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ネットリテラシーをもっと重要視するべきだという話

現代社会、延いてはインターネット社会において、ネットリテラシーの重要度は増す一方なのに対し、一般のネットリテラシー意識は変わらず低いままであるように感じます。そして、これは若者に限った話ではなく、年齢性別問わず言えることで、とにかく情報精査能力、情報管理能力の低い人が多いです。これは、教育意識の低さにもありますが、「自分はしっかり出来ている」という驕りにも原因があります。
 そもそも、ネットリテラシーについての認識が曖昧な人が多いようにも思えます。具体的にネットリテラシーとはどのようなものなのでしょうか。
 まず、ネットリテラシーとは、情報を正しく理解し、活用すること、延いては、管理することを意味します。世界には様々な情報が溢れており、それが必要な情報か、不必要な情報か。正しい情報か、間違った情報か。といったことを判断し、そして自身の情報を、発信してもいいものか管理すること。大まかに、こういった事ができるかどうかということにネットリテラシーは重要視されるのです。「うそはうそであると見抜ける人でないと(インターネットを使うのは[元は掲示板ですが])難しい」というひろゆき氏の言葉は、まさにこのネットリテラシーの重要性を表した言葉なわけですね。
 ここで、ネットをあまり利用せず、かつその他媒体の利用が多い中高年層に多いのですが、「インターネットに存在する情報は全て信用ならない」という極端な方がおられます。近いものとして、公式の情報しか信用しないという人、ネットニュースには絶対の信頼を置いているという人もいますね。
 持論ですが、そういう人ほど詐欺やフェイクニュースに騙されやすい傾向にあると思っています。というのも、こういった考え方をしている人は、尤もらしいと思われるものを極端に信用していて、おそらくは、それが本当に正しい情報なのかを精査することがないのです。そして、それ以外の情報は全て否として拒絶する。これはつまり、自力での情報精査を諦めているのと同じであり、「ネットの情報は嘘しかない、ネットニュース以外信じるな」というのは、「自分には情報精査能力がありません」と言っているようなものなのです。
 とはいえ、これくらいきっぱりしていればネットリテラシーが一応はあるといえるでしょう。分からないなりに予防策を打っているのですから。問題は、自分には情報精査能力があると思っていて、かつ上の条件に一致する人です。こういう人ほど、公式を装った偽情報に騙されやすいのです。
 ネットリテラシーにおいて肝要なのは、学ぶ、ということです。これは何についても同様ではあるのですが、インターネットについて知らないということがどれだけ弱みになるかというものを理解していないのです。これからの社会において、情報というものの重要性は計り知れません。情報戦を制することがこれから先本当に大事なのです。
 知らないから、難しそうだから、という理由で新しいジャンルに手を出さないひとが、インターネットについても同じようになってしまっている人が多い、ということです。全く使わない人は使わない、というものならいいのですが、インターネットはそうはいきません。これから先、インターネットが苦手では大きく周りに遅れを取ることになるでしょう。もちろん間違った手の出し方をしてしまっては大変です。しかし、失敗を防ぐだけでなく、正しい使い方という点について、もっと教育を推進してもいいと考える今日このごろであります。

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