YO-SAY

えー…まぁ、なんだ………
(まだ構成が固まってない🤣)

今、癌という病気になり、もがいてます。
いっちょ前に不格好ながら「家族」もでき、家も買い、わんこもいます。
本来ならバリバリ働く50代なんですが…

ぶっちゃけ、ワタシにとっては「余生」なんです、この10年くらいは。

父が亡くなったのは、40歳、母が38歳。

父の夢はマイホームを買うこと。
母の夢は、マイホームでわんこを飼うこと。

それ代わりに叶えるまで、がむしゃらに働きましたよ。
がむしゃらに遊びもしたし(笑)

30で家を買い、わんこも飼いました。
(親がいないとローンもキビシいのよ💦)

それから10年、待ちました。

父や母の年齢を超える日を。

越えた日、おかーちゃんに言いました。
「もういいかな?」
おかーちゃんは答えました。
「お疲れ様、もういいよ、あとは自分の人生を生きな」と。

あの瞬間から、余生が始まりました。

自分の夢だった飲食店を開き…
やっと借金返して、さぁ!これからだ!
って時、過労でひっくり返り、店を手放しました。
残ったのは、数十万の借金だけ(笑)

好きだったトラックに復帰しました。
配車係の無理難題も、二つ返事で聞きました。
楽しかったからね。
色んな場所に行きました。
キレイな景色、珍しい景色、見たなぁ。

それから、経験を買われて、ヘッドハンティングされ、今の会社に。

拠点をイチから作り、今の入出庫のシステム、頭抱えて作りました。
おかげで今、俺が手を出さなくても稼働してます。

なぜトラックを下りたか…

それは、毎日毎日、帰るまで心配してたおかーちゃんを、安心させるため。
本音を言えばね…
トラック、下りたくなかったんだよね。
楽しかったから。

でも…
まだガキだった22歳の俺を、サポートしてくれ、文句言いながらも、わがまま聞いてくれて、いつも味方してくれた、おかーちゃんに、恩返しの気持ちで、今の会社に入った。

そして今年の5月。
大腸癌ステージ4と診断。

あぁ、余生もこれまでか…

正直、そんなに落ち込むことも、ふさぎ込むこともありませんでした、余生ですから。

でも…
診察のたび、抗癌剤点滴のたび、いいよと言っても付いてくるおかーちゃん。
待合室で6時間くらい待つことも…
それでも「次はいつ?どんな治療?」と、明るく問いかけてきます。

今週の金曜日も、朝から14時くらいまでかかるのに、当然のように付いてくるみたいです。

たぶん彼女なりの、励ましなんだろうと思います。
そして、そんなおかーちゃんを見てると…
「余生なんて言ってらんねーぞ!」
と、勇気と生にしがみつく力が湧いてきます。

今日、病気になってから初めて、来年の話をしました。
「来年は、きなこ🐶連れていける温泉でも行くか」
さっそくスマホをポチポチとリサーチを始めてました(笑)

来年も、再来年も…
5年後も10年後も…
おかーちゃんを看取って、ありがとうと言う日まで、生き続けなきゃいけないんです。

この、まだ生き続けられそうな確率がある余生は…
全ておかーちゃんに捧げたいと、思います。


なんてね🤣🤣



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