言語知と身体知


今日更新されたCOTEN RADIO

言語化されてることが正しいことよいこととされてきたが身体知で感じたことも同じような指標としたらいいってのは
(私的理解。一回聞いただけなのでもしかしたらニュアンス違うかもだけど)

全くもってそうだと思う。それはヘレンケラーのシリーズ

を聞いてた時にも思ってて。
見えない喋れない聞こえないヘレンは言葉はわからなくても別の感覚で人の考えてることを察知する能力があったらしく
私たちは言語という表現手段に特化してコミュニケーションを取っているが本当はもっと別のやり方もあるんじゃないかっていうのに気づかされ
言語とは多くの人が使いやすいツールで、当たり前のように使ってるけど
そういう方法が苦手だったりできない人とも意思疎通できる方法をもっと重要視すべきなんじゃないかって思ったんだよね。
ロジカルであることが正義のように思われてるけど、そもそもロジカルってなんだってことでロジカルにだって文化や社会環境によって
あるべきロジカルが変わることを思えば全ては相対的なことでしかないんだよね。

あーーこうやって発信してくれて自分の中で何だかなぁと思ってたことが「言語化」されるとそうだよね!!って気持ちになるけど
やっぱり今はまだ言語化されないとすっきりしないというのもまた然りで。このあたりを限界突破していきたいなぁ。


最新シリーズと並行して聴いてた鎌倉殿シリーズも聴き終わった。めーーっちゃ面白かった!「鎌倉殿の13人」見返したい。


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