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退屈なのに面白い!∀ガンダムの秘密

日本では膨大な量のアニメが放送されたり、配信されていたりする。見なが「面白い!」と思うアニメもたくさんあるだろう。
しかし、視聴中は面白いと思っても、1日後、1週間後、1ヶ月後、1年後、・・と時が経つと忘れてしまっていたり、何が面白かったのか思い出せない作品も残念ながら多い。

しかし、世の中にはこれとは逆に、視聴中は退屈なのに、後から思い返すと「なんて面白いんだ!」と感じる作品もある。僕にとって『∀ガンダム』はそういう作品だ。

なぜ退屈だと感じたか

そもそも、なぜ視聴時の『∀ガンダム』は退屈だったのか。ざっくり言ってしまうと、「〇〇軍VS〇〇軍」的な分かりやすい軍記物の形式ではなかったためだろう。これまでのガンダムシリーズであれば「連邦VSジオン」「ティターンズVSエゥーゴVSアクシズ」といった勢力図があり、基本的にはその陣営の人員が大きく変わることはなかった。『Ζガンダム』の3陣営の時点で十分複雑で分かりづらかったのだが、『∀ガンダム』はさらに難解だ。陣営こそ「地球」「月」の2つしか無いが、単純な「地球VS月」という構造ではない。月側が地球に対して平和的な領土の割譲を求めている際に、双方の過激派が暴走したり、野望を持つものが策略を働かせたりすることで戦闘が起こる。主人公のロランは月からのスパイとして地球から送られてくるが、基本的に地球の側に付いて戦っている。戦闘相手がどちらの陣営のこともあるし、戦った相手ともしばらくすると協力したりする。このように従来の軍記物としての成分は弱く、どちらかというと淡々とした回を積み重ねて物語が展開している。それまでのガンダムシリーズに慣れているとこのリズムは正直馴染みづらい。

しかし、この「退屈だと感じる分かりづらさ」こそが『∀ガンダム』を考える上で重要な要素なのだ。

与えられた役割を「読み替える」

普通の戦記物ならば、「地球VS月」のように陣営がきっぱりと別れる。地球人は地球の、ムーンレィスはムーンレィスの味方だと思ってしまう。しかし、このような予め与えられた役割は、それほど絶対的なものなのだろうか。
『∀ガンダム』は、人々が物事に対して与えている役割を一つづつ読み替えていく。私達が「そういうものだ」と決めつけているものが持つ別の可能性を見せてくれるのだ。

本編で一番大きく取り上げられるのが、月の女王ディアナと地球の貴族キエルの関係だ。2人は容姿が双子のように瓜二つであり、物語の最中度々立場を入れ替える。姿形こそ似ているものの、大きく境遇の異なる2人が入れ替わった役割を演じるのは難しいように思える。しかし彼女たちはお互いを思いやることで、この困難を乗り越えることができた。
普通なら全く接点のない大きく異る2つの立場も、入れ替えてみると(努力は必要なものの)なんとかなってしまう。これは与えられた役割を盲目的に信じ、従っているだけでは決して気がつくことができない。

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読み替えはもちろんこれだけではない。ロランと共にスパイとして送られながらも、軍隊に協力するのを辞めパンを作ったり新聞記者をやったりするキースとフラン。グエンのマッチョイズム的政治に見切りを付け「アメリアはワタクシがスカートのまま治めますわ」と語るリリ・ボルジャーノ。主人公のロランも「月の人とも、地球の人とも、人の命を大切にしない人とは誰とでも戦う」と述べている。このように様々な登場人物が自身の置かれた役割を読み替え、更新している。

そして読み替えは人物描写のみに留まらない。第21話「ディアナ奮戦」では戦争のために産まれたモビルスーツである∀ガンダムを洗濯機という生活のための道具に変換している。第39話「小惑星爆裂」では人類の愚かさと恐怖の象徴である核兵器を(ゲーム理論ではなく文字通りに)人を救う道具に読み替える。

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さらに、この『∀ガンダム』という作品自体も従来のガンダムシリーズの読み替えを試みているといえる。これまでのガンダムで描かれた様々なドラマを人類の滅亡をもたらす「黒歴史」として一旦否定する。かつて「人類の進化」というメインテーマだったニュータイプの希望や絶望は、『∀ガンダム』では一切登場しない。しかし、一旦否定され忘却された「黒歴史」を再び呼び覚まし、そこから人類に希望をもたらす物語を紡ぎ出す。一歩間違えれば「戦争の欲求の代替品」や「過度に期待し、破壊を産みかねない幻想」に成りかねないガンダムという作品群を希望に満ちた物語に読み替えようとしているのだ。

これまで見たように『∀ガンダム』は従来持っていた様々な役割を読み替えようとしている。もちろんこれは容易なことではない。それまでなんとなく信じている役割の外部を模索しなければならないからだ。しかしその道を探る想像力があれば、あらゆる物事に希望を見出す事ができる。『∀ガンダム』は私達に「読み替え」という想像力の可能性を示してくれる作品なのだ。

「思い返す」ことで気がつく面白さ

改めて冒頭の問いに戻ろう。なぜ視聴中は退屈に思えた作品が、思い返す時に面白く思えるのだろうか。

作品を視聴するとき、私達の目線は基本的に登場人物と共にある。しかし、物語を思い返すときは「神の視点」に立ち、個々のエピソードをつなげて考える事ができる。
『∀ガンダム』のエピソードを思い返してみると、先程挙げたように様々な場面で「読み替え」という作業を試みていることに気がつく。視聴中は「いい話だな」程度に思っていた各エピソードがつながっていき、この作品の「読み替え」というコンセプトを発見することができるのだ。この感覚が視聴後しばらく経っても褪せることのない面白さを産む。

つまり、強固なコンセプトがあり、それが物語全編に貫かれている作品こそ「思い返した時に面白い」作品なのだ。これは視聴中の面白さとはまた別種類のものなので、視聴中には面白くなかった作品が途端に面白くなったり、逆もありえたりする。

大量のアニメ作品が放送される中、一つひとつの作品とじっくりと向き合う機会はあまりないかもしれない。しかし、たまには見終わった作品のことも思い返してみると、新しい魅力を発見できるのではないだろうか。

参考文献


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