイジャック事件に関わったことから多くのことを学びました。でも日常生活で常に心にあるのは、後悔しないで生きるという考えです。だから愛する人々に愛していると伝えなかったことは1日もありません。1日の終わりにきちんと伝えたか確認するんです。私は生き延びました。まだその時ではなかったからです。」



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