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【アニメ】はめふら11話で感じたこと【感想】

アニメ「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…」の11話ネタバレあり感想になります。
未視聴の方はお戻りください。


11話は現実(現代日本)世界と乙女ゲー世界の2つの世界で物語が進行する。
結論から言えば、現実世界での出来事は全てカタリナの夢だったのだけれど、前世との決別というイベントはきっちり描かれている。
ストーリー上では、目覚めないカタリナを心配するハーレムメンバーが各々カタリナとの絆を回想し、声掛けという儀式によって彼女が目を覚ます。
一応ソフィアの中の人(前世の親友)がカタリナの夢に介入して目覚めを促すというロジックが存在はするが、カタリナを帰還させたのはハーレムメンバーたちの『声』を通して伝わる絆であって、その繋がりがカタリナに自分のいるべき世界を確信させたのだ。

2つの世界(あるいは国)を取り扱う作品では、主人公が自分はどこにいるべきかという立脚点を定めるイベントが結構な確率で発生する。
カタリナの場合、前世での肉体は既に存在しない(死んでいる)ので物理的に現実世界に戻ることは不可能だ。しかし夢というギミックを使うことで、現実世界と異世界の選択を擬似的に可能にした。
仮にカタリナが現実世界を選べばあのまま眠り続けて死んでいただろう。乙女ゲー世界を選択したからこそ、カタリナは目覚め愛すべき仲間のいる世界へと帰還できたのだ。
このイベントを経て、カタリナは完全に乙女ゲー世界の住人になったと捉えることができるだろう。

そんな感じでテーマ的にも構造的にも11話はわりとかっちり作られているのだけど、一点引っかかった部分がある。
それは現実世界と乙女ゲーの主従関係だ。現実世界が描かれ、そこに「乙女ゲー」としてこれまで描かれてきた物語世界が「ゲームという現実より下位の世界」として提示される。この瞬間、僕は冷水を浴びせられたような気持ちになった。
もちろん、最初から乙女ゲーの世界であることは理解している。しかし現実世界と対比的に描かれることで、所詮はゲームじゃんという思いが強くなった。
マリアの救出方法をゲームの知識から得る展開がその思いを加速させた。


カタリナの行動により物語は既にゲームとは別のルートを辿り始めている。元はゲームかもしれないが今はそうではない。ならば、マリアを救う手立ては外からの知識ではなく、彼女たち自身が探し当てねばならないのではないか。
それが真に現実世界と決別し、この世界で生きていくということではないのか。
そんなことをぼーっと考えながらアニメを見ていた。


あっちゃんの知識が空振って一波乱あった方が良かったのでは……と尺の都合も考えずに思いつつ、でも正直学園パートは冗長だったし削る場所いくらでもあるよなとも思い。
あと、ソフィアと本屋巡りをしているときに「現実世界と限りなくよく似た世界を題材にしたSF小説」でも出てくれば、現実世界と乙女ゲー世界の主従感を減らせただろうにとかも思い。

はめふら全体の感想は最終話を近いうちに見てnoteにまとめようと思っているが、「幼年期がすごく面白かっただけに学園入学からの失速が残念」という現時点での所感は変わらない気がする。

よければ